第11話 相続

僕がテレビを消したことで、クラウンの車内が無音になる。


 僕は、さっきニュースで見た衝撃的な映像と数ヶ月前に起こったことを思い出しながら、頭をヘッドレストに預けた。


 すっかり、頭の中が『悪魔』に関するもので埋め尽くされてしまっている。僕はその思考を切り替えようと、祖父の葬式が行われた後のことを思い出した。


 祖父の葬式後に行われたのは、財産分与についての話し合いだった。


 大広間からは場所を移し、小さな和室でそれは行われる。


 宴会では互いに酒を酌み交わし、ワイワイと思い出話に興じていた親戚たちは、一瞬にして静まりかえっていた。親戚たちは、まるで酒が抜けてしまったかのように険しい表情をしており、先ほどの雰囲気がまるで嘘であるかのように、殺伐とした空気が漂う。


 僕はその空気に入りたくなくて、部屋の隅に陣取っていた。


 ふと、太鼓橋の中央で鯉を見ていた時のことを思い出す。


 楓と久しぶりに話した後、一人になりたかった僕は大広間から離れ、邸宅を結ぶ太鼓橋に移動したのだ。


 そこには一人、宴会に参加しなかった佐良さんが、先客として居た。


「結局のところ、彼らがこの葬式に来たのはご当主様の死をいたむためではなく、自分に莫大な財産がどれだけ入るのかが重要だから来ただけなんですよ」と、彼は、池のこい麩菓子ふがしをやりながら僕に言った。


 この状況を見れば、確かに佐良さがらさんの言った通りである。


 張り詰めた空気感の漂うこの和室のふすまが、スッと開かれる。 

 入ってきたのは、楓の母である摩耶まやさんだった。麻耶さんは通夜、葬式の時の喪服ではなく、赤い彼岸花の刺繍がされた黒色の着物だった。


 僕は麻耶さんの後ろに楓の姿を探した。楓をはじめ、麻耶さん以外の使用人の姿は見当たらない。さっき他の使用人が、宴会の片付けを慌ただしく行なっていたから、そっちにいるのだろう、と独り納得する。


 親族たちの視線が一斉に麻耶さんに向けられる。麻耶さんはそれに動じることなく、部屋の中央に置かれたヒノキの短足の机まですり足で移動すると、正座した。


 次いで、麻耶さんは着物の袖から茶封筒を取り出した。


「これはご当主様が生前に書かれた遺言状です。ご当主様の財産の相続は原則として、この遺言状の通りに行わせていただくものとします」


 麻耶さんはそう言って、茶封筒を獅子の足の装飾が施された銀めっきのレターオープナーで開封し、和紙製の便箋が取り出される。 僕の近くにいる、叔母、いや従姉妹いとこかもしれない人物がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。


「それでは僭越せんえつながら代読させていただきます・・・」


 麻耶さんが三つ折りに畳まれた便箋を広げ、内容を口に出す。


 内容としては、お祖父様の保有していた現金、預貯金、年金、株、車、この豪邸、会社の保有権と資産、使用人の保有権など多岐にわたる。一人一人、麻耶さんが、相続の対象者と対象物を発表する。その度に歓喜の声を上げる者、黙っているが内心ガッツポーズしているような者、抗議の声を上げる者、不満そうな表情だけを見せる者など、さまざまだった。お祖父様の遺言状を読み終わるまでに実に30分もの時間がかかった。


 ちなみに僕に相続されたものは、300万円のお金。


「カイ様、お金はもうすでに手続きが完了しておりカイ様がお持ちの通帳に振り込まれています。それと・・・」


 麻耶さんは達筆で〈カイへ〉と大きく書かれた茶封筒を手渡す。その中には硬く、ずっしりと重いものが入っていた。


 僕は封筒を開け、中身を確認する。中に入っていたのは鍵だった。僕はこれを他の人の目に入らないようにすっと、尻のポケットに入れた。


「あら、あの子は300万しかもらえないなんて、かわいそうに」


 そう憐れむような声が聞こえた。声のした方を見るとそこにいたのはあの時、僕を引き取ることを頑なに拒み、冷たい言葉を浴びせた叔母、由梨子ゆりこだった。言葉とは裏腹に嘲笑を浮かべている。


「ほんとだな。お父様に可愛がられてたのはあの子とその父親だって言うのにおかしいな」


 そう叔母の話に相槌を打つのは彼女の1こ違いの兄である叔父、桂一けいいちだった。


 彼ら二人に相続された遺産は二つの会社の所有権と、合計4億にものぼる現金、この家の所有権、使用人の保有権だった。


 確かに僕とは比べ物にならないほどの物を、お祖父様から譲り渡されている。


 僕はそれに対して不満はない。お祖父様の実子に財産が多く与えられるのは当然のことだからだ。


 だが、一つ不満なことがあるとすれば、この家の所有権が二人の手に渡ってしまったことである。別にこの家が欲しかったわけではない。


 ただ、僕をみ嫌っている叔父、叔母が長年空けてきたこの家に住み着くことで、僕の故郷であり、お祖父様が眠っているこの場所に帰りにくくなることが嫌だったのだ。


 そのモヤモヤを感じた時、僕は三年前はあれほど出ていきたかったこの家が、いつの間にか自分の心のり所になってしまっていたことに気づく。


 僕は改めて、自分の手の中にある小さな、しかしずっしりと重い鍵を見た。


 この鍵は確か・・・。


 僕の幼い頃の記憶が呼び覚まされる。


 お祖父様が一度、この鍵を使って開いた場所に見えた光景。

 

 黒いもやがかかっていて、場所がどんなところだったか、その内容は思い出せない。


「これらはカイの次に、私にとって大事なものたちだよ」


 と、祖父が優しく僕に言った記憶は、確かにある。


 だとしたら、どうしてお祖父様はこの鍵を’僕に’託したのだろうか?


 僕の中で疑問が湧き上がる。

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