第2話 帰還(1)

 隣の座席に無造作に放り投げたスマホから通知音がピロリと鳴った。

 スマホの電源がオンになったのか、暗い車内の天井を照らす。視線をスマホに移すと、画面上部に緑色の通知が表示されていた。

 誰からか、メッセージが来たようだ。

 大方、大学受験の結果について無用に知りたがる友達か、付き合っている彼女からの通話の誘いの連絡だ。

 後者ならば、普段はすぐにでも返信をしていたものだが、生憎あいにくとこの空間、いやそれ以上に、僕がおかれた状況の中で返信する気など起きない。

 僕はスマホを手に取ると、通知画面だけを見て電源を切り━連絡をよこしたのは後者の方だった。いつも通り『今夜話せる?』という彼女からの一文が表示され、続けて『昨日から落ち込んでる様だったけど、大丈夫?』と追いLINEが来た━再び、隣の座席に放り投げ、ため息をついた。彼女に対して罪悪感をいだきながらも、僕の体は、脳はメッセージを返すことを放棄させる。

愛しき彼女からのメッセージさえも返す気力が沸かないほど、僕の気分は鬱々としている。

 僕は結城ゆうき家所有の運転手がる黒塗りの車、クラウンの後部座席に座りそのシートに体を預けていた。

 結城家所有のクラウン全てで使用されている芳香剤が鼻腔をくすぐる。懐かしい匂い。自然と息の詰まる匂い。あの日のことを思い出させる匂い。

不意に思い出した出来事に、僕の気分は一層沈み込む。

 一つ息を吐き、僕はおもむろに頭を傾け、視線を窓の外に移した。鬱々とした気分から無意識のうちに逃げ出したかったのかもしれない。

 僕の瞳に入ってくるのは、夜の暗闇の中で燦々さんさんと輝く月の光。僕は、街灯の少ないこの道で、ただその光を見つめ続ける。

 しばらく経って、他に気分を上げるものを探したが、鬱蒼うっそうとした森林に囲まれたこの道路で、他に何も目を向けるものなんてなかった。

 その森林でさえ懐かしい風景に違いはないのだが、森林の先に見えるのはいつだって深い闇だ。

 吸い込まれそうなほど深い闇。

 あの時から僕の瞳にはその闇しか見えない。

 それにしても、この道路をこの車で進むのは一体何年ぶりだろうか。

 僕がこの場所に帰ってくるのは、いや、帰ってくるという表現で正しいのだろうか。いや、それで正しいのだろう、と思うことにする。

 この家に帰ってくるのは中学を卒業した時以来だから、実に3年ぶりのことである。

「3年か」と自然とつぶやいてしまった。今思えば長かったようで、とてもあっという間だった3年という月日に、色々な感情が湧き上がる。

昔馴染みの専属運転手である相良さがらさんが僕の呟きを耳にしたのか、チラリとバックミラー越しに僕を見た。

 月の光に照らし出された彼の表情は随分と老け込んでいた。三年前は真っ黒だった髪が白髪に変わって月光を反射し、目の下の小皺こじわも増えていた。

 3年という歳月の流れで、確かに色々なものが変化したのだと僕は実感する。

 僕は運転手から視線を切り、再び窓の外を見た。

 3年か・・・。

 僕はまた心の中でそう呟いて、三年前に飛び出した場所であり、今向かっている場所での出来事を思い起こしていた。

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