第14話 邪力

『ふーッ、久しぶりの若い体は気分がいいぜ。まるであの頃のように、精気が満ち満ちている』


 頭の中の声は気分が良さそうに喋っている。


 僕は混乱し、駅員さんから視線を逸らし頭を抑える。頭痛とはまた違う得体の知れないものがうごめく気持ち悪さがあった。


 僕は思わず歯を食いしばってしまっていた。


 駅員さんはそんな僕の様子を見て怪訝けげんな表情をしている。


『この肉体ならば、俺様が俺様としての力を存分に発揮できる。実に愉快、愉快』


 声の主は僕に構わず話し続ける。


 僕は声の主に奪われ、残った小さな脳領域で必死に考えを巡らせる。


 駅員さんの口の動きと、この状況、何よりこの声の主の発言から僕が『悪魔』となってしまったのは十中八九事実だろう。


 そして、このままこの列車に乗り続けていれば収容施設に連れて行かれることは確実。


 駅員さんの言う通りに何もされない可能性はまず無いだろう。


 大人しく収容施設に連れて行かれれば、一貫の終わりなのは目に見えている。


 だとすれば、僕がするべき行動は一つだ。


 この列車から逃げる。


 それだけが僕が助かる道。


 駅員さんには悪いが、そうするしかない。


 その上で、駅員さんの状況をかんがみるに「黙って、見逃してください」と言って二つ返事で見逃してくれるはずなどない。駅員さんは駅員さんで大切な家族との再会がかかっている。


 そうなれば僕がやるべきことが自ずと見えてくる。


 もしかすると、この方法で駅員さんは『彼ら』に、やむを得ない理由として家族を戻してくれるかもしれない。


 甘い考えかもしれないが。


 望みがあるなら、けけるしかない。


「大丈夫ですか?」


 駅員さんは頭を抑える僕に近づいて、気遣うように声を掛け、手で触れようとした。


 駅員さんの優しさをこれから僕が無碍むげにすることに罪悪感を覚える。


 僕は、駅員さんが差し出した右手を、頭を押さえていた右手で掴む。


「なっ・・・!」


 駅員さんは僕が抵抗するとはつゆほど考えてはいなかったのだろう。


 僕はそんな駅員さんの右手を内側に捻り上げ、背後に回る。次いで僕は左足を駅員さんの重心が乗っている左足に掛け、前に転倒させようとした。


 そしてそのまま、駅員さんの腰に左膝を当てて全体重をかけ、抵抗できなくする。もし暴れるようだったら、掴んだ右手をさらに捻り上げるか、駅員さんには悪いが、一発こめかみに拳をハンマーのように振り下ろして意識を刈り取る。


 僕は、前に傾いていく、ほんの数秒の間に動きのシミュレーションを行う。


 この余裕が今の僕にあるのは、言わずもがな祖父が僕に制圧術を何度も何度も体に頭に叩き込んでくれたおかげだろう。


『おい、餓鬼ガキ。そんな回りくどいことなどせずに、もっと楽こなやり方でいこうぜ』


 あの声が頭の中に響くやいなや、僕の手は駅員さんの手首をパッと離すと、両足で鉄床を踏み締め、上半身を起こし、彼から距離を置く。


 僕は僕の体が想定外の動きをして、思わず目を見開いた。それはまるで、僕の脳と体の神経を切り離されたかのような感覚だった。


 身体のコントロールを奪われた僕は、ジャンプし、後退する。僕と駅員さんの距離は7メートルほどとなる。


 駅員さんは身体を起こし、膝をついて僕の方を振り返る。彼の顔は怒りで歪んでいた。


「君が抵抗しなければ、私はこんなことをする必要はなかったのに」


 駅員さんはゆっくりと立ち上がり、体の正面を僕に向けた。


「やはり君は『悪魔』の子孫だった。私の妻や娘なんかと比べ物にならないほど『悪魔』だ。だから君は僕にそうやって抵抗するんだろ?君は僕のおかれている状況を理解しているはずなのに、自分の保身を優先している。君は『人間』の心などない、冷徹で利己的な『悪魔』だからだ!」


 駅員さんが日田あいに青筋を立て、鋭い眼光を僕に向けて叫ぶ。


 僕は思わず眉間に皺を寄せた。


 ━僕だって━


 駅員さんは後腰うしろごしに手を回すと、そこから何かを抜こうとする。それはキラリと鋭く光った。


 それを僕の両目が捉えた瞬間、後ろ重心だった僕の体は前方に傾き、一蹴りで、次の瞬間には駅員さんと70センチあるかないかの距離まで近づいた。


「えっ・・・」


 駅員さんが呆けた声を出す。


 僕の体は右足を振り上げ正面蹴りを繰り出した。


 駅員さんの体は壁付けされた鉄製のトイレまで吹き飛ばされ、便座の上に座り込む。


 後ろに反った体が、前に項垂うなだれる。一瞬顔が見え、口端からよだれらし、白目をむいているのが目に入った。気絶したようだ。


 駅員さんが抜こうとしていたものが、虚空で蛍光灯の光を反射しながら地面に落ち、カランカランと音を立てる。


 僕はそれが何なのか確認しようと、いつの間にかコントロールが戻っていた身体を動かし、駅員さんを視界から外し、近づこうとする。


 その瞬間、頬に生温かいものが触れるのを感じた。


 と、同時にブシャっと何かが破裂する音が聞こえる。


 僕は生温かいものが飛んできた方向に視線を移した。


 僕の瞳が捉えたのは、腰から上、ちょうど僕の身体が正面蹴りを入れたところから上が無くなった駅員さんの姿だった。

 

 

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