第27話 令嬢は魔女の弟子になった②

「金か、地位か、それとも男の心か?何でも申せばよい。この預言の大魔女アリスティアが何もかも叶えてあげましょう」


 その声は冷たさを帯びながらも、どこか甘美で、人の欲望を巧みに誘う響きを持っていた。その声に耳を傾けているだけで、思考が霧に包まれるようにぼんやりとしてしまう。

 だが、ここで流されてはならないと、私は深く息を吸い込み、冷静さを保とうと努めた。


「アリスティア様、どうして私の願いを叶えたいのですか?何か代価を支払わせるおつもりなのでしょうか?」


 倒れたライラの傍で、震える手を握りしめながら、私は勇気を振り絞って、目の前の自称『預言の魔女』の女性に問い返した。


 アストラル王国には、現在魔力量がレベル8以上の魔術師がわずか5人しかいない。その中『預言の魔女』アリスティアは伝説的な存在で、最後にその名が記録に現れたのは、100年前の大戦の時だと、歴史書で学んだ記憶がある。

 そんな彼女が、なぜ母の残したこの小さな店に現れたのか? しかも、空間魔法を使って、元の部屋と連結してまでも。


 怪しい、あまりにも怪しすぎる。

 それでも、彼女から漂う気配は紛れもなく本物だ。それを証明するかのように、強大な魔力に裏打ちされた威圧感と揺るぎない自信が滲み出ている。

 それに、現状を冷静に考えるならば、ライラを無傷のまま、しかも精密な魔術で気絶させるなど、そんな芸当ができるのは特級魔術師以上の力を持つ者だけだ。


 ならば、それほどの人物が、なぜこんな場所に現れ、なぜ私の願いごとに興味を示すのだろうか?


 あっ!預言、未来!

 この人、私が未来からやってきた人だと知っている。だから事前に関係のないライラを気絶させたのね。


 私にとってはもう捨てたい過去だけれど、他の人にとっては知りたい未来なのかもしれない。

 過去の私は引き篭もりで、世間知らずだったけど……それでも、未来から来たっていうこの立場は、意外と交渉材料になるかもしれないのでは?


「アリスティア様は、未来のことをお知りたいのでしょうか?」

「要らんわ」


 即座に返されたその言葉は驚くほど冷淡だった。


「未来を知ったところで、人生がつまらなくなるだけじゃ。そんなものに興味などない」


 彼女の断言には一切の迷いがなく、その速さに逆に私が驚かされた。


 しかし、次の瞬間、アリスティアは何かを感じたように、表情がわずかに変わり、冷たい魔力の威圧が再び部屋中に漂った。


「くだらないことはよい。時間がないのじゃ、さっさと願い事を述べろ!」


 時間がない?

 彼女が言う『時間』とは何を意味しているのか?この時間が過ぎれば、彼女はここから去ってしまうということではないか?


 どうにかして、この会話を少しでも引き延ばさなければならないわ!


「アリスティア様、ご紹介が遅れて申し訳ありません。私はスペンサーグ公爵家の長女、フリージア・スペンサーグと申し……」

「そんなものは聞いておらん!」


 私が貴族らしい長い挨拶で時間を稼ごうとしたその矢先、彼女は私の言葉を鋭く遮った。その声には苛立ちすら滲んでいた。


「くどくどするな、小娘、願いを述べろ。代価はすでにもらった」

「……えっ?」


 代価? いつ、どこで、私が何を支払ったというの? 疑問が口から零れ落ちそうな時、部屋の空気がざわりと揺れた。


 突然現れた緑の光が空間を裂くようにして広がり、その中から一匹の白いフクロウが舞い降りてきた。異様に大きな赤い瞳がこちらをじっと見つめた後、アリスティアに向けて、まるで感情の欠片も感じさせない無機質な男性の声で告げた。


「師匠、時間切れです」


 その一言に、アリスティアは苛立ちを隠そうともせず、「チェッ」と大きく舌打ちをした。

 その音が耳に残る間もなく、周囲の景色がぐにゃりと歪み始め、次の瞬間には、まったく異なる場所にいた。


 そこは古めかしい書庫のようで、無数の古書がぎっしりと並ぶ棚がどこまでも続いている。薄暗い空間には静寂が漂い、わずかな光が埃の浮かぶ空気を照らしていた。


「ああ、くっそ……前の異界人を騙した影響が……また睡眠時間が足りなくなるじゃないか。ああぅ、怠い……」


 不意に、可愛らしく、少し悔しげな響きの幼い子供の声が静まり返った書庫に響いた。


 突然に現れた第三者に、私は思わず目を凝らし、その声の主を探した。

 すると、先ほどまで、威圧的で冷徹な魔女として立ちはだかっていたアリスティアの姿は、今や消え去り、目の前に現れたのは、彼女に似た容貌を持つ小さな子供だった。着ている服装もさきと違い、どこか柔らかく寛いだ、普段着のようなものに替わっていた。

 子供の幼い体からは力感や威厳などは感じられず、逆に力を使い果たしたかのように、素朴なソファに力なく倒れ込んでいた。


 突然の場面の激変に混乱しながら、私は恐れ恐れと子供の正体を確認する。


「あの……アリスティア様ですよね?私は何をすればいいのでしょうか?」


 何をすれば、この空間から離れる?


 その幼い姿の子供は、無気力にソファから顔を向け、面倒くさそうに口を開いた。


「さっき言ったであろう。妾の睡眠時間を邪魔しないような、時間が取らないの、些細な、願い事を述べるのじゃ」


 ああ、疑いようもない。この口調は、まさにアリスティアだ。


 あれ、願い事に少し制限が掛けられているが……また願い事ですか?一体何のために?


 私が戸惑っている間、フクロウは再び口を開けた。


「師匠、代価と似合わない願い事は無効になります。無駄な足掻きは止める事をお勧めします」

「やがましいわ、シズ、外野は黙りなさいな」


 フクロウの言葉に、アリスティアは眉をひそめ、手元にあった枕を無造作にフクロウのシズに投げつけたが、シズはそれをゆったりと避け、ふわりとソファに落ちる。


 彼らの会話に口を挟まない方がいいと思うが、先程と変わらない姿勢で冷たい床に倒れたライラを見ると、じっと待つだけではいられなかった。

 彼らの争いが一瞬止まったその隙に、私は再度問いを投げかける。


「それで、なぜ、アリスティア様は、そんなにも私の願いに固執するのですか?」


 アリスティアは私を一瞥し、どこか他人事のように淡々と口を開いた。


「それが妾に課された代価だからじゃ。」


 彼女の対価?

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