第17話 殺覚

「パパ、ママはどこ?ここはどこ?」


 女児は絶えず僕に問いかける。僕は依然として言葉を発することができず、ただひたすらに女児のその顔を見つめ続けた。


 女児はしゃくりあげ、僕の裾を掴んでいるのとは反対の手で涙を拭く。


『何をやっている。早く逃げるぞ!復活したばかりの俺様たちでは奴らを制圧しきれない!』


 頭の中の声の主が叫ぶ。


 女児はぎゅっと僕の裾をさらに強く握りしめた。


 追っ手の放つ銃声がどんどん大きくなる。それはこちらに近づいてきていることを表していた。


 僕は歯を食いしばり、一瞬目を閉じた。


 迷っている時間は無い。


 迷えば迷うほど、僕の命も、幼女の命も、危うくなる。


 僕はカッと目を見開くと、女児を抱き上げさらに前へ前へと進み始めた。


 僕が乗っているこの車両より操縦席のある先頭の車両まで、進むべき車両の数は考えるに12両。そのうち10両に、ここと同じように『悪魔』たちが収容されていると見て間違い無いだろう。


 僕は女児を腕に抱いたまま、『悪魔』たちを掻き分けながら進んでいく。


 進んでも進んでも尚、銃声と『悪魔』たちの悲鳴は止むことがない。


『おお、我が従者たちよ。丸腰のそなたらは、何もできない。何の力も保持していないそなたらは、何もできるはずがない』


 それを聞きながら頭の中の『悪魔』は呟くように言った。それはまるで他の『悪魔』の死を嘆き、憐れむようであった。


「そういえば、ずっと聞きたかったんだけど、なんで僕たちは先頭車両に向かっているんです?」


 僕は頭の中の『悪魔』に尋ねる。黒霧くろぎりに包まれたその存在は僕の声を聞いて、僕の方を振り返った。


『この列車は言わずもがな『悪魔』の収容所に向かっている。つまり、こうしている間にも俺様たちは『悪魔』の監獄に刻一刻と近づいている』


「それならわざわざ先頭車両なんかに行かず、この列車から飛び降りて脱出した方が手っ取り早くないですか?」


『いいや。脱出したところで、数多あまたの兵が見張りを利かせている。これは俺様の力があれば何とでもなるが、厄介なのが、線路沿いにこの列車を囲うように張り巡らされた有刺鉄線ゆうしてっせんだ。これがただの有刺鉄線ではない。ある天使が神の力を譲り受け、術をかけた有刺鉄線。これに我らが『悪魔』が触れれば微小な雷霆らいていの槍が飛び出す。それはいかなる『悪魔』でも防ぐことはできず、肉体を貫き、むしばむ。貫かれた『悪魔』は重傷を負うか、最悪の場合死に至る』


『その娘は一条いちじょうで即死だろうよ』と頭の中の声は言った。


「それならばどうやって?」


『つくづく頭の回らん餓鬼だなお前は。『悪魔』が触れれば飛び出すと言うのなら、『それ以外』のものを触れさせ、有刺鉄線を破壊すれば良い。例えば“重厚で高速移動する鉄の塊”とかな』


 “重厚で高速移動する鉄の塊”・・・。


『それ以外のもの』・・・それが、この列車か!


 僕はやっとのことで理解する。


『そしてこの鉄塊を有刺鉄線に突っ込ませるためには、脱線させなければなるまい。そのためには制御部がある先頭車両に行き、ブレーキを破壊、スピードを上げさせ、カーブレールで脱輪するように仕向ける』


 制御部、と言うことは操縦席。つまりは操縦している『人間』がいる。


 僕は思わず腕に抱いている女児を見た。女児もまた、僕のスーツの胸の部分を小さな両手でぎゅっと掴み、僕を見上げる。顔は涙と垂れた鼻水で塗れ、その瞳は心細さか、恐怖か、寂しさか、うるうるとしていた。


「操縦しているのは『人間』ですよね?まさか、あの駅員さんのように殺してしまうんですか?」


 ただ巻き込まれてしまった一般人を、何の罪もないであろうその人を、頭の中の声の主はまた殺してしまうのか。


餓鬼ガキ、お前はまだ、さっきのことを引きずっているのか?』と声の主はうすら笑いを浮かべた後、続ける。


『安心しろ。この列車を操縦しているのは機械だ。要するに自動運転というやつだ。先程の奴のような人間はそこにはいない』


 声の主の言葉に僕は一つ安堵の息を漏らす。


 と、同時に一つ疑問が湧き上がった。


「詳しいんですね。この車両のことや、その周りに張り巡らされている有刺鉄線のことまで」


『お前の祖父が生前に調べていたからな。おそらく、お前がこういう事態に巻き込まれることを見越してのことだったのだろう。お前の祖父は、身体は衰弱し切っていた老耄おいぼれのくせに、実に頭の回転が早い人物だったからな。この俺様から見ても称賛に値する』


 頭の中の『悪魔』が、初めて祖父についての評価を口にする。この『悪魔』は祖父のことを高く評価していたようだ。


『それはそうとして、あの有刺鉄線は俺様にとって最も忌み嫌うものの一つだ。知識が宿主とリンクするとはいえ、ここまで俺様の記憶に定着するものはそうそうない』


「有刺鉄線が?それはどうしてです?」


『有刺鉄線に神力を施したのは、俺様の・・・』


 声の主が何かを言いかけた途端、前方で轟音が鳴り響いた。それは耳の中にキーンという音の余波を残す。


 次いで、背後で聞こえたあの銃声が前方から鳴り、撃たれたのであろう女、子供の『悪魔』が悲痛の叫びを上げその場にバタバタと伏していく。


 ただ我武者羅がむしゃらに、缶詰にされた『悪魔』たちを掻き分け、走り抜けていた僕の足が急ブレーキをかける。


『くそ。回り込まれたか』


 三、四メートル先には例の散弾銃を構え、例の装備を身に纏った兵士たちが五人、目の前にただ“存在”する『悪魔』を、まるでそうすることが当たり前であるかのように撃ち殺しながら僕の方に向かってくる。


『仕方がない。そのを下ろせ。俺様たちだけなら容易に奴らをくぐれる』


 僕は腕に抱いた女児を見る。女児は相変わらずぎゅっと僕の服を握り、胸元に顔をうずめている。その手は小刻こきざみに震えていた。


 僕は思わず、女児をこの場に置いて僕一人、け出す姿を想像する。


 前後から迫る兵士たちに囲まれ、銃口を突きつけられる女児の姿を。


 迷っている時間などない。


 躊躇ためらっている時間などない。


 何かを守るためには敵を討たなければならないのだ。


 僕の身体に思考に巻き付いていた透明の鎖が千切れ、音を立てて落ちる。


 僕は、止めていた足を踏み締め、鉄の床から勢いよく蹴り出す。


 女児をその手にかかえたまま。


 僕の一蹴ひとけりは先ほど頭の中の『悪魔』が僕の体をコントロールした時と同じように、一瞬で3メートルもの距離を前進し、兵士との間合いを一気に詰める。


『おい、この馬鹿が』


 声の主は僕の行動に悪態あくたいをつきながらも、この状況を楽しむような声を発した。


「なっ・・・!?」


 僕に急激にゼロ距離まで詰められた兵士が、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。兵士は体をらせる


 僕は兵士の持つ散弾銃の銃身じゅうしんを、女児を抱いていないいた右手で掴み、僕の体から射線をずらすと、そのフェイスマスクの奥にある瞳を思い切りにらみつけた。


 僕のこの決断は、僕が命を奪い、大切な家族と永久に会えなくしてしまった駅員さんへの贖罪しょくざいだ。


 いや、それ以上に、何の罪も犯していないであろう女、子供の『悪魔』たちが、この兵士たちに銃口を向けられ、まるで虫を殺すように、殺すのが当たり前かのように、理不尽に殺されていく姿が見るに耐えなかった。


 そして、この兵士たちの銃口が、僕が腕に抱いた女児に向けられ、その凶弾によって殺される未来がでも受けいられなかった。


 許すわけにはいかなかった。


 この女児の命は、未来は僕が守る。


 ひとりぼっちになどさせやしない。


 たとえ僕の手が血で汚れようとも。


 

外道げどうども、殺してやる」

 

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