第16話 リズベル
「着きましたよ」
御者の声と同時に馬の蹄が地面を叩く音が消え、車輪がその動きを止めた。
先刻から街道で馬車や人とすれ違うことが増えてきていたのでそろそろかとは思っていたが遂に俺の初めての旅も終わりのようだ。
俺は馬車から外に出てから辺りの空気を吸う。そして肺に取り込んだ空気をまた吐き出して新しい場所で気持ちを入れ替えるように深呼吸をした。
大きく目を開けてこれから住むことになる街、リズベルの姿を初めてその目にした。
王都には及ばないが大きな街だ。
目の前には市壁がありそれが左右に伸び街を囲んでいた。
街に入る為の門の前には幾人かの人が並んでいるのが見えた。先頭にいる人達は門兵と話しているのでこの列に並んでいるのは街へ入る許可を得る為に待っている者達なのだろう。
「私達も並びましょう」
御者に言われるまま俺達もその一団に混じり、自分達の順番が来るのをゆっくりと待つことになった。
門兵への対応は全て御者に任せた。
何か手紙のようなものを見せると門兵とのやりとりは滞りなく進んだ。
俺とメトとヨルガも門兵にチラッと顔を見られたが、特に何の問答もなく馬車は街の中へと進み、数日かけてようやく俺達は目的地のリズベルへと到着した。
「また御用があれば」
「機会があれば頼みます」
「では」
街に入ると御者の仕事は終わりだ。
馬車に残った荷物を全て下ろした後、短く簡単な別れを済ますと御者は馬車を引いて街の中へと消えていった。
「キュウンッ」
馬車から下ろした荷物を全て箱へと入れ終わり蓋を閉じるとその上にリンネが乗って寝転んだ。まだ寝足りないようだ。
そのまま寝てていいぞ。
「とりあえず飯でも食べに行くか」
俺は初めの新しい街に気持ちが高揚していた。
「何言ってんのよ、まずは探索者組合に登録でしょ」
「え〜街ついたばっかりだぞ?散策しないのか?」
「小さい子じゃないんだからやることやってからしなさいよ」
「おそらく探索者組合ならあっちだな」
「ヨルガはここ来たことあるのか?」
「ないな」
「ならなんで場所がわかるんだ?」
「探索者組合は大抵大通りに面した場所にあるからだ」
「なるほど」
「正解。私は場所知ってるから案内してあげるわよ」
「へいへい、あっちだとよリンネ。落ちるなよ」
「キュイキュイ」
箱に乗っているリンネは寝ながら返事をした。
時刻は昼前、ちょうどお腹が空く頃合いだ。
少しでいいから何か食べたかった。
俺は腹を鳴らしながら探索者組合へと向かった。
俺は街を歩きながら石畳を足裏で叩き、初めての使いをする子供のようについつい辺りをキョロキョロと見回してしまう。
王都でずっと暮らしていてそこから出た事のなかった俺は新しい街で歩を進める度に新鮮な気持ちを抱くことになった。慣れた場所を歩いている時とは違うこの感情は中々刺激的だった。
リズベルは長閑な街だ。
王都の何処か殺伐とした空気がなく緊張感がない。
色々と注意するものが王都よりも少ないからかもしれない。まず全体の人の数が少ない、おかげで人間同士の問題が起きにくいのだろう。例えば街中で速度を出して馬車に乗るものもおらず轢かれる心配もない。
店員を悪様に罵る貴族の口汚い言葉も聞こえない。客同士の揉め事を仲裁する兵士の姿もなかった。
それに浮浪者も今のところどこにも居ない。どれも王都ではあり得ないことだ。
それに街の住人の目が王都とは違うのだ
獲物を狙うというか他人を秤にかけて価値があるのかないのか?というような目をした人が少ない。勿論ゼロではないが。
常に競争相手を求めている人間にとっては少しだけ退屈で着の身着の儘のような生活をしていた俺にとっては過ごしやすい場所かもしれないと思った。
リズベルには小さな用水路が至る所にあった。近くの川から引いてきているのかそこには尽きることなく水が流れていた。近づいて見てみると水の透明度が高くそのまま飲めそうくらい綺麗だった。
ゴミはほとんど落ちていない。
定期的な掃除を誰かが請け負っているのだろう。王都もそうだった。
用水路を見る限りこの街の仕事人は真面目なようだ。
あと印象的なのは子供の姿だ。
この街では子供だけで街を駆け回っている様子が見て取れた。これもあまり王都では見かけなかった光景だった。
王都と全く同じところは猫がそこかしこ地面で寝ているところか。ここのだけは王都と変わらないでくれて良かった。
「猫がいると安心するな」
「それはアンタだけでしょ?何?また猫にご飯を恵んで貰うの?」
「食えなかったらそうする」
メトが揶揄って来たので真面目な顔で俺は答えた。
「私と一緒の時はやめてよね」
「猫と交渉ってどうやるんだ?」
「そうか、ヨルガは見たことなかったな」
「うむ」
「見てみるか?」
「見せてくれるなら有難いな」
ヨルガはいい笑顔で応えた。
こんな顔で期待されたらやらないわけにはいかないよな。
「よし、見てろ」
「ちょっとやめなさいよ」
「まぁまぁ、今回は餌を分けてもらうわけじゃないから」
メトに止められたが制止を振り切って魔術を行使した。
【ニャモス】
そして俺は猫と話し始めた。
「ニャヌーニャニャ、ニーニャス」
「ニャンカニャマ、ニャム?」
「ニャニノ、ニャムシャス」
「ニャツツニチャニャゴラン」
話し始めるとこの街の猫も気さくなやつらばかりで初対面の俺にも優しく答えてくれた。
リズベルの猫の言葉も何となく理解が出来て良かった。王都限定とかではないようだ。
「本当に話しているのか?」
「こいつの魔術のこと知らないと馬鹿みたいよね、知ってても馬鹿みたいだけど」
「これで話しているのか・・・」
「想像と違った?」
「大分な」
後ろのギャラリーが五月蝿い。
それから二、三。猫とのやり取りを終えて俺は二人の元へ戻る。
「それで何を話していたんだ?」
「どうせ下らないことよ」
メトは決めつけるように言葉を吐いた。
自分が猫と話せないからって嫉妬するなよ。
リンネの事から考えるにこいつは結構可愛いものが好きだと思う。
だから多少はそういう隠した思いがあって強く当たってくるのだろう。
だよな?
「ここのケーキは美味いって、猫用もあるから安心だってよ。あと西区にあるレストランの店員は優しくて餌をくれるって。それと最近は晴れの日が多いからよく眠れるだとよ」
「ほら下らない」
「下らないって言うな。仕方ないだろ。本当に言ってたんだから」
「そうか・・・猫の会話っぽいな。うむ、見せてくれて有難う」
ヨルガは何とも言えない表情をしていた。
期待通りではなかったようだ。
二度と頼まれることはなさそうだ。
ヨルガ、期待してくれたところ悪いが猫の会話なんてこんなものだぞ?
そうやって街を歩いている内に目的の場所に着いた。
「ここがこの街の探索者組合だな」
そこには大きな建物が在った。
目立ちたがり屋の赤い屋根に探索者組合の象徴である竜と剣の金属看板。
両開きの扉から出入りするのは鍛えられた体を持つ探索者達。
依頼を出したりなど用事がなければ一般人は近寄り難い独特な雰囲気が漂っている場所だった。
ドアの前に立つと中からは食べ物の匂いが漂ってくる。探索者組合には酒場が併設されているからそこからのものだろう。
グゥ、俺の腹の虫が鳴く。
王都で猫に餌を強請っている時には匂いぐらいでは何とも思わなかったのに今はちゃんとしたご飯が食べられると感じるだけでこの反応だ。いざ金を手に入れると匂いを嗅ぐだけで体は正直になっていた。
ここ数日の旅の最中は腹が空いたら食べ物をありつけるという恵まれた環境で体が贅沢になってしまったようだ。
糧食の食べ放題は最高だった。
腹が空いたら腹が鳴る。
これが一般人の感覚か。
たった数日でこんなことになるとは。
もう王都の路上では暮らせないかもしれない。そんなことを思いながら俺は建物の中に入った。
「頼もう!」
「アンタ毎回それやるわね」
挨拶代わりの大声を上げながら両開きの扉を開けると、
「いらっしゃいませ。お食事ならこちらへ。受付なら奥へとお進み下さい」
トレイに酒を乗せて運んでいた茶色い髪の快活なお姉さんが俺達を出迎えてくれた。
チラチラと探索者組合にいる探索者から視線を感じた。
「見られているな」
「そうね」
「それはたぶん、」
お前らが美人だからだろ。とは口にしなかった。なんか悔しいからだ。
あとは後ろについてくる箱のせいだな。
「たぶん何よ」
「メトの目付きが悪いからだな」
「殴るわよ」
「ヨルガさん助けて」
「自分で何とかしろ」
俺の大声もあるが二人のせいで俺達は目立っていた。まずは俺の連れであるメトとヨルガの顔に目がいって、それから俺の後ろについてくる箱へと視線が誘導される。
そして最後に俺だ。
しかしその視線から感じる雰囲気は王都の探索者組合とはだいぶ違った。
ここの探索者も王都の探索者と同じような格好をして少し怖いがその目には圧が少ない。
品定めというよりはただ見ているといった感じだった。
王都の探索者組合はもう少し排他的だ。
ここのように誰でも入ってもいいような雰囲気を醸し出してはいなかった。
注目されながら俺達は奥のカウンターへと進む。
「アンタが受付員と話しなさい」
メトが耳元で囁くように言った。
「いいけど、なんでだ?」
「探索者になったら私達はパーティーを組むことになるわ。もしもそれで何か偉業を成せたらリーダーの名前が一番有名になるの。実際には実力がなくてもね。だから私はアンタをこのパーティーのリーダーにする。こういう時に代表で話すのがリーダーでしょ?だからよ」
「了解」
メトの言い方は気になったが、俺がこの三人の中で一番弱いのは事実なのでしょうがない。
俺は二人よりも何歩か前へ出る。
受付は四つ。
一番右の受付員は探索者に口説かれていた。その左隣は何故かはわからないが使用不可。
一番左側は背の小さい娘が仕事の説明を受けて一生懸命にそれを聞いているようだった。
俺は最後の一つの真ん中の空いてる受付員のところまで進んだ。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付員は赤い真っ直ぐな長い髪を腰の辺りまで伸ばした美人な女性だった。
聞き心地の良い声が俺の耳まで届く。
そんな彼女は作られた笑顔を浮かべて俺達を迎えた。
「俺達探索者になりたいんですが、登録は初めてで、どうすれば良いですか?」
「探索者登録ですね。まずお一人様につき登録手数料が銀貨二枚ほど掛かりますが大丈夫ですか?」
探索者になりたい。そんな者達とこのやり取りを何百回と繰り返してきたのであろう。
受付員は慣れた様子で俺の質問に流れるように答えた。
「はい、大丈夫です」
「ではご説明を。探索者登録には二つの種類がございます。一つは探索者としての登録。もう一つは荷運び人としての登録です」
「なるほど?」
「違いはわかりますか?」
「わかりません」
「そうですね・・・簡単に言ってしまうと探索者は魔術が扱える者、そして荷運び人は魔術が扱えない者となります」
魔術が使えないと探索者にはなれないのは初めて聞いたな。
王都の探索者組合ではまともな話を聞ける段階まで俺はいけなかった。
術師としての腕も金もなかったからだ。
それに王都にはおそらく荷運び人いない。
だから俺はこの事実を今まで知ることができなかったのであろう。
「探索者になれば魔物と戦うことなど日常茶飯事です。ですから当然ある程度の強さが求められます。しかし魔物は魔術の扱えない者にとっては脅威です。ですから荷運び人には魔物と戦わずに済む可能性の高い仕事を紹介することになっています」
魔物と戦う以外にも雑用などの仕事はある。
そういう依頼を荷運び人は受けるのだろう。
「ただし、パーティーで依頼を受ける場合は少し事情が異なります。荷運び人一人につき魔術師が三人いれば荷運び人も同じ依頼を受ける事が可能になるのです」
全員が魔術を扱える俺達にとって今は関係ない話だが、未来のことは誰にもわからない。
俺達は一応術師が三人いるので荷運び人を一人入れてパーティーを作れるということだ。
「それでどちらで登録なさいますか?」
「全員探索者でお願いします」
「全員術師の方々でしたか。わかりました。一応確認の為に魔術を見せて貰うことは可能でしょうか?」
「ここでですか?」
「はい、お願いします」
「じゃあ俺から」
「次は私」
「最後は私だな」
俺、メト、ヨルガの順で受付員に魔術を披露した。
「確認完了しました、少々お待ちください」
受付員は俺達の魔術を見定めると、椅子から立ち上がり奥へと消えた。
「・・・それでは探索者登録を行います。ここに手を置いて下さい」
一旦奥に引っ込んだ受付員は直ぐに戻ってくると正方形の黒い金属板のようなものを持っていて、その上に手を置くように指示された。
俺はゆっくりとその上に手を置く。
その板は冷たくも温かくもなかった。
受付員は俺が手を置くと、その上部に白い金属片のようなものを配置した。
するとその白い金属片が削られて形が整っていき、気付いた時には俺が知っている探索者が身に付けていたメタルタグに変わっていた。
「もう大丈夫です。有難うございました。ではこの認識票をご確認下さい」
「はい、どうも」
受付員からそれを受け取る。
王都からはるばるリズベルへと旅をしてようやく俺は名前入りの白無級の認識票を手に入れた。
これで晴れて探索者の仲間入りだ。
メトとヨルガの分の認識票も同じように用意される。
「この認識票の説明は必要でしょうか?」
「これは等級を示すものですよね」
「はい、説明は必要ないようですね。探索者として活動する場合は必ず所持して下さい。認識票を失くした場合は再発行時に手数料が掛かります。もしも認識票について後程説明が必要であれば声をお掛け下さい。それとパーティーを組まれるのであればメンバーとパーティー名を受付へ提出を。登録用紙はあちらにありますので」
「説明どうもありがとう」
俺は三人分の銀貨を小袋から取り出してカウンターに置き支払いを済ませて礼を伝える。
「本日はご利用ありがとうございました」
受付員は銀貨を受け取りながら笑顔を返して来た。その笑顔は最初からずっと変わらず作られたものだった。
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