隙魔人ギヰコギヰコと千年の孤独
エノウエハルカ
№1 魔人(仮)、登校
……そういやさ、知ってる?
違う違う、新しいグロスの話じゃなくて。
……いや、違うって、イクコの新しいカレシとかどうでもいいし。
そうじゃなくって……何でも願いを叶えてくれる魔人のウ、ワ、サ。
魔人っつっても、ランプ磨いたらぽわわーんって出てくるアレじゃなくてさ、どっちかっつーと怪人? 悪魔? みたいな。
……あ、知らない? キョーミある?
えっとね、深夜の0時ちょうどに真っ暗にした部屋の窓を少し開けておくの。もちろんひとりっきりでね。
それで、自分の携帯の電話番号にかけて、窓に背を向けてちょっとした演技をするの。『ヤバイ、窓の隙間から誰かが覗いてる、隙間からこっちを見てる』って。何度も何度も。
それでひとの気配がしたら、振り返る。
そしたら、そこから魔人が覗いてるってワケ。
現れたらこっちのもんよ、招き入れて願いを叶えてもらうの。恋愛も勉強もお金も家庭問題も体調不良もなんでもござれよ。
……けどね、こんな美味しい話にリスクがないなんてことはないよね。
魔人を呼び出す時に、三つだけ絶対に守らなきゃならない約束があるの。
ひとつ、あくまで紳士的に振る舞うこと。
ひとつ、チョコレートをたくさん用意しておくこと。
そして、一番重要なのが、自分が人間だって悟られちゃいけないってこと。
この三つを守らなきゃ、魔人は願いを叶えることなくあんたを殺す。
見てられないくらい残虐なやり方で、あんたを殺す。
絶対に、殺す。
……あはは、ビビった? ビビった?
大丈夫だって、試さなきゃいいんだし。
大体、魔人なんているわけないじゃん。そんなんで願いが叶うんなら誰も苦労しないっつーの。それよか何でも言うこと聞いてくれるカレシ探す方がまだ現実的だし。
よくあるウワサだよ、ウ、ワ、サ。
ていうか、この間インスタに載ってたアレ、何? ダイスケ君にカノジョ疑惑とかありえねーし。マジでショック。推し活やめよっかなー。
……げ、もう予鈴鳴ってるし。とりあえず、また放課後ね。例の喫茶店行こうよ。マスターがイケメンらしいんだよね。じゃ、あとでね。
「……フン、愚民どもが。俺の進路を遮って群れるとは、つくづく救えないバカどもだ。左手の封印を解いて子羊どもを薙ぎ払ってやるのもまた一興だが、今はこの正体を悟られるわけにはいかないな。魔界の監視人たちに勘づかれては厄介だ……やれやれ、魔人も苦労する」
ひと知れずぶつくさとつぶやいて、俺は包帯をぐるぐるに巻いた左腕をさすった。
魔界にいたころに屠った魔獣が宿った左手だ、ひとたび封印を解けば、この場にいる全員ただでは済まないだろう。なにせ魔界で666人もの魔人を食い殺した最悪の魔獣だ、単なる憂さ晴らしに使うには強力すぎる。
ふん、と鼻で笑って肩を竦め、俺は大人しくひとの群に戻っていった。
バス停から校門へと続く緩やかな坂道は、今日も登校中の高校生たちであふれかえっている。朝の挨拶、談笑、悪ふざけ。今日は生活指導の教師も立っておらず、爽やかな朝の陽ざしがさんさんと照り付けていた。
季節は進級してしばらく経った四月半ば。そろそろ新緑の風が吹き始める頃だ。
やれやれ、平和だな。嫌気がさすくらい平和な風景だ。
たまに魔界での殺戮劇が懐かしくなるくらいだ。
しかし俺は魔界を離れ、現世でひとの群に混じって生きることを選んだ。というより、あまりに魔界で暴れすぎたために魔界を追放されたのだ。最強の魔人も、今は隠居の身というわけだ。なにもかもが懐かしい。
今の俺は、早渡居綱という名前の平凡な十七歳、一介の高校生男子として生きている。下らない日常に、平凡な生活。まあ、そこそこに気に入っている。
ポケットに手を突っ込んでひとり坂道を上っていると、後ろから肩を叩かれた。後ろに立たれることを嫌う俺が、唯一それを許している人物、それはひとりしかいない。
「おはよう、イヅナ」
わずかに息を切らしているところを見ると、走って追いついてきてくれたのだろうか。俺と同じ詰襟の制服に身を包んだ、華奢で小柄な男子生徒が立っていた。YouTubeの事務所にでも放り込めばそこそこ年上のお姉さんたちにスパチャで投げ銭されるであろう、いかにもな草食文化系男子だ。
一式琴蕗。俺と同じ高校に通うクラスメイトで、俺と対等に会話ができるただひとりの人間だ。いや、記憶がないだけでコトブキは魔界にいたころ俺の腹心で……
「やあ、コトブキ。現世の空気は今日も澄んでいるな、魔界の淀んだそれとは大違いだ」
「……今日も自己設定が大暴れだね」
「せっ、設定とかじゃないし! 全然設定とかじゃないし!……ま、まあ、現世の人間にとっては理解しがたい話だろうからな、そうとらえても仕方がないが……」
あわてて取り繕……間違いを訂正する。
そうだ、俺は断じて普通に産まれて普通に育った普通の男子高校生などではない。
別に中二病とかじゃない。絶対そういうんじゃない。設定とかじゃない。断じてそうじゃない。
今ここで左腕の魔獣を解き放てば誰もが信じるだろうけど、それは危険すぎるのでやらない。できないんじゃなくてやらないだけだ。そこを間違えてはいけない。
「それより、今日の英Ⅰの予習やってきた? 僕わかんないとこあって、そこ当たったらヤだなあ。イヅナはどうだった?」
「ふっ、人間の学問など魔人にとっては赤子の喃語も同然。今更学ぶことなど何も……」
「……やってきてないんだね?」
「ちがっ、俺は昨夜左腕の魔獣を抑えるのに必死で……」
「……昨日は僕とネットでモンクラやってたよね?」
「いや、だからその……やってきてないけど、さ……色々あって、さ……」
言葉が尻すぼみに小さくなっていく。
……渋々ながら認めよう。俺はコトブキと昨日モンクラをやっていて寝落ちした。別に左腕の魔獣は暴れ出してない。
けど、色々あったんだ。夢の中で魔界からの伝言があって、魔界の盟主と色々と会談をしていてだな。
ブツクサと言い訳を展開していると、コトブキは苦笑いをしてため息をついた。
「分かったよ、色々あるんだよね、魔人は」
「そうだよ、色々あるんだよ!……だから……英Ⅰの予習……見せてくれませんか……?」
「はいはい。魔人も大変だね」
コトブキはこういうヤツだ。他の人間なら笑って一蹴するようなことも事もなげに受け入れてくれる。俺の正体が魔人だということにもちゃんと付き合って……いやいや、認めてくれている。おそらくガチでは信じてはいないだろうけど。
唯一にして至高の盟友、それがこの少年だった。
「あっ、でも例のノートはちゃんと書いてきたぞ!」
思い出して、俺は急いでショルダーバッグを漁った。出てきたのは『#10』と書かれただけのボロボロの大学ノートだ。
それを手渡すと、コトブキは歩きながら最終ページをめくった。ふんふんとうなずきながら、次第に表情を明るくする。
「いいね、この設定。このキャラの過去ってそういえば初めて明らかになったよね」
「だろ? 前から決めてはいたんだけど、ここで出しておいた方が後々響くかと思って」
「ああ、それでこの前のあのセリフに繋がるのか……考えたね」
「ふふふ、ちなみに実は兄は生きていたとか燃えるだろ」
「ベタだけどね。さて、ここからどうやって繋げようかな」
「次はコトブキの番だからな、期待してる」
背中を叩いてそう告げると、コトブキは照れたような笑みを浮かべた。
――俺とコトブキを繋ぐきずなのひとつが、この大学ノートだ。高校入学早々、コトブキが授業中に書いていたノートを隣から盗み見して、それが小説のネタだと分かった。何気なく話かけてみると、彼は恥ずかしげに『小説家になりたくて色々とアイデアを書き溜めてる』と答えてくれた。
見せてもらうと、見事に俺の好みに合致したので、即座に合作を申し出た。説得に説得を重ねると、コトブキは驚きながらも何とか了承してくれた。
以来、俺とコトブキは自分の妄想のネタをノートに書き綴っては交換するということを続けている。たとえば設定だったり、たとえば話のあらすじだったり、たとえば気に入ったワンシーンだったり。
それはひとつの世界を共有する作業で、俺はそれがとても楽しかった。コトブキもひとりでこっそり小説のネタを練っていた時よりもはかどると言ってくれている。
高校一年生の入学当時から、高校二年生の一学期現在までそれは続いていた。同じものを共同で作るというやり取りの中で、俺たちはすっかり仲良くなり、お互い唯一無二の友達となった。
別に、他の友達なんて要らない。友達なんてひとりいれば充分なのだ。
俺は魔人だ。けどまあ、こうやって友達のいる人間世界も悪くない。それなりに充実した生活を送っていると思っている。
――けど、充実した生活の中でふと思うことがある。
ああ、退屈だな、と。
どこかに非日常は落ちていないかな、と。
いくら自分が魔人だといえ、日々がなだらかすぎてもどかしく感じる時がある。
俺にはもっと、劇的な生活が似合っているはずなのだ。刺激に満ちたスリリングな事件が。
それはきっとどこかに転がっているはずで、ふとしたきっかけで俺の目の前に現れるはずなのだ。
見たこともない世界を見たい、おままごとみたいな日常生活なんかじゃなくて、目を見張るような刺激とスリルに満ちた世界。
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