第10話 自問

「来年の4月から18歳以上が成人になるって言うし、それも樽咲がすぐに収容所送りになった原因だろうね」


「樽咲君、いい子だったのにね。ほんと気の毒だよ」


「近所のおばさんみたいだな、そのセリフ」


 僕のその一言に雪音は「何よそれ〜」と頰をプクッと膨らませた。


「でも、悪魔だからってすぐ悪者にするのは私、納得できない」


 雪音が眉間に皺を寄せ、語気を強めた。


 雪音は今のご時世では珍しい悪魔に対して偏見のない種類の人間だ。


『その人が悪魔だからといって、何も悪いことをしていないなら、普通の人と同じじゃない』と、付き合う前に一緒にご飯を食べていた時、彼女はそう言っていた。


 僕は雪音のそういうところをだんだん好きになって、彼女からの告白を受け入れ、付き合い始めたんだと思う。


「そもそも、こうして私たちの学校から悪魔が摘発されるの何気に初めてじゃない?」


 自分たちの学校ではつい最近まで取り締まりの対象で無かった未成年の生徒だけではなく、その保護者からも教師からも一人として出たという情報はない。


「そうだね、今回の樽咲が初めてだと思う」


「だよね。えっ・・・私の友達が通っている高校でも今日、悪魔として収容所に送られた生徒がいるって」


 雪音がスマホの通知を見て絶句するように声を漏らすと、その画面を僕に見せてきた。送り主は女子校に通うという雪音の幼馴染、瀬戸美晴せとみはるだった。


 彼女とは僕も面識があり、『雪音のこと悲しませたら許さないからね』と釘を刺され、『雪音は本当にいい子なんだから』と3時間ぐらい本人を横にして力説された。


 僕はなぜかその時のことを思い出して、口元が緩みかける。幸いにもスマホに夢中だった雪音にはばれていなかった。


「今月に入ってからだよね。未成年の悪魔の一斉摘発・・・」


 雪音の言葉で悪魔の話に思考がシフトする。


 未成年の悪魔の一斉摘発・・・。


「少年法と違って法改正も政府からの予告も、何もなしに始まったみたいだね」


「まさに現代の魔女狩りってやつだよね」


「雪音、それは違うよ」


「何が違うの?」


「魔女狩りで狩られたのは人間。今は悪魔。つまり生き物として別種。魔女狩りとは全然違う」


「それは、そうだけど」と雪音は言いつつも、納得していない様子だった。雪音は何やら考えを巡らせているのか、下を向いたまま小石をローファーで蹴飛ばしながら歩いていく。


 付き合って一年半、いや、それよりもっと前から幾度となくこの登下校をともにしてきて、発見した彼女の癖だ。


 僕は彼女がそうやって進む隣をおんなじペースで歩いた。


「でもさ、悪魔と人間って、本当に何が違うんだろうね」


 雪音が突然、ボソッと呟くように言った。


「そりゃ、『犯罪を犯しているか犯していないか』とか『人間か人間じゃないか』とか、違いはたくさんあるよ」


「でも人間だって犯罪は犯すでしょ?」


 雪音の純粋なまっすぐな視線が僕に刺さる。


「確かにそうだけど、この国の犯罪者の80%、凶悪犯罪に至ってはほぼ100%が悪魔だって・・・」


「そんなの、後から調べてわかったことじゃない。マスコミのこじつけかも」


 雪音の声のボリュームが上がったその時、ドアに十字架マークを印した警察車両が目の前の路地を通り過ぎた。対悪魔のパトロール隊だ。


 僕は僕の顔を雪音の顔に寄せた。雪音は突然のことでびっくりしたのか目を見開く。


「あんまりそう言うことを大声で言うもんじゃない。誰かに聞かれて疑われたらどうするんだ」


 僕の言葉に雪音は口をギュッと閉じた。


 雪音のその発言は、現代社会の授業でマスコミの腐敗について、つい先日習ったことも影響しているのだろう。


 僕たち二人は止めた足を再び進める。本当はもっと話したいのに、沈黙が流れていく。


「つい最近ね、私の知り合いが悪魔だと言われて宮内庁に捕まって、収容施設に連れて行かれたの」


 沈黙を破ったのは雪音だった。彼女のその話は僕にとって初耳で、驚きのあまり「えっ」と思わず声を出してしまっていた。


 雪音は前を見たまま話を続ける。


「その人はお母さんの小学生からの幼馴染で、私も小学生の時から短い間だったけどお世話になった人なの。すごく優しい人だった。私が中学生になった時に、他県に引っ越しちゃったから、その後私が会うことは無かったけど、お母さんは連絡を取り合ってたみたい。お母さんの話だと、その人本人も自分のことを人間だとずっと思っていて、捕まった時に初めて自分が悪魔だと知ったんだって」


 人間と悪魔は別の生き物。しかし、その姿はそっくりそのまま。体の中にある臓器も、血液の色も一緒。体の構造自体が全て一緒。


 そう聞いたことがある。


「人間と悪魔は確かに別の生き物だと思う。でも、本人ですら自分が悪魔だと気が付かないほど二つの生き物は似ているどころか、同じなの。本人ですら気が付かないのに、生まれた時から自分は人間だと思っていた悪魔に、犯罪なんて一つも犯してないその『人』に裁かれなきゃいけない罪なんてあるのかな」


 雪音が僕を見上げた。その瞳は潤んでいた。


 悪魔自身が人間だと思い込むほど、人間と悪魔という二つの異なるものは似ている。


 雪音がお世話になったという人は、本当に今、報道されているような犯罪者のほとんどを占めるという悪魔だと言えるのだろうか。


 雪音の話を聞く限り、そうだとは思えない。


 それとも、雪音が知らないところで悪行を重ねていたのかもしれない。

 僕の中での悪魔像が揺らいでいく。


 そもそも、悪魔だと判明して収容施設に連れて行かれた樽咲も果たして世間のいう悪魔像そのものの存在だったのか。


 人間とは異質の、怪物だったのか。


 いや、僕が見てきた限りの彼はそんな人物では無かった。


 成績優秀で、人気者で、面倒見が良く、気遣いのできる聖人君主。


 人間と悪魔の体はほぼ同じ。


 では、人間と悪魔の魂、心と呼べるものはどうだろうか。


 もしかしたら実際は、人間も悪魔も体だけでなくその心の作りまでも同じなのではないのだろうか。


 考えれば考えるほど、深い底なし沼にハマっていくような感覚を覚える。


 テレビの報道、世間一般の彼らを見る目と、雪音が、僕自身が遭遇した彼らの姿に大きな乖離を感じた。


 その時、僕の頭の中にある記憶がフラッシュバックする。いや、これはフラッシュバックと呼ぶものなのだろうか。


 存在するようなしないような曖昧な記憶。


 幼少期から見続けている幻影。


 僕の額に鋭い痛みが走る。この幻影を見るときはいつだってそうだ。


「カイ、大丈夫?」


 いつの間にか、頭痛を抑えるように頭を抑えていた僕を、雪音が心配そうに見つめていた。


「ごめんね、せっかく二人で居れる少ない時間にこんな思い話ししちゃって」


「仕方ないさ。状況が状況だから」


 雪音が申し訳なさそうに言ったことに対して、僕は優しく微笑みながら返した。


「あと少しでセンター試験だね」


 雪音が話題を変える。


「そうだね。あと1ヶ月くらい」


「大学入試もラストスパートだね」


「気が早いよ。センター試験も二次試験も残ってるんだから」


「だって、カイと早くデートしたいんだもん」


「クリスマス、デートするじゃん」


「東京駅のイルミネーション見るだけでしょ?まあ、その後に塾の予定が入ってる私のせいだけど・・・」


「あー!今すぐデートしたい!プリクラ撮りたい!最近流行ってる映画も見に行きたい!」と、雪音は両手を挙げて大声を出した。


 僕はそんな彼女の可愛らしい言動を微笑ましく見ていた。


「でも、何よりも、別にどこか行かなくていいから、お家デートしたい。カイの家で。二人でゆっくり過ごしたい・・・」


 雪音は先ほどと打って変わって小さな声でそう言った。両手の指を絡ませてモジモジとしながら。寒く凍えそうな空気の中、彼女の頬が紅潮する。


 よほど勇気を振り絞ったのか、久しぶりの『お家デート』という言葉が恥ずかしかったのか、その姿は付き合い始めた当初の初々しい彼女の姿と重なった。


 そして雪音はまるで「ダメかな?」と上目遣いで僕を見る。


 僕は彼女の熱い眼差しに負ける。三年前の僕は、今、こんな暖かい日常を送れるなんて想像すらしていなかっただろう。


「わかったよ。12月末までにデートしよう」


 僕の一言に雪音の瞳がパァッと輝く。さっきの『悪魔』の話で見せた暗い顔がまるで嘘のようだ。


「それじゃあ、この日なんかどう?」


 雪音はウキウキでスマホのスケジュール管理アプリを開き、僕に見せてくる。


 僕たちは二人の帰り道の分岐路で、デートの予定をたてた。結果、2学期の終業式の日に決定する。雪音は「やった!すごい楽しみ」と当日ではないのに、もうウキウキの様子だった。


「デート以外の日は、しっかり勉強するようにね」


「もう!カイ、先生みたいなこと言う!」


 僕の一言に雪音はぷくっと頬を膨らませた。


 僕は言わずもがな、雪音の学力は彼女が目指している大学に十分受かる程ありはするが、一応釘を刺しておく。


 そしてそのまま、「バイバイ」と、互いに別々の帰路につこうとしたが、雪音が僕の方を振り返って何か、物欲しそうな表情をした。


 僕は察して彼女に近づき、両手で肩を引き寄せるとキスをした。


 軽く触れるだけの、とても短いキス。でも、顔を離して見えた雪音の表情はとても嬉しそうだった。


「ふふっ、さっきのが聞かれるより、こっちが見られる方が不味いんじゃない?」


「確かに」


 雪音が悪戯いたずらっぽく微笑むと、僕も釣られて口角が上がるのを感じた。


 その時の僕たち二人の雰囲気は、カップル特有の甘いものとなっていた。


 僕はそのまま雪音が帰るのを見送る。


 雪音は『悪魔』の話をしていた時とは異なり、すっかり明るく、満面の笑顔を浮かべていた。


 彼女のその姿に安心しながらも、僕は僕の中で鉛のようにずっしりと重く、しこりのように脳内から離れないものがあることを感じた。


『悪魔』のことについてだ。


 遂に僕の身近からも出た『悪魔』。『悪魔』自身ですら自分を『悪魔』と識別することができなかったと言う。


 そして、ふと考えた。


『人間』であると信じて疑わない僕も、もしかしたら『悪魔』なのかもしれない、と。

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