逆行する4月28日――⑥
灰色のキンモクセイの影に隠れるようにして建てられた古い木造の小屋。
僕らの逆行はちょうど物置小屋で柚葉の手掛かりを探している時まで戻っていた。
相も変わらずメリアの後ろにおぶられた状態の僕。
小屋の扉は開かれた状態だった。
建物の前まで行くと、メリアの足がピタッと止まる。
「はい、これでお終い」
そう言うとメリアは降ろし、僕はコンクリートの地面に寝転がった。
「よ・し、おわった!」
気絶する前まで時が戻ったのだろうか、手も使わず飛び跳ねるように起き上がる僕の体。
「何で反対から言い直してるのよ」
横に立つメリアがジトっとした目でこちらを見る。
「だって、さっき・わか・らなかったじやん」
そう。何故だか知らんが、メリアはさっき僕がカフェに誘った言葉を上手く聞き取れなかったみたいだからな。
「ンチブニ……」
「ん、何て?」
メリアは謎の言葉を言い放ち、プイっとそっぽを向いた。
突然の聞き慣れない単語につい僕は、また言葉が反転に戻ってしまった。
ん、反転……?
もしかして今、メリアは言葉を逆さまにして言ったって、あれ?
僕の言葉元通りになってないか!?
「そこにいるのは誰!」
突如、響くようにこだまするメリアの叫び声。
僕はこの時、今の自分がとんでもない事態に陥ってる可能性に気づく。
「誰だ、お前ら?」
小屋の中、正面に立つ一人の少年が静かな口調でこちらに語りかけてくる。
警戒した様子のこの少年を僕はこの世界で誰よりも知っている。
彼の名は――星川直也。つまり、僕だ。
「イバヤ……」
ハッ! やっぱりそうだ。
今、僕は頭の中で言葉を反対にして言ったのが、そのまま逆さ言葉となって出た。
もしもこれが、タイムレネゲート中であれば――ヤバイと聞こえるはず。
そうでないということは……。
タイムレネゲートが解除され、巡行と逆行が交わってるということだ。
何故だ!? 何故、気づかなかった。
タイムレネゲートが終わる兆候として本来、世界に徐々に色が戻り始めるはずだ。
だが今回は、その予兆が一切なかった。
不意の出来事にすっかりパニックになる。
慌てながら僕は、正面にいるメリアと僕と横にいるフルフェイスのメリアを交互に視線を移す。
フルフェイス。そうか……。
ヘルメットで視界が黒みがかってるせいで、色の変化に気づけなかったのか!
でも被ってたおかげで、僕は世界から消えずに済んだ。
もし今、この瞬間に変装をしていなければ……。
あぁ、考えただけでも恐ろしい。
ただ、タイムレネゲートが再発動するまでこの場に居続けるのはあまりよくないだろう。
目の前の相対する過去の自分が、いつヘルメットの中身が僕であると気づくかわからない。
僕は二人に背を向け走りだし、小屋から出た。
とりあえず、身体が透明になりそうになるまで物理的に彼らから距離を取る。
恐らくそれが、今の僕ができる最善の行動だ。
「逃がさない……」
振り返ると鬼のような形相で僕を追いかけてきたのは、カーディガンを羽織る制服姿の過去のメリアだった。
まずい……! この時のメリアや僕はフルフェイスの二人組が、柚葉の失踪に関わる悪魔たちだと思っていた。
だから、僕のことを追いかけてくるのだろう。
腕っぷしは言わずもがな。天使であるメリアのほうが強い。
彼女に捕まり、僕の正体がばれてしまったらアウトだ。
その時、走るメリアに立ちはだかるように前に出たのは、僕と一緒に逆行してきたライダースーツを身に纏うフルフェイス姿のメリアだった。
ナイスだ、メリア! 天使相手には、同じく天使をぶつければいい。
同格同士であれば、恐らく決着はつかない……。
「しまっ……」
脱がれたカーディガンがヘルメットを覆い隠し、視界を奪われる逆行のメリア。
その隙に巡行のメリアが、逆行の彼女の上をピョンと跳び追い越していくと、僕目掛けて向かってくる。
何してんねん! 過去の自分に負けるなよ!
アスリートみたいなツッコミを心の中で僕はした。
てか、早ぇ! 倉庫から百メートルも走ってないのにもう追いつかれそうだ。
「おまえは誰だ!」
二の腕をメリアにがしっと掴まれると、すぐに彼女は僕が被るヘルメットに手を伸ばした。
一瞬にしてヘルメットを外すメリア。
終わりだ……。身体が消える! 恐怖のあまり、思わず僕は目をつむった。
「あら、直也……?」
あぁ、怖い怖い。頼むから痛いのだけは勘弁してくれ。
「南無阿弥陀仏。どうか来世は、金持ちの飼う犬か猫に生まれ変わりますように!」
「やっぱり直也ね。そんなバカみたいなこと言うのは世界であんたしかいないわ」
「あれ、消えていない……?」
「消える……? もしかしてあなた、タイムレネゲート中の直也?」
どういうことだ?
タイムレネゲートしている僕の存在が過去の人たちにバレると僕は、世界から抹消されるんじゃなかったのか?
今のところ、何事も起きずにピンピンしているんだが……。
「直也、多分ちょっと勘違いしてるんじゃないかしら。消えるのはわたしじゃなくて、過去のあなたに姿を見られたときよ」
「えっ、そうなの!?」
「言われなかったのわたしに……、いや正確には未来のわたしか。天使がタイムレネゲートで起きる事柄を把握してる前提で世界は廻っている。だから多分、未来のわたしは倉庫に現れたライダースーツの二人組が、タイムレネゲート中の直也とわたしだってこと知ってたんじゃないかしら?」
「マジで!?」
身体が消えないことにも驚きだが、その後の話はそれ以上の衝撃だった。
過去に起きた倉庫内でのひと悶着。あの時の相手が実は未来からタイムリープしてきた自分たちだとは思ってもみなかった。
ぶん殴られ気絶させられたもんだからてっきり相手は悪魔だと思ったけど……。
うん? それじゃあ、あの時――いや、現在進行形とも言える物置小屋にいた僕は……!
「未来の君に殴られたってこと!?」
「わたしに!? 確かめに戻りましょう! あと直也、いちおうヘルメット被っといて」
メリアはヘルメットを僕に渡すと、一目散に小屋に向かって駆けだした。
返されたそれを被りながら、僕も彼女の後を追った。
「うわぁ……」
ヘルメットを被る必要はなかった。小屋に着くまでにうまく一人ではめらられなかったが、僕は被ろうとするのをやめた。
入り口付近で天井を見上げ、大の字になって仰向けに寝ている過去の自分。
完璧な気絶だった。
あまりの伸びっぷりに、思わず驚嘆の声が漏れる。
「何があったの?」
制服姿のメリアがいぶかしげに、ライダースーツを着る逆行してきたメリアに問いかける。
「…………」
問いかけに答えず、黙り込むメリア。
だがその代わりに、今にも人のことを殺しそうな目で僕のことをじっと睨みつけるのは、ライダースーツを着た僕と一緒に逆行してきたほうのメリアだった。
「黙ってちゃわからないわ。真実を言って! わたし、未来のわたしに説教したくないわ」
おぉ……。何か今、すげえパワーワードが出た気がするんだが……。
「触られた」
「何を」
「胸を」
「誰に?」
「あなたに」
二人のメリアから視線を一身に浴びる。
「あっ……」
この時、僕は完全に理解した。一体、小屋で何が起きていたのかを。
「何でそんなひどいことしたの?」
「違う違う違う! 誤解だ! あれは事故みたいなもんだ!」
ライダースーツの二人組が悪魔だと誤解していた過去の僕が、正体を探ろうとヘルメットを取ろうとした時に偶然触れてしまった胸部。
だが実際は悪魔ではなく小屋にいたのは、タイムレネゲートで未来から逆行してきたメリア。
つまるところ僕は、メリアの胸を触ってしまったということになる。
「そんなに欲求不満なら、夜のお店に行けばいいのに……」
「現役中学生に風〇店を勧めるな! てかこのやり取り、前もやった気がするなぁ!」
「あら、そうなの?」
とぼけたように答える制服姿のメリア。
「そんなことはどうでもいい。逆行する直也と巡行する直也――あなたは二人で一人。つまりわたしは、あなたにも一発殴る権利がある!」
指の関節をポキポキと鳴らし、殺気だった顔でじりじりとこちらに近づいてくるライダースーツ姿のメリア。
「ええ、何その暴論!?」
「そうよ。タイムレネゲートで来たっていうことは直也は過去に一度、ここで殴られたんだから。禊はすでにすんでるわ」
「ん、それもそうね……」
巡行のメリアの説得に納得したのか、キョトンとした顔で逆行するメリアは拳をおろした。
てか禊はすんでいるって、まるで罪を犯した犯罪者みたいな前提で話すのやめてもらっていいですかね!?
「ん……?」
メリアたち二人の透き通るような赤髪が場面場面で、灰色に変わる時がある。
「もう、そろそろね」
これは……、タイムレネゲートが再び発動する兆候だ。
「ひょっとして、もうすぐ逆行が始まる?」
制服姿のメリアが言った。
「うん。所々、色が抜けてってるじゃん?」
「わたしにはわからないわよ。わたしは巡行のほうで、まだタイムレネゲートを使ってないんだから」
「あっ、そっか……」
「直也、服を脱いで」
今度は、僕と一緒に逆行してきたライダースーツのメリアが言った。
「えっ、何で!? もしかして、裸一貫に一発ぶん殴るてきな?」
「違うわよ! 今は夕方あたりを逆行してるでしょ。これから昼、朝と時間が戻っている間、直也。巡行のあなたはどこで生活している?」
「どこって、そりゃ学校の教室……」
「日本の学校に、フルフェイス姿のライダースーツの人間がうろついたりするかしら?」
「あっ!」
確かにそんなのが校内にうろついていたら、不審者極まりない。
いくら素顔を隠しても、騒ぎになれば中身が僕だとバレるとも限らない。
「でもそしたら、制服姿で僕は日中を過ごすってこと? これから一日の三分の一くらい教室にいるのに、その間にタイムレネゲートが解除されたらどうするんだ?」
そうなれば、いきなり教室に現れた僕をクラス中のみんなが見ることになる。
その中には当然、巡行の僕の姿も。
こんなのはパソコンのアンチウイルスソフトを切って、ネットサーフィンするぐらいノーガードすぎて無謀なんじゃないのか?
「それには考えがあるから。とにかくわたしを信じて!」
力強い表情で力説するライダースーツのメリア。
「まあ、メリアがそう言うなら……」
しぶしぶ僕は、首元のファスナーを下ろしスーツを脱ぎ始める。
「じゃあこっちの伸びてるほうは、わたしが何とかするから」
そう言うと制服のメリアが、床で寝ている巡行の僕を背中に背負いだした。
それからすぐに世界から色が消え、後ろ歩きで小屋を後にする僕たち。
タイムレネゲートが再発動したのだ。
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