4月28日――⑥

 あたりをキョロキョロと見渡した僕は扉に手をかけると、そのスライド式のドアを右に大きく引き中へと入る。

 時刻は午後六時過ぎ。人の気配がないこの八十畳近い部屋は、僕の通う中学校の職員室だ。

 入り口は全部で廊下側にある二か所。反対側の窓からは土のグラウンドの校庭が見える。


「誰もいないな……」


 扉を閉め、もう一度人がいないかどうか再度入念に確認する。


「よしっ……!」


 僕は一人小声でつぶやくと、まず一番近くにあるデスクに手を付けた。

 机の上の乱雑に置かれた紙の資料に目を通す。


 違う。これはテストの答案用紙――。

 こっちはどうなんだ……。これも違う、出席簿だ。

 え~と担任は……、二年の佐々木か。ここじゃねえな。

 日誌を元にあった場所に戻すとすぐに僕は隣の机に移動し、また同じように漁り始めた。


 クソッ! 城ケ崎の机はどこなんだ!?

 僕が人の目を盗み、職員室でコソコソ動いているのは他でもない。

 城ケ崎の住所を掴むためだ。メリアが悪魔の気を引き付けているうちに僕が潜入し、住所の手掛かりになるようなものを探す。


 保健室で別れたときに作った僕たちの作戦だった。

 机の上の資料に一通り目を通し何も成果が得られないと、僕は引き出しを開く。

 一段目に入っていたのは、クラスメイト全員に配れるんじゃないかってぐらいの大量のボールペンと、ハサミやのり、セロハンテープやらの文房具たちが隙間なく箱の中にびっしりと詰まっていた。


 二段目の引き出しを開ける。今度は一段目と打って変わって中はスカスカだった。

 入っていたのは一冊のピンク色の、おそらくA4サイズのキャンパスノート。


「何だコレ?」


 ふと気になった僕はそのノートに手を伸ばす。そしてノートを持ち上げた時だった。

 隠すように、引き出しの底に置かれていた長財布に目が止まった。


「これを見れば……」


 ノートを元に戻し、財布を拾い上げる。

 財布の中は現金だけではなく、保険証や免許証といった個人情報の塊が大量に入っているはず。この机の持ち主が誰であるか確認しよう。


 恐る恐る僕は財布の口を開いた。しかし今のこの状況、かなり肝が冷えるな。

 中学に通う生徒が日暮れの誰もいない職員室で、教員の財布に手を付ける。


 もし、これがおおやけにバレたとしたら……、ああ考えただけでも恐ろしい。

 公立だから退学させられることはないだろうが最悪、警察に通報される可能性がある。そうなれば、内申はガタガタだ。僕は今年、受験生だというのに!


 中を見ると千円札が五枚に、一万円札が一、二、三、四、五――。

 おお、すげえ……。思わずよだれが出てしまいそうだ。これが大人の財力か……。


 いや、待て待て待て待て待て待て。落ち着け、僕! 目的を忘れるな。

 すぐに僕は紙幣から視線を外した。ハアハア……、危ねえ、危ねえ。


 魔が差すってのは、まさにこういうことを言うんだろうな。金の魔力は末恐ろしい……。

 煩悩を振り切り、僕はカードケースの方を覗いた。まずは一番手前にあるやつだ。

 

 僕はカードを引っこ抜いた。裏表が銀色を基調としたデザインで、表面の左上に金色のICチップ……。クレジットカードだ。

 右下には多分、そのカード会社の名前のロゴが。

 そして、ロゴ左にローマ字でカード所有者の名前。J、Y、OGASAKI……!


「城ケ崎か!」


 これは驚いた。二発目にして、いきなり当たりを引いたぞ!

 すぐに僕はクレジットカードを戻し、他に入っているカードを物色する。


「あった」


 表面右に顔写真が載ったこのカード。運転免許証だ。

 裏面は……、やっぱりあった!

 備考の欄に県名から番地までしっかり記載される城ケ崎の住所。


 ようやくだ……。柚葉が失踪してから丸々二日。

 やっと手がかりらしい手がかりを掴むことに成功した。


 後はメリアと合流して、城ケ崎の家に向かうだけ。

 待ってろ、柚葉! すぐに兄ちゃんが助け出してやるからな!


 もうここには用はない。僕は職員室を立ち去ろうとした。


「君、こんなとこで何やってるの?」

 

 突然聞こえてきた声に思わず振り返り、僕は顔を上げる。


 ――なっ、あいつは!? 入り口付近のドアに立つそいつは、髪を後ろに束ね黒いスーツに身を包み、百七十は優に超えるであろう巨躯な女。

 僕らの宿敵、城ケ崎だった。


 まずい……! 咄嗟に思ったその瞬間、先程閉めたはずの一段目の引き出しが何故かひとりでに勝手に開くと、それがもの凄い勢いで僕の股間にダイレクトに直撃した。


「ッ……」


 金的を喰らった時のこの下腹部にまで広がるようなにぶく酷い痛み。

 この痛さは、人生で一番かもしれない。

 あまりの衝撃に声も出ず膝から崩れ落ちると、僕は床の上にうずくまった。


「その机の引き出しはね。数秒後の未来に開ける予定だったの」


 ゆったりとした口調で僕に語り掛ける城ケ崎。

 ――数秒後の未来に開ける予定、だと……? こいつ、何を言ってるんだ?

 でも不思議と、城ケ崎の言葉に僕は既視感を覚える。


 天使の反対、悪魔は未来に干渉する能力を持っている……。

 思い出した。物置小屋での出来事だ。メリアが過去を操る力で物体を動かしたように、城ケ崎もまた未来を操る力で引き出しを開けたのか!


「天使が引き付けてるるうちに、もう片方の人間が悪魔に関する情報を探り出す。子供でも思いつくような単純でシンプルな作戦ね」

「なぜ、それを……」


 この内容は僕とメリアしか知らないはず。なのに、何で城ケ崎はこのことを知っているんだ……?


 ハッ、まさか!


「メリアをどうした!?」


 僕は大声で怒鳴った。ひょっとしてメリアは城ケ崎との戦いに負けてしまい、それで作戦がバレてしまったのでは。


「フフ、どうかしらね……」


 いや、メリアのことだ。やられるはずがない。彼女の無事を信じよう。

 とにかく今、僕のやるべきことはこの場を切り抜け、メリアと合流すること……!


 まだ腹部にジーンと痛みは残っているが、気力を振り絞り僕は立ち上がる。

 正面から挑んでも相手は悪魔。未来を操る超能力と人間離れした身体能力では、まず勝ち目がない。


 奴に背中を向けるのは癪だが、逃げ一択だ。

 僕は城ケ崎が立つ入り口とは反対のもう片方の出口に向かって職員机の合間を縫うように走り出した。


「うわっ」


 その時、机にしまっていたはずの椅子が突然僕の目の前に飛び出てくると、僕はそれに思いっきりぶつかった。

 バランスを崩した僕はそのままの勢いで椅子に覆いかぶさるような形で地面に倒れこんだ。


「ウッ……」


 倒れた瞬間、運悪く椅子の背もたれが僕のみぞおちに入り、思わずうめき声が出る。

 さっきの引き出しと同じように、この椅子も動かしたのか。


「教室では走ったらダメでしょ。中学生にもなってそんなこともわからないの~?」


 城ケ崎が僕を見下すような邪な笑みを浮かべながら、ゆったりとした足取りで僕に近づいてくる。

 捕まったら、まずい! 近くにある机の端を掴み、素早く僕は起き上がろうとした。


 刹那、僕の指に激痛が走る。

 恐る恐る視線を向けた左手の先、突如開かれた引き出しとその机の隙間にめり込むような形で僕の左親指が挟まっていたのだ。


「いってえー!!」


 僕は職員室で一人叫びながら戻そうと、もう片方の動く右手で懸命に引き出しを押す。

 クソッ、何でだ! まるで泥にはまったダンプカーを手押しするような感覚だ。ビクリとも動かねえ!


「勝手に動かそうとしても無駄よ。開いたというのがその引き出しの未来。未来は決して変えることは出来ないわ。そして、あなたの未来は……」


 気づけば、いつの間にか城ケ崎は僕の目の前に立っていた。


「死よ」


 悪魔の手が僕の首根っこまで伸びると、もの凄い力で締め上げてきた。


「ガハッ……」


 く、苦しい……息ができない。

 何とか逃れようと城ケ崎の手首を掴み、懸命に払いのけようとするが、ダメだ……。まるで歯が立たない。相手は片手だというのに――。

 彼女の腕を拳で叩いたり引っかいたりはしてみるものの、磁石のようにびったりと僕の首から離れない。


 だんだん頭がクラクラしてきた。このままだと本当にヤバイ。

 死にゆく前の無意識の所作なんだろうか、僕は机の引き出しに手を伸ばした。


 その直後だった。僕の首を締め付けていた手が突然離れたのだ。


「ゴホッ、ゴホッ」


 急に呼吸ができるようになったせいか、咳が止まらない。

 でも、何でだ? 引き出しに挟まっていた左指もいつの間にか抜けていた。


 ふと、僕は自分の右手のほうに視線を落とす。ボールペン……?

 気づくと僕はボールペンを握っていた。さっきの引き出しから取っていたのだろうか?

 ん? 何か先端部分の様子がおかしい。

 ペンの先端から、ドロッとした赤い液体がポタポタと床に垂れて……。


 ――まさか、これは!


「よ、よくもやってくれたわね……!」


 城ケ崎が首を押さえながら、恨めしそうな顔で僕のことを見ている。

 血だった。ボールペンから垂れている液体の正体は。

 彼女の首から手まで伝い流れ出る大量の血。


 ガタッ!


 城ケ崎はそのまま机に体をぶつけながら、後ろに倒れていった。


「う、うわぁ……」


 僕はボールペンを投げ捨てた。動機が止まらない。

 刺してしまったんだ、僕が人を!


「逃げないと……!」


 こんな場面、他の人に見られでもしたら……。

 本当は悪魔なのだが、城ケ崎の見てくれは人そのもの。

 通報されて、柚葉の捜索どころじゃなくなってしまう!


「う~ん、何かいまいちね。これじゃ事務所ゴリ押しの、顔だけが取り柄の演技下手な女優以下だわ」

「なっ!?」


 その時だった。突然喋りだす城ケ崎の死体。


「こう見えて、わたしね。教師じゃなくて女優志望だったの。ほら! ああいう煌びやかな世界だと、かわいい子がたくさんいるでしょ? よりどりみどりじゃない、ご馳走の!」


 城ケ崎は上体だけを起こすと、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。

 首にできたはずの傷を周りの皮膚が、渦を巻くようにして穴をふさいでいったのだ。


「でもね~、向いてなかったのわたし。ほらドラマのオーディションとか受けるとき、スタッフに向かって演技を披露しなくちゃならないでしょ? それがさっぱりダメでね。母を病気で亡くし、病床で泣き崩れるOLの演技をしてくださいって言われても、何でそこで泣くんでしょうね? 自分より老けた似た顔をしてる人間が死ぬと、人は自分に重ねて感情移入するものなのかしら?」


 クソッ……! 化け物かこいつは!

 悪魔の体は傷を瞬時に癒す再生能力があると言うのか!?


 直後、床に落ちるボールペンがまるで、掃除機に吸い取られるかのように勢いよく城ケ崎の手に飛んでいくと、彼女はそれを掴んだ。

 先端が赤く血に染まる、僕がさっき城ケ崎を刺し投げ捨てたボールペンだ。


「このボールペンの未来は、数秒後にわたしが拾い上げる。そして、次は……」


 ダーツを構えるかのように、ペン先の照準を僕に合わせる。


「あんたの脳天をブチ抜く未来ィーー!」


 城ケ崎はこの世の者とは思えない狂った表情で、僕に向かってボールペンを投げた。

 とっさにしゃがんで回避すると、頭の真上をものすごいスピードでペンが通過していった。


「それでよけたつもりぃ!? このドアホがぁ!!」


 すると突然、ペンはこの世の物理法則を無視するかの如く、空中で急旋回をしたのだ。

 ペン先がまた僕を捉え、こちらに向かって飛んでくる。その様はまるで、シューティングゲームに出てくるホーミング弾さながらの軌道だった。


 僕の脳天をブチ抜く未来……。つまりはこのペンは、僕の頭を直接貫くまで攻撃することをやめない。だったら……!

 僕は両手を頭の後ろで組んだ。


 グチャッ!


 何かがつぶれた音が教室に響き渡ると共に、僕の右手の甲に広がる焼けるような酷い痛み。


「ハアハア……、これが正解なんだろ?」


 僕は虚を突かれたかのように驚く、目の前の悪魔に問いかける。


「そうね、正解よ。でも驚いたわ。まさか自分の手を犠牲にするなんてね……」


 クソッ、めちゃくちゃ痛てぇ!

 手の平まで貫通はしていないが、右手の甲にボールペンが突き刺さっていた。


 よけられないのであれば、攻撃を受けきるしかない。

 僕は人間が生きるために最も重要な器官、脳を守るため右手を犠牲にしたのだ。


「まあでも、もう一回遊べるんだけど!」


 ゆったりとした動作で僕の手から徐々に抜けていくボールペン。

 未来を操る能力で再び城ケ崎は自身の手元まで戻そうとしているのだろう。


 そうはさせない! 僕は彼女に渡さまいと、もう片方の無事な左手でペンの柄をがっしりと掴み抜けないように抑える。


「あらら? 本日、二度目の綱引き大会ね」


 二度目? 城ケ崎は一体何を言って……。

 グッ! 抜ける力がだんだんと強くなっていった。抜けるたびにペンが僕の手の中をこすり、体に走る激痛。


 だが、こんなので……僕は屈しない!

 例え血まみれになり、全身の骨が砕けようとももう一度、柚葉に会うまで僕は死んでも死なない!


「フフ……、いい顔ね。絶望的な状況の中でも、決して心は折れず覚悟を決める表情。そうよ……。そういう人間がぁ! 死ぬ間際、苦悶に満ちて人生を後悔しながら死んでいくさまをわたしは見たいのよ!!」


 大量の血と共にペンが僕の手から勢いよく飛んでいくと、城ケ崎の方まで戻っていった。


「とっとと死ね! このシスコンオタクが!」


 クソッ、これまでか――。


 ガラッ


 城ケ崎が投げる寸前のモーションまでしたその時、職員室に響く扉が開いたような音。


「何故、お前がここに……。そうか! そういうことかッ!!」


 僕が後ろを振り返ると、先程僕が入ってきた方の職員室のドアが開いていた。


 すると城ケ崎は突然踵を返し、自身のデスクまで戻ると引き出しを開け、何やら中身を漁りだす。


「今日、お前たちは殺さない……」


 城ケ崎は僕を鋭く睨みつけながらそう言い残すと、彼女が入ってきたほうのドアまで走り出しそのまま部屋を去っていった。

 どういうことだ……? 何で今、城ケ崎は僕を殺すことなく職員室を後にしたんだ? それに……。


 僕は自分後ろの開きっぱなしのドアを見て考える。城ケ崎は誰を見たんだ?

 恐らく僕を助けてくれた……? その人物は僕への攻撃を中断し、彼女をこの場から退けるほどの存在。一体、誰なんだ!?


 わからねえ。ようやく事件の全貌が見えてきたと思えば、また新たな謎が……。


「いや、今はそんなことはどうでもいい!」


 僕はポケットに手を伸ばし、一枚のカードを取り出す。

 表面右に黒髪を後ろに束ねる女性が写る、城ケ崎の運転免許証。さっき、彼女のデスクを漁った時にこっそり拝借したのだ。


 住所はわかった。後はメリアと合流し、向かいに行くだけ。

 免許証をまたポケットに戻すと、僕は職員室を飛び出した。

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