4月28日――⑦
「メリア!」
校舎――玄関前の廊下に、ポツンと一人立つ赤髪の少女に呼びかける。
メリアを探し出すのはそう苦労しなかった。
僕が職員室を出て、一階の廊下を左にまっすぐ走っていた時に偶然彼女とばったり会ったのだ。
「あら、また直也? あなたはタイムレネゲート?」
会うや否や突然、メリアは何やら奇妙な単語で僕に問いかけてきた。
「ん、何て? タイム、レモネード?」
メリアの奴、今何て言ったんだ? うまく聞き取れなかった。
でも、あれ……? 僕の中でデジャブを覚える。
こんなやり取り、どこかでやったような……。
「ちょっと、待って! どうしたのよ、その怪我は!?」
僕が考え事をしていると、メリアは血相を変えて僕の両肩に掴みかかって来た。
「あ、これ? さっき、職員室で城ケ崎にやられて……」
僕は右手の甲に出来た、血がにじみ出る小さな穴を見ながら取り繕っていると――
「左の親指も折れてるじゃない! すぐに手当しないと!」
「いや、大丈夫! それよりもあいつの住所がわかったんだ」
そう、今は一秒でも早く柚葉のもとに向かわないと! 痛みに狼狽えてる暇はない。
僕はポケットから城ケ崎の運転免許証を取り出した。
「城ケ崎に襲われる前に、運よく奴のデスクを見つけることができてね。おかげでくすねることができたんだ」
「本当に!?」
驚いた様子で答えるメリアに、僕は免許証を手渡した。
「すごいじゃない、直也! 普通の人間が悪魔を出し抜くなんて、なかなか出来ることじゃないわ」
「はは、そりゃどうも」
メリアがカードをまじまじと見ながら僕のことを褒めたたえる。
へへっ、悪い気はしないな。
「東京都品川区……。あら? 一つ跨いだ先の区じゃない。歩いていくにはちょっと遠い距離ね」
そう、メリアが今言った通り城ケ崎の住所は僕たちが住む世田谷区の二つ隣、目黒区を間に挟んだ先にあるのだ。距離にしておよそ十キロほど。
「やっぱり? 電車とか使わないとダメかな?」
「いいえ、それだと遅いわね。乗り換えなり電車を待つなりして少し時間を食うわ」
そうだよな、メリアの言うとおりだった。
クソッ! こういう時、まだ自分が中学生であることにもどかしさを覚える。
もし僕が成人、いや高校生であれば車でもバイクでも運転して、すぐに柚葉のもとに向かえると言うのに……!
「わたしが運転するわ」
そうだ! メリアが運転してくれたら、わざわざ時間を待たずとも直で城ケ崎の居住地まで……。
ん? メリアが運転?
「わたしの家にバイクがあるから、それで一気に向かいましょ!」
「ちょ、ちょっと待って!? 僕たち、まだバイク運転できる年齢じゃあ……」
言い出したの束の間、メリアが下駄箱のほうへと向かうと、靴を履き校舎を出ていった。
すぐさまも僕も履き替え、慌てて彼女を追いかける。
***
学校から歩いてから十分も経たずに、メリアの家へと到着した。
アパートなのだろうか。二階建ての部屋数が四つほどの小さな古い木造住宅。
「もしかして、バイクってあれ?」
僕は一階のドア前横、窓の下のスペースに置かれた一台のバイクを指さす。
「ええ、そうよ」
「本当に!?」
僕が驚くのも無理はない。何せこのバイク見た目がめちゃくちゃかっこいいのだ。
車体全体は黒を基調としているのだがハンドルとミラー、エンジン部分とそこから伸びるマフラーがメタリックな銀色に輝いていて、黒と銀のコントラストがかなりイカしていた。
見るからに高そうだ。そうなると気になるのは……。
「でも、いいの? こんな野ざらしな状態で置いといて、盗まれたりしないの?」
「別に大丈夫よ。いちいち鍵つけるのめんどくさいし」
メリアは凛とした態度で僕の問いかけに答えたが……。
本当にただ家の前に置いているだけ。アパートの屋根で雨風は一応しのげてはいるものの、ホイールロックやチェーンをつけてる訳でもない。
大丈夫と言っていたが、こんなの泥棒に対しどうぞ盗んでくださいと言ってるようなもんだぞ?
どう考えても、手間を惜しんで施錠する方が盗られるより百倍マシなはずなんだが……。意外とメリア、ずぼらなんか?
「なくなっても、いつでも戻ってくるから」
ん? いつでも戻ってくる?
バイクは犬猫じゃあないんだ。物単体で動くわけがない……。
いや、待てよ? 物体を戻す――過去へと……。メリアたち天使が使う、時間を操る超能力。
そっか! 別に盗られたりしても、バイクが家の前に置かれていた過去へいつでも戻すことができるのか。
ルーヴル美術館に置きたいくらいの、最強の防犯警備だ。
「ヘルメットと着替え持ってくるから。直也、そこで待ってて」
ふと、メリアはそう言ってドアノブについた鍵穴に手をかざすと、ノブをひねり戸を開け中へと入っていった。
便利だな……。今のも多分、過去を操る超能力だ。
オートロックなんて大層な機能もついてない簡素な扉。鍵を使わず開けることができたのは、施錠されてない過去の状態に時を戻したからなのだろうな。
「ハ……、ハァックション!」
僕は女の子の家の前で盛大なくしゃみをかます。
うぇー、寒っ! 時刻はすでに七時を超え、日も落ちあたりはすっかり真っ暗になっていた。四月でも夜はまだかなり寒いな。
凍える前にメリア、早く来てくれよ!
「お待たせ」
ポケットに手を突っ込み体を縮こませ寒さに耐え忍んでいると、カップラーメンをお湯に注いで待つ時間よりも早くメリアは姿を現した。
その姿はいかにもバイク乗りって感じの格好だった。全身が黒一色のライダースーツに、頭を覆うように被るシールド付きのヘルメット。
「ほら、直也も着替えて」
「えっ!? 僕も」
僕に着替えを促すメリアの手には、彼女が着ているのと同じ上下一体のスーツとヘルメットが握られていた。
「その恰好で国道を走る気? 制服姿の男がニケツで後ろに座ってたら、間違いなく警察に通報されるわよ。そうなったら面倒でしょ」
「そりゃあ、そうだけど……」
メリアに言いくるめられるまま僕はライダースーツに身を通そうと、今履いている学校指定のズボンのベルトを緩める。
「それ、服の上から着るやつ。あんたのサービスシーンいらないから」
「あっ、そうなの?」
それは失礼なことをした。
ジトっとした目で僕のことを見る彼女からスーツを受け取ると上着の前チャックを下し、そこからズボン部分までに足を入れ下半身がフィットすると、僕はチャックを上げ、スーツ姿に着替えた。何だかちょっと大人になった気分だ。
「あら、意外と似合ってるわね」
「本当に!? 今の僕だとクラス中の女の子を虜にできるかな?」
「それは無理だと思うけど、どう? きつかったりしない?」
風に攫われた木の葉のように冗談がさらっと流されたことはいったん置いておくとして。
僕は腰をひねったり肩を回したりして着心地を確かめる。
「うん、大丈夫」
メリアは僕より身長が五センチ低いぐらいで背格好がそんなに変わらない。
少し窮屈なぐらいで全然許容範囲なフィット感だ。
「でもさ……」
僕は最期に貰ったヘルメットを被ろうと、頭の上に持っていく。
あれ? なかなか上手くはまらない。装着に手こずっているとメリアが僕の後ろにスッと立ち、ヘルメットを上から押してくれ被るのに協力してくれた。
「僕ら未成年じゃん」
そう二人とも一丁前な恰好はしているものの、僕らは公立中学校に通うごく普通の中学生だ。バイクの運転なんて出来るわけがない。
「あれ、話してなかったっけ?」
メリアがそう言った瞬間、ヘルメットがストンと落ちると僕の頭にぴったりとはまった。
「天使は人間と違って、見た目の歳の取り方が違うの。こう見えてわたし、あなたの何倍も長く人生を歩んでるわ」
「えっ、嘘……」
驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。僕より長く生きてるだって?
嘘だろ!? メリアの見てくれはファッション誌に載るようなjc、jkと何ら変わらんぞ。
あれか? ファンタジー小説でロリっぽいエルフ族の少女が実は百歳を超えているみたいな、そんな感じのやつか!?
「それじゃ、オバ……」
サンって言いかけた時、コツンとヘルメットに軽い衝撃が走った。
メリアが拳で僕の頭を軽く叩いたのだ。
「うん。ヘルメットはしっかりはまっているようね」
ふぅ~、あぶねえ、あぶねえ……。危うく言いかけるところだった。
てっきり年増呼びしそうになったところを詰められたと思ったが、どうやらただヘルメットの性能を確かめたかっただけのようだった。
「あと、直也」
「うん、何?」
「次におばさん呼びしそうになったら、あんた殺すから」
「…………」
クスリとも笑わない真面目な表情で、物騒なことを言うメリア。
「後ろ乗って」
ヘルメットのシールドを下げ、彼女はバイクの上にまたがる。
僕は今から自分のことを殺すと言った女に命を預けることになった。
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