竜の時代の黄昏 3
ディルックの奥義。それは必中の加護を捨てさるのみならず、宣言した敵に当たらなかったときの罰を己に課すことで超常の力を発揮する最高威力の一射だ。
それは百年に一度の才ある者が果たすべき使命を得て、初めて為し得る難行であった。
「乾坤一擲の矢に賭けるか。だが狙いがわかりきったものを食らう道理はないぞ」
童女が指を鳴らし、ディルックを睨んだ。
小さく可愛らしいふくらはぎに凶悪な竜の力が宿る。
爆発的な一歩を踏み出して距離を詰めた……かと思えば、その進路上にユフィ―が飛び込んでいた。
速度に劣るユフィーであるが、仲間を守るという聖騎士の本能がすべてを先読みした。
「そんなのは百も承知よ……戦乙女たちよ! 矢を番えし勇者に加護を与えよ! 【ヴァルキュリア・スポッター】!」
「また盾の突進か、芸がないぞ!」
そのままユフィ―が童女へと突撃を掛ける。
先程の盾ほどの重圧は無いが、そのかわり鋭く、速い。
そこに童女の爪が襲い掛かるが、それを器用にステップして避けて懐に飛び込む。
「なにっ……?」
「術中にハマったわね!」
童女が盾を受け止めた瞬間、閃光が煌めく。
そして童女の体に奇妙な模様が浮かび上がった。
まるで競技や鍛錬のための弓術の的のように、心臓を中心に同心円状に模様が浮かび上がる。
「……なるほど。絶対命中の誓いの矢と、矢当ての加護を組み合わせたか」
「ずるいと思うかしら。けど本気を出せといったのはそっちよ! ディルック! 命がけで魔力を注いで! あたしも覚悟を決めたわ!」
「すまねえ……!」
ユフィ―は盾で突進した後も攻撃の手をとめることなく、短槍で童女を突き刺そうとする。そして避けられた瞬間に重量級の盾で相手の攻撃を弾き返す。
自分を上回る強敵を仕留めるため、ディルックの最強の一撃を当てるための、千日手のような地道で粘り強い作業をユフィ―は続けた。突き、払い、いなされ、叩きのめされ、しかしユフィ―は何度となく立ち上がってディルックを守り続けた。
ユフィ―は攻める技術に乏しい。
だが、二度、三度、十度、百度と立ち上がることにかけてはどんな男にも負けることはない、聖なる烈女だ。ディルックがあらゆる悪の心臓に風穴を開けてきたのは、ユフィ―の盾があってこそだった。
「ずるくなどはない。むしろ素晴らしいぞ。よき修練を積んでいる。千年前の猛者もおぬしたちには容易に勝てぬであろう」
「……何が千年前だ! 俺たちが討つべきは今のラズリーで、そしてお前だ! 喰らえ!」
ディルックはユフィ―のフォローを信じ、月が満ちるように魔力をため込み続けていた。
そして天に流れる流星の如き輝きが、大地から、いや、ディルックの矢から放たれた。
輝きの中心が、ふっとディルックの指から離れたと思いきや、敵の胸元へと到達していた。光が螺旋を描く。
「ぅぉぉおおおお! 貫け……!」
「避けても無駄か。次元を捻じ曲げて我が胸元に届く。そういうものだな」
童女は、だが、防御態勢に入った両手を交差させて受け止めていた。
足は大地にめり込み、岩を砕き、それでも一歩たりとも後退していない。
閃光がすべてを白く染め上げて何もかもが見えなくなる前に、ディルックもユフィーも、思ってしまった。
美しいと。
二人は悪しき人間のみならず悪しき魔物を数えられないほど屠ってきた。その中には、人間を遥かに超える美しさを持つ魔物も少なくはない。篭絡に長けた淫らな魔物も、闘争を極めた果てに美を纏った魔人も、ディルックは容赦なく撃墜してきた。今更、敵の容姿に心動かされはしない。
それでもなお美しさを感じたのは、拳の奥、矢や盾の感触の奥に雄大な何かを感じたからだ。
吹きすさぶ風。川のせせらぎ。そびえ立つ山。崩れ去る前の故郷の匂い。太陽の輝き。
一合一合、武器を重ねる度にそんなものを感じた。
だがディルックの矢は、その美に打ち勝った。
「むっ!?」
黄金色に輝く一条の光は龍の鱗を貫き、そしてディルックの願いの通りに童女の心臓を貫き、そのまま遠く遠く森の果てへと消えていった。
童女は驚愕の表情のまま、背中からばたりと倒れた。
「勝った……?」
恐ろしいほどの静寂に、ディルックもユフィーも、それ以上何も言えなかった。
終始圧倒されていたディルックたちは、何かを上回ったという手応えを一切持っていない。
心技体、すべてに負けていたはずなのに自分たちが立っているという薄気味悪さを感じていた。
その薄気味悪さは正しかった。
願いは叶ったが勝利を意味していないのだから。
「……おぬしの矢は心臓を射抜いた。心臓を撃たれたのは二度目じゃ。褒めてつかわそう」
倒れた童女が、倒れながら言った。
同時に、貫いたはずの心臓から何かが漏れ出した。
血ではない。
血を流させるほどの傷を与えられていないと、ディルックは気付かされた。
「対策は練っておったし、一度は試さなければならぬと思うておったが……いざやられてみると恐ろしいものよ。いや、真に恐ろしいのは矢でも月の加護でもない。撃つと決めたときの狩人の眼。獣を必ず殺してみせるという人の意志は、大自然の化身といえども抗いがたい」
それは炎。
いや、太陽の光そのものだ。
あれは童女の形をした太陽なのだとディルックは気付いた。
「我を倒す、ではなく、心臓を貫くという願掛けであって助かったな。そうであればおぬしの心臓は月に与えられておった。もっとも、あやつが心臓など受け取るかは怪しいところではあるが」
「お、お前は一体……」
「技を練り直し、また来るがよい。……それと、ラズリーはもうここにはおらぬ。あやつの落とした果実や根は褒美にくれてやろう」
心臓から、いや、童女の体から放たれた光は、全てを白く染め上げる。
太陽の光が届かぬ死体啜りの森は常闇の世界だが、まるでそこに太陽が現れたかのようだ。
「太陽竜の咆吼は声であり光。眼と耳を閉じ、頭を垂れよ……我が名を冠する絶技、原初の光【ソルフレア】」
すべてを位尽くす光が、周囲一帯を包み込んだ。
◆
気を失ったディルックとユフィーが目を覚ましたときには、童女の姿はどこにもなかった。
生かされたことに気付いたディルックは、拳を地面に叩き付けた。
「くそっ!」
神の加護が与えられたはずの武具が燃えているというのに自分が生きているはずもない。
だが、自分の隣で静かに寝息を立てているユフィーの顔を見て溜飲を下げた。
自分の無茶な戦いに付き合わせた罪悪感が頭をもたげる。
「ん……あれ? ディルック?」
「お互い無事みたいだな」
「なんだったのよ、あの子は……。まるで古のソルフレアじゃあるまいし」
「何もわからん。ただ……あの娘に、いや、暗黒領域に完敗したんだ」
ディルックは薄れゆく意識の中で、童女に回復魔法を掛けられたのを微かに覚えていた。
そして童女は、どこからともなく現れた白い狼に連れられて去っていった。
もう何も用はないとばかりに。
「でも……目的は叶ったみたいよ」
「どういうことだ、ユフィー?」
「ほら、これ」
二人が寝かされているすぐ側には、ズタ袋と籠があった。
まるで農村の出荷場に置いてあるようなその袋には、果実がどさどさと放り込まれている。
籠の方には、子供が薬草摘みをしてきたかのように木の根や葉が満載になっていた。
◆
暗黒領域の結界は堅牢であり、有史以来、内側からも外側からも決して破られることはなかった。
つまり外側はのどかで平和な人間の世界であり、人間たちの集う都会からは遠いものの農村や集落が点在している。
夕暮れ時、そんな農村のとある家の中で、怒号が響き渡った。
「こらソル! また門限を破ってどこ行ってたんだ!」
大いなる太陽の化身に、これまた大いなる怒りが落とされた。
つまるところ童女の父親からの叱責であった。
「う、うむ、我が領土に足を踏み入れる不埒者がおったので、誅罰を……」
童女の言い訳に、父親は呆れたように溜め息を付いた。
「まったく、森の中に秘密基地でも作って遊んでたのか。ミカヅキが探してくれなきゃまた真夜中になってたぞ」
「わふっ」
白いサモエド犬が、童女の父親に撫でられて嬉しそうに吠えた。
童女は抗議したい気持ちをぐっと抑えた。
暗黒領域に勝手に出入りしていることを知られては、この程度のお叱りでは済まないのはわかりきっていた。
「ご、ごめんなさい」
「それでソル。怪我はないか? ないな。服はひどいなこりゃ……裾はどこかに引っかけたのか? 上は……なんか焦げてるな……しかも内側から。ってことは、誰かにやられたとかじゃなくて自分でやったな?」
「あっ、えっと、その、魔法」
「またソルフレアの生まれ変わりとかいって【竜身顕現】の魔法を使ったな? あれはやめておきなさいと言っただろう。悪戯っ子なんだから」
「ち、違うの! それは本当だもん!」
父親は、必死の抗議にどうしたものかと頭を悩ませる。
そこに童女の母親が口を挟んだ。
「あなた、門限破りはいけないけれど口調とかはいいじゃない。ソルちゃんはこういう年頃なのよ」
「おっ、お年頃……!?」
母親の取りなしに、童女はむしろショックを受けた。
「遊びならいいんだが、この子は他の子と比べて魔力もあるし、竜族の血も濃いし、無茶しちゃうじゃないか。この子は才能もあるし可愛いし、今のうちに危険なことはいけないと教えないと。このままじゃ悪い男に狙われるに違いないんだ!」
「それもそうよねぇ……」
太陽の化身、大いなる邪竜ソルフレア。
彼の者は勇者に敗北した後、悠久の眠りの果てに再び人の時代に顕現した。
のどかな開拓村の、ちょっとだけワガママで、ちょっとだけ甘えん坊の、どこにいでもいる女の子として。
「じゃから、我は本当にソルフレアの生まれ変わりなの!」
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