4月28日――⑩

 ドアを開けるとその先は一本の長い廊下だった。電気がまったく点いていない真っ暗闇。

 メリアはすかさず、まるで闇に吸い込まれるかのように玄関へと足を踏み入れた。彼女に続いて僕も中へ入る。


 バタン!


 その瞬間、もの凄い音を立てて扉が勢いよく閉まった。

 思わず僕は、後ろを振り返る。


「ここで決着をつけるっていう訳ね……」


 噛みしめるようにメリアが言った。

 ドアノブに手をかけ、確認するとまるで固定化されたかのように扉が動かない。


 メリアの言う通りなのだろう。ここが最後の総本山……。

 短いようで長い時間だった。

 

 ようやく……、ようやくたどり着いたこの場所に……!


「柚葉、どこにいるんだ!」


 僕は暗闇の中、一人叫んだ。


「いるなら返事をしてくれ!」

「ちょっと直也、落ち着いて! ここには城ケ崎だっているのよ!」


 落ち着いてなんていられるか! 僕は前に立つメリアの横を追い越そうとした。


「待って! 相手は何を仕掛けてくるかわからない! わたしが先に前を歩くから……!」


 僕らが言い合いをしている最中だった。

 メリアの後ろ、廊下の先からこちらに向かって走ってくるような足音。


「誰っ!?」


 すると、足音の人物がメリアに思いっきりぶつかった。

 突然の衝撃にメリアは尻もちをつく。


 暗闇に目が慣れ、月明かりの青白い光が廊下に差し込んでくると、月光がメリアの上にまたがるその人物の姿を照らし出した。


 こいつは……! 黒い髪をロングにおろしたその人物に僕は見覚えがあった。


「白石!」


 柚葉が所属するオカルト研究部の部長。

 またの姿を、城ケ崎に人を提供する悪魔側の協力者。


「ごめんなさい……、ごめんなさい……」


 白石は目に涙を浮かべながらただひたすらに、まるで壊れたラジオのように繰り返し謝罪の言葉を述べていた。


 涙の理由は城ケ崎への恐怖か、柚葉たちを傷つけてしまった後悔からなのか……。

 白石は脅される形で悪魔の手先になっていた。

 不本意な形でこの場にいるのは間違いない。


「どいて! あなたに用はない!」


 自身の上を動かない白石に向かって、メリアは怒気を含んだ強い口調で言った。


「もう二度と……、二度とわたしは……」


 パニックになっているのか、白石は情緒不安定な様子だった。


「フフ、勇者たちよ。よくぞここまで辿りついた……!」


 その時、廊下の先から聞こえてきたふざけたセリフ。この声は……!


「待って、直也!」


 僕はメリアたちの上を跨ぎ、走り出す。

 月明かりが差し込む窓全開のベランダを背に、十五畳ほどのリビングの中央に奴は立っていた。


「大方わたしは、ゲームのボス部屋にいるボスって感じかしら?」


 黒髪を後ろに束ねた大きな体躯の女。

 そいつは人類の天敵であり、諸悪の根源……!


「城ケ崎!」

「ここでわたしを倒せば、ゲームクリア! 物語はエンディングを迎え、感動の兄妹の再会。晴れてハッピーエンドという訳ね」

「柚葉はどこだ?」


 奴を睨みつけながら、僕は聞く。


「でもね、現実は残酷……。ハッピーエンドになるほど、世の中は甘くないの」

「質問に答えろ!」


 僕は城ケ崎に向かって駆け出した。手に握りこぶしを作り、悪魔へと振りかざす。

 向かってくる僕に対して城ケ崎は微動だにせず、拳は悪魔の顔面、顎付近にもろに入った。


 しかし……、


「ふ~ん、全力はその程度?」

「なっ!?」


 僕の力が弱いとかそう言うレベルじゃない。まるで石壁を殴ったような気分。

 全身全霊を込めたパンチを食らっても、城ケ崎はケロッとした顔をしながら僕のことを見下ろしていた。


「パンチってのはね……」

「直也、逃げて!」

「こうやるのよ」


 メリアの叫び声を聞いた僕は瞬間、城ケ崎から距離を置くべくとっさに後ろへと下がった。


「あら……」


 危ねえ……。体に冷や汗が流れる。

 メリアが言ってくれなきゃ僕は、城ケ崎の攻撃をもろに食らっていた。


 すぐに離れたせいでやり場を失ったのか、悪魔は困惑した様子で自身の作った握りこぶしをジッと見つめていた。


「職員室のこと、覚えてなくて?」

「えっ?」


 その時、僕のみぞおちに広がる猛烈な痛み。


「ウッ……」


 あまりの激痛に僕はその場に倒れこんだ。


「未来は変わらないんだから、逃げたところでしょうがないでしょ?」


 クソッ、そうだった……。悪魔の未来に干渉する能力。

 城ケ崎はそれを使い、僕のみぞおちを殴る未来まで持って行ったということか。


「直也!」

「キャッ!」


 突き飛ばされたような音と悲鳴が聞こえる。多分、白石のだ。

 メリアがリビングまで駆けつけてくると、今にでも殺しそうな鬼のような形相で城ケ崎に強い眼差しを向けていた。


「おおっと、動いちゃダメよ~!」


 グッ……! メリアが僕ににじり寄ろうとすると、城ケ崎が右足でうずくまる僕の頭を踏んづける。


「まったく怖いんだから……。ボーイフレンドがトマトケチャップになるところ見たくないでしょ?」

「チッ!」


 メリアは舌打ちをすると、歯ぎしりを立てる。


「殺されたくなきゃ、この部屋から出ることね」


 クッ! 城ケ崎は体重をより足に乗せてるのか、僕の頭にかかる力が強くなった。

 その光景を見てか、メリアはじりじりと後ずさりする。


「ダメだ、メリア!」


 僕は叫んだ。


「メリアがいなくなったところで、こいつが僕を殺さないとは限らない! 僕のことはどうなってもいいから柚葉を……、救ってくれ!」

「フフ、そうねぇ……。確かにこの場から天使が消えたところで、わたしが君を殺さないとも限らない……」


 城ケ崎が不敵に笑いながら、僕の顔を覗き見た。


「んじゃ、ケチャップになりましょか?」


 殺られる……! 思わず僕は目を瞑った。

 せめて最後、柚葉に会いたかった。

 何であの時僕は、あんなことを言ってしまったんだろうか……。


 許してくれ、柚葉。本当は別に一緒に帰ってもよかったんだ。

 ただ僕の、しょうもないちっぽけなプライドのせいで柚葉の心を傷つけてしまった。


「直也!」


 僕の身を案じてくれてるのか、メリアの叫び声が響く。


 でも、よかった。彼女になら柚葉のことをまかせられる。


「お兄ちゃん……」


 幻聴なのだろうか、ふと聞こえてきたか細い声。この声は、柚葉……!?


「柚葉、いるのか!?」

「お兄ちゃん……」


 間違いない。ふすまのほうからだ!

 今にも消え入りそうだが、確かに柚葉の声が聞こえてきた。


「ごめんなさい……。柚葉ちゃん、ごめんなさい……」


 他にもふすまの先から聞こえてくる。

 涙交じりの声で柚葉に対し、謝っている様子なんだが……こいつは、誰だ?


「待て! 何で今、お前がここにいるんだ!?」


 城ケ崎が慌てた様子で、ふすまに向かって叫んだ。

 足で押さえつける僕の頭への負荷が軽くなるほどに、城ケ崎は落ち着きを失っていた。


 直後、バタバタとせわしない駆け出したような足音。

 廊下のほうから鳴るってことは多分、白石なのだろう。

 白石は悪魔を極度に恐れている。僕やメリアが城ケ崎と対峙している隙に、この場から逃げ出したということなのだろう。


「天使は二人一組で行動し、悪魔を追い詰める……」


 その時、艶がかった声が部屋に響いた。

 押さえつけられながらも何とか少し顔を動かした僕は声のした方向、ベランダの先を覗いてみた。

 その場所には、月明かりを背に一人の女性が立っていた。


 その女の瞳は蒼玉のように青かった。

 サイドテールにおろす髪はまるで澄んだ青空のように淡く、水着を着て少年漫画雑誌の表紙をかざるアイドル顔負けのグラマラスな体型。

 きっと妖艶という言葉は、彼女を表すときに使う言葉なのだろう。

 とても美しい大人の女性だった。


 そう思ったのも束の間、彼女の手元がキラリと光ったかと思うとその正体はすぐにわかった。

 ナイフだ。刀身が銀色に輝く一本のダガーナイフが気づくと、城ケ崎の額部分に突き刺さっていた。

 するとまるで蝋人形のよう、悪魔は動かなくなり断末魔を上げる暇もなく、その場に倒れこんだ。


 これは……、殺ったのか……?


「来てたのね、ミーシャ」


 そう言ってメリアは、ゆったりとした足取りでリビングの中に入ってきた水色髪の女に近づいて行った。


「ミーシャ?」


 というのが、彼女の名前なのだろうか……。

 メリアはどうやら彼女を知っている素振りみたいだが、ミーシャ――。


 あれ、この名前どこかで聞いたような……。


「こんばんわ。初めまして、あなたが直也君ね」


 ミーシャと呼ばれる人物は、膝を曲げ視線を落とし僕に語り掛けた。


「メリアから聞いてるわよ。妹さんが悪魔に攫われてるのよね?」

「メリアから?」


 僕が聞き返すと、ミーシャは目を丸くし驚いた様子だった。


「あれ? もしかして聞いてない?」

「はい……」

「もう、まったくこの娘は……。ちゃんと話しときなさいよ……!」


 呆れたようにミーシャが言うと、彼女は突然右手でメリアの片頬をつまみだした。


「わたしもね。この娘と同じ、悪魔を退けるために天界からやってきた天使の内の一人」


 直後、ミーシャの左手元にナイフが飛んでくると彼女は柄を掴みキャッチした。

 刃先が血に汚れるそれはついさっき、城ケ崎に致命傷を負わせたナイフだった。


「メリアと同じ力だ……」


 物体の時を戻す天使固有の能力。物置小屋で初めてメリアが僕に見せてくれたそれを、ミーシャも同じように発動したのだ。


 物置小屋……。そうだ、思い出した!

 確か物置小屋を出る前、メリアが電話で連絡してた相手がそんな名前だった気がする。


「別に言わなくてもいいじゃない。話しても意味ないんだし」

「そうやって、すぐ歯向かわない!」


 ミーシャがナイフを懐にしまうと、メリアの両頬を優しくつねった。


「まったく、ほっぺたはこんなプニプニで可愛いのに、変なところでツンツンしてんだから……! 天使だろうと人間だろうと互いの情報はちゃんと共有する。じゃないと組んでいる意味がないでしょ?」


 くねくねと遊ぶようにメリアの頬を動かしながら、ミーシャがメリアに注意をする。

 そんなミーシャに対しメリアは特に反論せず、されるがままジトっとした目でミーシャの顔を見ていた。


 何となくだが、このやり取りで二人の関係性が少しわかった気がする。

 強豪校の運動部の下級生が上級生に逆らえないような、天使にも人間のような上下関係があるのかもしれない。

 メリアが後輩で、ミーシャがそれを指導する先輩みたいな。


「離してミーシャ。じゃないと殴る」


 いや、まったくそんな事はないみたいだ。


「もう、可愛げのない後輩!」


 ミーシャが頬を掴んでる手を離した。


「うちのメリア、怖いでしょ? 直也君、ここに来るまでに殴られたりしてない?」

「えっ!?」


 急な問いかけに、僕は思わず返事がつっかえてしまった。


「変なこと聞かないで、まだ殴ってないわよ」

「まだ……?」


 何か今、すごい物騒な言葉を聞いた気がするんだが……、発言には気をつけよう。


「待って!」


 他愛のない話の最中、突如メリアが叫んだ。


「城ケ崎はどこ!?」


 メリアの言葉で僕らは気づく。ナイフを受け倒れていたはずの城ケ崎がいつの間にか、リビングから姿を消していることに。


「フウフウ……、さすがに天使二人が相手だと分が悪いわね……」


 苦しそうな息遣いがリビングの外から聞こえた。


 ベランダだった。

 目を向けると城ケ崎は頭から血を流し、手すりを掴み腰壁にもたれかかっていた。


「いいわ……。今は手を引いてあげる」


 直後、城ケ崎は空を見上げるように仰向けでベランダから飛び降りた。


「なっ!?」


 気でも狂ってるのか? 彼女の突拍子もない行動に僕は驚きが隠せなかった。


 ここ二十階だぞ!? この高さから落ちたらひとたまりもないことは、幼稚園児でもわかることだ。いくら追い詰められてるからって、あまりにも無策すぎる……。


「傷は浅かったみたいね……。どうするメリア、降りて追いかける?」


 ん? 追いかけるだと……?

 ミーシャはひょっとして城ケ崎のことを言ってるのか?


「いいえ、それよりも他にやるべきことが……」

「城ケ崎の奴、生きてんの!?」


 僕は二人に問いかけた。


「ええ、悪魔の体は類まれな再生能力を持っていてね。高いとこから落ちたくらいじゃ、すぐに傷が癒えて死なないわ。その対策にわたしたち天使は、再生能力を阻害する効力を持つ銀のナイフを天界から支給されている」


 再生能力!? そんなものを城ケ崎たち悪魔は持っているのか……!


「ミーシャ、今はそんなことどうでもいいわ」


 メリアが僕に説明するミーシャの話を遮る。


「直也、あなたは何のためにここに来たの?」

「何のため……?」


 ハッ、そうだ!


「柚葉!」


 僕はすかさず立ち上がると、妹の名前を呼んだ。


 ようやくだ……。ようやく僕は柚葉に会える。

 本当に長かった……。もう、誰も僕たちの邪魔をする者はいない。

 帰ったら久しぶりに一緒にゲームでもするか? 今年、僕受験生だけど。

 二日ぶりに娘と会えたとなれば、きっと母さんも許してくれるだろう。


 ハハ! 嬉しさのあまり思わず笑い声が出た。

 ふすまの引き手に手をかけると、僕は勢いよく横へと引いた。

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