4月28日――⑧

 東京都道318号環状七号線――。東京都大田区を起点に、目黒、世田谷、杉並、練馬、北区、足立、葛飾といった都内主要区画を環状に廻れるように作られた一般道。

 帰宅ラッシュ……というほど混んでいるわけではないが、三車線にまばらに広がる車のライトが高架上で夜のコンクリートジャングルを明るく照らしていた。


 僕はバイクの後ろグラムバーと呼ばれる、スーパーのカートの取っ手部分みたいな出っ張りを掴みながら、冷たい夜風を全身に浴び駆け抜ける。

 その手綱を握るのは赤い髪の少女メリア。

 僕はそんな彼女の後ろにまたがり、運転を完全にまかせていた。


 タンデムするとなって、最初は期待で胸が一杯だった。

 ほらあるじゃん! カップルとかが異性のパートナーの腰に手を伸ばして、体を密着させアツアツのドライブをするみたいな。


 そう思って、ウキウキで手を回そうとした時だった。

 メリアが僕の顔をじっと見て、「グラブバーを掴んで。もし、わたしの腰を掴むことがあれば、城ケ崎の時に負った傷よりも酷い怪我をすることになる」と念入りに釘をさされてしまった。


 酷い! あんまりだ!

 でもこういう時多分、男は意思を持っちゃいけないんだと思う。

 新聞配達の兄ちゃんがバイクの後ろに積んだ朝刊のように、僕はおとなしくじっと座っていた。


 クッソォ……! 赤い髪の美少女とニケツするなんて、もう二度と人生で味わえるかどうかなのに僕は! ただ後ろに、地蔵のように座っているだけなのか!? 

 男を見せろ、星川直也! 歌舞伎町のホストみたいに、会ったその日に女の子を惚れさせるなんて芸当は、僕の喋りや容姿で不可能なのは十二分に理解している。


 ならば、せめて! 目的地に着くまでの時間、楽しいひと時を。

 僕は脳味噌をフル回転させ、メリアに話しかける言葉を考える。


「あのさ……。メリア、運転上手いね」


 うわぁ……。いきなり何だ? このゴミみたいなセリフは。

 これが十五年間生きた男の、女の子の気を引こうと考え発したものなのか。

 我ながらコミニケーション能力のなさが、末恐ろしい。


「ありがと」

「長いの? バイクの運転」


 タクシードライバーに話しかける乗客か、僕は!

 自分で今、言ったそばから信じられん。


「えぇ、かなりね……」

「ふぅ~ん」


 ふぅ~ん、じゃないだろ僕!

 会話の流れ、途切れてんじゃねえか! 「どれくらい運転してるんですか?」とか他に聞きようがあるだろ!?


 いや、これもよくねえな! 「お仕事は何をなされてるんですか?」って婚活の時に男に聞いてくる、お見合い相手の女子か僕は!


「バイクはいいわよ。運転してるときは、何もかも忘れられて……」

「メリア……?」


 あれ? どういうことだろうか……。

 さっきまでの淡白な返事とは違い、今のメリアの言葉はどこか侘しさを感じさせるようなトーンだ。


「天使として生を受け、物心ついた時から悪魔を殺す術を天界の長たちから教わる。実力が着いたと判断されれば、長たちからの指令で人間界に飛び、仲間と共に悪魔との戦いに興じる。倒したら、またすぐに別の現場で悪魔との死闘を演じ、仲間が死ねば新たな天使が天界から派遣される戦いの日々。決して終わることのない天使の宿命。そこにわたしたちの自由意思はない……」

「メリア……」


 人と違う天使という生命体の実情を今、僕は少し知れたのかもしれない。

 過去を操る超能力で悪魔をやっつける、天使カッケェ……! なんて思ってた僕は浅はかだった。


 そうだよな……。メリアたち天使だって僕ら人間と同じ命はひとつなんだ。

 戦うのは怖いに決まっている。


「でもね。バイクを運転しているときはそんなこと忘れられるの。変わり変わりする景色を眺めがら風と一体になって道を駆け抜ける。誰にも邪魔されない、まるで自分がちょっとした神になったような全能感をバイクはわたしに与えてくる。まあ、冬はちょっと寒いんだけどね!」


 バイクのことについて語るメリアは、何だかとても楽しそうだった。


「ねえ、直也にはあるの?」

「えっ、僕!?」

「えぇ、あなたの趣味と言うか生きがいとかに興味があるわ。わたしも話したんだから、直也も話しなさいよ」

「僕は……」


 急な無理難題をメリアに押し付けられた。


「何もないよ」

「ない……?」

「うん。僕はダイヤモンドじゃない。そこら辺に転がってる石ころと何ら変わらない。メリアみたいな立派な使命もなければ、高尚な趣味もあるわけじゃない。ただの凡人さ」

「本当に? 趣味ぐらいはあるんじゃないの?」

「あるって言っても……」


 もちろん、あるにはある。ただ僕の場合、あんまり人に言えるかどうかと言うと……。


「何、人に言えない趣味なの? 鳥の死体を集めてるとか」

「んなわけあるか!」


 クソッ、メリアめ! 人が言い渋ってることをいいことに僕をサイコパス扱いしやがって! もういい、どうにでもなってしまえ。


「ゲームだよ。ゲーム!」

「ゲーム?」

「ああ、僕はね。ジジイになるまでゲームをやる人生を歩みたいんだ。だって、ほら? 人間は歳と共に衰え劣化していくものだけど、ゲームの技術は常に進化し成長をし続けるだろ? 僕はSA〇みたいなバーチャルリアリティなゲームが発売するまで、絶対に長生きしてやるんだ。後はアニメ見たり、よさそうな感じのスイーツ店に彼女もなしにソロで突撃したり」


 どうだ、このネクラ全開の僕の趣味軍は!

 今までこの話をして女の子に好印象を持たれたことは一度もないが、今日久々に封印を解いた。


 …………。普通に引くよなぁ。メリアの奴、何だかクスクス笑ってるし……。


「フフ……、いいじゃない!」


 そうだよな。いいよな……。ん、あれ……?


「いいの!?」

「えぇ、とっても!」


 メリアの反応は予想外のものだった。


「人にはそれぞれの色、特徴がある。ゲームだっけ? 別にいいじゃない。直也、それがあなたの大事な唯一無二の個性なんだから、卑屈にならず堂々としたらいいのよ」

「う~ん、そうしたいのは山々なんだけど……」


 それが出来たら苦労はしない。人目を気にして、自分の殻を破りさらけ出すことができないのが、僕が陰キャである由縁だ。


「聞いて、直也。あなたたち人間は、わたしたち天使と違って短い時間でたくさん学び、成長していく。この先の人生で、直也の性格は大きく変わっていってしまうかもしれない。五年後、十年後には今のあなたとはまるで別人のようにも」

「メリア……?」

「でもね直也、これだけは覚えておいて。あなたの大事な人を思いやる優しさ。それだけは忘れないでね。自分を大切に思う人を大切にする。今まで逢ってきた人も、これから先出逢う人にも」


 メリアの奴、一体急にどうしたんだ?

 人に優しくすることを説いてきたが、そんなのは――


「当たり前のことじゃないの?」

「フフ、そうね! 当たり前ね」


 メリアがまた微笑んだように笑った。


「何か煮えきらないな~。人生がどうのこうのとかも言ってなかった?」

「それはごめんなさいね。直也にとって、余計なお世話かもしれないわね」

「いや、まあ別にいいんだけど」

「長く生きると、変に老婆心が過ぎてね」

「あぁ~、そう言えば天使ってめっちゃ長生きしてるんだってね」


 本当に見た目だけは、若くて可愛い女の子なのにな。

 でも、このバイクの運転する技術もそうだし、物事を俯瞰的に見る達観した性格は、彼女が人並み以上に生きてることの証左になるだろう。

 そうなってくると、気になるのは……。


「メリアって、歳いくつ?」


 そう、彼女の年齢だ。


「直也……。あんた、女の子にいきなりよく歳が聞けるわね」

「あっ、ごめん……」


 ヤバイ! いくら何でもデリカシーがなさすぎた。


「まあ、いいわ。当ててごらんなさい」

「えっ!? う~ん」


 いきなり年齢を当てろと言われても……、難しい問題だ。


「三十歳くらい?」

「あら? 随分、小さく刻んでくるのね」


 三十で小さいだと!?


「もしかして、五十?」

「違う。直也、さっきから人間目線で年齢を考えていない?」


 嘘だろ!? もっと長く生きてるっていうのか? もしかしたらメリアは半世紀、いや下手したら一世紀は軽くまたいで生きているのかもしれない。


「わたしたち天使はあなたたち人間の倍以上は生きているのよ。わたし、坂本龍馬が暗殺されるところだって見たんだから」

「それはさすがに嘘」

「フフ、さすがに騙されないかぁ……」


 まったく……、油断も隙もありやしねえな。メリアの奴、こっちが下手に出ればからかってきやがって。


「百二年。それがわたしの生きた年月よ」

「えっ、メリア百二歳なの!? それじゃ、ババア……」


 僕が言い切ろうとしたその時だった。

 バイクの前輪が突然宙を浮くと、後輪だけが地面に触れた状態で道路を走りだしたのだ。


「うおっ! 危ない危ない危ない」


 僕は振り落とされないよう、グラムバーを必死になって掴む。

 背中がもうあと十センチもあれば、地面に激突するくらいスレスレだった。


「やめろ! 落ちる、落ちる!」

「ババア呼びしたこと謝る?」

「謝る、謝るから……!」


 そう言った次の瞬間、浮いた前輪がまた再び地面に触れると安定した水平走行に戻り、僕は重力から解放された。


「そう、なら許すわ」


 ハアハア……、お、おっかねえ。女性がキレるとおっかねえのは、母さんで痛いほど身に染みてるが、それ以上だな……。

 これから先、僕は二度と女の子を年増扱いしないことを心の中で神に誓った。(腹痛めてトイレに籠っているとき以外、神が湧かない――無神論者)


 でもさ、いくら何でも……


「公道でウィーリーすんのはどう」


 なん? て言いかけた刹那、メリアが突然右へとハンドルを切り、今走る中央車線から右車線へと車線変更したのだ。

 急なハンドル操作で強い負荷がかかったせいか、タイヤの軋む音が夜の環状線内に響き渡る。


「あぶねっ!」


 思わず声が出る。危うく振り落とされるところだった。


「気をつけ……」


 この瞬間、僕はあることに気づいた。

 今のようなキーッという音が続けざまに連続して発生しているのだ。


 それだけじゃない。僕たちの前方を走る車たちが、蜘蛛の子を散らすように次々とみだりに車線変更しだしていた。

 何故このような、まるでスパイ映画で主人公がカーチェイスしている時の、モブの車の動きみたいなことが起きているかはすぐにわかった。


 それは僕たちから見て左の車線を通過した一台のバイク。二人が乗っているこのバイクは何と驚くことに道路を逆走して走っていたのだ。

 並走する車の隙間を縫うようにして逆走するバイク、至る所で鳴り響くクラクション。環状線はすっかりパニックな様子だった。


 あれ、ここ――世界で一番治安のいい日本の道路だよな? 女の子がいきなりウィーリーしだすは、逆走するバイクが現れるわ。グ〇セフの世界じゃねえかよ!


 ガシャン!


「あっ……」


 命知らずの逆走したバイクは、一台の白いワゴン車と正面衝突をした。

 てこの原理なのか、乗っていた二人がまるでロケットが発射されたかのように空中へと身が投げ出されてしまう。


「よそ見しない」


 すると、後ろを振り向いてた僕の服の袖を、メリアが唐突に掴んできた。


「人がケチャップになるとこ見たいの?」

「ヒィ!」


 僕は慌てて視線を外し、進行方向である前へと目線を戻した。

 メリアの奴、おっかねえ例えをしやがる。


 でも、そうだよな。もし、あの高さから人間が地面に激突したとしたら……。

 ヒエッ! 考えただけでも恐ろしい。


「あんな奴らのことは放っておいて、わたしたちはわたしたちだけの考え事をしましょう。城ケ崎の家まで、もうあと十分もかからないわ」


 そうだ……、忘れるわけもない。僕たちが今、この環状線を走る理由は……!

 もう、目と鼻の先まで来ているんだ!


 バイクが道路に落ちたのだろうか。破壊されたような爆音が後ろで鳴り響いた。

 だが、事故った人たちには申し訳ないが、今の僕にはどうでもいいこと。

 柚葉、待っていろよ。兄ちゃんが必ずお前を! 悪魔から必ず救ってやるからな!

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