第8話 ニュース

後部座席についた11インチのモニターから夜のニュースが流れていた。

『本日の悪魔駆除件数は東京内で21件。全国では102件、個人で見ると1021名となっています。この件数は3月に入ってから益々ますます、日々増えているわけですが、西垣にしがきさんはこの状況をどうお考えでしょうか?』

 女性キャスター、藤浪光里ふじなみひかりが白髪まじりで、スクエア型の縁メガネをかけた気難しそうな男性コメンテーターに尋ねる。

「悪魔のことを『個人』と呼ぶのは気に食わないですね。奴らは『人』では無いのですから」

 そう片方の口角を上げながら冷笑を浮かべたのは、西垣文也にしがきふみや、東央大学神学部教授。よりにもよって僕の進学先の教授だ。

 見るからに意地の悪い人物である。

 文学部である僕の必修科目に、この教授の授業が入っていないことを祈るのみである。

『それはともかくとして、駆除件数が増加傾向にある理由の一つは、国会での悪魔駆除に関する法改正により、神の御許である宮内庁内にて新規特殊作戦部隊『対悪魔作戦軍ADSM』が発足されたことで、対悪魔戦闘のプロが直々に悪魔駆除を開始したためでしょう』

『なるほど、あの4ヶ月という短期間で制定された『対悪魔組織基本法』ですね』

 藤浪は嫌味を言うように言った。

『はは、それだけ悪魔駆除がこの日本という国家において最重要課題であったということですよ。私の取材によると『対悪魔作戦軍ADSM』の構想は4年前からあった。私に言わせてみれば、法改正は遅すぎるくらいです』

『日本が自衛隊以外の・・・こう言う表現は間違っているかもしれませんが・・・軍事力を持つことに疑念を持たれる方も一定数いらっしゃいますが・・・』

『自衛隊は国家の防衛を担う、いわば外国に対する防波堤のようなもの。その上で確かに対人の組織であると言えるでしょう。しかし、『対悪魔作戦軍ADSM』はその名の通り対悪魔の組織。相手は人間ではなく悪魔なのです』

 西垣がテーブル上で肘をつき両掌を合わせた。

『国際的に見ても悪魔駆除は火急の要件だ。それに対しての力を日本が持ったとしても他国からの反発を受けることはありません。特に多様な宗教の溜まり場となっているこの国ではね』

 西垣のコメントを聞き終えるや否や、ペラりと原稿をめくった藤浪が質問する。

『では、悪魔と人間の判別はどのようにして行われるのでしょうか。悪魔と人間は様相に違いがありません。そのせいで人間が悪魔と誤認識され殺害されるという事案も過去には発生しています。国民が最も憂慮している点だと思われるのですが』

 藤浪の発言に西垣は待ってましたと言わんばかりに、栓のされた試験管のようなものを取り出した。中には無色透明の液体が入っている。見たところただの水だ。

『判別にはこれを使うんです』

『水、ですか』

『ええ。とは言ってもただの水ではない。これは『聖水』と呼ばれる、みなさんご存知の通り、キリスト教の儀式で使用されるものです』

『聖水が悪魔退治の有効な手段であることは確かに有名ですが、それはキリスト教由来の悪魔に対してのみですよね?他宗教由来の悪魔には効果がないのでは?』

『確かに、おっしゃる通りです。ですがね、この国において悪魔の87%はキリスト教由来か、それに関わる悪魔。つまり、この聖水を使用することで約8割の悪魔を判別し、駆除することができるのです』

 西垣のその発言に合わせて、藤浪とコメンテーターたちを挟むようにして置かれた液晶モニターに、悪魔の由来を表した円グラフが映し出される。グラフには西垣の言った通り、キリスト教が87%、次いで神話、魔術書などが合わせて2割ほどであった。

『なるほど。しかし、どのようにその聖水を使用するんです?』

 女性アナウンサーの質問は続く。

『私は宮内庁ではないですからね、具体的な用途については推測の域を出ませんが、例えば公共の空間、新幹線とかホテルとか博物館、美術館、テーマパークなどのスプリンクラーに聖水を混ぜておく。そして、不定期でそれを散布すれば、その場にいる悪魔の皮膚が焼け焦げていく、と言うわけです』

『悪魔がそういった場所に現れなくなった場合はどうするんです?』

『それはつまり外界との接触をシャットアウトした、と言うことですよね。そうなれば話は簡単です。外出記録で的を絞り、突入。殺処分すればいい』

『それでは一般市民のプライバシーが・・・』

『あのですね、対悪魔の問題はそう言ったことに配慮する段階の範疇を逸脱しているんです。もう、悠長なことは言ってられない』

 西垣から女性アナウンサーに向けられる視線が途端に鋭くなる。その眼光に女性アナウンサーは思わず身じろぎをしていた。

『この国での犯罪者の8割が悪魔だ。殺人など極刑に至る犯罪においてはほぼ10割。つまり悪魔を一掃してしまえば、この国に平穏が訪れる』

『しかし、駆除された悪魔には罪を犯していない個体も・・・』

『それは”今まで”罪を犯してこなかっただけの個体です。駆除しなければ、遠い未来で人間を殺していたかもしれない』

『ですが、だからと言って・・・』

 液晶モニターに世界地図とともにテロ、紛争の映像が映し出される。女性アナウンサーはそれを見て閉口した。

『それだけではない。このテロ、紛争全てに悪魔が関与している。日本ではテロも紛争もまだ発生してはないが、じきにこの映像と同じことが日本で起こるかもしれない。もし、そうなったとしてもあなたは、プライバシーだのなんだのと、ほざき続けられるのか!』

 西垣が怒号をあげた。女性アナウンサーはすっかり萎縮してしまい何も言えない。

 西垣はそんな彼女を見て鼻で笑うと、続けた。

『もちろん、国民のプライバシー保護が重要であることは、私も重々承知していますよ。しかし、そんなことを訴えることができる局面はとうの昔に過ぎ去っている』

 西垣は視線を女性アナウンサーからカメラに移した。眼光はまるで視聴者を睨むかのようだった。合わせていた掌を離したかと思うと、すぐさま両手を組む。

『ところでですが、藤浪アナ。あなたは先ほどから悪魔に寄った発言が多く感じられる。そのような発言ばかりされていると、貴女も悪魔だとみなされますよ』

 突如として西垣から藤浪に、疑いの目が向けられる。

『それとも、貴女が悪魔そのものでしょうか?』

『そんな、私は決して悪魔などでは!私は人間としての、一国民としての目線に立って意見を述べたまでです』

 ニヤリと笑う西垣に、藤浪はキッとした視線をった。

『それでは試してみましょう』

 西垣がそういうや否や、手に持った試験管の栓をポンっと外し、藤浪に向けて放った。藤浪は頭から聖水を被り、髪から番組のためにスタイリングされたのであろうポートネックのニットに滴り落ちた。

 西垣の行動に藤浪はおろか、スタジオ中がしんと静まり返る。はたから見れば西垣の行為は明らかに暴挙であり、許されるものではない。次いで映し出された番組の司会者も、一瞬呆けた表情をしていたが、サッと渋い表情へと変化する。

 恐らくスタジオのすべてが彼と同じような表情をしたはずだ。

 しかし、そんな中でも西垣は不敵な笑みを浮かべ続けていた。カメラマンはそんな彼を捉え続ける。

 沈黙を破ったのは一人の女性、藤浪の天地を貫くような悲鳴だった。カメラは西垣から藤浪へと慌ただしく向けられる。

『熱い!熱い!』

 藤浪はその場に両手で顔を覆いうずくまっており、身体中からシュウシュウと煙が湧き上がっていた。

 聖水を被った頭皮は、まるで地底のマグマが噴き出すように焼かれ、ひび割れており、細い指先の間からのぞかせる若い女性特有のスベスベの肌も同じように荒れ、黒く炭と化していっていた。

『違う!私は悪魔なんかじゃない!』

 藤浪は掠れ声で、喉から振り絞るように叫んだ。

 対して西垣はテーブルをバンと叩き、立ち上がる。その額には血管を浮かび上がらせ、憤怒の形相をしていた。

『悪魔はみんなそう言うのさ!だが現実を見ろ!おい!カメラを彼女に向けたままにしろ!これが悪魔の正体だ!これが悪魔の末路だ!悪魔が受けるべき神からの罰だ!写せ!全ての国民に、全ての悪魔どもに知らしめろ!』

 藤浪の体が焦げていく映像の横から西垣の怒号が聞こえる。

『恐怖し、震え上がれ残忍な悪魔ども!』

 映像は西垣のそのセリフを最後に『ただ今、映像が乱れております』と言う青い湖の背景に白いテロップが映し出され、不気味に感じるほど穏やかな電話の保留音を彷彿とさせる音楽が流れた。

 1分ほどして映像が西垣のアップに切り替えられる。西垣はまた先ほどのように椅子に座り、テーブル上で両手を組んでいた。その表情はスンとしており、先ほどの鬼のような形相が嘘のようだった。

『日本国民の皆さん、人間の皆さん、備えてください。悪魔はあなたのすぐそばにいるかもしれません』

 西垣はカメラの前の視聴者に語りかけるように優しい声、口調で言った。

 途中、映像が乱れた。カメラが不意に西垣とは別の方を映す。

 そこにはまるでミイラのような、ガソリンを頭から被った焼死体のような、丸焦げで皮膚が灰となり、内側にあった筋肉が、骨が飛び出している、原型をとどめていない、しかし藤浪であったものが地面に転がっているのが映し出された。

 次いで『申し訳ありませんが、スタジオのトラブルのためこの番組は中断します』という白背景に黒文字が表示され、平和な缶ビールのCMが流れ始めた。

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