第2話 語るとき、罪悪感と共に

 秋が深まり、街の街路樹が紅く色づき始めた。ベッドの上で目を覚ました僕は目覚まし時計を見た。時刻は朝の十時。少し寝すぎたようだ。二階にある自室から一階のリビングルームに降りると、マーガリンの塗ってある食パンに目玉焼きとハムが用意されていた。仕事に行った母が用意してくれたのだろう。

 

 高校は辞めた。

 だから十時まで寝ていた。みんなは学校に行っているから、少し罪悪感を感じる。

 朝食を食べ終わると、洗面所でひげを剃った。ひげを剃るとき、余計なことを考えなくなり、無心になる。男はひげを剃るときが、一番真剣になるときではないだろうか。なぜなら、剃り残しがあったりしたら、男としての品位が疑われるから。これは考えすぎだろうか。いや、見ている人は、見ている。

 身支度を済ませると、バスに乗り、病院に向かった。朝、十一時のバスはすいている。高齢者が多かった。みんな病院に行くのではないかと思った。

 病院の最寄りのバス停で降りると、そこから十分ぐらい住宅街を歩いていくと病院がある。この辺りは高級住宅街だ。色とりどりの邸宅が軒を連ねている。

 病院に来るのは二回目だ。はじめてきたときは自分が精神科の世話になるなんて考えもしなかった。精神科に来る人は特殊な人というイメージがあった。しかし病院の待合室に入ると、意外にも普通な見た目の人が多かった。身なりの良い高齢者、スーツ姿のサラリーマン、清楚な女子高生、小学生のやんちゃそうな男の子。ぱっと見では何の病気かはわからなかった。彼ら、彼女らのどこが病気なのだろうか。かってに意地悪な大人の都合で病気というカテゴリーに入れられているだけなのではないだろうか。

 初診は三十分ぐらい話を聴いてもらった。山本という主治医だ。五十歳手前ぐらいの肩までの茶髪に薄い化粧が似合う、美しい女医だ。

 「いじめにあっていたんだ」と正直に話した。

 山本先生は深く頷きながら、丁寧に傾聴してくれた。

 「僕は最初はいじめられていなかったんだ。一学期に藤堂さんという女の子がクラスの女子からいじめられていたんだ。藤堂さんがいじめられている間は、クラスメイトの心に平和が訪れていたよ。男子も女子もね。藤堂さんをスケープゴートにすることでクラスはまとまっていたよ。しかし僕はその空気に耐えれなかった。全員のために誰かが犠牲になるなんて間違っている。僕は藤堂さんを助けることにした。ある日、終礼が終わってから藤堂さんに声をかけた」

 実は、僕は藤堂さんのことが前から気になっていた。異性として。

 「なんて声をかけたの」

 「いっしょに駅まで帰らないかと、言ったんだ。じゃあ藤堂さんは"うん"と言ったんだ」

 そのときの藤堂さんの顔は覚えている。暗かった顔がニッコリと笑ったのだ。そのとき僕は人生ではじめて、人の力になれた気がした。正直、うれしかった。藤堂さんのニッコリと笑ったスマイルに僕の心はつかまれた。

 駅までの帰り道は正直覚えていない。何を話せばいいかわからないし、僕がなにか話したところで、藤堂さんの心は救われないだろう。さっきとは打って変わって自分の無価値感に打ちのめされた。

 だから僕は『藤堂さんを救う』という想いを、実現するために、具体的に行動することにした。

 藤堂さんを助けるために、いつもひとりで昼休みを過ごしている藤堂さんといっしょに昼休みを過ごすことにした。

 「しかし僕は失敗した。藤堂さんといっしょに昼休みを過ごしているうちにクラスの男女から噂されたんだ。あのふたりは付き合っているんじゃないかとね。僕はひどく動揺した。僕の純粋に藤堂さんを愛しているという気持ちを否定されたように感じた。そしていつの間にか自分の心の中を誰かに覗かれているんじゃないかとか、支配されているんじゃないかと思うようになった。そしてある日、ついに僕は藤堂さんといっしょに昼休みを過ごさなくなった。藤堂さんはそのことについて、顔色を変えることはなかったが、内心僕について失望していたんじゃないかな。僕は藤堂さんを裏切る形になってしまった。つまり僕は藤堂さんを救うつもりが、いつの間にか、クラスメイトと同じように、いじめの加害者の一部になっていたんだ」

 そこまで話すと、僕は苦しくなり、しばらく沈黙した。


 

 

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