逆行する4月28日――⑦

 教室に入ると中は二、三十人ぐらいの生徒であふれ返っていた。


 逆行するモノクロな世界。

 緑ではなく、文字通り真っ黒色の黒板の上に掛けられたアナログ式の時計の針が、左回りに時を刻んでいた。


 僕が座る窓際後ろの席に吸い寄せらるように体が勝手に戻っていくと、突如飛び出てきた椅子の上に僕は着席する。


「のなぶうょじいだにうとんほ(本当に大丈夫なの?)」


 隣に立つ、まるで教育実習でやってきた大学生が生徒の机を覗くような佇まいのメリアに僕は先程のことを問いかける。

 考えがあると言われ、ヘルメットを脱ぎ捨て着席したもののやっぱり不安だった。


 後ろ歩きで各々の席に戻り続々と座り始めるクラスメイト。

 今の彼らに逆行している僕の姿を見られる心配はないもののタイムレネゲートが解除され、巡行の時と逆行が混ざった時にどうすれば……。


「えぇ。直也、あれを使いなさい」


 メリアが右の人差し指で指し示した方向に僕は目を向ける。

 それは廊下横、教室内入り口ドア付近に置かれた、灰色の細長い一つの収納物。


「あかっろじうそ(掃除ロッカー!)」


 それは全国の学校の教室には必ず一つはある、ほうきやバケツといった掃除用具を収納するロッカーだった。


 なるほど、そういうことか!

 確かにあの中には人一人入れるスペースはギリギリある。


 人並み以下の体躯である僕なら入るのには造作もないだろう。

 ロッカーは掃除の時間でもない限りは開けることはない。

 中に隠れていれば、まず見つかることはないだろう。

 メリアの奴、天才か……!


 思い立ったが吉日。すぐに行動しようと僕は、席を立ち上ろうとした。


「いなけごう(動けない……)」


 なのに僕は、まるでロープに縛り付けられたかのようにピクリとも体を動かすことができなかったのだ。


「そりゃそうでしょ。タイムレネゲートは、その人が過ごした時の流れを順序通りに逆らうんだから。この時間に机にいたのであれば、この場所から直也が動くことはない」

「んゃじいなみいあゃじれそ、ええ(えぇ!? それじゃ意味ないじゃん!)」


 せっかくの妙案のはずなのに……!

 気づけばクラスの皆は全員席へと座り、時計の針が三時四十五分の時間まで巻き戻っていた。


 ひとりでに開くドアから後ろ歩きで教室に戻ってきた僕らの担任教師。

 ちょうど今は、ホームルームの時間か。外から帰ってきたやつらが帰りのホームルームを行うという奇妙な現象が起きる。


 いや、そんなことはどうでもいい。それよりも、どうやってロッカーに入るかだ!


「よだんいいばれすうど、いたっい(一体、どうすればいいんだよ!?)」

「直也。タイムレネゲートが解除され巡行と逆行が交わる、世界にあなたが二人現れるタイミングに動くことができるのはわかるわよね?」

「んう(うん)」

「それとは他にもう一つ、あなたが自由に動ける瞬間があるの。それはタイムレネゲート中に世界に徐々に色が戻り始める、つまりはタイムレネゲートが解かれる兆候が出始めた時も実は直也。あなたは肉体を動かすことができるのよ」

「のなうそ(そうなの!?)」


 突然、メリアの口から放たれた衝撃の真実。


「のたっかなれくてっい、でんな(何で、言ってくれなかったの?)」


 そうだよ。自分で言うのもあれだが、それがもし本当ならめちゃくちゃ大事な話じゃないか!


「隠すような真似をして、ごめんなさい。でもこれには理由があって、やっぱりタイムレネゲートはとてもリスクのある能力だからなのよ。さっきの小屋で巡行と逆行が交わった時もそうだけど、わたしたちが変装してたおかげで過去の直也にバレずにすんだ。でも、かみ合いが悪ければ、バレてしまって直也が消えてしまう可能性だって全然あった。天使は極力、人間に対して自分たちの情報を伝えないように教えられているの。頭に情報がなくてまっさらな方が、変な動きをしないって言う理由で……」


 なるほどな……。そんな理由があったんだな。


「手のひらで転がされてるみたいで気分悪いかもしれないけど、でもわたしは本当にあなたを思って……」

「とこなんそ、よるてっし(知ってるよ、そんなこと)」

「フフ、ありがとう」


 返事を返すメリアの表情は、はにかみ笑っていた。



「ふ~ん、スターウォーズね」


 とても不思議な気分だった。時が巻き戻る逆行する世界。

 本来のこの時間帯であれば、僕は何の役に立つかわからない退屈な授業を受けているのだが、今はとても有意義で濃密な時間を過ごしている。


 隣の、後ろにいる生徒などおかまいなしに椅子ではなく机の上に直接座る赤い髪の少女メリア。

 もっとも今は赤色ではなく、世界に色がないため灰色がかっているが。


「わたしはね。ショー〇ャークの空にかな」


 今はちょうど、お互いの好きな映画について語り合っている時だった。


「くーゃしーょし(ショー〇ャーク?)」


 昔の映画だっけ? 何か聞いたことはあるな……。


「のもいあんれ、てしらかえまな(名前からして、恋愛もの?)」

「いいえ。無実の主人公が捕まり収監される……、いわゆる刑務所ものね」

「じんかないたみくいれぶんずりぷ(プリズンブレイクみたいな感じ?)」

「う~ん。まあ広義的に言えばそうなんだけど、少し毛色が違う話よ……」


 もも裏に手を入れ、教室の天井を見上げながら話すメリア。

 彼女は思慮深い表情を浮かべていた。


「いい映画よ、ショー〇ャークは。別に派手なアクションや情事的なシーンがあるわけじゃないんだけど、何て言うんだろう……。人間臭いというか、人の本質を捉えてるっていうか……。何だろう。いざ口で説明してってなるとなかなか難しいわね」

「つやなきてょちうょじ、るゆわい。ねよるあてっんひくさいしかずむがのるすかごんげをさろしもおういうそ。よるかわくなとんなてていき、ああ(ああ、聞いててなんとなくわかるよ。そういう面白さを言語化するのが難しい作品ってあるよね。所謂、情緒的なやつ?)」

「そう、そんな感じ! 直也、意外と話すの上手いのね」

「ぞだいがちまおおらたっもおとぶころよでけだるてしだりうほをちちだたがなんおのみかのくょしうこいけ、がんいんぜくたお。るまこゃちれらめな。ならかいなてっやくたおくがなにてだ、やりそ(そりゃ、だてに長くオタクやってないからな。舐められちゃ困る。オタク全員が、蛍光色の髪の女がただ乳を放り出してるだけで喜ぶと思ったら大間違いだぞ!)」

「アハハ! それはおみそれしました」


 色のないモノクロな教室に響くメリアの笑い声。

 逆行する世界にはメリアと僕の二人だけ。


 何のしがらみもなく、誰の邪魔も入らない。

 こんな時間がずっと続けばいいのに……。


「よるみてみでかんなかくすぶさどんこ。がいえのそのありめ(メリアのその映画。今度サブスクかなんかで見てみるよ)」


 その時だった。

 黒板の一部が所々緑色へと変化し、いくつかの机や椅子が元の茶色に戻り始める。


 それはもうすぐ、タイムレネゲートが解かれることを示す兆しだった。


「そろそろね、直也」


 メリアがぴょんと跳ねるように机から飛び降りる。


「るくてっいゃじ(じゃ行ってくる)」


 体が動けるようになった僕は過去の自分に姿が見られないよう教室隅、掃除ロッカーのほうへと駆けてゆく。

 この行為はもう三回ぐらいやったかな? 大分動きもこなれてきた。


「また後で、話の続きをしましょう」

「んう(うん!)」


 ロッカーの前で最後、僕はメリアにあいさつし扉を開け中に入ると自分で扉を閉める。

 目線ぐらいの高さの空気循環用に空いた三本線状の小さな穴から僕は、クラスメイトや教室全体を覗き見ていた。


 しばらくするとチャイムが鳴った。それに合わせて立ち上がる生徒たち。

 世界に色が戻り、教室内を歩く彼らの動きは普通のまっすぐ歩きだった。


 タイムレネゲートが解除され、巡行と逆行が交わっている状態に変化していた。

 何人かの生徒が机を動かし向かい合わせにすると、学生カバンから各々弁当箱を取り出す。光景から察するに今はちょうど昼休みの時間か?


 この時間帯の僕は何をやってるかというと……。僕は自分の席に目を向ける。

 カバンから一つのレジ袋を取り出した過去の自分。相変わらずのボッチ飯だな。

 あの中にはあんパン、クリームパン、メロンパンが三種。

 甘いものは、僕の孤独な時間を埋めてくれる……。


「うん?」


 これから教室の隅の席で一人、昼飯をたしなむとおもいきや過去の僕はおもむろに席を立ちあがった。

 菓子パンの入るレジ袋を手に持ち、せわしない足取りで教室を出て行った過去の自分。


「トイレにでもいくのか?」


 いや、それはおかしい。

 普通、しょんべんする場所に飯なんか持って行かないだろう。汚いし……。


 便所飯の可能性もない。何故なら僕の中の価値観では不衛生な場所で食事をするよりかは、一人で飯食ってるところを見られる方が何倍もマシだからだ。


 となると一体、僕はどこに向かってるんだ……?

 メリアに意見を聞いてみたいものだが生憎今、彼女はこの場にはいない。


 メリア――。ハッ!


「思い出した!」


 そうだ! 確か僕はこの時間、メリアに会いに中庭へと向かっていたんだった。


 つまりしばらくの間、教室には戻ってこない。

 タイムレネゲートの巡行と逆行の自分が離れすぎると、逆行のほうが消えてしまうリスク。

 このまま僕が、掃除ロッカーに隠れ続けるのはまずいんじゃないのか?


「クソッ!」


 僕はロッカーを開け、勢いよく外に出た。

 扉を豪快に開けた音が響き渡ったのだろうか、教室にいるクラスメイト達の視線が一気に僕のほうに向けられる。


「何してんの、あいつ……」

「箱があったら、入りたいのよ」

「何それ、小学生じゃん」


 まるで触れてはいけないヤバイ奴を扱うかのようにヒソヒソと話す女子たち。


 ただ、僕が陰キャでよかった。もし、歩くたびに行動がちくいち知られるカースト上位だったら、さっき教室を出た僕のことについて問いただされてしまうだろう。

 誰も僕に興味を持っていない。それが本当にいいことなのかはさておいて……。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 僕はクラスメイト達に目もくれず、教室を出た。


 どうせ過去の僕は今頃、メリアとのサシでの会話にお熱になって近くに僕がいることに気づくことはないだろう。

 つかず離れず、適当な距離感を取ってタイムレネゲートが再発動するまでやり過ごすとしよう。



 ***



 僕は今、住宅街の中を爆速で駆け抜けている。かっこ後ろ走りで。


 白い空に灰色の雲。

 本来であれば景観を彩るために植えられたはずの街路樹が、真っ黒に染まり不気味な雰囲気を醸し出すこの光景は、まるでホラーゲームに出てきそうな世界だ。


 ただ、ここはゲームの舞台なんかじゃない。

 時計の針が右から左に回り逆行する、名はタイムレネゲート。

 今のこの世界は僕と、一緒に隣を走るメリアだけしか認識できない。


「でも直也。朝からランニングなんて、帰宅部の中学生にしては感心ね」

「だんたけかしくこちはさけ。うがち(違う! 今朝は遅刻しかけたんだ。)」


 そう。今朝の僕は何と言うことか、セットしたはずのアラームを聞き逃し寝坊してしまっていたのだ。

 今はちょうど、遅刻しないようにと猛ダッシュで通学路を走っている時間。


 時が巻き戻る世界。4月28日、午前の学校の授業を終え朝を迎えた僕は昨日――。

 つまり、4月27日の夜まで過ごしたおばあちゃん家へと体が向かって行っていく途中だった。


「たえみ(見えた!)」


 住宅街にこじんまりと建つ、外壁が茶色い一軒家。

 家の扉がまるで自動ドアのように開くと、家に上がり玄関で靴が勝手に脱げだす。


「ありめ(メリア?)」


 一体、何をしてるんだろうか?

 メリアは玄関に上がらず、ばあちゃん家の前でじっと空を見上げていた。


「直也、色が戻ってる」

「え!?」


 メリアがそう告げた瞬間、後ろ足に廊下を進んでいた僕の動きがピタリと止まった。


 シューズボックス横、苗鉢から伸びる何の種類かわからない子供くらいの背丈の緑色の植物。

 居間に映る24ビットフルカラーテレビが写すニュース番組の映像は色取り取りだった。


「おはよう、直也」


 その時だった。居間のこたつから僕のいる廊下に向けてひょっこりと顔を出すおばあちゃん。


 最悪だ……。なんちゅうタイミングで解除されたんだ!

 巡行と逆行が交わるこの時。ばあちゃんに顔を見られてしまった。


 ――過去の人間に自分が二人いると悟られてはならない。

 それを犯すと僕は世界から消えていなくなってしまう。


 何かごまかす手はないか? ばあちゃんに僕が未来から逆行してきた人間だと気づかれずに、この場をやり過ごす方法。


 考えろ、考えろ僕……!


「あっ僕、忘れ物したんだった!」


 とぼけた口調でそう話した僕は廊下を走りばあちゃんの前から姿を消すと、まっすぐに続く廊下の最後。一階のトイレの中に駆け込んだ。


 別に急に尿意を催したわけではない。我ながら名案だと思う。

 蓋も上げず便座の上に座っていると、外から聞こえてくるドタドタと階段を掛け降りてくる足音。


「あら、直也。忘れ物はもう持ったの?」


 足音が消えたと同時に聞こえるばあちゃんの声。


「うん、大丈夫」


 それに返事を返したのは今、巡行の時を過ごす過去の僕自身だった。

 直後、ガチャっと豪快に鳴り響いたドアが開かれる音。

 おそらく巡行の僕が、遅刻しないようにと大慌てで家を後にした瞬間だろう。


 よし! 窮地は脱したぞ。 

 後は体が離れすぎて消えてしまわないように頃合いを見計らい、僕も家を出て過去の自分を追いかけよう。


 タイムレネゲートが再び発動する時まで……!

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