4月28日――⑨
僕たちの目の前にそびえ立つのは、一棟のタワーマンションだった。
白色を基調としたデザインの縦長に伸びるこの長方形の建物は、五、十、二十……、すげえ高さだ。
三十階以上は軽くあるんじゃないか? ずっと見上げていると、首を痛めてしまいそうだ。
マンションのすぐ前の、街路樹のそばにメリアはバイクを止めると、カーナビ代わりに装着していたスマホを取り外し車体から降りていった。
ここが悪魔の住む――伏魔殿か。
見てくれは、人生を勝ち上がったものだけが住めるごく普通のタワマンだが、ここに柚葉が……! 城ケ崎の手により囚われている。
僕も彼女に続いて、バイクから降りる。
メリアはヘルメットを脱ぎ、頭を左右に振り赤い髪をなびかせると、ハンドル部分にそれをかけた。同じように僕も反対側のハンドルに、ヘルメットをかける。
しかしだ……。どうやって入ったものか。
こういうマンションはセキュリティがかなり厳しい。
ショッピングモールの自動ドアとは訳が違う。エントランスに入るには、住人のみが持っている鍵かなんかを使って、ドアを開けなければならないのだが……。
「ちょっ!?」
ふと振り返ると、メリアはずかずかと早足でタワマンの一階エントランスホールの入口へと向かっていた。
慌てて僕も、走って彼女を追いかける。
「待って、メリア! こういう建物には普通、オートロックがかけられていて……」
僕が追いついたすぐの合間、メリアはホール前ガラス扉の前に立っていた。
そして驚くことに、ウィーンという音と共にドアは勝手に開かれたのだ。
「なら、開いていた時間まで戻せばいいでしょ?」
ああ、そっか。すっかり忘れていた。天使の物体を過去に戻す能力。
時間をマンションの住人が出入りしていた時まで戻せば、おのずと扉は開かれるという訳か。
「直也、聞いて。もし城ケ崎が、あなたに免許証を取られたことに気づいたとしたら……、彼女はわたしたちがここに来ることを悟っているのかもしれない」
「えっ、それじゃあ」
「罠や待ち伏せを仕掛けてくるかもしれない。気をつけて進みましょう」
そう僕に忠告するメリアは、今までで最も警戒した様子の顔をしていた。
――2003。城ケ崎の免許証の住所欄の最後は四桁の数字だった。
マンション名の後に来る数字はその建物の階数、部屋番号を指し示すと、さっき携帯で調べたネット記事に書いてあった。
二十階の三番部屋。つまりそこが、城ケ崎の居住地ということだ。
エレベーターに乗り込んだ僕たちは二十階のボタンを押し、扉を閉める。
あと少しだ……。もう、あと少しで……柚葉に会える。
柚葉が失踪して丸々三日。短いようでとても長い時間だった。
だが、それもここで終わる。
「緊張してるの?」
腕を組みエレベーターの壁にもたれかかるメリアが、こちらをじっと見ながら僕に聞いてきた。
「えっ!? あ、うん……」
メリアの問いを簡潔に僕は答える。
確かにそうかもしれない……。彼女に言われるまで自分でも気づかなかった。
柚葉にまた会える期待感や、城ケ崎と再び対峙しなくてはならない恐怖。
いろんな感情が自分の中でごっちゃになって渦巻いてることに。
「怖い顔しない」
すると、メリアが握りこぶしで僕の肩を叩いた。
叩いたと言っても力加減は軽く、まるで僕を激励させるような、そんな素振りだった。
「せっかくの感動の兄妹の再会なんだから。久しぶりに会う兄の顔が険しかったりしたら、妹さんも嫌でしょ?」
それも、そうだ……! 僕が怖気づいちゃ駄目じゃないか。
本当に怖いのは、三日間も悪魔に囚われた柚葉の方なんだから。
明るい顔で出向かわないとな!
「城ケ崎がどんな罠や襲撃をしてこようともわたしがついてる。だから心配しないで」
メリアが得意げな顔を浮かべながらそう言った。
「ありがとね、メリア」
僕は彼女に感謝の気持ちを伝える。
「君がいてくれたから、ここまで来れたんだ」
「そ、そう……?」
メリアの目を見ながら言ったそば、何故か彼女は突然僕から視線を反らした。
腕を後ろに組み、下を向くその顔はほのかな赤みを帯びている。
「別にわたしは天使なんだから人間を助けるのは当たり前だし……、いきなり感謝されるもんだからびっくりした……」
「メリア……?」
早口でもじもじした様子で何やら独り言をつぶやくメリア。一体どうしたんだ?
今までの毅然とした態度とは反対に、何か急にしおらしくなって。
顔もすげえ真っ赤だし……。
ハッ! いやいやいやいやいや! 何を考えているんだ僕は!
そんなことあるはずがないだろ!? そんなこと起きるわけがないのは、十五年生きてろくに経験のない僕自身が一番よく知っている。
…………。でも、だ。
もし今、僕が考えていることが本当のマジの現実だとしたら……。
勇気を出せ、直也! こういうのは男である僕の方から言わなければならない!
「あのさ」
「あのさ」
何て、こったい! 意を決して聞こうとした瞬間、僕らは一斉にハモってしまった。
「な、何か用、メリア!?」
「そ、そっちが先に聞いてきたんじゃない!?」
やべえ! クッソ、気まずいんだけどこれ……!
チン!
「あっ」
到着を知らせるベルが鳴ると、エレベーターのドアが自動で開かれた。
操作パネルに示された階数の表示は20。
「ほら、着いたからさっさと降りるわよ」
そう言うとメリアはそそくさとした足取りでエレベーターから出て行った。
これは助かった、のか……? いや、多分そういうわけじゃないんだろうけど……。僕も彼女に続いてエレベーターから降りる。
二十階は日差しの入らない、まるでホテルのような内廊下だった。
曲がり角のない一本道に部屋が向かい合うように並んでいて、エレベーターを降りてすぐ一番近いところの右端の部屋番号は12。
反対の左側は11で、その奥の番号は9だった。
この並び順から考えると僕らの目的地である3番部屋は、もう少し先の奥にあるということだ。
「行きましょう。妹さんに会いに」
そう話すメリアの顔はいつもの凛々しい表情に戻っていた。彼女の言葉に僕はコクリと頷く。
メリアが右で僕は左、僕らは真横に並ぶような形で廊下内を歩いていた。
11、9、7――。7番部屋を超えると、次の5番部屋までは少し距離があった。
だが、その理由はすぐにわかる。
消火器だ。多分、建築基準法とか何とかで一定の範囲にそういう防災用の設備を置かなければならないのだろう。
7番と5番部屋の間の壁には消火器スペースが取り付けられていた。
ボン!
「待って!」
その時、何か物が勢いよくぶつかるような音が廊下内に響き渡った。
メリアが僕の動きを制するように左手を胸の前に突き出す。
ボンボンボン!
音がだんだんと強くなると連続して鳴り響く。
音の方向は……、普段FPSゲームをやっていた甲斐もあってか僕はすぐにわかった。
「メリア、消火器の方!」
その瞬間、消火設備の箱が突然開かれると、大人の膝丈くらいありそうな赤い金属の筒が僕たち目掛けて勢いよく飛んできた。
物がまるで自分を攻撃するかのように一人でに動きだすこの光景。
城ケ崎だ――。職員室でボールペンを僕に飛ばしてきた時のような、未来に起こる現象を操る悪魔固有の能力。
「下がって!」
メリアが飛んでくる消火器に向かって回し蹴りをした。
アクション映画ばりの綺麗なフォームだった。
人に当たれば無傷では済まないその大筒を、メリアは軽々と弾いたのだ。
弾かれた消火器はカンと音を立て、床の上を転がる。
これがメリアが言っていた、城ケ崎の仕掛けた罠と言うことか。
「危ねえことしやがる……」
僕は一人ぼやいた。さすがにこれ以上はない……
「伏せて!」
と思っていた刹那、メリアが僕の頭をわし掴みすると、まるで土下座させるような勢いで僕を地面に押し倒した。
直後、僕たちの頭上を何かがものすごいスピードで通過すると壁と天井、九十度の隙間にそれが深く突き刺さった。
振り返り天井を見上げると、それは赤く小さなペン筒のような形をしていた。
やがてすぐに筒から、オレンジ色の炎が轟々と燃え広がる。
――発炎筒! 車とかによく搭載されているあれ。
さっきの消火器はブラフ。本命はこの、発炎筒だったということか!
飛んでくる消火器に気を取られている隙に、僕たちをあの炎で燃やそうという魂胆だったのだろうが……、メリアが間一髪気づいてくれたおかげで僕たちは無傷で済んだ。
プシューという音と共に大量の水が勢いよく天井から放出される。
スプリンクラーだ。さすがはタワマン、防災設備は完璧と言ったところなのだろうか。発炎筒から立ち込める炎がみるみる内に小さくなっていくと、あっという間に火は消え去っていった。
「クッソ!」
僕は髪についた水滴を落とすように、頭を左右に振った。
まあ仕方ないとはいえ、いきなりズブ濡れになるのはなかなかに不快な気分だ。
ウゲッ! 鼻に水が入った。僕は右穴を指で抑え、左の鼻の穴にグッと力を入れ溜まった水を一気に床に出した。
僕はチラッとメリアの方を見る。
彼女もまた、僕と同じように水びたしになっていた。水に濡れたせいでライダースーツがぴっちりと体に引っ付き、魅惑的なボディラインがくっきりと浮かび上がる。
ウェーブのかかった赤い髪はぺっちゃんこになり髪先からぽたぽたと雫が滴り落ちて……。
ゲフンゲフン! 何をちょっと興奮してんだ僕は!
もし、メリアにバレてみろ? ドヤされることはまず間違いないぞ!?
「鉄器、炎……」
ん、どうした?
メリアは険しい顔をしながら顎に手を当て、何やら独り言をつぶやく。
「炎、水……」
天井を見上げ、作動するスプリンクラーを眺めながら先程と同じようにぼやいていた。
バチッ!
今度は何だぁ!? 一瞬、廊下に響き渡った何かが勢いよく弾けるような音。
「直也、走って!」
メリアが鬼気迫る表情で僕に向かって叫んだ。
「電球から離れて! 城ケ崎の攻撃はまだ終わっていない!」
直後、僕たちの真上、蛍光灯が突然爆発したかのようにパリンと大きな音を立て割れた。
「うおっ!」
天井からガラスの破片があたり一面に飛び散る瞬間、僕は頭に両腕を乗せ人体の急所である後頭部をガードする。
頑丈なライダースーツを着ていることもあってか、幸運なことに服に破片の一部が突き刺さったぐらいで一ミリも怪我を負うことはなかった。
しかし、城ケ崎の野郎……!
「色々考えてやがる」
消火器に発炎筒にガラス片。
あらゆる手段を講じて、僕らを亡き者にしようとしている。これが奴の……、
「違うわ、直也! あいつの狙いはガラスじゃない。中に入ってる電流よ!」
「何だって!?」
上を見上げると、割れた蛍光灯の部分から白やら黄色のコードで繋がれた電線がむき出しになっていた。
すると電線が一人でに、まるで雑巾を絞るかのように細く縮まっていくとバチバチと火花が散り始める。
おいおい、嘘だろ……? あれは漏電してるんじゃねえのか!? 急いでこの場から離れないと!
ぴちゃん!
足を一歩踏み出した時、ふと鳴り響く水の跳ねる音。
この時、僕は恐ろしい事実に気づいてしまう。
廊下一面、水たまりが広がっていることに……。
繋がっていた――。悪魔は闇雲に攻撃を仕掛けてきたわけじゃない。
発炎筒で火を起こしたのも、スプリンクラーを作動させ建物や僕たちの体をを水浸しにしたのも、全ては最後の仕上げ、感電を起こさせるための布石……!
やばいぞ! もし漏れ出た電流がこの水浸しの床に落ちたとしたら……。
体も濡れている。無事では済まない!
「メリア!」
気づくとメリアは飛んでいた。火花が散る天井に向かって。
この時すでに蛍光灯からは目視できるほどの稲妻が発生していた。
まさか、メリアの奴!
次の瞬間、目を開けてられないほどの強烈な白い光が僕の瞳を襲った。
あまりの眩しさに、思わず僕は手で顔を覆い隠す。
光は五秒と経たずにすぐに消えた。
――ぽちゃん。
今のはメリアが着地した音! 僕はゆっくりと瞼を開いた。
眼前に広がる光景を見て、何が起きたのかはすぐにわかった。
「心配しないで。蛍光灯を壊れる前、元の普通の状態に戻したから。電気は漏れないわ」
床に飛び散っていたガラスの破片は消え、天井の蛍光灯は元の、何の変哲もない白い光を放つ物体に戻っていた。
そう得意げに語るメリアの服は部分部分破け、電流による熱にさらされたせいか体から湯気が立ち込めていた。
「メリア!」
ふらふらになり、倒れそうになるメリアの肩を僕はすかさず支える。
「どうして、こんな無茶を……」
赤く痛々しい焼けただれた跡が、新雪のように白いメリアの顔の所々に浮かび上がっていた。
「どうしてって? 直也、あなたを助けたいからよ……」
「だからって! 君自身がボロボロになっちゃ、意味ないじゃないか!」
そうだ……。メリアは自ら捨て身になって、体に大量の電気を浴びながら過去戻りの能力で蛍光灯を元に戻したんだ。全ては僕が感電しないよう気遣って!
情けない。己の無力さが悔しい。ここまでずっと僕はメリアにおんぶにだっこだ。
自分一人じゃ何もできない!
「そんな苦虫を噛み潰したよう顔しないで」
歯がゆさを感じていた僕に、メリアが優しく微笑んだ。
「人を救うのが天使の定めだから」
「定めって……。そんなもののために僕のことを……」
「ううん。確かに半分違うわね」
「半分……?」
「そう、半分は悪魔を退けなければならない天使の使命。でも、直也。もう半分はあなたのためなの」
「僕のため……?」
ふと聞き返した僕の言葉に、メリアは小さく笑った。
「わたしはわたしの、大切な人を救いたいから……。直也、だってわたしはあなたのことが……」
続きを言いかけた時、メリアは僕の貸した肩からするするっと抜けていった。
「な~んてね!」
にこっとした笑顔をメリアは僕に見せた。
「大丈夫よ。天使は人よりかなり丈夫なんだから。さっ、行きましょ直也! 柚葉さんに会いに」
「うん……」
僕が返事をした時、すでにメリアは三番部屋に向かって歩きだしていた。
――わたしはあなたのことが……。
気になる言葉だが、今続きを聞くような野暮な事はしない。
僕たちは扉の前に立った。
チャイムの上、看板に記された四桁の番号――2003。
メリアがドアの取っ手を握ると、ガチャっという音が鳴った。
ロックが解除されたのだろう。そのままメリアは勢いよく扉を引いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます