逆行する4月28日――④
逆行はある程度進み、今僕らは校舎玄関前にいる。
時が逆行する白黒の世界。周りの生徒たちは皆、後ろ歩きで廊下を進んでいた。
靴が勝手に脱げると、僕はすのこの上に立った。
意思と反し動く左手が、下駄箱の中の上履きを掴む。
「おっう!(うぉっ!)」
その時だった。脱いだ靴が一瞬で、右手に向かって飛んでくると僕はそれをキャッチし下駄箱へ収納した。
そっか。逆行している世界だと上から下に落ちた物は、下から上に上がっていくのか……。
ふと僕は、生徒たちの行き交う廊下の方に目を向ける。
「ん?」
廊下の中央、下駄箱の前にすでにメリアは立っていたのだ。
後ろ歩きで、勝手に進む僕の体。
「せたまおー(お待たせー)」
メリアの前まで行くと、僕は彼女に向かって声をかけた。
…………。あれ、返事がない。
メリアはあろうことか。僕の挨拶をガン無視したのだ。
「お、ま、た、せ」
言葉が反転してるから上手く聞き取れなかったんだろうか?
四文字くらいなら何とかなるだろうと、僕はゆっくりながらメリアに話しかける。
「何してんの、直也?」
ん、何故だろうか?
声が後ろのほうから聞こえてくると、僕はその方向へ振り向く。
「れあ?(あれ?)」
どういうことだ!? 奇妙な光景に僕は何度も首を左右に振り、辺りを確認する。
「りたふがありめ(メリアが二人?)」
そう……。驚くことに今この場にはメリアが二人存在していたのだ。
「別にそんな、まるで山奥でツチノコ見つけたみたいに驚いた顔しなくていいでしょ。そこに立ってるわたしは現行で、ちょうど保健室に連れてく前のあなたを待っている時の状態なのよ」
「え?」
そう言われ僕は再度、最初に話しかけたほうのメリアをまじまじと見つめる。
そのメリアは僕たちにまるで気づいていないのか、全然顔が合わなかった。
それもそうか。現行の人間たちが、タイムレネゲート中の僕らのことなんて気づける訳もないからな。
あれ? そうなると僕って……。
「もしかして、直也。現行のほうのわたしに話しかけてた?」
「いなけわなんそ、やい(いや、そんなわけない……)」
「そうよね。間違えないわよね、普通。子供でも人物とマネキンの区別はつくもの。まさか、動かない人形に永遠話しかけるようなホラーじみたことはするはずないものね」
「…………。なるおあ(煽るな)」
「えっ!? もしかして、本当に話しかけてたの?」
ドン引きしてると言わんばかりの、蔑んだ目でメリアが僕を見る。
何も言い返せなかった。悔しいと言うか、情けないというか……。
あまりの自分の理解力のなさに、僕はただただ打ちひしがれてしまったのだ。
「恰好の違いでわかるでしょうに……」
「うこっか(恰好?)」
二人それぞれのメリアが来てる服装に、僕は目を通す。
確かに彼女の言う通り、二人それぞれには恰好の違いがあった。
最初に話しかけたタイムレネゲートに干渉しない現行の世界で僕を待っているほうのメリアは今の僕と同じ学生服。
そして二人目の後から現れたタイムレネゲート中の、僕をからかったほうのメリアの服装は、上下一体型の黒のライダースーツ。
手にはフルフェイスのヘルメットを二つと、けっこう厚そうな折りたたまれた服を腕にかけ持っていたのだ。
ん? 待てよ……。何かおかしくないか?
僕の中に生じる違和感。タイムレネゲートはその人の足跡を同じようにたどって、過去へと戻る力――。
足跡を同じ……。そうか!
「のなままのつーすーだいら、はありめでんな(何でメリアは、ライダースーツのままなの?」
違和感の正体はこれだ。今、現行でのメリアは学生服を着ている。
つまり、本来ならこのタイムレネゲート中の白黒の世界にいるメリアも同じくスーツではなく、学生服を着ていなくてはいけないのだ。
環七から帰った僕はさっき、メリアのアパートでライダースーツから学生服へと着替えたはず。服が勝手に脱げ、まるで自分が着せ替え人形のお人形みたいな気分になったことを鮮明に覚えている。
下を覗き、自分の着てる服を確かめる。――やっぱり、そう。今の僕の格好は学校指定の制服だ。
全然、気がつかなかった。メリアだけが恰好がおかしいのだ。
「あら、言ってなかったっけ? わたしたち天使だけはタイムレネゲート中も自由に行動できるのよ」
「のなうそ(そうなの!?)」
「ええ、ほら」
そう言いメリアは一人歩くと、動かない――巡行の自身の前へと立った。
「本来の時の流れでは、わたしたちはアパートに戻った時にライダースーツから学生服へと着替えなくてはならない。でもわたしはそれをしないで、スーツのまま学校に戻った。何でかわかる、直也?」
「でんな(何で?)」
「あなたのためよ」
言い放った直後、メリアは腕にかけていた服とヘルメットを一つ自身の足元へと落とした。
「もし今いきなりタイムレネゲートが解除され、さっきの環七の時みたいに逆行と巡行が交わったら直也――。あなたは過去の自分と遭遇せずにいられる? 日本の学校ほど規律深く、不自由な場所はないわ。直也の動きはかなり制限されてしまう。その恰好のまま、校内を歩くのはかなりのリスクになるはず。だからそのために、わたしは部屋からこの服を持ってきた」
メリアの足元に、僕は目を向ける。
ヘルメットとこれは、もしかして僕がさっき着ていた……、
「つーすーだいら(ライダースーツ!)」
「今から4月26日の夕方まで戻るまで直也。あなたはこれに着替え、ヘルメットを被って変装することをお勧めするわ。校内をこんな恰好で徘徊するのはかなり不審者に見えるけど、いきなり自分と鉢会って消えてしまうよりはましでしょ?」
確かに、それはごもっともだ……。
メリアの奴、僕のこと煽ったりめっちゃドライな態度だったりするけど、なんだかんだ僕に気ぃ使って色々考えてくれてるんだなぁ……。
スーツに着替えようと落ちてる床に、僕は手を伸ばそうとした。
「いなけごう(動けない……)」
何でだ。まるで僕の体が石膏で塗り固められたかのように梃子でも動かなかった。
「そりゃ、そうでしょ。今の直也はタイムレネゲート中なんだから、過去の自分の動きをなぞることしか出来ないんだから」
そうだった! 僕としたことが、すっかり忘れていた……。
「んゃじいなみい、てくなれらえがきあゃじ(じゃあ着替えられなくて、意味ないじゃん)」
せっかくのメリアの機転もこれじゃ生かせない。
「そうよ。だから着替えるのは、タイムレネゲートが解除されたタイミング。巡行と逆行が交わるその時は直也、あなたは過去の自分と離れすぎない限り自由に動ける。再発動するまでのわずかなその隙を上手く使って」
なるほど……! 巡行と逆行が交わるリスクを逆に上手く使うのか。
メリアの奴、頭がキレる。だてに長生きしてるわけじゃない……
「ありめ(メリア?)」
その時、突然どういうことか。足元の服に、僕と過去の玄関に立つ自分を置き去りにして廊下の奥へと歩きだしたタイムレネゲート中のメリア。
「じゃあわたし、この後予定あるからまた後でね」
「っま、っょち(ちょっ、待っ!?)」
昔、再放送で見たトレンディドラマに出る某俳優の有名なセリフを、つい逆さ言葉で言ってしまう僕。これじゃ、誰も待たない。
「もうすぐ逆行が終わるから、ほらわたしの髪の毛」
メリアが自身の頭をトントンと軽く指先でたたく。
「るてっなくかあ、あ(あ、赤くなってる)」
まだ全部じゃないが、あたりの景色に少しずつ色が戻っている。
と言うことは……。
「そう、巡行と逆行が交わろうとしてる兆候。あ、そうだ! もし今、このタイミングで戻ったらいまここの玄関で待ってるほうのわたしと直也が多分接触すると思うんだけど、その時はタイムレネゲートって言うといいわ。タイムレネゲートの名前を知る人間。それすなわちその人間が過去戻りをしていることの証左。この力に名前を付けているのはそういうことなのよ」
へえ、そうなんだ。てっきりバトル漫画の技名みたいな厨二感覚で適当につけてたと思ってたんだが、確かに……。
それは理にかなってるな。天使たちも色々考えてるもんだ。
「じゃ、タイムレネゲートが再始動するまで……解散!」
「へ?」
メリアが手を上げそう小さくつぶやくと、彼女は廊下を曲がり見えなくなってしまった。
おいおい、いきなり解散ってホー〇レス中学生か!?
僕は中学生だけど、一応家はあるぞ?
いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、メリアの奴――
「どこいくんだ?」
声を出したその瞬間、世界に色が戻った。
廊下を歩く生徒たちは後ろ歩きではなく、普通の前に向かって進んでいた。
「何、言ってんの直也? これから城ケ崎の家に行くんでしょ。どう、住所は手に入った?」
「あっ……」
目の前で僕の顔をじっと見つめる赤い髪の少女。
そうだ! タイムレネゲート中に僕の目の前から消えたメリアとは違う。
もう一人のこの世界にいる、過去の時間に学校の玄関で僕を待っていたメリア。
「いや、僕は……」
「何をうじうじしてんの? 早く妹さんを助けに行かないと!」
下駄箱のほうへと体を向け、メリアは外に出ようとする。
違う、違う――そうじゃない。今メリアは多分、僕のことを職員室から戻ってきた現行のほうの僕だと思っている。
勘違いしている。僕はタイムレネゲートをしてきたほう……。
あっ、そうだ!
「メリア、タイムレネゲートだ」
「えっ?」
僕の言葉に目を見開いて、驚くメリア。
「あ、そういうことね。今はじゃあちょうど、あなたの巡行と逆行が交わったタイミングね」
「うおっ、察しよ!?」
「当然でしょ、ナメないでよね。わたしたち天使は昨日、今日この力を使い始めたわけじゃないのよ?」
「おみそれしました」
「じゃあ、足元のそれは逆行してきたわたしからの差し入れ?」
「うん?」
真下に僕は視線を落とすと、床の上に乱雑に置かれたバイクのヘルメットとライダースーツ。
そうだよ! 僕はその服を慌てて拾い上げた。
「今のうちに着替えないと! またタイムレネゲートが発動して、体の自由が利かなくならないうちに」
「へえ~、逆行したってことは未来のわたしか……。わたしも考えたわね。たしかにその恰好なら運悪く昔の自分と鉢会っても、消えるリスクを回避できる」
服を広げ僕は、スーツに足から入れると袖に腕を通しチャックを首元まで上げる。
「あのさ、メリア。お願いがあるんだけど、僕にヘルメットを被せてくれない? 一人じゃ上手くできなくて……」
「待って」
両顎に伝わるひんやりとした感触。突然の出来事に思わず僕は虚を突かれた。メリアが僕の頬に手を当て、まじまじと僕の顔をじっと見つめていたのだ。
「あ、あのメリアさん……。持ってほしいのはヘルメットのほうなんですけど……!」
近い、近い、近い! 近すぎる。何だ、この至近距離は!?
ちょっと前にでも進んだら今にも接吻しそうな勢いだ。
ま、待ってくれ! まだ、心の準備が……。
顔の色が赤くなっているのが自分でもわかる。
「透明になっている」
そう透明色に……。
ん? 透明?
「直也、体消えかかってるわよ」
「マジで!?」
「ええ、おおマジ。早く、過去の自分のいる場所まで戻りなさい」
「それはそうだ!」
まずい! 煩悩にさいなまれてる場合じゃなかった。
今すぐ職員室に向かわないと!
僕はメリアから離れ、ヘルメットを被る暇なく持ったまま廊下を駆けだした。
「職員室、職員室!」
クソッ……! 放課後に教師に勉強の教えを乞う、真面目な生徒か僕は!
本来の僕の人間性なら、悪いことをして先生に呼び出されでもしない限り職員室に何て行かないのに。
過去のもう一人の自分から離れすぎると、逆行している僕が世界から消滅してしまうリスク。
その最悪の事態を避けるため、急がないと!
「見えた……!」
職員室は一階――。玄関からはそう遠くはなかった。
すぐに僕はスライド式のドアに手をかけ、勢いよく横に引いた。
――なっ!?
「何故、お前がここに……」
思わぬ人物との遭遇だった。
ドアを開けいきなり目が合ったのは、ヒールを履き黒いスーツに身を包んだタッパのでかい大女。
そいつは、人類の天敵。柚葉を救うため、僕にタイムレネゲートを発動する原因となった張本人――城ケ崎だった。
「そうか! そういうことかッ!!」
僕の顔を見て、城ケ崎は吠えるように声を荒げる。
しまった! そうか……。この時の僕はちょうど、職員室で城ケ崎の襲撃を受けていた時間帯。
うかつだった……。どうする!? ただの人間である僕に悪魔へ抗う術はない。
今すぐ、メリアの玄関まで戻って彼女に助けを求めて……。
いや、ダメだ! 僕の体は現在進行形で消えかかってる。
戻った時には離れすぎて、世界から僕が消滅してしまうとも限らない。
ならば、タイムレネゲートがまた再び発動するまで待つか。悪魔には時間を逆行する術を持たないから発動するまでに、何とか上手く時間を稼いで……。
だがそれは何分、何十分後だ?
はたしてそれまでに僕は城ケ崎の攻撃に耐えられるのか?
どっちだ!? どっちを選べればいい?
正解がわからない。どちらの選択にも不確定要素がありすぎる!
「今日、お前たちは殺さない……」
「ハッ!」
頭で考えてるのに夢中になって、僕は城ケ崎がいつの間にかすでに眼前まで迫っていることに気づかなかった。
殺される……! 恐怖のあまり体が動かず、思わず僕は目をつむった。
だんだんと遠のいていく足音――。
「ん?」
ゆっくりとまぶたを開ける。
するとどういうわけか。城ケ崎が僕を無視して、廊下を駆けだしたのだ。
そして、あれは何なのか? 手に一片の薄い小冊子を持って。
何故だ……? どうして、悪魔は僕を襲ってこなかったんだ?
それどころか、まるで逃げ出したかのように職員室を後にして……
「いや、今はそんなことはどうでもいい!」
その時、ふと耳に聞こえてきた何やら叫んでいる声。
この声に、何でか僕は親しみを覚える。まるで実家のような安心感。
いや、待て。というよりこの声って……。
――僕のじゃないか!? とっさに職員室のドアから僕は離れる。
「危ねえ……」
真隣に教室があってよかった。なんとか部屋に入って接触を避けることができた。
ドアにもたれかかると、腰から落ち安堵につかる。
恐らくさっきの叫び声は、もう一人の過去の自分がメリアに合流しに、ちょうど職員室を飛び出した時のものだろう。
今の時刻は午後六時過ぎ。ほとんどの生徒が部活やら下校で出払ったのだろうか、教室には男子生徒が三人だけだった。
中学生のわりにまだそんなに体が大っきくないのを見るに一年生か?
彼らは一つの机を囲んで何やら遊戯に興じている様子。多分、あれは……。
「それ、カードゲーム?」
一年生たちは、思わぬ来客であろう僕に戸惑いを隠せないような様子だった。
「僕も昔、ハマってたんだ。いいよね、カードゲーム。世間一般だと、ただの紙切れに何千円、何万円とかけるなんてバカじゃないって言われてるけど面白いよね。テレビゲームとかアニメとかと違って、戦略性って言うのかな? アナログゲーム独特の面白さがあって……」
そんな一年坊主たちに、僕は気取らず優しく話しかける。
「でも僕が十四歳ぐらいの時に、世の中のことを色々考えたい厨二病真っ只中なある日、ふと考えたんだ。この世で一番面白いカードゲームは何だろうって。そして、気づいたんだ。それは、四種類のマークに十三個の数字が描かれ様々な遊びがある。そう、トランプだとね。その日を境に、僕はカードゲーマーを引退したんだ」
後輩たちに教えを説くと、僕は頭にヘルメットをはめる。
「クッソ、なかなか上手く入らねえな!」
被るのに苦戦する僕はドア横、掃除ロッカーに頭を思いっきりぶつける。
頭突きの衝撃でヘルメットをはめようと思っての行動だ。
決して、縄張り争い中のサイの真似をしているわけじゃない。
「はまった!」
耳元までしっかりと覆いかぶさった感触を得たと同時に僕は気づく。
緑の色の黒板が黒く、等間隔に並べられる机と椅子が所々白色になっていることに。
世界から色が消えかかっていた。
「じゃ、僕はこれで」
一年生たちに最後、挨拶をするとヘルメットのシールドを下ろす。
今の僕は、はたから見れば恐らく誰かわからない状態だろう。
廊下に出て扉を閉めた瞬間、僕の体がひとりでに後ろ歩きを始めた。
一度職員室を経由し、再度廊下に出る。
次に僕が向かう先は、時間通りの流れを追うと多分、保健室だ。
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