第7話 再会(2)

「久しぶりだね、カイ。とは言っても通夜の時からずっと近くにいたんだけどね」

 かえでは黒のタートルネックの上に、同じく黒のジャケットを羽織り、膝上までのスカートを履いていた。

 その姿は僕のよく知っている彼女とは全く異なり、目を見開く。

「久しぶり。前と違いすぎて、全然気づかなかったよ」

「何?老けたって言いたいの?」

 僕が思ったまま事実を口に出すと斜め上の捉え方をされてしまう。

 僕はすぐさま頭を横に振る。「そんなわけないだろ」と返した。

「大人っぽくなった」

「昔の私が子供っぽかったって言いたいの?」

「いや、そういうわけじゃなくて・・・」

 楓が先ほどの少年みたいに頬をプクッと膨らませた。僕はまた困惑した。

 楓はそんな僕を見て吹き出した。

「冗談。少しからかいすぎたね。ごめん」

「まったく・・・変わってないな。そういうとこ」

 僕の表情が自然と緩むのを感じた。祖父が危篤きとくだと知ってから、かなり久しぶりに笑ったような気がする。

 楓はそんな僕を見て悪戯いたずらっぽく笑った。

 三年前から何も変わっていない、僕がよく知っている幼馴染の姿だった。

「そう言うカイも変わったね。三年前はワックスなんて付けてなかったのに」

 楓が手を伸ばし、僕の前髪の毛先に触れながら言う。近づいた手首からほのかにラズベリーの甘酸っぱい匂いがした。

 楓こそ、三年前は香水なんてつけていなかったのに。

「東京の高校生は、ワックスつけるのが当たり前なんだよ」

「へぇ〜、おっ洒落しゃれ〜。良いなぁ〜、私も東京行きたかったな〜」

「楓も来ればよかったじゃん、東京」

 僕の言葉に楓の表情が曇る。

「行けるわけないじゃん。私はこの家の使用人なんだもの」

 僕は咄嗟とっさにまずいことを言ってしまったと自分の言葉を後悔した。ふと楓のあの時の表情、言葉を思い出す。

「ごめん、軽率な発言だった」

「いいの。仕方のないことだし、何よりカイが謝ることじゃない」

 楓は首を横に振った。

 僕が謝ることじゃない。本当にそうだろうか。

 楓の行動が制限されるのは何百年と続いている結城家と穂積家の主人と従者という関係のせいだ。

 それが僕のせいでないと、果たして言い切れるのだろうか。

「もう、折角の再会なのに怖い顔してる」

 いつの間にか楓が僕の顔を覗き込んでいた。僕は驚き、体を反らせた。楓はまた微笑む。数秒、楓と視線が合う。だが、僕は逸らせた。

「ごめん」

「だから、謝らないでって。ホントに、もう」

 楓がまた頬を膨らませた。が、すぐにニコリと笑う。

「折角会えたんだし、楽しい話しよ。ね?」

 僕は「そうだね」と言った。

 彼女と話したのは主に高校生活のこと。高体連や文化祭、体育祭といったイベントのことを話した。やはり、地域が違えば、イベントの内容も変わってくるそうで、楓が体験したそれらは僕にとって新鮮なものだったし、僕が体験したものは楓にとって新鮮なものだったのか目を輝かせて聞き入っていた。

「私、あまり友達ができなかったの」

 ふと、高校の授業や休み時間、放課後など、ありふれた日常について話題を移した時に楓はそう言った。

「それはどうして?」

「放課後とかは用事が・・・ここでの仕事があって友達と遊べなかったし。スマホだって持ってなかったから」

「そうなの?」

「うん。カイも中学生までスマホ持ってなかったじゃん。穂積家も、結城家と同じようにスマホ禁止だったの」

 年頃の女の子がスマホを使えないのは辛いことだと、女子間でSNSを楽しげに見せ合っているクラスメイトを浮かべて思った。

「でも・・・」と、楓は言葉を続けた。

「ジャーン!私も買ってもらったの、スマホ!」

 楓の表情が輝いた。僕も同じように表情が輝いたと思う。「おおー!」と思わず声に出していた。

「まあ、結城家と関わりのある人とのパイプ用なんだけどね。でも、私的にも使っていいって許可が降りたの」

 と言うや否や、スマホを慣れない手つきでタップする。しばらくして、画面を僕に向けた。

「ここ!修学旅行で泊まった所で見た光景なんだけど、とってもキレイだったの」

 僕にずいと顔とスマホ画面を寄せる。楓のキラキラと輝く顔に目を奪われながらも、僕はスマホの画面を見た。

 そこに映し出されていたのはグランピングだろうか、コテージとともに映し出された花々だった。

「すごい・・・キレイだな」

「でしょ?」

 楓はニコッと笑うとその胸にスマホを抱いた。

「行ってみたいな。カイと二人で」

 楓は呟くようにそう言った。とても小さな一言だったけど僕は聞き逃さず、

「行こう。二人で」

 と、即答した。その直後、勢いで放ったその言葉にしまったと思う。

 それでも、成長した幼馴染同士でまた楽しい思い出を作りたい。ただ、それは心の底からの本心であった。

 ふと、楓としていた約束を思い出す。幼き日にした約束。楓は果たして覚えているだろうか。

 楓の表情がパアッと明るくなった。

「それでね、ここね・・・」

 そのあとは修学旅行で行ったところについて話した。僕はアメリカ、楓は京都に行った時の思い出を。

 そして次の話題へと移る。

 お互いの距離が離れていた時間を埋めるように空白の時間について話すのはとても楽しかった。

 何より隣同士で座って、庭園を眺めながら、日光にあたりながら話したことが、昔に戻ったようで嬉しかった。

「私も東京行ってみたいな。カイが大学に行くようになったら行ってもいい?」

 楓からの突然の申し出。楓は僕のスマホに映った進学先の東央大学の画像を見ながら僕に寄りかかった。

 僕は先ほどと異なり、素直に「うん。いいよ」と言えなかった。

 ある存在を思い出したからだ。この三日間いろいろな出来事が起きすぎて、そして楓という幼馴染と再会してすっかり忘れてしまっていた存在を。

 黙ってしまった僕に「とりあえずさ・・・」と楓はスマホでアプリを起動させ、差し出す。

「ライン、交換しようよ。最近作ったんだよね。友達一号になってよ」

 なんのカスタムもしていない緑の初期画面。それは確かに楓がラインを始めたてなことを如実に表していたし、僕が高校に入りたての頃を彷彿ほうふつとさせるものだった。

「うん。いいよ」

 僕は二つ返事で了承するとQRコード画面を表示する。楓は初めての友達登録で、あたふたしながら「これかな、これかな」と呟きながら画面をタップした。僕は人差し指で「これだよ。ここをタップして、これで僕のQRを読み込むの」と教えた。楓はQR読み込み画面が出ると嬉々ききとして僕のQRを読み込もうとした。

 その時、一つのメッセージがポップアップ表示された。恐ろしいほどのタイミングの悪さだった。

「『雪音ゆきね』・・・?もしかして彼女さん?」

 表示されたのは『ここ三日、連絡もらってないけど、大丈夫?』という心配の色を含んだメッセージだった。アイコンは繋いだ手の写真。手の周りにはキラキラとした星がエフェクトで散りばめられてた。

 楓は僕の瞳をじっと見つめる。その瞳は先ほどまでの輝きがなりをひそめてしまっていた。

「そうだよ。斗中雪音となかゆきね、僕の彼女だ」

 楓は小さく「そう・・・」と呟いて、僕から視線を逸らす。そんな彼女のスマホの画面にはピコンと僕のアイコンが映った。アメリカの修学旅行で撮った自由の女神像の写真だ。

「いつから付き合ってるの?」

 楓が寄りかかった肩を離して僕に尋ねる。顔はこちらに向けず、足をぶらぶらさせながら。表情はあからさまに暗くなっている。僕はそれに正直に答えた。

「高校2年の夏から」

「じゃあ、付き合って、だいたい1年半くらい?」

「そうだね。だいたいそれくらい」

「告白したのは?もしかして、カイの方から?」

「いや、雪音の方から。文化祭が終わった後に告白された」

 楓はぶらぶらさせていた足を両手で抱えて、体操座りの姿勢になった。「カイからじゃないんだ・・・ふうん」と、その両膝の間に顎を乗せて呟く。

「で、OKしたわけだよね。決めては?よく喋る仲だったから?可愛かったから?」

「それもあるけど、何より知りたかったんだ」

「何を?」

 楓が両膝の間に顎を乗せたまま、顔を傾け、僕に尋ねた。艶やかな黒髪があやしく揺れる。

「付き合うっていうことがどういうことなのかを・・・かな」

 祖父の元では体験することが許されなかったであろうそれを、祖父の元から離れたことで初めて体験できた。

 でも、本音を言うなら・・・。

「彼女さんとは、その・・・もう・・・」

 楓は何かを僕に問いかけようとして、「ううん。何でもない」と言った。僕は楓が問いかけようとしたことが気になって、「何だよ」と問い返した。

「ううん、本当に何でもない。それより彼女さんの写真見せてよ」

 楓の希望に僕はスマホのフォルダから雪音の写真を開いて、彼女に画面を向けた。楓は体育座りのまま左手を床について、画面に顔を近づける。

 楓はしばらくジーッと雪音の姿を凝視していた。

「ふーん。可愛いじゃん。美人さんだし」

 楓は固い表情を崩さずにそう言った。次いで楓は僕の顔を見る。

「彼女さんいるのに、私なんかとライン交換して大丈夫なの?」

 多分、楓が一番聞きたかったことなのだろう。ためらいがちに、尋ねてきた。

「別に大丈夫だよ。雪音も異性とのライン交換はダメって言うけど、楓となら良いって言ってたし」

「ん?私となら大丈夫って、どう言うこと?」

 僕の答えがよほど予想外のものだったのか、楓が驚き、素っ頓狂な声を出す。

「雪音、楓のこと知ってるし。『幼馴染だったら仕方ない、許す』って言ってたから」

「ちょっと待って・・・え?理解が追いつかないんだけど・・・それって雪音さんは私のことを知ってるって・・・」

「ああ、ちょっと話す機会があって、その時に、ね」

 ちょうどその時、僕は雪音から頼まれていたミッションを思い出す。

「そういえば、雪音が楓の顔が見たいって言ってたから、写真一枚いいか?」

「良いけど・・・写真?ちょっと待って。本当に待って」

 僕の加えて言った一言に楓がさらに混乱する。楓は僕を両手で制した。「ちょっと頭の中を整理させて」と、あたふたする楓の姿は、幼く、とても懐かしいものだった。

 頭の上に蝶々が飛んでいそうな楓を落ち着かせるために、僕は楓に質問を投げかけた。

「楓は彼氏とかいないの?」

 あたふたしていた楓の動きがすんと静止する。

「私には、そんなのいないよ」

「そうなの?楓、大人っぽくなったし、てっきりいるのかと・・・」

「私はずっと・・・」

 楓は僕から視線を外した。その表情はとても暗いものとなっていた。

 やはり楓は・・・。

 僕は楓のその表情を見て察し、彼女から視線を外した。

「でも、これで良かったのかもしれない。私なんかが・・・」

 楓が呟いた。僕にははっきりそれが聞こえたが、「何か言った?」と尋ねた。楓は「ううん、何でもない」と首を横にふる。

「ともかく、そのミッション、クリアしとかないとね」

 急に明るくそう言った楓が再び僕に肩を寄せると、いつの間にやらスマホでカメラを起動し、一枚パシャリと写真を撮った。

 楓はしっかりピースして、満面の笑顔だったが、僕は突然のことで驚き、表情を作ることができなかった。

「ふふ、面白い顔。もう一枚撮ろっか」

 楓は微笑んで、またカメラを構える。さらに体を寄せた楓から、またふわりとラズベリーの香りがした。

 彼女は先ほどと同じく満面の笑顔にピースして、僕も彼女に習って同じようなポーズをした。

「はい、チーズ」

 シャッター音が鳴る。写真を撮り終わった後、楓が体を離しスマホを操作する。

「この写真、ラインで送っておくね」

 と格好つけて言ったものの、結局自力では送れず僕が横から写真の送信方法を教える。数分して僕のスマホに楓からの写真転送が表示された。

「久しぶりに話せて楽しかった」

 おもむろに楓が立ち上がる。「僕も楽しかったよ」彼女を見上げながら僕も言った。

「いつ、東京に帰るの?」

「今夜。新幹線で」

「そう。寂しくなるね」

「そうだね。寂しくなる」

 楓は僕の返答に困った表情を見せた。

「ダメだよ。寂しくなる、なんて言っちゃ。カイの帰りを待ってる人が東京にいるんだもの」

「彼女さん、大事にしないとだよ」と、楓はあからさまに無理に笑って僕に背を向けた。僕は「ああ、そうだね」とだけ返した。

「また今夜、見送るね」

 楓の背中がどんどん遠くなる。

 僕は楓のその背中を見て後悔した。彼女に雪音の存在を正直に話すべきではなかったと。もちろん、楓をそういう目で見ているわけでも、東京で僕の帰りを健気に待っている雪音のことを愛していないわけでもない。

 ━ただ、楓が・・・もしもあの時の・・・━

 この三年間、楓とは距離が離れてしまっていた。そして今日、再会して再び感じた彼女といることの心地よさ。

 僕はまた楓と疎遠な関係となってしまうことが嫌だったのだ。彼女とは幼馴染として親しい距離感でいたい。お祖父様という大事な存在を亡くしてしまった僕は、楓という存在を失いたくなかった。

 僕のこの考えは、感情は果たして傲慢なのだろうか。

 僕は眉間に皺を寄せ、自分の歪な感情の渦を押し殺そうとする。

 瞼の裏に浮かんだのは、背を向けた楓のふわりと揺れる黒髪と、頬をつたったキラリと光るものだった。

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