第10話 華麗な戦い
馬車での移動は当然ながら度々休息を取ることになる。
理由は単純、それは乗り手ではなく運び手。
つまり馬を休ませるためだ。
御者の仕事は操縦時に馬を操り誘導するだけではなく、体調管理にご機嫌取りなど馬のケアも重要事項だった。
そしてこれはそんな馬の休息の時間に起こったことだ。
丁度御者が馬にブラシをかけている時だった。
馬車は停止しており弛緩した空気が流れているそんな時に、
「兵士さん!」
御者が大声で慌ててヨルガを呼んだ。
まるでその一言で時間凝縮して急に動き出したような気がした。
「なにがあった?」
ヨルガは馬車の中から御者に尋ねる。
その声はゆっくりと口から放たれた。
落ち着いたその声は俺の心が波立つのを少しだけ抑えてくれた。
「前から魔物、複数です」
「了承した」
御者の報告は端的で分かりやすかった。
瞬時に状況を理解したヨルガは顔つきを変える。声の質も普通に話していた時とは違うものになっていた。
これがもう一つの顔である兵士の時の彼女の姿なのだろう。
「二人はこのままで構わない。では行ってくる」
ヨルガは颯爽と馬車から降りる。
俺はその姿に目を奪われていた。
それは、ただ外見が綺麗な者達などが放つ魅力とは大分違うものだった。
ヨルガさん格好いいんですけど。
その時に俺は王城で自分がする予定だと聞かされた英雄的行動を他人がするのを目撃してしてほんの少しだけ子供じみた憧憬を抱いた。
「ぼうっとしてないで行くわよ」
俺がヨルガに見惚れているとメトが俺の服を引っ張り馬車の外へと連れ出そうとしてきた。
「降りるなって言われただろ?」
「違うわよ、ヨルガはここに居ても構わないって言ったの。降りるなとは言ってない」
「そう言われてみればそうかもしれないが・・・」
「何?ビビってるの?じゃあアンタは待ってなさい。臆病者は邪魔だから」
んだと、こいつ。
俺の意気地の無い態度を見てメトは俺の服から手を離し挑発してから降りていった。
俺は直後にメトの背中を追いかけた。
「なんだ降りてきたの?馬車の中で震えてるのかと思ったわ」
「舐めんなっ!やってやるわ」
「流石は英雄様」
「明らかな皮肉を言うな」
「ふっ」
俺の蛮勇をメトは鼻で笑って返した。
俺は四級魔術師だぞ、弱いんだ。
魔物とも戦った事なんてない。
ビビって当然だろ。
でも言われっぱなしはムカつくからな。
「でも襲ってきたら助けてくれ」
「アンタ少しは格好つけられないの?」
それはそれ、これはこれだ。
怖いものは怖いのだ。
俺はメトに情けない要望を出しながらヨルガの後を追った。そして初めて魔物と相対した。
馬車から降りて間もない所為か少し地面が揺れているような感覚に戸惑った。
しかしそれを敢えて意識することで俺は足に力を入れて立っていた。
視線の先には魔物がいる。
しっかりしなければ。
「ブサギ」
隣にいるメトは魔物を見て呟いた。
その魔物は全身が白毛に覆われていて前方には真っ赤な目がついていた。
あと特徴的なのは少し垂れた長い耳とまん丸で巨大な身体だ。
小さくすれば可愛い見た目なのだろうが、成人男性よりも身体が大きいともなれば魔物から威圧感を受け取るのは当たり前の事だとわかるだろう。
それが三匹。
道を塞ぐようにヨルガと睨み合っていた。
どちらかが戦闘行為を始めればもう一方も動き出しそうな一触即発の雰囲気だった。
少し離れた場所にいる俺は心の安定を求め、メトに魔物についての詳細を教えて貰おうと話しかけた。
「あれはなんだ?」
「バビッドよ。通称はブサギ。由来は分かるでしょ?太った兎に似てるからよ」
確かに似ているのだろうが俺は生きている実物の兎を見たことはない。
昔に絵で見せてもらったことがあるだけだ。
確かにバビッドはその思い出の絵に似ている気がした。
この魔物を小さくすれば兎になるのだから可愛いと言える姿をしている。
「アンタ魔物は初めて?」
「遠目から見たのが何度か。でも殆ど知らない」
王都には襲ってくる生きた魔物はいない。
でも好奇心に負け、少しだけ外に出た時には魔物を目にする機会があった。
それに亡骸なら普通に何度か見たことはある。
俺は安全圏とは言えない位置で魔物を見たのはこれが初めてだったので自分で気付かない内に拳に力が入り強く握ってしまっていた。
変な力が入っているのに途中で自分で気がつき、慌てて俺は胸に手を当てて落ち着こうと努力する。
「ツイてるわね」
そんな俺の様子には全く興味のないメトは口元を緩めながら同意を求めてきた。
「ツイてる?何がだ?」
俺にはメトの言葉の意味が理解できなかったので聞き返した。
「・・・・・」
察しが悪いと言いたげな顔で俺のことを見るメト。
仕方ないだろ、俺は魔物とこんな近くで接敵するのは初めてなんだから。
「馬鹿で済みませんね」
「本当よ。まずあいつは肉食の魔物じゃないからそこまで必死になって襲っては来ないのが一点。人の持っているものだと小麦を使ったものが好き。だから馬車にある荷物が目当てかもね。後は肉厚の身体だから拳やらハンマーなんかの鈍器で戦うと攻撃が通り難い、だけどこっちには剣を持ってるヨルガがいるし大丈夫そうってのが二点目。それに加えてそこまで馬鹿な魔物じゃないから敵わないってなったら逃げるだろうってのが三点目。だから最初の魔物としてはツイてるって話。まぁ全く危険がないって話じゃないから警戒は必要だけどね。だから油断は駄目よ」
「そこまで焦る魔物ではないってことだな」
「その通り。まぁ少しは余裕がある感じね。それで?アンタはあれ食べたい?どうしてもって言うなら狩ってあげてもいいわよ。解体はアンタがすることになるけど」
「出来ることならやりたくないな。近くに水場も無いし道具もない」
解体には手間がかかる。
皮や肉を切ったり骨を外したり、処理の為の穴を掘ったりと色々だ。
専用の道具がないなら尚更時間は掛かる。
水場がなければ後で手も洗えない。
食糧はまだ余裕がある。ここでどうしてもやらなくてはならない状況ではなかった。
「そうね。じゃあ追い返すってことで」
メトは馬車から離れヨルガ側に少し近づく。
馬車を巻き込まない為だな。
「後ろは任せて!一匹ずつなら通しても大丈夫よ!」
それからヨルガに聞こえるようにメトが声を上げた。
「うむ、わかった!」
チラりともこちらを見ずにヨルガはメトに返答する。
そろそろ戦いが始まりそうな雰囲気だった。
手に汗握るとはこのことだ。
「メトさん、俺は一匹でも無理なんですけど」
「これが未来の英雄ね、聞いて呆れるわ」
「怖いものは怖いのっ」
それに俺はまだ英雄候補でしかないぞ。
「はぁ〜」
俺が怯えている反応を見てメトは聞こえるようにワザとため息を吐いた。
「私の後ろで隠れてなさい」
「はーい、ママ」
「やめてよっ!」
「来いっ!」
俺がメトに軽口を言って落ち着きを取り戻そうと試みていると、まずはヨルガとバビッド三匹から戦いは始まった。
ヨルガは鞘から剣を抜いて魔物に向かって構えた。
バビッドは三匹で一斉に突っ込んできたが完全に同時というわけではない。
微妙にそれはズレていてヨルガは突っ込んでくる魔物の先頭一匹をまず抑えにいった。
彼女は巨躯であるバビッドの体当たりを一本の剣の腹で受け止めきって完全に動きを停止させた。同時に剣の方向を変えて切りつけながら突っ込んできたバビッドの後方から走ってきていたもう一匹のバビッドのいる方へとその巨躯を押し返した。
痛声をあげながら最初に突っ込んできたバビッドは仰け反ってひっくり返る。
その一匹が後ろに居たもう一匹とぶつかり脚がもつれて転び勢いが止まった。
この一振りでヨルガは二匹のバビッドの動きを数秒止めることに成功する。
そして二匹がモタモタしている間に丁度最後の一匹が反対の方向からヨルガに攻撃を仕掛けてきた。
彼女は軽い一歩で移動し近づくとバビッドの横腹に蹴りを御見舞いして足をねじ込みその勢いのまま遠くへ吹っ飛ばした。蹴られたバビッドは道から外れて丸い巨体を揺らしながらゴロンゴロンと転がっていった。
それが瞬く間に起きた出来事。
魔物には大きな負傷はほぼないがヨルガ一人で三匹の攻勢を止めたのは確かだった。
「魔術も使わずにやるじゃない」
それを見ていたメトが感嘆の声を上げる。
「じゃあ私もやりますか」
【アイス・メイク】
メトは魔術を行使して氷で杖を作って手に持った。それからそれを前方に構えて杖で照準をつける。手照準よりはこちらの方が良いのかもしれない。
「ヨルガ!右の一匹がこっちに来たら私が叩くからアンタは左側に集中して!」
「了承したっ!」
メトの提案をヨルガは直ぐに受け入れた。
「いくわよ」
【アイス・メイクショット】
メトは杖の先から氷弾を放った。
その数は四つ。王都で俺に放ってきた数の四倍だ。それも氷弾の先を尖らせて突き刺さるようにした凶悪な代物だった。
狙いは右方のバビッド。
ヨルガに蹴飛ばされて一匹だけ離れている魔物だ。弾丸三つはヨルガとバビッドの間の地面に彼女らを分断するように突き刺さった。
最後の氷弾はバビットの身体を狙って飛んでいき、その白毛と厚い皮膚を貫いて中の肉を抉った。
クキォオンォォォォォン。
魔物は怒りと痛みでバビッドは鳴いた。
そして氷弾を喰らった時にその視線は完全にメトに向いたように見えた。
それは獲物を狙う目だった。
「さぁ、来てみなさい」
メトの呟きは聞こえてないだろう。
しかしその挑発に誘導されるようにバビッドはこちらに向かって走り出した。
ドシドシという足音と共に巨躯が近づいてくる。
俺は上手く身体が動かせずにただ見ているだけしか出来ない。
何もしていないのにも関わらず手からは汗が滲んだ。
そんな俺とは違いメトはただ冷静に氷杖を地面に突き刺すとこちらを見ずに言った。
「マオ。動いちゃ駄目よ」
【アイス・メイク】
メトが魔術を行使したと同時に地面が円形に広がり氷で覆われていく。俺のメトのいる部分だけは地面が凍っていなかった。
それは広がり続けて勢いよく突っ込んできたバビッドの蹴る地面まで到達した。
そこが氷に変化した結果、メトはバビッドが地面を踏み締める事を出来なくした。
バビッドは抵抗したが直ぐに体勢を崩し転んでそのままこちらに滑ってきた。
【アイス・メイク】
メトは氷の壁を作りそれを受け止める。
そのままバビッドを中心にして四方を氷で覆っていき氷壁で囲んで完全に氷の檻で閉じ込めてしまった。
「一件落着ね」
その戦いぶりは昨日や今日俺と下らない言い合いをしている時のメトとは印象がまるで違った。無駄がなく落ち着いた様子で全てを処理していて別人かと疑いたくなるほどだった。
実はこいつ凄い奴なのだろうか?
俺はメトと魔物の綺麗な戦いを見て素直にそう思った。
「あっ、そうだ。ヨルガの方は・・・」
俺がメトばかりに注目してしまったせいでヨルガの方はどうなったのかと思って視線を向けてみるとそこにはバビッド二匹は居なかった。どうやらもう追い返してしまったらしい。
ヨルガの方の戦闘もいつの間にか終了したようだった。
彼女は俺の視線に気がつくと軽く手を振ってくれた。
俺も手を振り返す。
この三人の中での最弱は間違いなく俺だな。
分かっていたことではあるが改めて理解した。
いや、させられた。
何故俺が英雄候補なのか益々訳が分からなくなった。
そうして俺と魔物との初戦は終わっていた。ただ見てるだけ。
木の棒並みに役に立たなかった。
結局俺は最後まで何も出来なかった。
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