4月28日――②
日が茜色に染まる夕暮れの頃合い。校舎から少し離れた人気のないこの場所。
たくさんのキンモクセイの影に隠れて建てられているのは、天井がやや高い普通乗用車が二台ほど入りそうな大きさの体育倉庫と、その隣に同じくらいのサイズ感の古びた木造の小屋。
「ここか……」
僕は物置小屋の前に立ち、一人ぼやく。
まだ、メリアは来てないのだろうか……? あたりに人の気配をまるで感じない。
出入口はここだけか? 握り玉に手をかける。鍵はかかっていないようだ……。
外で待っていてもしょうがないし、先に中へ入るとするか。
取っ手を右に回し、僕は扉を開けた。
「うっ……、ゴホッゴホッ」
開けた衝撃で風が入ってしまったのか、大量の埃が宙に舞い上がると僕はそれを思いっきり吸い込んでしまった。
「ハァックション!!」
盛大なくしゃみの音が小屋の中に響き渡る。アレルギー性鼻炎の僕にとって、この環境は最悪だ。なんか鼻水も垂れてきたし……、クソッ!
僕はズボン後ろに入れていたポケットティッシュを取り出し、鼻をかんだ。
しかし、ものの見事に物置だな……。
あたりを見渡し置かれているのは、古い人体模型や土埃で汚れたキャンパスなど。
ほとんどの品々が、美術部や科学部で使われるであろう物ばかりだった。
よし、早速調べてみよう。小屋で一人、ただ突っ立っててもしょうがない。
まず僕は、入り口近くの棚にあるダンボール箱の中を覗いてみた。入っていたのは、隙間が見えないほど大量に積まれていたフラスコや試験官などの実験道具。
う~ん、違う。柚葉に関わりがありそうな物はなさそうだ。
こっちはどうだ? 向かい側のほうの棚を調べてみる。
箱の中身は、筆や絵具といった画材道具ばかりだった。
ダメだ。まるで手がかりが見つからない。
メリアに言われ、小屋にやってきたというのに事態は一向に進展しない。
そう、メリア――。あいつ、いつになったら来るんだ。
まさかバックレてるんじゃないだろうな。柚葉の失踪に関して知ってるような素振りのくせに、いつも含みのある言葉ばかり言いやがって。
「不思議ちゃんでも気取ってんのか?」
僕は吐き捨てるように独り言をぼやく。
いや、今のはよくないな。いくら手がかりが見つからず、病気のせいで鼻がムズムズし苛立ってるからって、この場にいない人間の悪口を言うのは……。
「へえー、誰が不思議ちゃんですって?」
ハッとした僕は、思わず後ろを振り返った。
いたわ、普通に……。ドアの前に立っていたのは険しい顔をし、こちらを睨みつけてくる赤髪の少女――メリア本人だった。
カビ臭い埃まみれの部屋で僕とメリアは、まるで空き巣がタンスの金品を漁るかのように小屋中の物を物色する。
「柚葉、どこにいるんだ……」
妹の名前をつぶやきながら僕は箱の中を調べていくが、ハア……。
自分でもわかるほどの倦怠感。肉体的ではなく、精神的にかなり来ていた。
もう、柚葉に二日も会えていない。
二日以上会えないのは修学旅行以来だが、失踪と旅行では勝手がかなり違う。
焦りと不安が入道雲のようにどんどんと僕の心の中で膨れ上がっていった。
「ねえ、あなた。妹さんがそんなに大事なの?」
すると、メリアが突然僕に尋ねてきた。メンタルが不安定になっている僕を気にかけての言葉なのだろうか、だとしたら彼女に気を遣わせて申し訳ないな……。
「直也でいいよ。いつまでも代名詞呼びなのは、すごく違和感あるし……」
僕は調べ終えた段ボールを棚に戻し、言い切った。
「柚葉だけなんだ」
「妹さんだけ?」
「ああ」
物思いにふけるように、僕は遠くを見つめる。
「僕は何の取り柄もない人間なんだ。顔もよくなければ、運動神経も悪い。かと言って、勉強ができるわけでもない。内気で弱虫で、コミュニケーション能力もない。おかげで友人何て十四年生きて碌にできたことがない。僕に話しかけてくるのは決まって、悪意を持ってからかい文句を言いに来る輩だけだ」
「それって不幸自慢?」
「いや、ただの事実陳列さ。でも……、柚葉だけは違う。妹だけはこんな僕に対しても偏見を持たず、普通に接してくれるんだ。もし、柚葉がいなければ誰からも相手にされず、一人孤独になって僕はダメだったかもしれない。別に一生仲良くいたいとか、シスコンじみた事を言うつもりはないんだ。ただ平穏に……幸せで、無事にいてくれていたら僕はそれでいいんだ……」
メリアは僕の話を眉一つ動かさず、ただじっと黙って聞いているようだった。
「ハッ! おかしいよな。もう、今年で十五になる男が昨日、今日会ったばかりの女の子にヘラった愚痴を聞かせるなんて。情けない話だ……」
「おかしくないわ……」
「え?」
「他人を想いやり、大事にする心。人が持つべきもので一番大切なものよ。直也、あなたにはそれがある。決して取り柄のない、情けない人間じゃないわ」
驚きだった。僕のメリアに対しての第一印象は、感情を表に出さないドライな人間だと思っていた。
でも、今は違う。メリアの言葉には人を労わる気遣いがあった。
僕は彼女のことを誤解していたのかもしれない。本当はとても心優しい女性なんだと。
「ねえ、直也。もしも、この世に天使と悪魔がいるって言われたら、あなたは信じる?」
「天使と悪魔?」
突拍子もないことをメリアが言い出した。
「それって何かの比喩表現? 僕にとって柚葉が天使で、同級生が悪魔みたいな」
「いいえ、実際に存在するわ」
「プッ」
ヤバい。つい、心の声が漏れてしまった。
「アハハ! そんなのいるわけないじゃん。ゲームや漫画の話じゃないんだし」
「…………」
僕が高らかに笑っても、メリアは表情一つ変えずこちらをじっと見つめてくる。
「メリア……?」
「過去に干渉する力を持つのが天使、未来へ干渉するのが悪魔……」
「おいおい、本当にどうしちゃったんだよ!? 頭おかしくなって……」
その時、目の前で起きている光景に思わず僕は息を呑んだ。
浮いているのだ。メリアの周りに、フラスコやビーカーと言った理科の実験で使う道具の類が空を飛ぶ鳥のように。
奇怪な現象は、まだ続く。それらの道具群が勝手に動き出し、メリアの足元にあるダンボールの中に収納されていくと、今度はそのダンボール箱が宙に浮いた。
「わたしは人ではない。比喩でもない正真正銘の天使なのよ」
彼女がそう言ったと同時に宙に浮くダンボール箱が、元々置かれていた棚の上にひとりでに戻っていった。
これは現実なのか? あまりの事態に理解が追い付かない。何せ、映画や漫画でしか見たことないような超常現象が今、目の前で起きたのだから。
メリアは自分のことを天使と名乗った。
普通であれば、頭のおかしい電波系のイタイ女子だと思うのが関の山だ。
だが僕は、この荒唐無稽な話を聞いて心の中で納得してしまう自分がいる。
今の箱を浮かせた超能力もそうだし、赤い髪に吸い込まれそうな金色の瞳――何よりメリア自体の風貌が、一般の人のそれとは大きく異なっているからだ。
「そ、そうなんだ……」
突然のカミングアウトについどもってしまう僕。
「あら、意外と素直に信じるのね」
「まあね。君、他の人とだいぶ変わってるし……」
「何、それ。わたしが変人だって言いたいわけ?」
ギロッとした目でメリアは僕を睨みつけた。
「いや、ごめん。いい意味で! いい意味で人と違ってるなぁって」
「それって、誉め言葉のつもり?」
僕はメリアに盛大に謝った。
「まあ、いいわ」
メリアはきっぱりと言い切ると、おぼろげな表情で天井を見つめる。
「わたしたち天使は悪魔と古来より争ってきた。直也、あなたが生まれるよりもはるか昔から。祖父、曽祖父――いやあなたの祖先と呼ばれる人たちが生を受ける前からずっと。時代や世代によって、戦いは大きく変容を遂げていったわ」
「なんか壮大な話だね」
「いいえ、そうでもないわ。壮大であれば目立ち、目立てば脅威が生まれ、脅威が生まれれば種族の存亡に関わる。悪魔も学習したのでしょう。派手な戦をすると自らの首を絞めることに。悪魔が大昔に暴れすぎたせいで人と天使の間に協力関係が生まれ、それは現代まで続いている」
「へえ~、人間と天使って組んでるんだ。それじゃ、悪魔側はだいぶ劣勢?」
「うーん、どうかしら。半世紀ぐらい前に一度悪魔が優位に立ちかけたこともあったけど、今はどっこいどっこいってところね。悪魔は基本、天使と戦うことを避けるため目立つことを嫌うわ。徒党を組まず単独行動を好み人の姿に化け、日常生活に溶け込んで獲物を捕食する機会をうかがう」
「ん? 獲物を捕食? なんかサバンナに生きるライオンみたいだな。今の時代、食べ物なんてお金さえ払えばどこにでもあるじゃん」
メリアは天井から視線を反らすと、鋭い目で僕のことを見つめてきた。
「悪魔が食べるのは、人の心よ」
「なっ!?」
「悪魔に喰われた人間は精神が衰弱し、命を落とす。彼らは獲物となる人を見つけるため、時に自身が操る超能力を人に貸し与えることをする」
「超能力を……」
メリアはさらっと話しているが、それって実はめちゃくちゃ恐ろしいことなんじゃないか?
メリアの話を聞くに悪魔は人類の天敵として僕の知らないところに存在している。
普通の感性をしていれば、まず悪魔と協力関係になることはないだろうが、世の中には突然公共の場で刃物を振り回すヤバい奴も一定数存在する。
そんな奴と悪魔が徒党を組むようになり能力次第では世界、いや人類の存亡にも関わってくるんじゃないか。
「何、あなたが心配するようなことは起きないわ」
うろたえる僕をなだめるようにメリアが言った。
「悪魔の超能力は人が使うにはかなりの大きな負担になるの。使いすぎれば、その人は体調を崩し最悪死ぬ。だから悪意を持って人間が使うことはないわ。それに超能力と言っても、何も火とか雷みたいな抽象的なものを操るわけではない」
「え、そうなの?」
「言ったでしょ。過去に干渉するのが天使で、未来に干渉するのが悪魔。天使の能力は今、あなたに見せた通りよ」
「さっきの浮いたダンボール箱のこと?」
「ええ、正確には浮いたんじゃなくて戻った。床におろし中身を調べる数秒前、ダンボール箱は棚の上に置かれていた。それをわたしが能力を発動し、箱を元ある場所へと戻した。浮いたのはただの過程。結果は物体の時を戻すわたしたち天使が持つ固有の能力なのよ」
「時を戻す力……」
なんだかSFみたいな話だ。でも、実際に目の前で起きている以上、これはフィクションでもなんでもない。現実だ。
「そして、悪魔はわたしたち天使の反対、未来に干渉する能力を持っている。直也、すでにあなたはそれに遭遇しているはずよ」
「え、僕が!?」
メリアはそう言ってくるが、まるで心当たりがない。
「思い出して。直也がわたしと初めて出会った場所よ」
初めて出会った? たしかオカルト研究部だったかな。
鬼気迫る表情でメリアが部長の胸倉を掴んでいたのが今でも鮮明に覚えている。
ん? オカルト研究部……、何か引っかかる。
歯の隙間に挟まったほうれん草のように取れそうで取れない、思い出せそうで思い出せない何かが僕の頭の中でぼやけていた。
「おかしなことが部屋の中で起きなかった?」
おかしなこと……。そう言えば、たしかにあった気がするな。
鉢の苗が急成長したり、ノートでガリ勉する女の子もいたり……。
部長がその子たちに声かけて未来に写す習慣がどうのこうの。ハッ! 待てよっ!
「どうやら思い出したみたいね」
未来に干渉する悪魔の能力。苗がどんどん急成長してったのは、その植物が本来迎えるであろう未来の姿。メリアたち、天使の戻す力と逆だ。
それにノートに写していたのは、そうだ! 小テストの結果だ。
中庭で後輩たちが話してた満点を取ったオカルト研究部員の子。
自己採点したテストの結果。つまり今日の内容をノートに写し、それを僕が部室に来た昨日の時にノートで読み取ったのだ。未来に干渉する悪魔の力。
同じノートであれば昨日時点でのそのノートのページの未来は、今日の小テストの自己採点の内容が書き記されていることになる。
満点を取れたのはそれが理由なのだろう。だって、自分が解くはずのテストの答えがノートに記されるんだから。ムズゲーを攻略サイト丸パクリで挑むようなもんだ。そんなもの百点以外ないに決まってるじゃないか。
そんなオカルト部員の子は体育の時間に貧血で倒れたと聞いていた。
徹夜で猛勉強したわけではなく、メリアの言った悪魔の超能力を扱うリスクで体調を崩したに過ぎない。
なるほど、今までの謎が一気に解けてきたぞ。
突然、僕の前に颯爽と現れたミステリアスな赤髪の少女――メリア。メリアは人間とは違う種族――天使であり、天使は悪魔と争いを繰り広げているとのこと。
悪魔は自身の能力を人間たちに分け与えることがあるらしくて、それがオカルト研究部の部室で起きた様々な怪現象の正体。
オカルト研究部、そこは僕のいなくなった妹が所属する部活動。
「柚葉は、悪魔に襲われたのか」
「ええ、十中八九」
「だったら! 早く見つけないと! 悪魔は人に化けるって言ってたけど……、まさか部長か!?」
オカルト研究部の白石とか呼ばれてたあの女。僕が部室に来た時、あいつが部員たちに能力を指導している素振りだったぞ!
「ええ、可能性はかなり高いわね」
きっぱりとメリアが言い切った。
「直也、妹さんが失踪してからどれくらい時間がたった?」
「えっと……、最後に見たのは二日前の夕方くらいだけど」
「まずいわね」
メリアの表情が曇り始める。
「悪魔の強さや被害者の精神力によって前後はあるけど、悪魔に心を喰われた人間はおおかた二、三日で命を落としてしまう」
「何だって!?」
最悪だ……! これはもうただの失踪事件じゃない。僕一人でどうにか出来る問題じゃあないぞ!
「何をしてるの?」
ポケットに手を伸ばす僕に、メリアが怪訝そうな顔で問いかけてくる。
「警察に電話するんだ! 柚葉の命が危ないことを伝えないと!」
「直也、落ち着いて。家族が悪魔に襲われてるんです――って中学生の通報を警察がまともに相手すると思う?」
「じゃあ、他にどうしろってんだよ!!」
ついカッとなり、僕は怒鳴ってしまった。
「ごめん、急に大声出したりして……」
「気にしないで、あなたが焦るのも無理はないわ。手がかりが見つかればと思ってここに来たけど、あまり時間に猶予はなさそうね」
ふとメリアの手元に目をやると、彼女もまた携帯を握っていた。右手だけで操作しながら、何やら番号を入力している様子だ。
「あれ? 警察は意味ないんじゃの」
「わたしたち天使は、悪魔を倒すのに二人一組で行動するの。今からわたしの相棒に連絡するわ」
「二人一組? 君以外にも天使がいるの?」
「ええ。今は別々で動いてるんだけど」
発信ボタンを押したのか、メリアは自分のスマホを耳に当てた。
プルルと鳴る無機質なコール音が、物置小屋中に響き渡る。
「あ、ミーシャ聞こえる。緊急事態よ」
繋がったのだろうか。メリアは真剣な顔で電話先のミーシャという人物に話しかけ始めた。
いや、この場合人じゃなくて天使か。どうやらミーシャというのが、メリアの相棒の天使の名前みたいだ。
「えー、そうね。あとで合流して……。そこにいるのは誰!」
その時だった。メリアが突然、小屋入口の方に顔を向けると何やら警戒した様子で叫びだした。あまりのメリアの迫力に、思わず僕も扉の方へと振り替える。
いつからいたのか。そいつらは二人組だった。
全身をバイク乗りが着るような黒色のライダースーツに身を包み、ヘルメットでフルフェイスを覆っているせいで素顔はわからない。
日本の公立学校の敷地内に存在するには、あまりにも不自然な恰好をした人間が僕らのいる物置小屋入り口のドア付近の前に立っていたのだ。
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