第5話 令嬢は母の日記を読む②

『ふふ、びっくりした?冗談ですよ。この日記をこの部屋に置いたは私ですもの、怒りはしないわ。

 本当はこの日記を貴女に見せるべきか、少し悩んでいた。だって恥ずかしいだからな。

 でも私はあなたと一緒にいられいる時間は短いので、日記で記録したこの大切な時間を、貴女と分かち合いたいと考えました。』


 まるで私と会話しているような口調で書かれたメッセージはお母さんのお茶目な一面が見えて、顔が僅かにほころぶ。

 でも、やはり言葉の節節から感じた通りに、お母さんは私を産むことで、自分の命が削られると分かっていながらも、これらのものを私に遺してくれたのね……


『今頃の貴女はきっと酷い顔でしょうね。感情豊かはいいことだが、そろそろ泣き終わる頃じゃないかしら。

 泣くことは悪いことではないわ。感情を発散するのは、人にとって必要なものだから。でも、泣き続けるだけでは何も解決できないわ。

 お母さんが側にいないからこそ、あなたは自分の力で立ち上がり、前へ歩まなければならないの。

 大丈夫、あなたにはそれができるわ。』


 涙をこらえきれず、私はまだ湿った袖で、目元と濡れた頬をごしごしと乱暴に拭った。


『この部屋はご覧の通りに、空間魔術によって作られた場所で、出入りする鍵は貴女に送った指輪です。この指輪は私と貴女専用の魔導具として設定されているので、他の誰にも使うことはできません。

 貴女が魔力を目覚めたら、すぐに入れるように設定したいのだが、お店の方からは低い魔力の波長は意図的に真似られると言われたので、レベル4以上の魔力量を全力で指輪に注入しないと、出入りができない設定になっています。

 お母さんは12歳の時に魔力量をレベル4に上げたか、貴女は今何歳でしょうね。きっと私より優秀で8歳で入れるかもしれないね。』


 お母さん、買いかぶりです、あの神官のお世辞を信じ込んでいるな。

 実際夢の彼女は16歳でやっと貴族令嬢の最低限のレベル4に辿り。しかも、もっと無さげないことに、鍵となる指輪は10歳の時に失くした。


『部屋の物は勿論お母さんが一つ一つ工夫して整理したものよ。まだ貴女がなにに対して趣味を持っているのか分からないので、いろんなジャンルの書物と研究に必要な器具を準備したわ。

 あなたが自分のやりたい事が見つけた時に、この部屋が少しでも力になれたら嬉しいわ。』


 また空白のページになった。それは、私に思考の余裕を与えるためのように思えた。


 静かに深呼吸をしながら、私はページを再びめくった。その先には、少し重みを感じる言葉がつづられていた。


『もし貴女が今の生活に満足しているなら、私が貴女に伝えたいことは以上ですよ。

 お母さんはいつだって、あなたの幸せを心から願っていますよ。


 でも、もし貴女が人生の中で何かに迷ったり、立ち止まったりしているのなら、

 ――ここから先の話は、少し貴女にとって負担になるかもしれません。それでも、この言葉が貴女の支えとなり、道を切り開く手助けになればと願っています。』


 その繊細な文字に胸が締め付けられるように感じ、息を呑んで、緊張しながらも私は迷わずに次のページに手を伸ばした。


『貴女も知っていると思いますが、貴女のお祖父さんは薬物栽培の成功により、子爵の爵位を与えられたのです。

 そのお陰で、私は13歳の時に突然平民から子爵令嬢になったわ。』


 あ、これ初めて知ったことだ。

 お母さんが亡くなった以来、お母さんの話は屋敷内で禁句きんくになっていた。

 そして、お祖父様は私が物事がつく前から公爵家と疎遠していた。お祖父様が住んでいる所はスペンサーグ城とそう遠く離れていないが、一度も私に会いに来てくれた事は無かった。


『まったく、私は本当はあなたのお祖父さんと同じ薬師になりたかったのよ。それなのに、貴族令嬢としての勉強に時間を割かなければならなかったし、さらには貴族の学校にも強制的に入学させられたわ。

 平民だった頃の私は、貴族令嬢というのは毎日おしゃれをして、くだらないお茶会を開き、のんびり読書をしながら時間を浪費するだけの人種だと思っていた。でも、いざ自分がその立場になると、ただ“優雅”なだけの貴族令嬢でいることが、どれほど窮屈なものか、身をもって知ったわ。


 彼女たちは金の檻に閉じ込められたカナリアのようなもの。広い空を知らないまま、観客の望みに応えて、必要なときに美しい羽を広げ、綺麗な歌を歌うだけ。

 社交界ではとして売り物にされ、同じ商品同士で競い合い、より良い値段で売れることを目指す。そしてその先に待っているのは、魔力の高い後継者を産むための道具としての役割。


 私には、平民と貴族の二つの道があったが、私は貴族になる道を選んだわ。

 その選択のおかげで、貴族としての地位が、お祖父さんの薬品事業の拡大に大いに役立った。いくら素晴らしい薬を作ったとしても、国の承認がなければ正式な薬品として広めることはできないからね。

 私は貴族令嬢となることで薬師の夢を諦めたけれど、親愛なる友人たち、愛しい恋人、そして可愛い子供たちに出会えた。この選択を後悔してはいないわ。

 それに、他人の情けとしても、尊重と権限を与えられる公爵夫人という立場は、一介の薬師よりも多くのことができるのだから。


 フリージア、あなたはいま幸せですか?あなたはどうなりたい?

 生まれながらにして貴族令嬢の貴女はどうなりたい?貴族令嬢としての役割に忠実でいたいのですか?それとも、変化を求めていますか?』


 私は……

 夢の彼女は何もかも空っぽだった。一時的に手に入るものはいずれ失う。

 たとえ大半は無視され続ける人生でも、公爵令嬢として、不公平な待遇があったとはいえ、基本的な衣食住と教育を与えられてきた。

 その生活と教育は、ずっと無意識に彼女自身を麻痺し続けていると思える。

 だから、彼女は貴族令嬢として、普通に一生を終えることに何の疑問も抱いて無かった。


 ――婚約破棄の日までは。

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