逆行する4月28日――⑤
モノクロな景色の保健室には、すでに先客が一人立っていた。
今度は見間違わない。
上下黒のピッチリとしたライダースーツを身に包む、ウェーブかかった髪の少女。
「ん? どうやら着替えられたみたいね」
メリアだった。
「たっかなぶあとっょちもで。ねあま、んう(うん、まあね。でもちょっと危なかった……!)」
と言い切った瞬間、背中からベッドに突然ダイブした僕の体。
「危なかったの?」
僕の不可思議な動きにも、瞬き一つ驚かないメリア。
タイムレネゲートに慣れている彼女からしたら、いちいちツッコむような内容でもないんだろう。
「てっゃちっありたっばときさがうょじどうょち、でつしんいくょし(職員室で、ちょうど城ケ崎とばったり出会っちゃって)」
「あら、そうなの? 襲われたりしなかった?」
「だんたしだげににうゅきやないやるみをおかのくぼ、つやのきさがうょじどけんらしかでんな。んう(うん。何でか知らんけど城ケ崎の奴、僕の顔を見るや否や急に逃げ出したんだ)」
「えっ!? それは妙ね。天使ならともかく、悪魔が人間相手にしっぽ巻くなんてまずないんだけど……」
メリアが何だか、深く考え込んでいる様子だった。
「さもりよれそ、しだんいなてきおもにな。よしでぶうょじいだにつべ、あま(まあ、別に大丈夫でしょ。何も起きてないんだし、それよりもさ……)」
そんな細かいことよりも、はるかに僕は気になることがある。
「のたてしになはありめ、きとるいにいかせのうこんゅじがくぼ(僕が巡行の世界にいるとき、メリアは何してたの?)」
そう、タイムレゲート中に玄関でメリアと別れた後に始まった、逆行と巡行の交わり。
僕が職員室に行ったり教室でヘルメットの装着している合間。
メリアも同じく巡行の世界にいて、二人存在しているはずだった。
だが、僕がタイムレネゲートが再発動するまでに会ったのは、玄関で僕のことを待っていた巡行のメリアだけ。
今、僕の目の前の逆行中の彼女とはここで再開するまでに一度も会うことがなかったのだ。
「わたしのこと? 別に話してもしょうがないんだけど……。まあ一言で言うと、過去の自分と一緒に城ケ崎と廊下で戦ってた」
「いかたた?(戦い?)」
「うん、そう。直也の話を聞くに今回の巡行と逆行の交わりは、わたしと直也で始まりに多少の時間の差があったみたいね。まあだからと言って、別に何か変わるわけでもないんだけど……」
「ん~ふ(ふ~ん)」
戦いかぁ。見てないところで、すごかったんだろうなきっと。
僕なんて何の力も持たないんだから、ずっと城ケ崎にボコられっぱなしだ。
さっきの職員室でも過去の自分が痛めつけられ、指もこんなに怪我が……
「るてっおな(治ってる?)」
どういうことだ? 机に挟まれ赤く腫れあがったはずの指が、いつのまにかきれいさっぱり元の姿に戻っていたのだ。
「そりゃ、そうでしょ。付けられてた傷。保健室でわたしと別れた後、職員室で負ったものでしょ。付けられる前の保健室の時まで逆行したんだから、傷は消えるわ」
「かっそっあ(あっ、そっか)」
単純なことに僕は気がつかなかった。
…………。
「のないせいたのこ、いらぐんぷんな(何分ぐらい、この体勢なの?)」
今、僕はまるでベッドに張り付けられたかのように身動きが取れず、上を見上げることしかできない。
あまりに退屈で窮屈な時間――。
やれることと言ったら天井のシミを数えることくらいだ。
「担いでおろしてから、そんなに時間はたってないわ。10分、15分ぐらいかしら?」
「どけすでんなまひうょちだいあのそ、ぇえ(えぇ……、その間ちょう暇なんですけど)」
「素数でも数えてたら?」
どこぞの神父か、僕は!
「ちい、に、んさ、ご……」
「本当に数え始めたし……、あと直也。1は素数に入ってないわよ」
孤独な数字は、僕の時間をつぶしてくれる。
「うゅきうゅじにくゃひに(229)、んさうゅじんさくゃひに(233)……。っおう(うおっ!)」
素数を数え始めて、時間に換算するとカップラーメンを三回作れそうな時がたった頃合いだった。
ようやく、僕の上半身だけが糸に引っ張られたかのように起き上がる。
やっとだ……! 現代人が何よりも嫌う暇から解放されそうだ。
うん……?
「のんてしにな、ありめ(メリア、何してんの?)」
どういうことだろうか? メリアがベッド横に座り、僕に背中を向けていたのだ。
「何って直也、物置小屋で気絶してたでしょ? わたし、あんたをおぶってここまで来たんだから。その時間帯の逆行」
「るぶお、お(お、おぶる!?)」
すると直後、意思とは関係なしに僕はいきなりメリアに後ろから抱き着いた。
「くぼ、だんてっやにな(何やってんだ、僕っ!)」
は、犯罪だぞ! 女の子の許可なしに相手の体に触れるなんて……!
温けえ……。服の上からでも伝わる温もりや身体の柔らかさ。
それに何だろう。香水や柔軟剤とは違う、女の子独特のにおいというか……。
いやいや、待て! 何ちょっと、エクスタシー感じてんだ僕は!
犯行はまだ続く。メリアの首元に勝手に回しはじめる僕の両腕。
「じゃあ、直也君。お姉さんと一緒に物置小屋に行きましょっか!」
「とだんな(何だとぉ!?)」
メリアは僕の体を背負いもも裏に手を伸ばすと立ち上がり、保健室を出た。
屈辱だ……。女におぶられて、校内を練り歩くなんて。まるでガキ扱いだ!
でも、これがタイムレネゲート中でよかった。
もしこの情けない姿を人に見られでもしたら……。
あぁ、恥ずかしさのあまり憤死してしまいそうだ。
「どう、幼児以来の人におぶられた感想は?」
僕をからかっているのか、メリアが小さく笑いながら話す。
「るじんかをめしかずはてめわき(極めて辱めを感じる)」
「難しい言葉を使えば、大人ぶれるって思ってるのがまんま子供ね」
「アァガウ(ウガァアー!)」
クソッ! メリアの奴、完全におちょくって楽しんでやがる!
「まあこれもそんな長く続くかないわ。小屋に着くまでの辛抱よ」
ダメだ。このままじゃ、文字通りおんぶにだっこの状態だ。
僕も何かメリアに与えないと……。そうしないと、僕の男としてのプライドが許さねえ。
何か僕にできることは……。そうだ!
「きすてっつーいす、ありめ(メリア、スイーツって好き?)」
「いきなり藪から棒になによ」
「ねよだんるあんさやぇふかすだきーけいしいおゃちっめ。さにえまきえ(駅前にさ。めっちゃおいしいケーキ出すカフェ屋さんがあるんだよね)」
そう、僕の趣味であるスイーツ店めぐり。
女の子は甘いものが好きと聞いたことがある。
道楽途中に見つけたお気に入りの店を彼女に紹介する。
それが僕のお返しだ。
「うーん。別に嫌いじゃないけど……」
何だか歯切れの悪い返事をするメリア。あれ、意外と不評……?
「カフェに行くのって二人で?」
「んゃじんてっまきにうそ、んう(うん? そうに決まってんじゃん)」
メリアの奴、何を当たり前なこと聞いてるんだ?
「フフッ。反対になって、何言ってるかわかりませ~ん」
「っええ(ええっ!)」
何でぇ!? メリアたち天使は、言葉が反転しても聞き取れるんじゃなかったのか?
僕が喋ってからしばらくの間、何故かメリアはクスクスと笑っていた。
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