第11話 令嬢は現状を探る④

 視線を向けると、記憶にある印象より若い金髪で活発そうな少女がキッチンに入った。料理長は彼女を見て、慌ててテーブルに置いである夜食用のバスケットを彼女に渡す。


「おお、サラさん、もちろん準備しましたとも、これをどうぞ」

「ふん、いい香りね。ルクレティアお嬢様に渡すわ」


 彼女はバスケットの蓋をわずかに開け、中を覗き込んだ。

 食事中の私に気づかぬまま、確認を終えたサラはバスケットを手に取り、足早にキッチンを後にした。


 直後、キッチンが再びざわつき始め、彼らは今夜の仕事を続ける。何人かの使用人が私を気にしながら、小声で何かを話し合っているのが聞こえる。


 私は何も知らないふりをし、表情を平静に保ったまま黙々と食事を続けた。しかし、心の中では揺らぐ気持ちを抑え、自分を落ち着かせようと必死に諫めた。


 今大切な指輪はまだ失っていない、もう二度くさせない、盗ませない。

 それに今のサラはまだ何もしていないだ、だから今の彼女を責めてはいけないのだ。


 はぁ……


 食事を終えると、私は食べ終わった食器を流し場へ置き、来た時と同じように静かにキッチンを出た。

 背後のキッチンから、すぐにいろんな人が大声で会話を始まるのが聞こえ、私は思わず自嘲の気持ちが込み上げてくる。


 ――私、何かの化け物に思われているのかしら…


 ***

 時刻はすでに遅く、部屋へ帰る途中、擦れ違う使用人たちの姿もまばらになった。静けさの中、床や壁に取り付けられた照明の魔導具は光量を落として、道が見える程度の柔らかな琥珀色の光を灯している。


 私は自室に入ると、ようやく自分だけの空間に戻れた安心感が押し寄せ、外で張り詰めていた気持ちが一気に解け、そのままベッドへ倒れ込んだ。


「疲れたわ……」


 小さく漏れた声は、情けないとわかっていながらも止められなかった。


「うぐー」


 先ほどのことを思い返し、いてもたってもいられなくなり、恥ずかしさに耐えきれず、ベッドの上で足をばたつかせ、枕に顔を押し付けた。


 慣れないことをするべきではなかった。

 でも、どんなに些細なことでも、少しずつ自分を変えたいと思った。


 我儘をするべきではなかった。

 でも、我儘をしたかった。

 以前のように長い道を通って、食事を三階の部屋まで運ぶと、今の小さな体ではきっとまた中のスープが漏れるし、食終わった食器をキッチンに運ぶも面倒に思えた。


 いいえ、これは表面の言い訳で、本当は――私、ずっと前から怒っているかもしれない。


 今日キッチンにいる使用人には悪いけれど、自分を無視し続けた屋敷の皆に少し意地悪をしたかった。

 全部彼らのせいではないというのに、私は悪い子になったな……


 それから、悪夢と違う、今居るこの現実をしかりと感じたかった。

 慣れているはずの一人の時間が、時に、呆然と、非現実にも感じるのだ。


 とは言え、やはり今、この部屋で、一人の時間が一番落ち着ける。

 あ!いいえ、正確にはもう二番目に落ち着く部屋になった、一番目は――


 私は胸の辺りに下げている指輪を握り、試しに魔力を注ぐ。

 反応はやっぱりなかった。


 残念ですけど、一番目はまだ入れない状態だ。


 私は深呼吸して、ベッドから起きて、勉強机に座った。

 さっき引き出しに置いたノートを取り出し、魔導ランプを開ける。


 今日は既に長い時間寝込んだので、まだ眠れない。だから眠くなるまでに魔法の勉強をしたいと考えている、早く魔力量をレベル4に上げたいもの。

 今日はいろいろな事が起こった。頭もまだ混乱しているが、生活、人生、時間は私の心の整理を待たずにいつも通りに続けるのだ。


 魔力量がレベル2になったことも、今度は叔父一家に秘密しないと。

 過去叔父様が雇ってくれた魔法の先生は基礎知識が脆く、授業中も自慢話が主で、碌に教え貰えなかった。

 それは叔父様がわざとそう仕組んだのかどうかは知らないが、今はあの時の時期と違うとしても、既に学園の先生方の系統ある教育を受けた私にとって、基礎知識をもう一度勉強するのもただの時間の無駄遣いなので、レベルが上げた事を叔父様には内緒だ。


 それから従姉妹たちにも。叔父夫婦は三人の子供に恵まれ、長女のカトリーヌ、長男のレイモンドと次女のルクレティア。

 彼女たち兄弟の関係は羨ましいほど仲がいい、三人の中の誰かに知られたら、過去のようにルクレティアに魔力を使うのを禁止されるかもしれない。


 公爵家の使用人にも同じ内緒をしなければ……使用人を統率するメイド長と執事長は、二人とも優秀且つ叔父夫婦に忠実である。

 今日私が珍しくキッチンで食事を取っている事も既に彼らの耳に伝え、叔父夫婦にも知らせたでしょう。もしむやみに使用人の前でレベル2の魔法を使ったら、きっと叔父夫婦に自分がレベルを隠した事がバレる。


 こう改めて考えると、私はやはりこの広い屋敷では一人ぽっちの存在だ。


「一人、自分の味方を作らないと!」


 虚しい気持ちになる前に、私は自分を励ますように、声を出して、決意を表す。

 そしてその不意に口にした考えだが、良く考えるとそれもいい案ではないか。


 でも、誰を?


 突破口が見えず考え込んでいた時、ふと以前庭作業をしているある人を思い出す。

 彼女はブツブツと屋敷全員の悪口を言いながら、手際よく他人に押し付けられた仕事をこなしていた。


「彼女なら、もしかしたら……」



 ***

 味方を探すと決めてから、もう一週間が経った。


 午後の日差しを浴びながら、私は人の出入りのない西北の廃園のベンチに腰掛けて、本を読んでいる。

 持っている本は一見かわいらしい童話集の表紙だが、その中身はぎっしりと文字が書き込まれた勉強ノートである。

 この童話集の本カバーは以前拾ったもの。綺麗な絵だったので宝箱にしまっておいたんだけど、まさかお母さんが遺してくれたノートがそれにぴったり収まるとは思わなかった。

 でもこれでノートの存在が隠れるし、外に持ち歩けて魔法の勉強もできる。


「フリージアお嬢様、お呼びでしょうか」


 冷たい口調で、一人の少女が私の前に立ってる。


 私は顔を上げて、少女を見る。

 猫族の少女は、乱雑に束ねられた赤い髪が肩のあたりで跳ね、仕事で疲れた顔にはやや不機嫌そうな表情が浮かんでいる。目の下に濃いクマがあるものの、その翡翠色の瞳は猫特有の鋭い輝きを持ち、どこか冷めた印象を与える。

 小柄な体躯に、つんと尖った耳と、柔らかな毛並みが特徴的な猫の耳が頭の上に生えている。屋敷から配布されたメイド服が、袖口が少し擦り切れていたり、裾が乱れていたりして、どうにも手入れが足りない感じがする。


 彼女はライラ、奴隷商人から買われた獣人族、13歳、私が今日待っている人。

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