復讐のはじまり

ヒードラ砦、血祭りの後

 時を遡ること六十余年。王国西部は戦乱の時代を過ごしていた。


 国土を東西南北四つの地域に分けた王国では、それぞれの地域を総督として任命された有力諸侯が統治していた。当時の西部では長きに渡り名門リヘル家の統治が続いていたが、当主の死後、権力に魅入られた肉親たちによる血で血を洗う家督争いが勃発し、勝者不在のままリヘル家は没落していき、その後、空位となった西部総督の座を巡る戦いの火種が西部全土に飛び火し、野心に逸る貴族たちによるかつてない権力争いが始まった。

 長らく続いたこの戦いは、リヘル家の遠縁にあたるエストレージャ家の若き当主シリオ・エストレージャによって平定され、ついに戦国時代に終止符が打たれたのである。


 しかし、統一直後の西部領内にはまだ争いの熾火が残り続けていた。西部統一の偉業を成し遂げ、西部総督の座に就いたシリオの命も、いまだに安全ではなかった。いや、むしろ、より危険になったとも言えた。西方を平らげるためには、強引な手に訴えることもなかったわけではない。シリオに恨みを持つ諸侯もいれば、その後ろ暗い過去を材料にその座から引きずり降ろそうと画策する輩も少なくなかったのである。


 それから十数年の月日が流れ――。


「隊長、サテーリテ隊長」


 物思いに更ける西部総督府近衛剣士隊の首領サテーリテを現実に引き戻したのは、剣の腕はそこそこだが腕力が自慢の若い隊員の呼び声だった。


「そろそろ到着します」


 隊員はそう報告してから顔を歪めながら背筋を逸らした。

 隊長サテーリテを含む八人の隊員は、悪路に揺れる幌馬車の中にいた。長方形の空間の左右に、長椅子と言えばあまりに聞こえのいい、布を被せただけの長方形の箱があり、そこに四人一列で向かい合わせに座っている。若い男たちばかりで、みな肩を擦り合せながらこの窮屈に耐えていて、体が痛くならない人間はひとりとしていなかった。隊員が表情を歪めているのも無理からぬことなのである。目的地に着いてようやくこのむさ苦しい閉鎖地獄から解放されると思うと、誰もが安堵の溜息を吐いて、狭い空間で互いの邪魔にならないように工夫をこらしながら、体の各部位を伸ばしはじめた。


 サテーリテは部下の報告に目で応えた後、さっきまで腕組みしながら巡らせていた考え事の続きに戻った。


 そもそもは誰が連れて来たのかも知れない、高名な占星術師という触れ込みでエスプランドール城都へやってきた、オロスコポとかいうハゲ散らかした老人の言葉から始まった。


「近しい人間が災いを連れてやってきます」


 オロスコポは西部総督シリオ・エストレージャの前で、臆面もなくそうのたまった。その占いだか予言だかの不穏な言葉に、領主は涼しい顔を通していたが、サテーリテの目は領主の表情の僅かな曇りを見逃さなかった。領内には確かに不穏分子が残っているのだ。

 結局、シリオは治世への不満とも取れる発言だとしてオロスコポを不敬罪とし斬首に処した。たかだか占星術師の占いごときに残酷とも言えるがしかし、サテーリテとしてはひとりの犠牲で事が済んだことにむしろ安堵していた。思い出すのは二十年前の霧の里の惨劇である。ひとりの術師の不敬で一族郎党はおろか、里がまるごと焼かれた。統一を成した今では、繰り返してなるものではない。

 同時にサテーリテはこれを、不穏分子を一掃するいい機会と前向きに考えてもいた。今こそ真の平和を盤石のものとするため、残った熾火を消して回るのである。


 サテーリテは面々の顔を素早く見回した。


「目的地に着く前に最後のおさらいだ。我々はヒードラ砦兵長カンセルを城都に召喚するために来た。この辺りの野党どもを率いて周囲の集落を荒らしているという噂があるからだ。カンセルには城都で話を聞き、その真偽を確かめる。さて、俺が言いたいことは?」


 サテーリテは隣の隊員に目をやった。


「決して剣は抜くな」

「その通り。俺たちは討伐に来たんじゃない。軽はずみに近衛剣士隊の名に傷をつけてはならない。だが、俺はカンセルという男を知っている。あの男が召喚に応じることはないだろう。奴は十中八九野党を率いている。自身が野党のまとめ役になることで野党同士の抗争を防ぎ、一定の秩序を生み出したんだ。だが、おかげで実害を被った村がある。それを隠し通すことができないことはカンセルもわかっているだろう」


 サテーリテは剣の柄に手を置いた。


「決してこちらから剣は抜くな。だが、カンセルは必ず剣を抜く。そしたら迷わず剣を抜け。総督の勅命で訪れた我らに剣を向けることは反逆に他ならない。向こうが誰かひとりでも剣を抜いたら迷わず斬れ。すべて」


 馬車の揺れが止まった。後部から雪崩れるように隊員たちが馬車を降りる。まるで地獄の鎖から解放されたように。サテーリテも両腕を目いっぱい広げて体の自由を堪能した。


 先行していた隊員のひとりが息せき切ってサテーリテに駆け寄った。その様子から、サテーリテはただの報告ではないことを見て取った。


「隊長。砦の門番が死んでいます」

「なに?」


 急いで走っていくと、報告どおり門番をしていたと思しき男たちが、血の染み込んだ地面に倒れ伏している。門は開いていて、人が無理せず通れる隙間が空いている。


「侵入者か?」


 そもそも野党の根城になっている砦である。一定の秩序が崩壊した末の内輪揉めも考えられる。サテーリテは隊員を中に入れ、自身も後を追った。


 惨劇という言葉はまさにこのために作られた言葉に違いない。壁、床、天井、至る所が血に濡れ、砦の中はまるで死体の博覧会だった。


「カンセルは? 探せ!」


 その声に隊員たちが四方に散る。万が一だが兵長カンセルの所業の可能性もある。サテーリテの知るカンセルは、命を奪うことを娯楽と感じる異常者だった。部下と野党をひとまとめに処理して逃亡することだってやりかねない。

 報告を待ちながら、サテーリテは廊下でうつ伏せになった野党か兵士かわからない人間の亡骸を足でひっくり返した。腹から肩にかけて無残な裂傷が体を走っている。腹に突き立てた剣をそのまま上に引き上げ、心臓を通るようにして肩まで裂いたのだろう。思わず息を飲んだ。これは博覧会ではない。品評会だ。人を屠る技術の。


 ひとりの隊員が汗だくになりながらサテーリテの元へ帰って来た。報告の前に首を振る。


「見当たりません」

「ひとりで逃げたか」

「わかりません。ですが、ひとり、奇跡的に息のある人間が見つかりました」

「案内しろ」


 折り重なった死体の横で、隊員に上体を起こされた生き残りがいた。サテーリテは片膝をついて瀕死の男の瞳を覗いた。生の光が今まさに消えようとしている。


「何があった」


 死ぬ前に重要なことを一言くらいは喋ってくれ。サテーリテの願いを聞き取ったかのように、男は餌を待つ溜池の魚よろしく、パクパクと口を動かしたあと、ようやく声を絞り出した。擦り切れたような音だった。


「……にん……ぎょ……う」

「何?」


 サテーリテが聞き返す。だが、男は必死に声にならない返答を繰り返したあと、絶命した。静寂が辺りを包む。若い隊員が重い沈黙を割った。


「隊長。自分には、人形と聞こえましたが」


 生き残りの男の声を聞いた者たちはお互いを見合いながら一様にうなずいた。サテーリテの耳にもたしかにそう聞こえた。


「人形とは何のことだ。そして、カンセルはどこに行った。この砦をやった下手人が、まさか人形だと言うわけじゃあるまいな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る