第20話 御呪

 脱線した列車は左側面から地面に横転しながら、木々に突っ込む。


 僕の体は重力によって地面側になった左側面に背中から叩きつけられる。


 背中に強い衝撃が走る。しかし、女児には衝撃が加わらないように頭と体をそれぞれの手でしっかりと押さえた。


 列車は横転してからも、脱線前に相当スピードが出ていたためだろう、木々に突っ込み、薙ぎ倒しながらながら地面を滑っていく。


 しばらくしたのち、電車は完全に停止する。


 僕は頭や身体中に打ち付けたダメージを感じながらも、やっとのことで体を起こす。天井から垂れている配線類が僕の顔を撫でた。


 体を起こした時、僕の額から血が出ているのか、鼻を伝って生暖かい血が垂れるのが視界に入った。


 まずは、周囲の状況の確認をと、この空間をぐるりと見回す。制御部などの機器類は破損こそすれ先ほどのように火花は出ていない。機器は一つ一つが側面に固定されていることもあり、今となっては天井となった右側面に設置されているそれらが僕たちに落ちてくることはなさそうだった。


 先ほど、僕たちに銃口を突きつけた兵士は兵士は頭から血を流して僕のすぐそばに横たわっている。散弾銃は兵士の手から離れ、僕の足元に落ちていた。


 僕は一つ安堵の息を吐いた。


 僕は腕に抱いた女児が無事かどうかの確認をする。女児はうずめていた僕の胸から恐る恐る顔を上げた。


「大丈夫?どこも痛いところはない?」


 僕は女児に尋ねる。女児は思い切り首を横にブンブンと振った。


「だいじょうぶ、どこもいたくないよ」


 女児はそう答えた。


 女児の言葉だけでなく、僕の肉眼でも女児の髪を片手で掻き分けながら、額や首を確認する。どこにも目新しい傷やあざは見当たらない。女児のいうとおり、彼女の体には列車が横転したことによるダメージは無いようだ。


 そうしていると、女児がずいと僕に顔を寄せた。


「さっきのすごくたのしかった!おにいちゃんのいうとおりジェットコースターみたいだった!ふみか、もういっかいあれやりたい!」


 女児は兵士から逃げていた時の恐怖に怯えた表情はどこへやら、満面のキラキラとした笑顔で僕にそう言った。


 僕は女児のその表情を見て、全身から力が抜けていくのを感じる。思わず、笑いも込み上げてきた。


『餓鬼、ここでのんびりしている暇はないぞ。追っ手がまだ近くにいるかもしれない。早くこの列車から脱出して遠くに逃げろ』


 頭の中の声がそう言うと、僕は現実に引き戻された。


 そうだ。早く逃げなければならない。


 声の主が言うとおり、追っ手がまだ近くにいるかもしれない。それは列車の中に居たやつの生き残りかもしれないし、新たな加勢かもしれない。


 もっと言えば、列車が脱線によって破損したことで爆発する可能性も大いにある。

 どの道、ここに居続けることはとても危険だ。


 僕は散弾銃を手に取ると虫の息の兵士に一発打ち込み、その命を刈り取る。


 次いで女児をまた片手に抱え、匍匐ほふく前進しながら連結部の扉から顔を出した。血と汚物の匂いは消え、外の新鮮な空気が僕の鼻腔を、肺を満たす。


 女児が僕の腕をすり抜け、先に車外に出ると、僕に対して手を伸ばした。


「おにいちゃん、あたしのてをにぎって」


「ありがとう」


 女児の小さな手を掴む。女児のその善意によって伸ばされた小さな手は冷たい外気の中でとても温かいものだった。


 それはやはり『人間』の手と何ら変わらない温もりだった。


 立ち上がることができない僕の全身は、女児の助けもあり、やっとのことで脱線した列車から抜け出すことができた。手には雑草の硬くツヤツヤとし、湿った感触が伝わり、雑草特有の緑の匂いが鼻腔をくすぐる。


 眼前には等間隔に並ぶ木々、脱線し連結部が破損したあちらこちらで横転している列車の残骸、そしてその奥には狙い通り破られ、大穴の空いた有刺鉄線があった。


 見たところ、生きた兵士たちが列車の残骸から出てくる様子はない。


 月光に照らされた列車の残骸には脱線した衝撃で車外に放り出され潰された兵士のものと思われる手や、血がべっとりと付着したフェイスマスク、これまた車外に放り出され機の根元に横たわる背骨が折れ、大量に出血し絶命しているであろう兵士などが視界に入った。


 勿論、白い装束を血で染めた『悪魔』たちの亡骸も。


 この死体だらけの状況を見て、僕たちを手にかけようとした兵士が全滅したとは安直に判断できない。


 先ほど頭の中の声が言ったようにさらなる追っ手がここに迫っている可能性もある。


 いや、確実に迫っているはずだ。


 ここから直ちに離れなければならない状況は変わらない。


 だが、僕の体は全く言うことを聞かず、立ち上がることはおろか、全身から力が抜け雑草のその上にドサっと伏してしまう。


 僕は口から咳と共に血を吐き出した。雑草にビシャっと血がかかる。


 女児は僕のそんな様子を心配げに見つめていた。


「おにいちゃん・・・」


「大丈夫、すぐに立ち上がるから、そしてここから早く逃げよう」


 体を起こそうとする僕を女児が両手で制した。


「ダメだよ。むりしちゃダメ。ママがいつもいうの、いたいいたいときはねんねしなきゃダメって」


 女児はそう言うと僕の頭を撫でた。次いで僕の傷ついた額を優しくさする。その手は震えていた。


「いたいのいたいのとんでけ!いたいのいたいのとんでけ!」


 女児は僕の額をさすりながら何度もそう唱えた。


「あたしがいたいいたいしたときはママ、いつもこうしてくれるの」


「おまじないなの」と、女児はにこやかにそう言った。


 女児がさすってくれたその場所から本当に痛みが消えるような不思議な感覚を覚える。


 懐かしい感覚。


 僕は女児のその行動に、僕の母親も僕が怪我した時にいつもそうしてくれていたことを思い出す。


 優しい母の手とその温もりを。


『あなたを守るおまじない』


 不意にまた母親の声が脳裏に蘇る。


 僕は女児のおまじないのおかげもあってか、何とかふらつきながらも立ち上がる。


 僕は右手で女児の手を握って早くこの場から離れようと重く動こうとしない足を引きずって、一歩を踏み出した。


 「ふみか!」


 突如として聞こえた女性の声。女児はその声を聞いて思わず振り返る。


 ボロボロの白装束を纏った一人の女性。お腹が大きく出た女性。目が腫れ鼻血を出しているが、その様相は確かに駅員さんが持っていた写真に写っていた女性だった。


 つまりこの女性は女児の母親でもあり、駅員さんの妻でもある人。


「ママ!」


 女児が歓喜の声を上げる。僕と握っていた手をぱっと離した。その顔は僕が短い間に見てきた彼女のどの顔よりも輝いていた。


 女性が両手を広げて駆け出し、女児も同じように両手を広げて駆け出す。


 二人の目からは大きな雫が溢れ、それが月光に照らされ輝いていた。


 母と娘の感動の再会。


 僕はそれに微笑ましく心温まる思いをしながらも、同時に心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に陥る。


 僕は女性の夫を、女児の父親を殺したのだ。


 決して覆ることのないこの事実。


 二人が知れば、僕を心から恨むであろうこの事実。


 「ずっと探してたのよ。車内では私と同じ格好の人たちが次々と撃たれて。ずっと、ずっと文香ふみかが無事なのを心の底から願ってた・・・ああ、神様・・・」


 女性は女児を抱きしめながらポタポタと大粒の涙をこぼす。女児は女性を抱きしめ返し、しばらく経って僕の方を振り向いて、僕を指指ゆびさした。


「おにいちゃんがたすけてくれたの。わるいひとたちをどんどんやっつけて、ユリをまもってくれたの。すっごくかっこよかったんだから!」


 女児は涙を流しながら、それでも明るげに母親に言った。


 女性は女児を再び抱きしめると、僕をその潤んだ瞳で見て、一つ頭を下げた。

 

 「娘を守ってくださり、本当に、本当にありがとうございます。この子は私たちにとって全てで・・・警官に引き離された時からずっと心配で、心配で・・・」


 女性は涙声に僕にそう言う。女性は僕を娘を守った『恩人』だと思っているようだ。


 しかし、それは違う。


 僕は二人の大事な人を殺した者であり、二人が命の危険に陥った状況を、あの列車内での兵士による虐殺が行われる状況をつくった張本人なのだ。


 感謝される筋合いなどない。


 しかし、今は二人に真実を告げられるような状況ではない。


 告げるためにも早くこの場から逃げなければならない。3人皆生き残らなければならない。


 安全な状況で、真実を話した後、しっかりと二人の恨みつらみや罵倒を聞く。


 もしかしたら二人は復讐心を抱き、僕を殺そうとするかもしれない。


 しかし、それでもいいのだ。それでいいのだ。


 二人の大切な人の命を奪ったのだから。


 僕は報いを受けなければならない。己が犯した罪の報いを。


 僕はそう覚悟する。


 僕は二人に「今は逃げよう」と声をかけるため近寄ろうとした。


 感動の再会を二人に喜びあってほしい気持ちはあるが、今はこの場から離れ、安全な場所に行くことが先決だ。


 そうしなければ何も始まらない。


 「本当に良かった・・・。ユリが無事で、本当に、本当に良かった」


 女性が心の底から安堵の声を漏らし、女児の頭を何度も何度も撫でていた。


 空気中を振動させる轟音が鳴り響く。


 全ての時が止まったように僕たちはフリーズする。


 女性がバタリと倒れる音が無音に包まれたこの空間で聞こえた。


 「え・・・?」


 あまりにも突然のことで僕は状況への理解が追いつかず、僕は呆れるほど腑抜けな声を漏らしていた。


 身体も何をどう動かして、どう行動すればいいのかが分からない。


 女児の足元に崩れ落ちた母親の瞳孔は、娘でも僕でもない何処かを見つめたまま静止する。


 女児は頭から真っ赤な液体、母親の血をかぶり、僕の方を振り返った。その表情はただただ、何が起こったのか分からず困惑していた。


 女性の後頭部と背中には穴がいくつも穴が空き、そこから血がどくどくと流れ続け、白装束を真っ赤に染めていく。


「え・・・ママ・・・なんで?」


 女児が伏した女性に手を伸ばした。


 次の瞬間、轟音と共に女児の頭が吹き飛んだ。


 女児の頭蓋骨がられ、雑草の上に彼女の脳髄と血液と皮膚にくっついた髪の毛が飛び散る。


 僕の頬にも女児の血飛沫がピシャッとかかった。


 女児は女性のお腹に覆い被さるようにしてパタっと倒れる。


 その背後から細い煙がたなびく散弾銃を手にした一人の男が近づいてくる。


 その左腕にはガラスの破片が無数に突き刺さり、フェイスマスクも左側が割れていた。


 割れたフェイスマスクから覗く顔はどす黒い血を流し、瞳はギラギラと猟奇的な眼光を放っていた。


「邪悪な『悪魔』どもは殺してやる。みなごろしだ」

 

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