竜の時代の黄昏 2
死体啜りの森に響いたそれは、悲鳴ではなかった。
「畜生! 話が違うじゃねえかよ! ふざけんなよ……なめるんじゃねえぞ……!」
声の奥には助けを求める懇願があり、命を惜しむ怯懦があり、現実を受け入れられない駄々っ子のような甘さがある。だが心の何処かに「よくもやってくれたな」という反骨がある限り、それは蛮声であり怒声であり、咆哮だ。
「ふざけてもおらぬし、侮りなどせぬ。我が前に挑む、勇敢なる人の子らよ。さあ、鍛え抜いた絶技、我に見せてみよ」
天下第一の狩人にして義人ディルックの咆哮に言葉を返したのは、澄み切った童女の声だ。
赤く艶やかな髪に純白のワンピースの童女が陰鬱な森にいるのはあまりにもちぐはぐだった。
ちぐはぐなのは場所と外見だけではない。その存在自体がちぐはぐだ。まだ親に愛されているであろう甘やかな育ちの良さを漂わせながらも、まるで長くを生きた賢者のように揺るがない風格がある。まるで神秘的な精霊と出会ったときのような畏敬の念を抱く。
ディルックはただの子供であってくれと願った。だが暗黒領域の北西部、死体啜りの森に平然と存在して歴戦の戦士を圧倒している以上、ただの子供のはずもない。
暗黒領域は正門の関所で銅貨6枚と遺書を出せば誰でも、それこそ子供や死に瀕した老人であっても許可が降りる。だがそこから先は、出ることも生きることも保証はされない獣の世界。牙を持つ者しか生きることは許されない。
「そら、少し強く当てるぞ」
童女が指を曲げて爪を振るう。
綺麗な爪だ。一点の曇りのない薄桃色、飢えてもいなければ飽食もしていない。やすりで丁寧に丸く、何も傷つけないように磨かれている。
だというのに猫のようにしなやかで、どんな獣よりも恐ろしい。
その爪が繰り出す衝撃はあまりに強く、樹木はなぎ倒され、寸断された岩石は鋭利な断面を見せている。
一度攻撃に転じた童女に近接距離ではどうあっても勝てない。
ディルックは相棒のユフィーに守られつつ距離を取り、五射を放った。
「対ドリアードの戦術に絞ったのが仇になったわね……ディルック、どうする?」
ディルックの相棒、戦乙女の異名を持つ聖騎士ユフィ―が盾を構えて問いかける。
今ならまだ撤退できる、という言外の意図に、ディルックは首を横に振った。
「ここまで来て下がれるかよ。気を付けろ、見た目通りの生き物じゃねえ。半端なことをしたらこっちがやられる」
「その通り。そこな女子よ、まだ殺気が足らんぞ。そなたから喰ろうてやろうか?」
「そうはさせねえ……【七ツ月の矢】よ、敵を穿て!」
ディルックの七射は幻惑な軌跡を描いた。
新月から満月に至るまでの七つの月のごとく魔力と明暗を与えられた矢は、その軌跡もまた玄妙怪奇であった。放物線を描いて爆発的な破壊力を生み出す満月矢、一直線で心臓を破壊する不可視の新月矢、そして残り五射は身動きを止めるために虚実を織り交ぜて両手両足頭部を射貫かんとする。
童女は、まるで誰かの罪を糾弾するように人差し指をまっすぐに突き出した。
新月矢の鏃の一点が、その指の爪と口づけをするようにぴたりと接した。
「くそっ、これも通用しないのか……!」
「他の矢は未熟。だがこれだけは受け止めねばならんな」
童女の右手の指先は、見れば生身の人間ではない。
肘から先は赤色に輝くルビーのような鱗に覆われ、凶悪に伸びた爪は磨き上げた名剣のように白く輝く。
「竜……?」
右腕だけではない。
純白のワンピースから伸びる左腕も同じく竜の力を纏い、残る六本の矢を何の痛痒もなく弾き返した。
「戦乙女の盾よ、敵を退けて勇士を加護せよ! 【ヴァルキュリア・バッシュ】!」
聖騎士ユフィーの盾は味方に加護を与えると同時に、重量と突進力を倍加させて敵に襲い掛かる。だがそれもまた受け止められた。
童女のその小さな膝もまた鱗に覆われてワンピースの裾を破り、爪は子供用の赤いパンプスを突き破って地面の岩に突き刺さり、どんな衝撃にも一歩も揺るがぬ不動の態勢を生み出している。
盾の先に感じる圧力は、自分の頭二つは小さい子供のそれではない。
まるで、山。
あるいは大地や自然そのもの。
遠くから見れば茫洋として掴みどころがなく、どこにでもあるような風景のようで、近付けば近付くほどその威容と分厚さに圧倒される。
その山が動いた。
柔らかい手の平が盾にぺたりと触れる。
そこから力比べが始まったかに見えたが、
天空から地に落ちるように、天の法則の如き抗いがたい圧力がユフィーの盾に押し掛かる。
ずずっ、ずずっと、ユフィーが押されていく。
しっかりと大地を踏みしめている足は、重装騎兵を乗せて戦場を駆ける
盾の加護を発揮させたユフィーの腕力は暴れ牛や大鬼さえも上回るというのに、脂汗を流し渾身の力で抗っても、すべてが徒労に終わる。
重い。
そして、大きい。
「そんな……ラズリーでもない子供が、こんな……」
「攻防一体の隙のない連携。さぞ人の世で勇名を轟かせたのであろう。名は何という?」
「ここじゃ通用しないとでも言いたそうだな……」
ユフィ―を援護するために放った矢もすべて爪の先を軽く振るわれて落とされた。
それを見たディルックたちは、諦めて名乗りを上げた。
「狩人のディルック」
「聖騎士のユフィーよ、お嬢さん」
「狩人ディルック、聖騎士ユフィ―。問おう。なぜこの森を荒らす?」
童女が竜となった腕を人の形に戻し、人差し指を前に突き出して問いかけた。
「妖樹ラズリーを切り落とす。そのために来た」
「私たちの故郷に平穏を取り戻し、毒酒に侵された人々を治すためには、あいつの命が必要なのよ。そこを通して」
邪竜ソルフレアが去って魔物たちの世界は大きく縮小したが、人が絶対に手を出すことのできない暗黒領域と、その内部に乱立する闇深き国は残った。
美しき銀嶺にして直訴の巨人アーガイラム。罪人の守護者、バイコーンのエンリク。他、数名の古豪が治める国はソルフレアが倒れてなお誰も手出しはできず、死体啜りの森もそうした国の一つであった。
森を治めるドリアードの王にして長命種の巨恥、悟れざる妖樹ラズリーは、甘美だが強い依存性を帯びた樹液や果実を餌にして、魔物のみならず領域外の人間をも隷属させる巨悪だ。
千年を生きながら快楽や悦楽から未だに卒業できず、長命種たちからは「何と見苦しい」「悟りを得られぬ苦痛によく耐えられるものだ」と見下されている。
それでもラズリーは支配力、そして純粋な暴力においては他の国主に引けを取らず、暗黒領域において怨霊や邪泥のごとく嫌われつつも、強い権勢を誇っている。
そのラズリーを討つことは、狩人ディルックと聖剣士ユフィーの悲願だった。
二人は、ラズリーの樹液を生成した毒酒によって故郷の街を奪われていた。闇商人ギルドが金のために毒酒を蔓延させ、誰もが毒酒がなければ精神の平衡を失うように仕向けた。
人々は毒酒を求め、奪い合い、家族や自分の身柄を闇商人ギルドに差し出し、いくつもの辺境の集落が支配された。友を売り家族を売り自分を売ることさえ当然となった地獄から生き延びた二人は、冒険と試練の果てに一騎当千の猛者となった。
闇商人ギルドの長がいる場所にたった二人で殴り込みをかけ、血で血を洗う闘争の末に勝利して生き残った。だがこれで彼らの復讐が終わったわけではない。
毒酒を根絶し、毒に冒された人々を元に戻して、初めて彼らの復讐は成し遂げられる。
そのためにはラズリーを討ち、その樹液から薬を作らなければならない。
二人は死体啜りの森を、己の死地と定めた。
「ならば鍛え上げた技を見せよ。手を抜いてここを通れると思うな。ラズリーのために温存していよう。月の神に与えられし加護はそんなものではないはずであろうよ」
その童女の言葉に、ディルックは目が据わった。
気息を整え、初心に返り、これまで幾千、幾万と繰り返してきた射法を詠唱と共に始めた。
「……我が弓が外れしとき、いと尊き月の神に心臓を供物に捧げる」
「ディルック!」
ユフィーが制止するが、ディルックの瞳に迷いはない。
「弓張月の光よ! 我が弓、我が弦、我が矢に宿り、敵の心臓を貫け!」
次の更新予定
2024年12月2日 21:00
邪竜幼女 ~村娘に転生した最強ドラゴンは傍若無人に無双する~ ふれんだ(富士伸太) @frenda
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