第13話 令嬢は仲間を得る②

 今日朝、私は生まれて初めての『仲間』が得られるかもしれないという期待に、胸を膨らませていた。

 ライラを仲間に選ぶと決めてから、頭の中では何時間も美しい幻想に浸り、何もかもが順調に進む理想的な未来を何度もシミュレーションしていた。


 そして、無意識のうちに、現実のことを考えないようにしていたかもしれない。

 心の奥底に湧き上がる暗い感情を無理矢理に押し込み、無視しながら、『8歳の子供らしい笑顔』を手鏡に向かって、何度も練習した。


 ***

 苦い気持ちを飲み込み、私は先ほどまでの単純な子供じみた作り笑顔をやめて、覚悟を決めた。

 手の中には、さっきから握りしめていた二枚の紙。皺にならないように慎重に持ち直しながら、私は深呼吸して、緊張で心臓が跳ね上がりそうな気持ちを抑えつつ、私は彼女に向き直り、しっかりと見つめ返す。

 隠す必要はない。私が本当に伝えたかったことは、初めから決まっていたんだから。


「気を悪くしたらごめなさい、私は本当に奴隷契約を使用するつもりはございませんの。ただ貴女と新たな契約を結びたいのです。貴女と私の、二人だけの契約を」


「ふん、左様ですが。それで、どんな、奴隷契約を結ぶおつもりで?」


 ライラは私の言葉に何の驚きも示さず、何処か他人事のように目元を細めて、軽く笑っただけで、私に内容を尋ねてきた。


 一括して奴隷契約と言っても、制約の効力により、幾つの種類がある。

 ライラが今契約したのは時間制限のあるメイド契約。人権は一時的に失い、スペンサーグ公爵家の『もの』になったが、契約の内容により、その制限はあくまでもメイドとしての仕事の範疇だ。


 ライラの目に隠れた微かな嘲笑、そして口にした奴隷契約の言葉……多分、彼女は私が最も制限の強い『本当の主人と奴隷』の契約を結ぼうと、想像したかもしれない。


 そう考えるのは、無理もないことだ。

 私が知っていながらも、先に強制的な手段を行使したのだ。

 しかし、今回は私の新たの人生を切り開くための重要な第一歩であり、失敗しくじるわけにはいかないのだ。手札が少ない私には、汚い手段として、使えるものは使うしかないのだ。


 本番はこれからだ。


「奴隷契約ではございません、貴女と『仲間契約』を結びたいです」


 心臓が早鐘のように打ち続けるのを感じながら、私は息を呑み、新たな契約書を彼女に手渡した。


「失礼、聞き間違いたかもしれないが、『仲間契約』とは、冒険者たちがよく利用しているものでしょうか?」

「ええ、その契約です」


 ライラはやや眉を寄せて、疑わしい目付きで私の真意を探り、渡された紙を取った。


「分かりました、少々お待ちください、内容を確認いたします」


 冒険者とは、未知の世界や危険な領域に挑み、魔物退治や遺跡探索、護衛任務などを通じて生計を立てる者たちの総称。

 彼らは報酬や名声を求め、危険な任務に挑むことが多く、怪我をするのも日常茶飯事。そのため、単独での行動は避け、仲間と集団で協力しながら任務を遂行することが一般的である。

 また、任務が進行する中で発生する様々な状況に対して、グループ全員が一致団結して対応できるように、事前に『仲間契約』を結び、集団を纏めっている。

 契約の内容には主に、任務の目的と範囲、各メンバーの役割と責任、利益の分配方法、危険への対処方法、互いの支援と保護に関する条項などが含まれる。


 私は過去エマさんの助手として、何度冒険者ギルドに怪我人の看病を任された。だから貴族令嬢には馴染めない冒険者の事も、物語の世界ではなく、現実の彼らを知っている。


 ライラに渡した契約内容は、あれを参考に作った『貴族令嬢と専属メイド』版の『仲間契約』である。


 一つのお願いに対して、『もっと十個のお願いがしたい』と願いを追加するのは魔術の法則に反するため、成立はしない。

 奴隷契約の制約も同じく、何の代償もなく無闇に拡大するのは不可能であり、相手には断る権利を持っている。


 だが、この仲間契約なら、私は知っている――彼女にはこの契約を断る術はない。

 契約内容自体は少々雑ではあるが、それでも専属メイドの仕事範囲にはきちんと収まっている。だから、これはスペンサーグ公爵家から出された『メイド』としての追加仕事に過ぎないのだ。

 彼女にとっては、断れない命令でもある。

 私は卑怯者だ。


「フリージアお嬢様、この契約内容が少々おかしいと思います、誰かお書きになったものかしら」


 考え事に耽っていると、契約内容を読み終えたライラが私を呼んだ。


「冒険小説を参考に私が書いたものです。何かおかしなところはございますか?」

「……そうですが、お嬢様様が書かれたものなら、問題はございません。これにサインすれば宜しいでしょうか?」


 予想に裏切り、ライラにすぐさま了承の意を示してくれた。


 私は思わず口をぽかんと開けてしまい、何かを補うために、慌てて言葉を付け加える。


「えっ?でも…もし追加したいことがありましたら、遠慮なくおっしゃってください」


 結果は、会合の前からほぼ決めたことだが、私が求めた『仲間』としての話し合いが実質的に失敗に終わったのではないか、という不安がよぎる。

 それでも、せめて、少しでもライラの本音を聞き出せればと思い、彼女の意見を促した。


「本当にどんなことでもいいのです。私に正直に話してくれませんか?」

「いいえ、何も御座いません、まだ幼いのに、とても整った契約内容で、驚いでいました。私にもよく配慮してくださり、感謝申し上げます」


 ライラはそう答えながら、片方の口角をわずかに上げただけで、それ以上は何も言わなかった。


 重たい沈黙が少しの間、二人の間に漂って、その時間がやけに長く感じた。


 うん、やはり失敗したな。

 仲間を大事する、と内心でいくら考えでも、実際は強引な手段しか取れず、他人に配慮することが出来ない自分が恥ずかしくて仕方ない。


「それなら、契約成立でよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです」


 ライラは自分の指を噛み、滲み出た血で一枚の契約書に指印しいんを押した。直後、契約魔術が発動したことを示す赤い光が数秒間ほとばしった。


「あっ、気付かずにすみません。魔術ペンはここに……」


 自分の配慮が足りなかったことに焦り、慌ててポケットから羽根の形をした魔術ペンを出して彼女に渡そうとしたが、彼女はそれを受け取らず、続けてもう一枚の契約書に指印を押した。


「失礼致しました、下品な獣人のため、書き物には不慣れなもので」


 ライラは平然とした顔のまま、一枚の契約書を私に渡した後、自分の分をポケットにしまい、乱暴な手つきで血が滲む指をハンカチで押さえた。


「いいえ、構いません、これで正式に契約成立になりますね」


 足が地面に着いてないような、覚束おぼつかない気分で、私は契約の文字が黒いから青いに変化した契約書を見つめている。


「お嬢様、私はこれから貴女様の専属メイドになるので、私に対して丁寧な言葉遣いを御やめてください。私がメイド長に叱られます」

「あっ、そうですね……わかった、ライラ」


 仲間になるだから、最初から彼女を平等の相手として丁寧語で話すべきと考えていたが、屋敷内ではそうしたら、叱られるのは私ではなく、彼女が代わりになるのだ。


「ライラさ…ライラ、これから宜しくお願いします」

「ええ、こちらこそ、宜しくお願い致します、フリージアお嬢様」


 ライラはゆっくりとベンチから立ち上がり、私に向かって静かにメイドの礼を取った。

 俯けたその頭には、みなぎる生命力と不屈の意志が宿っているのを感じた。

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