№2 退屈、退屈、退屈
「ああ、そういえばイヅナは知ってる? 例の魔人のウワサ。今度設定ノートの参考にしようと思ってさ」
何気なくコトブキが口にした言葉が、考えごとをしていた俺のこころの琴線に触れる。俺はそれを悟られないように胸を張って、
「魔人? 魔人ならここにいるじゃないか。そうか、ついに俺もウワサになるくらいになったか。これは政府の退魔エージェントが黙ってい」
「いや、イヅナの設定の話じゃなくて」
「設定じゃないって言ってるだろ!?」
涙目で噛み付くと、コトブキは軽やかに笑った。
「あはは、はいはい。イヅナの話じゃなくて、『何でも願いを叶えてくれる魔人』のウワサだよ、聞いたことない?」
「ない。そもそも俺はコトブキとマスター以外とは滅多に話さない」
「ああ、そうだったね。最近店に行ってないけど、マスター元気?……って、それは置いといて」
話題を一旦打ち切って、コトブキはずいっと顔を近づけてきた。内緒話をする体勢で声を潜め、
「……深夜0時ちょうど、ひとりっきりで真っ暗にした部屋の窓を少し開けておく。そして、自分の携帯の番号に電話をかけるんだ」
「けどそれじゃ、単に留守電に繋がるだけだろ?」
当然の疑問を投げかけると、コトブキはさらに声のトーンを落として言った。
「それがね、そうじゃないんだよ。なぜか自分の電話に繋がるんだよ。そしたら、窓を背にしてこう言うんだ。『窓の隙間から誰かが覗いてる、隙間からこっちを見てる』ってね。自分自身がそう錯覚してしまうまで、何度も」
自己催眠の一種か。けれど不気味な絵面だ。唾液を呑みこんで続きを促す。
「それで、ひとの気配がしたら窓を振り返る。そうするとね……本当に覗いてるんだ。魔人の両目が」
こいつ、稲川淳二の生霊でも憑いてるんじゃないか?と思うほどの語りっぷりに、俺の背筋はすっと冷えた。
調子を良くしたコトブキはさらに言い募る。
「あとはその魔人を窓から招き入れるだけ。何でもひとつだけ願いを叶えてくれるんだ。……けど、絶対に守らなきゃいけない約束事が三つある」
「……約束?」
話の続きをせがむように問いかけると、コトブキは言葉を継いだ。
「そう、約束――ひとつ、あくまで紳士的に振る舞うこと。ひとつ、チョコレートをたくさん用意しておくこと。そして一番大切なのが、自分が人間だって悟られちゃいけないってこと」
「守れなかったら?」
「殺される」
単純明快な回答に、思わずびくりと肩を震わせる。
「これ以上ないくらい残虐な方法で殺される。その魔人は人間が大嫌いなんだ。それに機嫌を損ねやすい。簡単に、ひとを殺す。見ていられないくらい残虐なやり方でね」
殺す。殺す殺す殺す。そこらへんのSNSでいくらでも転がっている言葉なのに、いざ声に出して耳で聞くと、ざわりと背中がわなないた。
「それでもウワサが広がってるってことは、実際試して願いを叶えた人間がいるってことだよね。……それに、近頃この街で起こってる猟奇殺人事件の話、これくらいは知ってるでしょ?」
言葉が出てこない。けど、殺人事件については知っている。
ここ一年、二ヶ月ほどの間隔で起こっているこの街の事件だ。公表されている情報は少ないが、被害者はバラバラにされたり顔面を潰されたりして散々な目に遭っているという。
こくこくとうなずき返すと、コトブキは更に声を小さくしてささやいた。
「あれって、もしかしたらウワサを試して失敗したひとの末路なんじゃないかな。事実、ウワサが出回りだした時期と猟奇殺人事件が出始めた時期は一致してる。……ウワサはウワサじゃないのかもしれない」
「……本当に、魔人が現れる?」
嘘じゃない、魔人が存在する。この日常の外に位置する、超常の存在が。おそろしさ半分、そして多大なる興味半分でコトブキを見返すと、少しの間視線が重なった。
沈黙の後、コトブキは固くしていた表情をヘラリと和らげて、
「……なんちゃって。本当だったら面白いけど、まさか、だよね。魔人なんているはずないよ」
すべてはコトブキのよもやま話だったらしい。少なくとも、コトブキはそういうことにしたがっている。ならば俺もそれに乗っかることにしよう。
「そう、だよな……って、違う違う! 魔人ならここにいるだろ!」
「ああ、そうだった。立派な魔人がここにいるんだった」
「……ものすっごい適当な同意だな」
じっとりとした視線で睨んでやると、コトブキは軽やかに笑って否定も肯定もしなかった。
爽やかな朝にしては妙に淀んだ暗い空気はすっかり消え去っていて、いつもの通学前のせわしない雰囲気が戻ってきている。これでひとまず話題は打ち切りらしい。
けど――魔人。願いを叶えてくれる非日常の存在。
憧れてやまなかった、平凡な日々から脱却するための手がかり。
話が終わってもその話題はずっと俺の胸の片隅に引っかかっていた。
そうこうしている内に予鈴が鳴る。
「あ、ヤバい、一限目数Ⅱだ。榊原のヤツ、遅れるとうるさいからダッシュだよ、イヅナ!」
「めんどくさ……わかったよ、走る走る」
「魔人ってこういう時、空間転移とか使えないの?」
「うっ、今日は、その……いや、違う、人前で使うと政府の退魔エージェントに感づかれるから隠さないといけないの!」
そんなやり取りをしながら、俺たちは一限目に向けて走り出した。
けど、ずっと心に引っかかる言葉。
魔人。
願いを叶える。
――殺される。
退屈で平凡な日常を粉砕する、その存在。
その時、俺はたしかに。
本物の魔人という存在に、非日常を体現した存在に、憧れを抱いた。
ダッシュで走った結果、本鈴が鳴る前に教室に滑り込むことができた。コトブキといっしょに席について、何事もなかったかのように息を整える。ここでは決しておはよーみんなー、などとあいさつはしない。それは陽キャどもの仕事だ。
朝の冗長なホームルームをこなして、担任が出て行った。一限目までにはまだ余裕がある、少しの休憩時間だ。
俺の席は窓際最後列。神が与えたもうた絶好のポジションだ。よくアニメなんかの主人公がここに座っている。ちなみに前の席はコトブキだ。コトブキは真面目に一限目の予習をしている。
さんさんと朝の光が差し込む四月の空。雲一つない、まさに青天だ。教室で下らない話に興じるクラスメイト達、喧噪、嬌声。何も変わりない、徹底した日常だ。
……退屈だ。だらりと椅子に座ったまま、俺は窓の外の青天を眺めていた。
この空の下では今にも非日常的なことがどこかで起こっているはずなのに、俺はそれに関わることができない。遠い世界の話なのだ。
そうなると青く澄み渡った空すら憎い。
ジュースでも飲むかと鞄からパックジュースを取り出していると、数人のチャラい男子生徒たちが脇を通り過ぎて行った。そして前の席のコトブキに絡み始める。
「おっはよー一式。今日も元気そうじゃん」
「なに、今日も早渡とイチャイチャしてんじゃねーの?」
「ギャハハ、何それキモ!」
「それより数Ⅰの予習見せてくれよ。ノート。昨日の夜カノジョと遊びすぎちゃってさー」
「つかさ、一限目ブッチしてどっかで遊ばねえ?」
「おー、いいね、もちろん一式もついてくるよな?」
男子生徒たちは終始コトブキをつつきまわしたり小突いたりしている。コトブキもはじめの内は無視して予習をしていたけど、ついにあきらめた顔をしてノートを閉じた。
「……分かったよ、行く」
「おー、そうこなくっちゃな! ゲーセン行こうぜゲーセン!」
「一式ー、今月金ないから貸してくれよなー」
「あー、俺も俺も」
「……い、いいよ」
男子生徒たちに囲まれるように席を立ち、コトブキは教室をあとにしていった。
不良友達とツルむタイプではないと思っていたのに、最近ではこういうことが多い。その時コトブキは必ず青い顔をしていて、無表情に俺の顔をチラッと見ていく。ひとりだけ誘われて悪いと思っているんだろうか。律義なヤツ。
友達を作ることも日常脱却の一手段だとは思うけど、得体の知れない人間と友達になるなんて気疲れするばかりだ。その点、コトブキと仲良くなれたことは奇跡に近いかもしれない。魔人に人間の友達なんて、ちょっとユニークで面白いじゃないか。
けど、やがて友達だって日常の一部として溶け込んでいく。
日常を突破するのはそう容易ではないのだ。
「……あー、戦争でも起こんないかな……」
ぼうっと青空を眺めながら物騒なことを呟いてみた。誰か日常を粉々にぶっ壊してくれないか。退屈で退屈で死にそうなんだ。
俺はもっと、劇的に生きて、劇的に死ぬべきなんだ。
「一限目始めるぞー、全員……は、いないか」
数Ⅰの榊原が教壇に立った。禿散らかした神経質そうなオッサンだ。それでもコトブキは帰ってこなかった。どうやら本当にあのガラの悪い男子生徒たちと遊びに行ってしまったらしい。
少し寂しい思いをしながら、俺はとりあえず数Ⅰのノートと教科書を取り出した。
……そうだ、なにも戦争なんて起こらなくても、日常をぶち壊す手段なんていくらでもある。
たとえばここで、俺がはさみ片手に大暴れしても、それはある意味とても非日常的な光景だろう。
一歩、踏み出せば。何もかも捨てる気概さえあれば、日常は打破できる。
けど、今のところ俺にその気力はない。
自分では何もせずに、ある日唐突に世界が壊されるのが好きなんだ。
――ふと思い出したのは、朝にコトブキから聞いたウワサの話。
ひとの願いを叶え、あるいはひとを殺す魔人の話。
バカらしい、と切って捨てるにはあまりにも惜しい話だ。信じる気分ではないけど、ちょっとくらいの戯れがあったっていいだろう。
板書をしながら、俺は今夜さっそく魔人を呼び出してみることに決めた。
物は試しだ、ちょっとした話のタネにでもしてやろう。
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