4月28日――⑤

 メリアは一人、学校の廊下を歩く。

 保健室で直也と別れた後、ある人物を求めて夕闇に染まる校舎の中を闊歩していた。


 すると正面から、黒いスーツで身なりをびっちりと固めた女が――コツン、コツンとヒールの音を鳴らしながらメリアに近づいてくる。

 その女は身長は優に百七十は超えているんじゃないかというぐらいの、女性にしてはとても大きな体を持っていた。


 メリアが足を止めると、黒いスーツの女性も同じように足を止める。

 その女性は、オカルト研究部の顧問を務める教師。またの顔を直也の妹――柚葉をさらい、心を喰らって亡き者にしようとしている悪魔――城ケ崎だった。


「柚葉さんはどこ? あなたの家に捕らわれていることはわかっている」

「フフ……、もうすでにそこまでたどり着いているのね」


 メリアの言葉に城ケ崎は不敵に笑う。


「言いなさい! もし、言わないのであれば……」

「言わないのであれば、どうする?」

「無理やり吐かせる」


 メリアはスカートの内ポケットに手を伸ばすと懐から、刀身が銀色に輝く一本のダガーナイフを取り出した。


「悪魔殺しの銀のナイフ……。怖いわ、そんな物騒なもの学校に持ち込むなんて」


 悪魔は一般的に、銃や剣などでは殺すことは出来ない。

 何故なら彼らの体は、傷を受けてもすぐに癒える瞬間再生の力を有しているためだ。


 一見不死身に思えるが、そんな悪魔でも倒すことができる二つの方法があった。

 一つはシンプルに圧倒的な火力で押し切ってしまう方法。

 例えば、ミサイルや爆弾だとかの強力な兵器を直接ぶつけて、再生する間もなく木っ端微塵に悪魔の体を破壊してしまったりだとか。


 しかし、第二次世界大戦から七十年余りが経過し、平和になった現代社会でそのような代物を持ち出すのはかなりの至難の業だ。

 そこで出てくるのが二つ目の、メリアたち天使が持つ――悪魔殺しの銀のナイフだった。


 直也たちが住む世界とは違う、天使だけしか存在しない世界――天界と言う場所がある。そこでしか採ることのできない、とある希少な鉱石。

 その名は、ミスリル銀。ミスリル銀は悪魔の皮膚に直接触れるか、あるいは体内に摂取されるかで、再生能力を阻害する特殊な効果をこの鉱石は持っている。

 このミスリルを打ち、作られたのが悪魔殺しの銀のナイフ。天使一人につき一本、天界から支給されている代物だった。


「校長先生に頼んで、持ち物検査を義務付けて貰おうかしら?」

「頼む機会があるのならばね!」


 メリアはナイフの黒い柄をギュッと力強く握りしめると、城ケ崎に向かって走り出した。


「フフ……。クール気取ってるわりに、意外と脳筋なのね?」


 殺気立った顔で迫りくるメリアに対し、城ケ崎が余裕な表情を浮かべる。

 メリアは走る最中、ナイフを首元に構えると城ケ崎に向け投げ飛ばした。


 自身に多大な致命傷を与える銀の刃がまっすぐ飛んでくるというのに、悪魔は飄々とした様子だった。

 城ケ崎はその場から微動だにせず頭を横に傾けると、ナイフは首の上すれすれを通り抜けていった。


 ナイフが天井に深く突き刺さったのもつかの間、メリアは城ケ崎の懐に飛び込む。

 そして右手に力いっぱい握りこぶしを作ると、悪魔の顔面に向け振りかざした。


 パンッ


 乾いた音が廊下内にこだまする。

 メリアの放った右ストレートを、城ケ崎は手の平でいとも簡単に受け止めていた。


「そんな単純な攻撃が通用すると思って」


 城ケ崎はメリアを見下しながら、不敵に笑う。


「もちろん!」


 メリアが勇ましく啖呵を切ったその時、天井に刺さるナイフがプルプルと小刻みな振動を始めた。


 ひゅん! 次の瞬間、ナイフが突然抜け落ちると風切り音と共にメリアに向かって一直線に飛んでくる。

 ――天井に刺さった現在から、投げる前の過去へ。メリアは物体を過去に戻す、天使固有の能力を使いナイフを自身の手元まで戻そうとしていた。


 今、悪魔は自分の拳を掴んでいるから身動きは取れない。その隙をつく!

 メリアが短絡的に突っ込んでいったのは、これが目論見だった。


 しかし……。


「甘いわね……」


 城ケ崎が愉悦な笑みを浮かべながらそう言い放つと、メリアの手元まで向かってくるはずのナイフが空中で、まるでホバリングする鳥のように突然動きがビタッと止まったのだ。


「時を操る能力は何もあなただけじゃないわよ」


 未来を操る悪魔の力……。城ケ崎は過去に戻ろうとするナイフを、先程の天井に突き刺さった未来まで進ませようとしていた。

 天使の力と悪魔の力が交差しぶつかることにより、ナイフの時が止まる。

 空中で動かなくなったのはこれが要因だった。


「チッ!」


 メリアは小さく舌打ちをすると後ろへと跳び、城ケ崎から距離を取った。

 制止するナイフを尻目に余裕しゃくしゃくな様子で言う城ケ崎。


 メリアはそんな彼女を鋭い眼光で睨みつけていた。


「過去へ戻す力と、未来へ進む力。互いにぶつかっても平行するだけ。決着はつかないわよ」

「そうね。一対一ならばね」

「!? 誰だ!」


 自分とメリアしかいないはずの廊下で突如聞こえてきた謎の声。城ケ崎は思わず後ろを振り返った。


「ハァイ」


 手を上げ気さくな様子で城ケ崎に話し掛ける一人の女の子。


「何、だと……? 何故、お前がここに……!」


 城ケ崎はその少女の顔を見て、うろたえる。

 だが、それも無理もないだろう。何故なら、その少女の容姿は、ウェーブのかかった赤い髪に見る者が吸い込まれそうな金色の瞳。


 そう他でもない。今、目の前で自身が対峙する天使――メリアと瓜二つだったのだ。

 親しげに挨拶する二人目のメリアが懐に手を伸ばす。取り出したのは城ケ崎の横に浮いているのと同じ形をした鋭利な刃物。悪魔殺しの銀のナイフだった。


 メリアはそのままの勢いでナイフを悪魔に向かって投げる。


「クッ!」


 不意を突かれた形で攻撃を仕掛けられた城ケ崎。彼女は自身の首元に飛んでくるナイフを、しゃがむことにより間一髪で避けることに成功した。


「フゥ……、危ないわ。いきなり投げてくるもんだから、びっくりしたわよ。でも、まるで助けに来たヒーローみたいに名乗るべきじゃなかったわね。せっかくの不意打ちが台無しじゃない」

「そうね。せっかくのパス受け取ってもらわなきゃ困るもの」


 ライダースーツのメリアがそう言った次の瞬間、城ケ崎は慌てた様子で振り返る。

 すると、一人目のメリアがナイフを手に取り、鬼気迫る表情で城ケ崎に向かって突っ込んでいった。


 ――ナイフで狙ったのはわたしではなく、彼女の方。

 刹那、城ケ崎の脳内によぎると悪魔は未来進みの能力を発動した。

 その直後、一人目のメリアの動きが止まった。


 ナイフがやがてたどり着く未来。自身の首元まで向かうその時まで進ませようとしていたのだ。

 そうするとどうなるのか? まず、ナイフはメリアの手元から離れる。

 何故なら、現行であればメリアの手元にあるはずのナイフが時間のズレにより、ナイフの座標の位置だけが進んでしまうからだ。


 自分に向かってまっすぐ飛んでくるリスクはあるものの、先程のようにギリギリ躱すことができる。

 柄を握られたまま天使が向かってくるより、ナイフだけが来る方が攻撃を受けない確率は高い。城ケ崎の瞬時の判断だ。


 そんな城ケ崎の機転に抗おうと、メリアはナイフが自分の手から離れないよう懸命になって引っ張る。


「必死になってかわいい。まるで学校の綱引き大会みたい」


 城ケ崎がにやけた様子でメリアをおちょくった。

 張り合おうとせず過去戻りの力を使ってしまえば、こんな必死にならず引っ張ることもないだろう。


 だがそうなると今度は、未来と過去の力がぶつかり完全にナイフが動かなくなってしまう。今、悪魔の横で浮いている物のように。

 そうなれば、せっかく増えた二本目の得物もまた台無しにしてしまう。それだけは避けたかった。


「意地になってもしょうがないじゃない。能力を使ったら?」


 城ケ崎はメリアを煽る。もちろん使ってしまえば、悪魔の思うつぼだ。


「フフ……」


 そんな時だった。メリアがふと、ナイフを握りながら小さく笑う。


「何が可笑しい?」

「過去戻りはただ使えばいいってものじゃないわ。時には解除することもね」


 一人目のメリアが言い切ったと同時に、二人目の彼女が城ケ崎に向かって走り出した。

 その瞬間、悪魔の横で制止するナイフが突然、天井に向かって真っ直ぐに飛んで行った。それに合わせメリアが動き出すと、跳躍しそのナイフの柄を空中で掴んだ。


「しまっ……」


 城ケ崎が気づいた時にはすでに遅かった。

 夕陽に照らされ、オレンジに光り輝く刃が彼女の喉元を切り裂いた。


「能力を解除すれば、ナイフはあなたの未来に進む力で天井へと向かっていく」


 最初に相対したほうのメリアが言う。


「それをわたしが手に取り、また再度過去戻しの力を発動させナイフが上ではなく下に向かって飛ぶよう促した。後はそのまま重力に沿って振り下ろすだけ。確かにあなたの言うように過去と未来の力が一方でぶつかっても平行するだけで互いに決定打は与えられないのかもしれない」


 今度は次に現れた方のメリアが、自身が切り伏せた悪魔を見下ろしながら語る。

 メリアはそのまま話を続けた。 


「でも過去と未来に、もう二つ目の過去の力が加われば? あなたは対応できない。だから天使は二人一組で悪魔を追い詰めるの。二つの過去戻りの力であなたたち悪魔の未来を操る力を挟み込むようにしてね。まあ、今回はわたし一人で解決したみたいだけど」

「アガガガガ!」


 城ケ崎はおおよそこの世の者とは思えないほどのうめき声をあげながら、首をおさえ床に転げまわる。


「さあ、さっきの話の続きよ。柚葉さんはどこ? 話せば、トドメを差して楽にしてあげるわ」


 メリアたちに背中を見せるように、城ケ崎は地面にうずくまっていた。


 かなりの致命傷になったはずだ。喉を裂かれ、おそらく呼吸もままならないだろう。

 くたばる前に早く、悪魔から聞きださなくては!

 戦いには勝ったものの、メリアの中ではかなり焦りが強かった。


「ウフフ……、な~んちゃって!」


 すると突然、城ケ崎が勢いよく立ち上がった。

 目をかっぴらきゲスのような笑みを浮かべて。


「なっ!? どうして……」


 悪魔の様子を見て、メリアはうろたえる。何故なら、本来であれば傷がついているはずの首元がまったくの無傷だったからだ。


 メリアは考える。再生能力で瞬時に傷を癒した?

 それはおかしい。わたしが切りつけたのは、対悪魔用の銀のナイフ。

 命を奪えなかったことがあったとしても、治ることは絶対にありえない。


 目を凝らし、城ケ崎のことをじっと見つめる。


「まさか!」


 悪魔の体を見て、メリアはあることに気づく。

 いつの間にか城ケ崎の周りを、砂鉄のような灰色の粒子が全身を覆っていた。

 その風貌は、まるで古いモノクロのフィルムに映る被写体のようだった。


「あら、ようやく気づいたのね」


 メリアの驚いた様子に城ケ崎はニタッと笑う。


「そうよ。あなたたち天使が過去に自身を送れるように、悪魔もまた未来に自分の姿を送り込めるの。と言ってもあなたたちとは違って、わたしの場合は残像なんだけど。でも、すごいでしょ? ここまで実体のように触れるのは。悪魔の中でも、結構精度が高いほうなのよわたし」

「いつから、発動していた?」


 歯を食いしばりながら、メリアは悪魔を睨みつける。


「そうね……。あなたのボーイフレンドが、職員室でちょろちょろ動いてる時からかしら?」

「!?」

「フフ……。死なないといいわね、彼」


 城ケ崎はそう言うと、まるで風に吹かれた煙のように突然、姿が消えていった。


「言うまでもないけど……」


 後から現れたほうのメリアはゆったりとした足取りで歩く。

 彼女は悪魔が目の前からいなくなったというのにまるで気にする素振りを見せなかった。


「わたしはタイムレネゲートよ」


 メリアはそう言いながら、同じ顔をした――先に悪魔と対峙していた方の自分に向かって今しがた悪魔を切りつけた銀のナイフを手渡した。


「気をつけて」


 真剣な顔で渡す間際、メリアは彼女に話しかける。

 その姿はまるで鏡に反射する自分自身に語り掛けるような様相だった。


「ええ、わかった」


 ナイフを受け取ったメリアは小さく返事をする。

 内ポケットにそれをしまいこむと彼女はもう一人の自分に背を向け、廊下を走り去っていった。

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