逆行する4月28日――③

「うわっ」


 突然の変化に、つい僕は声が出る。

 青黒い夜空。周りをチラホラ走る水色や黄色と言った蛍光色の車。

 オレンジに光る照明灯が、夜の環七道路を照らしていた。


 それだけじゃない。僕たちが乗るバイクの進む向きも、いつの間にか進行歩行と同じ前へと向かって走っていったのだ。


「逆行じゃなくなってる……!?」


 動きもそうだし、口に出して気づいたのだが逆さ言葉も普通の言葉に戻っていた。


「ええ、そうよ。今、わたしたちがいるのは逆行ではない巡行している元の世界。ちょうど今の時間は、城ケ崎のマンション目指して環七を走っている最中かしら」

「元の世界……?」


 それはつまり、タイムリープに成功した……ということか?

 

 もしそうであれば、柚葉と再会するための時間まで少しでも巻き戻ったと考え僕は喜びを得るべきなのだろう。


 でも何故だろうか……。

 ぬぐい切れない違和感が、僕の中でモヤモヤと浮かび上がる。


 逆行から巡行――。元いた世界――。

 世界は単一、パラレルワールドは存在しない――。二つ目のリスク……!


 ハッ、まさか!


「メリア、ひょっとして僕は今……!」


 僕の脳裏に浮かぶ恐ろしい予感。

 もしそれが正しければ僕は今、大変な事態に合っているかもしれない。


「あら? わたしが話す前に気づくなんて直也、意外と察しがいいのね」


 戸惑いを隠せない僕に、メリアはあっけらかんとした様子で答える。


「そうよ。今、この世界には直也。あなたは二人、存在していることになる」

「やっぱりか……!」


 メリアの口から平行世界がないと聞いた時、すでに僕の中でこの可能性は高いとは思っていた。


 恐らくこの世界には、今の僕から見て城ケ崎の家に向かうメリアのバイクの上に乗った過去の自分と、城ケ崎の家でタイムレネゲートを発動しこの時間軸まで戻ってきた自分と二人いるということになるのだろう。


「タイムレネゲートは決して完全ではない、不安定な力。目的の時間まで戻るまでにどうしても不定期に何回か、わたしたちは巡行の世界にいきなりのタイミングで投げ出されてしまう」

「これが二つ目のリスク?」

「えぇ。と言っても、投げ出されること自体にはさほど大した問題はない。そのうち時間が立てば世界から色が消え、またタイムレネゲートが勝手に発動して時間の逆行が再開する。それよりも恐ろしいのは、直也も気づいた通りもう一人のあなたの存在」

「過去の――、城ケ崎の家目掛けて走ってる僕のことでしょ」

「そう。同じ世界に同じ自分が二人いる。そう言う状態があまりよくないってのは、何となくでも感じるでしょ」

「うん」


 確かにそれは感じる。夜に墓地で肝試しをしてはいけないような、本能的な嫌悪感とでも言うのだろうか。強い拒否反応が僕の心の中で沸き起こる。


「今の僕が、何かやっちゃいけないことってある?」


 間違いを犯すと、何だか取り返しのつかない事態に陥りそうだ。

 そうならないために、僕はメリアに問いかけた。


「二つあるわ」


 僕の問いに対し、メリアがきっぱりと言い切った。


「一つは、過去にいる人間にあなたの存在を見られないで。いや……、これは正確な言葉じゃないわね。正しく言うと過去の人間に直也が二人、この世に存在すると認識されないで」

「えっ!? それはどうして……?」

「言ったでしょ、世界は決して変わることのない不変なもの。もし過去にいる人が自分の住む世界に同じ顔の人間が二人、それが未来から逆行してきた人間だと知ったらその後の世界はどうなると思う?」

「あっ! 未来が変わっちゃう……!」

「そう、これから起こりゆくはずの出来事が変わってしまう。世界は変化することを拒まない。もしそれが起こり得そうになれば、世界はその脅威を排除する。巡行する世界の防衛反応とでも言うのかしら。生物が、感染したウイルスや細菌を殺すために自ら熱を発するみたいな……」

「それってつまり……」


 話を聞いて、僕は何となく察した。


「えぇ、同じ時間軸にいる人間を消そうとする。消えるというのは、死ぬとかそういう次元じゃない。肉体や意思そのものが跡形もなく世界から抹消してしまう。そして消えるのは元の巡行のほうにいる者ではなく逆行してきた側。つまり直也、あなた側のほうなのよ。あ、ちなみに天使は消えないわ。わたしたちは元からタイムレネゲートのことを知っているし、逆行することは折り込み済みで世界が廻っているからね」

「ふ~ん。まあ、所謂ドッペルゲンガー的なやつでしょ。自分と同じ姿の人間を見ると自分が死にますよぉ、みたいな」

「ドッペルゲンガー? 人間に伝わる迷信かしら……。でも、不思議ね。その話はこの状況によく似ているわ。本来、人はタイムレネゲートのことを知る術はないんだけど……」


 しかし、改めてエグいな……。メリアが言葉に表して、より恐ろしさを認識する。


 絶対に過去の自分に関わらないでおこう。

 そのためには……、うん? そうだ!


「メリア、環七を抜けよう。今、この世界にいる過去の僕は環七を走っている。だったら単純な話だ。僕たちがこの道路から出て、物理的な距離を取ればいい。確か時間が立てば、またタイムレネゲートが発動するんでしょ? どうせ、逆行するんだったら今いる場所はあんまり関係ないはず……」

「それは無理」


 間髪入れず、メリアが言い放った。


「今の直也の話は、ちょうど二つ目のやってはいけないことなの。こっちは世界じゃなくて、タイムレネゲートのほうの話。さっきも言った通り、タイムレネゲートは完全ではない不安定な力。巡行の人間が過去に自身が歩んだ足跡を、順序通りに辿っていくことによって時間を逆行していく能力。それは逆行時の色のない世界の中ではなく、今みたいな巡行の世界に放り出されてしまった時もそう。つまり、何が言いたいかと言うと逆行中の時と一緒で直也。あなたから見て、過去の自分と同じような時の流れを過ごさなければならないのよ」

「過ごさないとどうなるんだ?」

「一つ目のリスクと一緒。世界からあなたの存在が消えてしまうわ」

「オーマイ、フ〇ック!」


 クソッ、なんてこった! タイムレネゲート――。

 最初、タイムリープできると聞いてウキウキの気分だったが、その実体はエゲつねえリスクのオンパレード。それはミーシャも一度、止めるわけだ。


 過去の自分の場所から離れてはいけない。かと言って近づきすぎれば、過去の自分に逆行している僕のことを気づかれる恐れがある。


 離れすぎず近づきすぎず、適切な距離を保たないと……!


「メリア、僕はどれくらいの距離を取ればいい」

「そうね。本当にその時間軸によって様々だから、確かな基準は言えない。過去の自分の位置から見て、半径一キロ以内の時もあれば百メートルを切ることも……。まあでも、極端に場所を変えることをしなければまず大丈夫よ。このまま環七を走って、タイムレネゲートが再び発動するのを待ちましょう」

「うん……」


 メリアに促されるまま、僕は小さく返事をする。

 少し不安な気持ちもあるが、彼女の言うことを信じるしかない。

 今の僕は文字通り、メリアの背中に命を預けているのだから。


 いや、それはかっこつけの言い方か。

 実際は背中に何か指一本触れられなくて、この小っこいグラブバーを掴んで落ちないようにバランスをとるだけ……。


「ん?」


 ふと、視線を真下に落とした時だった。

 見間違いじゃないかと思って、僕は一度左手で目をこすり、再度確認する。


 やっぱり、そうだ……! 僕の手が、グラブバーを掴む右手がうっすらと透明になっていることに。


「なっ!?」


 さらに、僕は気づいた。

 こするために顔の前にやった左手が、目の前の景色を貫通して映していた。


 いや、正確に表すとまるで点滅する信号機のようにチラチラと、透明になって透ける――本来のベージュ色と繰り返し僕の手の光景が移り変わっているのだ。


「メリア。何か僕、透明になってるんだけど!」

「えっ!?」


 慌てる僕の呼びかけに、メリアが振り向いた。


「あら、本当だわ。もしかしてわたしたち、前を進みすぎて少し離れすぎているのかもしれないわ」


 進みすぎ……? 僕は後ろを振り返る。


 なるほど。そうか、そういうことか。

 車の量が僕たちが走る前に比べて、明らかに後ろのほうが混んでいた。


 もし今、仮に過去の自分と同じ速度で走っていたとしても、後ろのほうが車の量が多い以上、どうしても減速は起きてしまう。

 そうすれば、今の僕たちと物理的な距離が開くということなのだろう。


 ヤバい、本当にヤバい。

 透明になる点滅するスピードが目に見えて早くなっている。


「消えるのか、僕……?」

「縮めないと、まずいわね。次にUターン出来そうなのは……」


 そうだ。メリアの言う通り早く反対車線に行って、過去の自分まで距離を詰めないと……。

 僕はメリアの横から、前の道路を覗いてみた。


「何だとぉ!?」


 最悪だ。高架上なせいでほぼ一本道じゃないか!

 目視では右に曲がれて、合流できそうな気配はない。

 車線を分ける柵も無駄に高いせいで、無理やり反対車線に入れそうにもない。


「ハァ、仕方ないわね」


 するとその時、メリアがため息混じりに小さくぼやいた。


「直也、しっかり捕まってて」

「うん、わかった……って、うおっ!?」


 メリアがいきなり車体を180度――勢いよく旋回させると、こちらに向かってくる車両たち目掛けてバイクを走らせたのだ。


「待って、待って待って待って待って!」


 イカれてるのか、この女! 右に左に右往左往にハンドルを切って、車の隙間を縫うようにしてメリアはバイクを逆走させる。


「死ぬ、死ぬーー!」


 遊園地のジェットコースターだとか、そういうレベルじゃない。


「何、狼狽えてんのよ直也。どうせ死ぬなら、ワンチャン助かるほうに賭けるでしょ普通?」

「普通は逆走したりしねえよ!」


 車を横切るたんび、ヒュンと鳴る風切り音。

 耳に聞こえる度に恐らく僕は、寿命が一年縮んでいる。

 ぶつかったら、即アウト。残機なしのレースゲームかこれは!


 鳴り響く無数のクラクションや、大量の急ブレーキ音。

 環七は喧騒とし、異様な空気に包まれていた。


「神様、仏様、天使様。どうか、僕をお救いください」


 腹イタの時にしか頼まない神頼みを、トイレではなく路上で僕は行う。


「天使は目の前にいるけどね」

「やかましいわ!」


 クソッ! メリアの奴、こんな時にふざけやがってぇ!


「大体これ、いつまで続くんだ!?」

「そう興奮しないで。あと少し、ようは過去のあなたの時間まで戻ればいいわけだから。楽しいのはそれまで」

「楽しくねえ!」


 まあ、でもそっか……。過去の僕が走っている場所まで近づけばいいわけだから、その付近まで行ったらまた旋回して逆走をやめたらいいだけ。


 よし、目を凝らすぞ! 光れ、FPSゲーマーとしての動体視力。

 友達も作らず、ずっと引きこもってゲームをしていたのはこの時のためと言っても過言じゃない。


 二人乗りの黒いバイクだ。必ず見つけ出して、メリアに知らせる。一秒でも早くこの、まるで心臓が肋骨から飛び出てるような状態から抜け出すためにも!


「黒いバイク、黒いバイク……」


 念仏のように唱え、目をかっ開いて探していた時だった。

 ブーンと大きな排気音を鳴らし、僕たちの横を通過した一台のバイク。


 ちょっと待って!?


「メリア。今、後ろ通ったのは?」


 一瞬だったが多分、間違いない。

 さっきのバイクは黒を基調としていて、二人乗りだった。

 背恰好も僕らと同じ、ライダースーツにフルフェイスで覆われたヘルメット。


 最悪だ……。すれ違ってしまった!


「あと、少し……」


 ボソっとつぶやくメリア。


「何を言ってるんだ、メリア! もう、通り越しちゃった……いや、メリア前っ!」


 その瞬間、僕らの眼前に迫りきった一台の白いワゴン車。

 悪運が続いたのはここまでだった。

 ワゴン車と勢いよく正面衝突すると、その衝撃で僕らの体が宙に投げだされてしまう。


「うわぁーーー!!」


 何メートルだ、この高さ!? 下は固められたアスファルト。

 この高さから落ちたら、まず命はない。


 宙に浮く間の、時の流れはゆっくりだった。これが、走馬灯か……。

 当たりの景色から色が消え、だんだんと近づいていく地面。いよいよ、お迎えが来る。


 やっぱ、めちゃくちゃ痛いんだろうな。

 どうせ死ぬならせめて痛みがなく、一瞬で死ねますように……!

 僕は目をつむり、盛大に心の中で祈った。


 …………。あれ? いつ、来るんだ。

 投げ出されてから、もう十秒くらいは経つのに、体に痛みが全然走らない。


 一体、どうなっている? 恐る恐る僕は目を開いた。


「われこ!(これは!)」


 地面が遠くなっていく。重力と言うものが世界から消えたのか、僕とメリアが落ちるのとは逆に、だんだん上へ上昇していっているのだ。


 どこまで上がるんだ!? と思っていたら、今度は普通にゆっくりと背中から落ちる。

 真下にはぶつかって、ほぼ原型のないぐちゃくちゃなメリアのバイクとそれとぶつかった白のワゴン車……。


「ッハ(ハッ!)」


 この時、僕はあることに気づいた。


 時間が止まっている。下のワゴン車だけじゃない。

 環七を走る周りの車も、ぴたりと動かなくなっていた。


「てま、んう(うん、待て?)」


 これは……! 大破したバイクに、道路に散らばったはずの部品やらが次々に集まりだしていた。

 衝撃でぺちゃんこになった車体部分も元に戻り、バイクが事故る前の完全な状態までに直ったのだ。


 いや、違う。直ったんじゃない。戻ったんだ。時間が逆行したことによって!

 タイムレネゲートが再び発動したんだ。


 空中で舞う僕は引き寄せられるようにメリアの後ろ、バイクシートの上に尻から座る。

 直後、僕らの乗る車体が180度――急旋回するとバイクは後ろ向きで、あたりがモノクロな環七道路の上を走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る