第12話 令嬢は仲間を得る①

 ここ数日間、私は勉強のほかに、時間がある時にライラを含む、屋敷内の下級使用人を重心に観察していた。

 最終的に彼女を味方に選ぶことを考えて、昨晩こっそり彼女の部屋にメッセージを残し、彼女を今日午後、昼休憩の時間にここへ呼び出した。


『味方』という単語を辞書で意味を再度確認した――自分の側に立ってくれる人/自分の陣営の人間/自分と利害を同じくする人/自分の内の人間などの解釈があった。


 相手を陥落するには、まず自分から利益を呈しする必要がある。私の空っぽな公爵令嬢の権限は、少なくとも使用人を一人、自分の意思で専属メイドにすることができる。

 私の専属メイドになれば、給料も生活の各方面も上級使用人の待遇に変えられる。


 とは言え、この条件だけでは上級や中級の使用人よりも、むしろ下級の使用人の方が食いつきやすいと考えた。

 その中でも、特に食物連鎖の底辺に位置し、他種族の獣人族であり、さらに奴隷の身分にあるライラは、突出した能力を持っているにもかかわらず、排外主義はいがいしゅぎが根強い屋敷の中で同僚たちに疎外そがいされ、束縛そくばくされ続けていた。


 彼女の今の現状を考えると、取引をしてくれると考えたのだ。


 ***

「ライラさん、こんにちわ、来てくれて嬉しいです」

「いえ、お嬢様のご命令とあれば、喜んでお受けいたします」


 とりあえず挨拶をしてみたが、返ってきたのはよそよそしい決まり文句だった。

 これは、普段庭で仕事をしていた彼女の乱暴な口調とは明らかに違う。


 あれ?何かおかしい……

 戸惑いと不安が胸に広がり、私は思わず頭を俯けてしまった。読みかけのノートを閉じて膝に置き、空いた両手が無意識にノートの両端をぎゅっと掴んでいる。


 沈黙の時間が痛い……何か、何か、早く続きの言葉を出さなければ……


 まだ始まったばかりなのに、既に逃げたい心境になった私は、心の中で自分を励ましながら、意を決して、顔を上げた。


 だが、あの鋭い目を直視することができず、すぐ怯んで視線をやや斜めに逸らし、ライラの様子を伺う。

 彼女は私が見ているのを知っているのに、私の視線を気にも留めず、無表情のままだった。


 気のせいではない、彼女からほんの少し、静かな怒りの感情が漂っている。

 私はもしかして、いつの間に彼女に嫌われてしまったのだろうか。


 前日使用人の仕事場で、彼女と視線と合った時、彼女から私に対して何の特別な感情も抱いていなかったが、その真っ直ぐな目には確かに私の存在が映っていた。

 それが彼女を選んだ最後の決め手でもあった。

 でも、いま彼女は怒っている、私は喜ぶべきか、それとも一旦引くべき?


 いいえ、ダメだ、まだ始まったばかりで、ここで怯んではだめだ。


「あの、ライラさん、私の専属メイドになってくれませんか?」


 80%の自信がすぐに60%へ下がった気がして、心細具こころぼそぐなりつつ、私は予定の回りくどい話を早々に止めて、本題を直接話した。


 ライラは瞬きをして、私の提案が可笑しいだと思ったように唇の端がわずかに持ち上がり、彼女は頭を下げて、平坦な口調でさっきと同じ言葉を返した。

「フリージアお嬢様のご命令とあれば、喜んでお受けいたします」


 あれ、私、何か間違ったの?


「あ、あの、ライラさん、それはつまり、私の専属メイドになるのを同意した事ですが?」

「勿論です、断る理由がございません」

「…あの、もし宜しければ私の隣に座ってもらえませんか?もう少し具体な話がしたいので……」

「お誘い有難うございます、フリージアお嬢様」


 何でだろう、丁寧な口調のはずなのに、鳥肌が立つ。


 私は不安を振り払うように、昨晩頭の中でシミュレーションした今日の展開を瞬時に思い返す。

 いくつかの段階を飛ばしてしまったけれど、それでも次の段階に進みましょうか。


「ライラさん、これを、貴女に返したいと考えています」


 ノートの最後のページに挟んだ三枚の紙を出して、私はまず最初の一枚を隣に座った彼女に渡した。


 ライラは黙々と紙を受け取り、その内容を見た瞬間、険しい顔になった。


「フリージアお嬢様、これは何のおつもりでしょうか?契約魔術を行使しなくとも、ご命令があれば私は全て従います」


 この反応はおかしい、また何か間違ったのかしら?


 焦りながら、とりあえず私は急いでそれを否定する。


「え?あっ、違います、契約魔術を使用したい訳ではございません」


 私はただ――

 自宅でありながら、居候のような扱いを受けている、空っぽな公爵令嬢に仕える専属メイドでは、彼女にとって十分な利益にはならないのではないかと考えた。

 それに、他人に与えられるものばかりでなく、自分から彼女に何かできることはないかと、必死に考えていた。

 そして模索した結果、たどり着いた結論が、彼女を束縛している奴隷契約を解消することだった。


 そのため、私は昨日叔父様に頼み込んで、ライラの奴隷契約を譲り受けた。


「使用するつもりおつもりがないのなら、なぜこれを私に預けるとお考えに?」


 鋭い眼差しがじっと私を見つめ、ライラが低い声で、そう問い詰めた。


 その視線に射すくめられ、まるで私の心の奥底まで見透かされているようなその目に、私は思わず身が硬直し、恥ずかしさに顔を赤くする。


 預ける…

 ――ええ、その通りです、ただの紙切れを返すだけでは、ただの預かり物に過ぎない。


 私が取り繕った『返す』の単語の下の、暗い真意をすぐに読み取るとは、やはり優秀な人だな。


 結局、裏切れない『仲間』を得るため、私は卑怯な手段を取った。

 奴隷契約を一方的に解除するには、特別な手続きが必要で、その鍵となるのは『奴隷契約書』と『莫大な金』。

 奴隷契約の紙を渡したところで、普通の使用人の給料では、契約解消に必要な金を何年積み重ねても到底及ばない額だ。


 時間設定がある奴隷契約は期限を過ぎれば自動的に解消される。しかし、期限前に解約するには、双方の当事者が神殿の神官の前で自らの意思を表明し、正式な手続きを踏まなければならない。

 ライラの奴隷契約は四年前にお父様と契約したもので、特に厳しい制約が課されているわけではないため、血縁者である私にはその契約を早期に解約する権限がある。


 今回、彼女に奴隷契約の紙を『返した』のは、単なる善意ではなく、打算ある行動だ。

 その目的の一つは、私に彼女をその契約から解放する力があることを示すため。

 そしてもう一つは、皮肉にも、私の誠意を証明するためだった。単なる口約束では余りにもぼろく、だから実物の奴隷契約の紙を手渡した。


 どんなに取り繕おうとしても、これは実質的な強迫に他ならない。

 聡明な彼女が怒り出すのも無理はない。


 私は、彼女が長い間努力し続けてきたことを、権力で踏みにじり、道の途中で彼女の努力を無理矢理に放棄させ、別の道へ強制的に進ませようとしている。

 私は又、他人を自分の人生に巻き込もうとしているのだ。

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