◎ライラ視点 私とお嬢様②
専属メイドになったからって、私はメイド長のババアの嫌々な手配で、すぐに屋根裏部屋からフリージアお嬢様の部屋の近くにある、昔お嬢様の乳母が使ってた部屋へと引っ越すことになった。
夜、久々に予定通りにのんびりと夕食を楽しんだ後、私はまだ慣れない廊下を静かに歩いて新しい部屋に戻った。
何年間放置されていたこの部屋は、午後にちょっと掃除したくらいじゃ全然足りなくて、埃っぽさと湿気が混ざったような、独特の古臭い匂いが鼻につく。
でもまあ、この部屋は上級使用人用だった部屋だけあって、狭い屋根裏部屋に比べたら明らかに広いし、家具だって何年も放置されてた割にはちゃんと揃ってる。
部屋の明かりをつけて、私は夕飯前に隅に置いといた荷物を整理し始めた。
この屋敷では、使用人たちは月に一回、備品室で自分の階級に見合った質の日用品を貰えることになってる。
私は古い下級使用人用の日用品をいつものボロいバッグに詰めたまま、収納棚にしまい込んでおいた。休みの日に雑貨屋へまとめて売るつもりだ。小遣いにしかならないけど、ないよりマシだろう。
そして、さっき備品室からしかりと掻っ攫ってきた、上級使用人となった今月分の日用品を、丁寧に仕分けして整理する。
これから5年間、ここは私の部屋になるんだから、ちゃんと私の好みに変えたい。
下級使用人から突然上級使用人に昇進したんだから、喜ぶべきことだろう。
理由が何だろうと、私は『貰えるものは貰う』主義だ。これからあのお嬢様に何を言い出すか分からねぇ以上、手に入れられるうちに全部確保しとかなきゃ。
でもさ、午後にあのお嬢様から奴隷契約の紙を突きつけられた瞬間、私は正直言って、心の底から彼女を殺してやりたいと思ったわ。
何考えてんの?私を使い捨ての駒にでもする気?それとも奴隷だってことをわざわざ念押ししたいわけ?私が逆らえない存在だって改めて思い知らせたいの?
ふざけんな、って話。
あの『仲間契約』ってやつもそう。一見、私を気遣ったように取り繕われているけれど、実際は最初から私に選択肢なんてない。ただ受け入れるしかない仕組みじゃん。
それを理解してるくせに、さらに望みを追加してくるとか、どういうつもり?忠誠心を試すわけ?冗談じゃないよ。初めからそんなもん、私にはないんだから。お嬢様に感謝して待遇を自分で下げろなんて、馬鹿げた提案を、私がするわけないじゃん。
だけど、契約には一つだけ、私にとって悪くない条件があった。
それは――専属メイドになる代わりに、残り16年の奴隷契約期間が5年に短縮されるっていう見返り。
その一文を見た瞬間、私の心が動かれたのも事実。
あのお嬢様が緊張のあまり震えながら、精一杯の勇気を振り絞って私に『命令』を下す姿は、あまりにも滑稽で、あの場で笑いそうになったくらい。
本当、あの引きこもりの独りぼっちのガキが、一体どこでそんな浅知恵を拾ってきたんだか。
もしこれが本物の『奴隷契約』だったら、私は迷わず断ったよ。そして、彼女が怒るのを承知で、あえて挑発的な言葉を投げつけて、わざと嫌われる道を選んだかもしれない。
ところが、実に残念で仕方ない、今回はそう簡単にはいかなかった。
彼女は巧妙に範囲内に収まる契約内容を突きつけ、私を新たな契約を受け入れざるを得ない状況に追い込んでいた。
そして最後に飴玉みたいに付け足された『自由』の
まるで釣り針に掛けられた餌みたいなそれに手を伸ばすしかない自分が、酷く腹立たしくもあり、同時に情けなくもあった。
***
フリージアお嬢様の専属メイドの生活は思っている以上に楽だった。
奴隷契約を結んだから、どうせ駒のように汚い仕事を押し付けられると思ってたけど、いたって平和な日々が続いている。
やることと言えば、部屋の簡単な掃除や食事の準備、お嬢様の身の回りの世話くらいのもんだ。
専属メイドになったからには、私を動かせるのはフリージアお嬢様一人のみ。上司であるメイド長のババアや執事長も、お嬢様の許可なくに、私に余計な仕事を押し付けることはできなくなった。
それにしても、あのお嬢様、自分で言うのもなんだけど、世話をされ慣れてないみたいだ。私が適当にやってもまったく気付かないし、怒りもしない。
実に単純で扱いやすい性格だ。
普段も主に部屋と廃園を行き来するだけで、一人の時間を好んでいるようで、そのおかげで、私は特に手がかからずに楽である。
ただ、ちょっと驚いたのは、代理公爵にバレないように、書庫から基礎魔法に関する本をこっそり借りてきてほしいと頼まれたことだ。
まさか彼女が遊びじゃなく、真剣に魔法を勉強しているとは思わなかった。幼い子供が難しい本を一生懸命読んでる姿は、正直言って、予想外だった。
そういや、私、前はお嬢様のことを何もせず暇を持て余す典型的な貴族令嬢だと見くびっていた。でも、それは大きな勘違いだったかもしれない。
振り返ってみると、私は彼女を無気力な存在だと勝手に決めつけて、積極的に関わろうとはしなかった。だけど、彼女が自分で学ぼうとしてる姿を見て、考えを変えざるを得なかった。
なるほど、あのふざけた契約書を考え出したのも、彼女らしい発想だと、今なら少し理解できる。
誰からも味方を得られない、名ばかりの公爵令嬢。実の父や兄に見捨てられ、領地に一人取り残される。自分の屋敷なのに、まるで居候みたいに暮らしてる彼女の現状を考えれば、仲間を求めるのは自然なことだろう。
ということで、私は幸運なのか不幸なのか、彼女に選ばれた『仲間』になったわけだ。
無理やり契約させられた以上、彼女が私の一線を越えない限り、私も裏切るなんで面倒ことをするつもりはない。
もし私が彼女の立場だったら、もっと冷酷な手段を使って、スペンサーグ公爵家の唯一の令嬢として、絶対に裏切れない下僕を作って、私を無視し続けた屋敷の連中に『戦争』を仕掛けていたかもしれねぇな。
けど、彼女が選んだのは復讐じゃなく、私とのあの奇妙な契約書だった。
ほんどう、このお嬢様は甘いな。
今、ようやく忙しい仕事から解放され、休息の時間が手に入り、冷静に考える余裕ができた。
そして、あの契約を交わした午後のことを何度も思い返してみると。
あの時、私の反応は過激だった。
多分、その理由は――
あの小動物に対して怒ってたんじゃなくて、奴隷契約のせいで何もできない自分にムカついてたんだ。施ししか受けられない、そんな自分自身にイラついてただけ。
それなのに、私はガキみたいにあの小動物に怒りをぶつけた。そもそも私に彼女に怒る資格なんてあるわけないのに。
私は気を取り直して、改めてあの契約書を見直してみると――
……甘いよな。内容は私を5年間縛るものだが、わずかではあるが、私に選択の余地を残してるんだ。
お嬢様は私に奴隷契約の紙を『返した』。しかし、その行為の意味を、彼女は本当に理解していたのだろうか?
冒険者の『仲間契約』の存在も知っているあの令嬢は、私が高額の『代価』を払ってまでも、闇の上級魔術師に依頼すれば、この奴隷契約が解約できることを、果たして本当にわかっているのか?
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