第13話 俺等
「目が覚められましたか」
僕が重い瞼をゆっくりと開けると、目の前にはさっきまで話していた駅員の姿があった。
僕は自分の目の前に広がっている空間を見回す。
ところどころ錆びた鈍く銀色に光る鉄に
僕は、なぜかトイレの正面に
体には揺れる振動が感じられる。
ゴトン、ゴトンと、馴染みのあるリズムで刻まれる振動。僕はここが電車の中であることを察する。
「すみません、僕、突然寝ちゃって。駅員さんが運んでくださったのですか?」
「ええ。しかし、謝ることはありませんよ。それは私のせいでそうなったのですから」
駅員さんがにこやかに言う。重く覚醒しきれていない僕の頭に駅員さんの言葉が刺さる。
━私のせいでそうなったのですから?━
どう言うことだ?
「お孫さん、悪く思わないでくださいよ。私には家族がいるんです。大事な家族が」
ぼんやりとした頭が次第に覚醒してくる。
「でもね、私の家族は私から遠いところに行ってしまった。とても遠いところにね。でも、『彼ら』なら家族を愛する妻と娘を私の元に返してくれる」
『私のせいでそうなった』と、この駅員さんは確かにそう言った。つまり、僕はこの駅員さんに眠らされたのか?
「私は彼らと取引したのです。君を差し出す代わりに、私の大事な家族を私の元に連れ戻す、と」
そして僕はこの列車の中に運び込まれた。普通ではない、こんな列車は生まれてみたことがない。考えられるのは・・・。
「おっと、変な気を起こさないでください。私は手荒な真似はしたくないのです。あなたが何もしなければ私ももちろん、何もしません」
僕が椅子から動こうとすると、駅員さんが優しく
体が重く、鉛のようでうまく動かすことができない。
僕は言葉を発しようとしたが、舌がピリついて思うように喋ることができない。
駅員さんは胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、僕の前に歩み寄り、見せた。
「これが私の家族です。私の左に写るのが
駅員さんは目を細めながら口元を緩め、まるで思い出に浸っているかのようにそう述べる。
「奥さんと娘さんは今どこに?」
僕はやっとの思いで言葉を捻り出す。駅員さんは眉間に皺を寄せた。
「二人は、今、世間で有名な施設にいます。連れて行かれたのはちょうど、ディズニーランドに行ったその直後。突然のことでした。彼らは新しく建てた家の玄関をぶち破ってずかずかと・・・」
駅員さんの目が
「二人に限ってそんなはずは、そんなはずはないんだ!二人は僕が見た限り、いや保育園の先生からだって、ご近所さんからだって、ママ友からだって、両親からだって良い奥さん、礼儀正しい娘だって言われてきた!何も迷惑なんてかけたことがない!そんな二人が、あんな・・・あんな邪悪な存在なわけがあるものか!」
僕は駅員さんがいきなり大声を上げ始めたことに驚くが、すぐに冷静になる。焦らず状況を分析する。これは、祖父に自分が思いもがけない状況に追い込まれた時、そうするようにと実践も交えて何度も叩き込まれたことだ。
「娘は4月から小学生になる予定でした。家に届いたランドセルを背負いながら『パパ、見て見て!』って、入学して新しい友達ができることをすごく楽しみにしていたのに・・・。妻だって新しい命を
僕は駅員さんが話をしている間も状況を整理する。
どうやらこの列車は普通の列車とは違う。剥き出しの鉄で四方を囲まれたトイレを持つ普通列車など生まれてこの方聞いたことがない。貨物列車とも異なる。この内側からでもわかる丸みを帯びた形状、コンテナではない・・・。
とすれば考えられるものは残り一つ。
『悪魔』を運ぶための列車。
だとすればわからないことが二つある。
「どうして僕が、あなたの娘さんと奥さんを引き渡す条件になっているんです?」
駅員さんは何かをまた怒鳴ろうとして、僕の問いを聞いてやめた。浮き出た血管が収まる。
「その様子では知らないようですね。
駅員さんが
「昨日、私の元に手紙が来たんです。『彼ら』にとって、あなたと言う存在は何よりも脅威のある存在らしいのです。そして確かに、私の知っている限り、あなたの存在は彼らにとって最大の脅威そのものだ」
脅威?ただの男子高校生のこの僕が?
僕は、駅員さんの言葉に思わず耳を疑った。
「『彼ら』は私があなたの捕獲を手伝えば、私の家族を解放すると言ってきた。たとえ『悪魔』であろうとも、二人は私にとって大事な妻であり娘です。断らない理由など無い」
話がつながってきた。駅員さんの妻と娘さんは『悪魔』だったのだ。そして駅員さんはそんな二人と幸せな日常を過ごしてきたが、二人は捕えられ収容施設の中にいる。
駅員さんが言う『彼ら』が、僕の想定する通りの組織だったとして果たして『彼ら』は僕を引きわたすことで、素直に二人を返してくれるのだろうか。
国家権力のありとあらゆるものが集中しているという、その『彼ら』が。
「怖がらなくて大丈夫。先ほど言った通り、私はあなたが何もしない限り何もしません。あなたはただ、この列車に大人しく乗ったまま、目的地で身柄を差し出してくれればそれでいいのです。『彼ら』の話によると君に乱暴な真似は何もしないそう。ただ世間から隔離するのみだそうです。安心してください」
果たして本当にそうだろうか?『彼ら』が僕に何もしないなんてあり得るのだろうか。
収容施設の噂は自然とネットで流れている。まるで第二次世界大戦中のアウシュビッツ、いやそれ以上の惨状だと。
そしてそれが、相手が『悪魔』だと言うことで
それは自分が『人間』だと信じて疑わないからこそ、そうであるのであって、自分が『悪魔』だと判明した時、一瞬にして恐怖の対象として変貌する。
「どうして・・・」
二つ目の質問をしようと僕は口を開く。しかし、声にならない。もう、話の流れで、この状況で答えは分かりきっている。
いつも自問自答しながら、そうである可能性を考えながら、でも、僕はそうではないと無意識のうちに信じ続けていた。
僕はまごうことなき『人間』であると。
本当は信じて疑わなかった。
疑いたくなかった。
でも僕は・・・。
「どうして、僕はこの車両に乗せられ、収容所に連れて行かれてるんです?もしかして僕は・・・僕は・・・」
言葉にできない。
もし、言葉にして、この問いを投げかけ、駅員さんの答えを聞いたらもう戻れなくなると感じたからだ。
これまで普通に過ごしていた、あらゆる日常に。
あらゆる人たちに。
脳裏に雪音の顔が浮かんだ。東京で僕を待っているのであろう彼女の顔が。
だが、僕は問いかけることを決断する。
もうすでに、後戻りすることなどできない状況に陥っている。
だから問う・・・。
「僕は『悪魔』なんですか?」
駅員さんは優しく微笑み、口を開いた。
しかし、駅員さんの答えがかき消される。
声は聞こえず、口の動きだけが視界に入った。
代わりに聞こえたのは、これまで聞いたことがない重くドスの効いた、まるで地割れのような声が頭に響いた。
『そうだ。“俺様たち”は、“悪魔”だ』
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