第13話 箱の力
今日は昨日と違い忙しなかった。
朝っぱらから仲間に骨は折られるわ、通り雨に降られて足止めされるわ、それから泥濘に車輪が嵌まって立ち往生していた他の馬車を助けたり、三度も魔物が来襲したりした。
しかしヨルガとメトの二人がこれらの面倒事を難なく退けていった。
馬は昨日の魔物の襲撃で修羅場にすっかり慣れたのか呑気に雑草を食んでいた。
一度目に馬車が魔物に襲われた時には万が一の事もあるかもしれないと思い、俺は一応外に出て二人の戦闘を見守っていたが、それは杞憂に終わった。
自分の行動に関係なく物事は進む。俺はまたもや腕を吊ったまま顛末を目撃することだけしか出来なかった。
二度目の襲撃は見にもいかなかった。
正直馬車の揺れるだけでも振動が腕に響いて痛みが走りきつかったからだ。
だから揺れることのない少しだけ浮いた箱を馬車に乗せてその中で暫しの休息を取らせて貰った。
そしてやることのなかった俺は暇すぎて食事もせずに睡魔にその身を任せる事にした。
そんな日の翌日。
俺の体に信じられないことが起こる。
長い眠りから目覚めたのは昼時。
睡眠時間が長いのは体が回復に努めたからか?
異変は馬車に置かれている箱の中で発生した。
バタンッ。
俺はそれを確かめる為に箱の中から勢いよく出る。
「良い御身分ね駄目人間。ようやく自分の愚かさに気が付いて起きてきたのかしら?」
「メト、一応マオは怪我人だぞ」
メトのいつもの暴言は全く気にならなかった。それよりも俺の意識は異変を感じた腕の方に完全に向いていた。
俺は吊っていた腕の布を外して何が起きたのか確かめてみる。
「何してんのよ。外したら一人で元に戻せないのに」
「痒いのか?拭きたいなら私が手伝うぞ」
シュルシュルと布を外している姿を見て二人はそれぞれの反応をする。
「・・・やっぱり痛くない」
俺は折れていた筈の腕を曲げたり、回したり、触ったりして確信を得る。
やっぱり骨折が完全に治っていた。
これが違和感の正体。
少し動かしただけで頭に響いてきた痛みが今はもうすっかり何処かに消え去っていた。
「アンタどうしたの?とうとうイカれちゃった?」
「あんまり動かすな怪我が悪化するぞ」
二人はこの奇妙な状況にまだ気が付いていない。だから俺は体に起きた事を端的に説明する。
「腕が痛くないんだよ、完治してる。理由はわからない」
「は?」
「え?」
二人は驚きながら立ち上がって俺に近付いてきた。
「ちょっと見せて」
「そんな筈ないだろう。触ってもいいか?」
「ああ、大丈夫」
メトとヨルガは俺の腕を手に取り顔を近づけて動かしながら観察する。
「確かに腫れは引いてるわね。肌も赤くなってない」
「だな。本当に痛くないのか?」
「全くな。どうしてだと思う?」
「わかんないわよ」
「回復力が異常な人間というのは居るところには居るのだが」
ヨルガは俺を見てそんなことを言った。
「少なくとも自分がたった一日眠っただけで骨折が治るような超人だった覚えはない」
「そうよね」
「新しい魔術に目覚めたということは?」
魔術を扱う者にこういう不可思議な事が起きた場合、俺達が直ぐに思い付くのはやはり自身の中にいる精霊の成長である。
だからヨルガがそう推測し俺に問うたのも理解出来た。
しかしこれが精霊の成長による新しい魔術の目覚めならばおかしい点がいくつかあった。
精霊が成長し新たな魔術に目覚めた場合、その魔術の使い方と起動句が頭に刻まれるのである。
俺にはそれがない。どちらもだ。
眠りながら寝ぼけて起動句を唱え魔術を行使する可能性もなくもないが、新しい魔術を使った後にそれらの記憶が消えるなんてことは聞いた事がない。
だから今回の俺に起こった変化は新しい魔術の獲得とは違っていると判断出来た。
「違うと思う」
「ならなんで治っているのよ?」
「だからそれがわからないから困ってんの」
「うむ・・・」
三人はしばし黙りそれぞれが考える。
「もしかしてそれではないのか?」
そしてヨルガが始めに声を上げた。
「それって?」
「これだ」
ヨルガはさっきまで俺が眠っていた箱に手を置いてパンパンと蓋を叩いて示した。
「これってこの箱の事か?」
「これは魔宝具なのだろう?ならばどう考えてもこれが怪しいだろう」
「でも話しただろ?これはただの浮いて俺の後を付いてくるだけの箱だって」
これは怪我を治す魔宝具だったと?
ご冗談を。
よし、これでいいか。みたいなノリで適当に王様に渡されたものだぞ。
「それはマオがそう思っているだけではないのか?」
「いや、それはーーー」
どんなものか詳細を聞いたわけではないけどな・・・でも、ないない。
「それはあり得ないと思うわよ。回復魔術を備えている魔宝具を手放す人なんていないもの。それは貴族も教会も同じよ」
珍しく俺の意見に補足したのはメトだった。
「なら知らなかったのではないか?もしかしたら所有するべきものが所有したから本来の力が目覚めたとかな?英雄候補なのだろう?マオは」
俺とメトが否定してもヨルガはあくまでこの箱が俺の怪我を治したと考えているようだった。
「そうね、魔宝具には相性があるのは事実だから一概には否定できないけれど、でもこいつがねぇ」
ヨルガは箱が回復魔術を備えた魔宝具だと思っていて、一方メトはその意見に否定的な姿勢だ。
メトが否定する根拠大部分は俺自身を考慮してのものなのだろう。
他の英雄候補になら兎も角、俺にこんな有用な魔宝具が与えられる筈がないということだ。ちなみに俺も否定側である。
「こうしていても埒が明かないな。いっその事試してみればいいのではないか?」
「試してみるって人体実験でもする気か?冗談だよな?」
「いえ、そうね試してみましょう。他に可能性がないならこれなのかも。間違ったものを省いて残ったものが真実だもの」
ヨルガに続きメトまで。
この二人は俺と違い本当に思い切りが良い。
「試す方法はどうする?」
「また腕でも折ればいいんじゃない?」
「もう勝手にしろ。俺は参加しないからな」
二人は盛り上がって前向きにこれからあの箱が回復魔術を備えた魔宝具なのかを調べようとしているが、危険な話になってきて碌なことにならなそうな気配が漂ってきたので俺は不参加を表明した。
「何言ってるのよ。試すのはアンタなんだから参加は強制よ」
「何でだよ!」
「状況をなるべく同じにしないと実験にならないからでしょ?お馬鹿なの?」
「それは俺の体を使って実験しようって話に聞こえるんだが?」
「そうよ」
「そんな簡単に肯定するな」
馬鹿はお前だ。
人様の体をなんだと思っていやがる。
「俺は嫌だぞ」
「氷漬けにしてあげましょうか?」
俺が断るとメトは即座に脅してきた。
「なんてこというんだよ」
「冗談よ、たぶんね」
メトの笑顔は俺に恐怖しか抱かせなかった。
「では少し切ってみるか?薄皮一枚だ。痛みはない」
ヨルガも怪我をする事に慣れている所為か、これぐらいは大丈夫の範囲がかなり緩い。
普通は怪我なんて少しもしたくはないのが当たり前だろ?
でも二人にはそれが理解できない。
生きてきた世界が違うんだなぁと、俺は自分の常識の範囲外にいる二人を見て思った。
「・・・わかった。少し切るだけならいい。いいか?少しだぞ。本当に」
このままじゃ玩具にされかねん。
この二人が楽しんで俺を切り刻む、そんなことが起きるは思っていない。
でも結果的にやり過ぎる可能性はある。
被害が最小限になる内に早めに試した方が良さそうだ。
俺は覚悟を決めた。
「では腕を出してくれ」
「また腕?」
「試すなら同じ箇所の方が良い」
ヨルガは馬車の荷物の中から取り出した短剣を手にして俺に近づいてきた。
まぁ少し切るだけ。それぐらいならとも思ったが刃物を持った彼女が近づいてくるとどうしてもさっき決めた覚悟が揺らいだ。
「どうしても確かめないといけないのか?」
臆病者と言いたいやつは言えば良い。
怖いものは怖いのだ。
「でももしこれが回復魔術を扱える魔宝具なら凄いことよ、いざという時に備えられるじゃない」
悔しいがメトの言う通りではある。
回復魔術で怪我が治せると言ってもそれは魔術を行使できる術師が目の前にいる時だけ。
居なければ話にもならないのだ。
だが箱に回復魔術を扱える機能が付いているならばいつでもそれを使いたい放題なのである。俺にもその有用性がわからないわけではない。
「俺じゃないとダメか?」
意味がないとわかりつつ俺は最後の抵抗を試みた。
「だからさっきも言ったでしょ?そうしないと検証にならないって、なるべく条件は同じしなきゃならないの」
「それも・・・そうだな」
「それに持ち主本人しか治らないかもしれないじゃない?」
「わかった。じゃあ頼む。早くやってくれ」
時間があるとまた逃げたくなる。
俺は片目を瞑ってその時を待った。
「では行くぞ」
ヨルガは事が決まれば即実行に移してくれた。狙った場所に短刀を当ててそれは微かな傷をつけた。
「痛っ」
「我慢しなさい」
少しだけ痛みが走る。だが想像していた程ではない。
「見せてみろ。うむ。これぐらいなら放っておいても数日で完璧に治るだろう」
ヨルガは俺の腕をとって傷の具合を見てくれた。
「これからどうすれば?」
「どうしたら治ったのよ?」
「わからない」
「その中で寝ていたらいいんじゃないか?マオはさっきまでそうして居ただろう?」
ヨルガは箱を指差して言う。
「また寝るのか?」
「アンタはどうせやる事ないでしょ?いいから寝なさいよ」
「わかったよ」
メトに急かされながら俺は箱に入った。
起きたばかりなんだがなぁ。と思いながら俺は目を閉じて睡魔の出迎えを待つ事にした。
「どうだ?」
「治ってるわね」
「うむ。治っているな」
それから一日かけて検証を重ねて、俺、メト、ヨルガの順で箱に入り、それぞれ傷をつけてそれが治るのか試してみた。
結果、全ての実験は成功だった。
「ということは、この箱は怪我を治す魔宝具だったってことか。これって凄いよな」
「同行者に術師が一人増えたようなものね。これでかなり安心して旅ができるわ。アンタ弱すぎるもの」
「回復魔術は貴重だからな。戦う者としても有難い」
俺は役に立たないが、箱の持ち主として役に立てるということだ。
「次はどのくらいの傷が治るのか検証したいわね」
「骨折が治ったのだから少なくとも軽傷ならば治せるのではないか?」
「そうね、骨折と裂傷は多分いける。じゃあ次は火傷とか?マオはそれでいい?」
「おいおい待てよ。また人様の体で実験しようとするんじゃない。もうやらないからな」
怖ぇよ。
「気になるのよ」
「じゃあ自分でやれよ」
「乙女の柔肌を傷つける気?」
「治癒するならいいんだろ?」
「治らなかったらどうするのよ?」
「それは俺の体にも同じことが言えるよな?」
「まぁまぁ喧嘩をするな二人共。今は裂傷と骨折はなんとかなる。それで良いだろう」
俺とメトの口論にヨルガは緩衝材として横から入ってきた。
「なら魔物で実験しましょう」
メトは実験をやめる気はさらさらないようだ。
「お前悪魔かよ」
「じゃあアンタでする?」
「やだ」
「私達を襲ってきた魔物で人を食べるやつ限定にするから。いいでしょ?」
まぁ、それなら良いか。
「だが殺さずに捕らえるのは難しいぞ」
「そうだぞ。それで怪我したら元も子もないだろ」
「どうせアンタは何もしないんだから関係ないじゃない」
「お前らに何かあったら困るから言ってんの」
俺は戦えないんだぞ。
御者と二人でどうしろと?
「わかったわよ。でも偶然捕まえたらいいわよね?」
「ヨルガ、どうなんだ?」
「わかった。それはまたその時考えることにしよう」
結局、俺もヨルガもメトを止める事は出来なかった。
それから魔物の襲撃は何度かあった。しかしメトは堪え性がないらしく、襲ってくる前の魔物にさえ積極的に戦いを仕掛けにいった。それでも生きたまま魔物は捕まえる事が出来なかった。
だから本来なら箱の中は空のはずだ。しかしそこには一匹の魔物の死骸が入っていた。
その魔物は四足獣で黒色の毛に覆われていた。襲って来なければ愛玩動物と言われても不思議ではないくらいの愛らしい容姿も特徴的だ。ギリギリ片手に乗るぐらいの大きさの小さな体躯がそれに拍車をかけているのかもしれない。この魔物の名称はテンク。
動きは素早く普段は自分より小さな鼠や鳥などに似た魔物を獲物にしているらしいが、体の大きい敵に相対した時には体にのぼって喉元に噛み付くらしい。
おそらくメトがこの魔物を箱に入れる候補に選んだのは体が小さく片手で運べる魔物だったという一点である。
狩った後、運ぶ最中に血液が服に付着するのを嫌った。ただそれだけが理由なのだらう。
こいつは俺達の馬車を襲ってきた肉食の魔物なので慈悲はいらない。食べようとしたら食べられるのは自然の摂理である。
このテンクはメトがこの魔物を狩った際に、もしかしたら蘇るかもしれないじゃない?そうじゃなかったらご飯にしましょう。などと宣って半分おふざけで箱の中に入れたものである。
止める前に入れてしまったものだから箱の中は血生臭くなり、便利な治療箱は怪我をしたとしてもなるべくなら入りたくない場所になってしまっていた。
その時の俺は血塗れの箱の中を見ながら水場に着いたらメトに洗わせよう、絶対にだ。などと呑気にそんなことを考えていた。
そして現在。
「嘘だろ」
「これはまさかね」
「一体どういうことなんだ?」
想像だにしないことが目の前で起きていた。
死んだ筈のテンクは蘇り、何故か俺の足元に絡みつきながら大人しくしていた。
「これってまさか服従状態なんじゃない?」
「俺にそんな魔術使えないぞ」
「原因はまたこれか?」
俺達三人は蘇った魔物を見て各々異なる反応をしたが一つだけ共通して心で思っていることがあった。
「なんなのこれ?アンタ何を貰ったのよ?」
それをメトが代弁した。
「俺に言うなよ」
答えを知らない者にそれをを求めても解答は得られない。
箱の力は少なくとも三つ。
宙に浮き自由自在に動く移動の力。
骨折や裂傷などの傷を治し、魔物の死体をも蘇らせる治癒の力。
そして蘇った魔物を服従状態にする使役の力だ。
未知の力を持つ箱。
それは俺達が思っているよりも遥かに大きな力を持っているものに思えた。
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