第3話 令嬢は母の手紙を読む

 私は心臓が高鳴るのを感じながら、震える手で封筒の縁を慎重につまみ、指先に力を込めて、ゆっくりと封を切った。すると、薄い便箋が静かに姿を現した。

 かすかな音を立てながら便箋を取り出すと、ほんのりと漂うインクの香りが鼻をくすぐる。


『私の愛する娘へ』

 綺麗な筆跡から筆者の柔らかく優しい雰囲気が醸し出し、冒頭の一行目の文字に、私の心が激しく揺さぶられていた。


『フリージア、私の愛しい子。この手紙を読んでいるということは、私はもうあなたの側にいなかったでしょうね。

 どうか悲しまないで、お母さんはもともと天界からやって来た者で、使命を持って人間界へ降り立ったの。

 残念だけれど、時が来た今、元の天使の職務に戻らなければならないわ。優秀な人は忙しくて、大変なんですよ。』

 少々ふざけた物言いに、思わず涙を流しながら笑ってしまいました。


『貴女が私のお腹にこっそり入るのを知った時、私はこの世で最も幸せな人間になりました。

 日々成長した貴女を感じるのは私の毎日の楽しみです。貴女の小さな手、輝く瞳、初めての笑顔...それらを想像するだけで、私の心は温かくなります。

 未来の貴女はどんなふうに成長するのだろう。お母さんのような美しさと知性を兼ね備え、誰もが憧れるような令嬢になるのでしょうか、それともお父さんみたいに頭の硬い人になるかしら。

 あの人はほんとうに仕方ない頑固な人でね、昔から……

 そう言えば、最近貴女の兄がちょっとツンデレになった気がしてね、扱いが難しいかもしれないが、喧嘩はほどほどに、ちゃんと仲良くしてね。

 ……』


 お父様とお兄様のお話にには、目が痛く感じ、口の中が苦い味がする。

「お母さん、ごめんなさい…」

 お母さんの望みを叶えてあげられない気がして、つい小声こごえで謝りの言葉を口にした。


『でも、貴女はあなたよ、唯一無二ゆいいつむにの存在であり、私の娘だもの。

 お母さんとお父さんと似なくでいい、だだ自由に、思いままに成長してればいいの、誰の真似事をする必要はないわ。

 お母さんを舐めないでね、貴女がどんなふうに成長しても、ずっと貴女のことを愛し続ける自信はあるわ。


 貴女の側で貴女の成長が見え無いのはお母さんにとって残念で仕方ない。

 ですから、お母さんと約束をしてくれないか?』


「約束…」

 目を大きくして、その文字を読み上げ、指をそっと文字に当て、緊張しながら次のページを捲る。


『どうか、あなたが愛されて生まれてきたことを、決して忘れないでください。

 貴女の存在は私にとって奇跡であり、貴女がどれほど大切な存在であるかを、どうしても伝えたかったのです。


 人生には、きっと困難な時が訪れることでしょう。悲しい時、寂しい時、どうしても前を向けないような瞬間もあるかもしれません。

 けれども、貴女には強い心を持っています。どんな時も、自分を信じて、前へ進んでいきなさい。貴女の中には、無限の可能性が秘められています。


 そして、愛することを恐れないでください。

 家族や友人、時に競い合い、互いに高め合うライバルたち、自分にとって大切な人たちとの絆を大切にしなさい。それらの絆が、いずれ貴女にとってかけがえのない財産となります。

 愛は不確ふたしかで、時に傷つけられることもあるかもしれません。それでも、愛は人生を豊かにし、困難を乗り越える力を与えてくれるものですだから、貴女が心を開き、愛し、愛されることを恐れないでください。

 貴女が自分の居場所を見つけ、そこで根を張り、大切な人たちと共に成長していく姿を、私は心から願っています。


 貴女の笑顔が、私にとって最大の喜びです。だからこそ、どうか毎日を笑顔で過ごしてくださいね。

 我儘な娘になっても構いませんよ。お母さんは、いつでも貴女の味方ですから。

 どうか、自分の幸せを一番に考えて、何よりも自分を大切にしてください。貴女が自分を犠牲にしてまでやらなければならないことなど、この世には存在しませんから。


 どんなに遠く離れていても、お母さんはいつだって貴女の味方です。私の愛はいつも貴女と共にあることを忘れないでください。

 貴女が幸せで、充実した人生を歩んでいけるよう、お母さんは天界からずっと貴女を見守っています。


 愛している、いつまでも。


 お母さんより』


 祝福な言葉が次々と掛けられ、母の言葉は、私の心に深く響き、慣れないむず痒い気持ちになりつつ、心が初めて満ちた気がした。


 家族絵にあるお母さんはまるで宝石のように繊細で儚げな印象でしたが、でもこの手紙で覗き見るお母さんは内的強さと揺るぎない自信で組み合っている女性だった。

 今まで頭の中で想像したお母さんの姿が崩れていくが、本当のお母さんの姿が見えて、すごく嬉しく思えた。


 涙で濡れた顔をそっと拭き、赤くなった鼻をすすり、深呼吸してから、両手を口元を無理に持ち上げて、ぎこちない笑顔を浮かべる。


「お母さん、心配しないで、私は約束通りに、立派に成長する」


 夢の彼女の人生は苦痛の感情に満ち溢れ、情け無い自分を何度も嘆い、でもやはりただ自暴自棄になり、最後はいつも現実を逃避して、かめのように甲羅こうらの中に縮こまっていた。


 今の自分は、躯は子供のままで、何歳かはよくわからないが、短い子供の記憶と夢の彼女の記憶が交じり合い、いまは夢の彼女の延長になった気がする。


 エマさんを殺した殺し屋の冷たいナイフのことを思い出すと、顔が真っ青になり、温まったばかりの心が冷気に直面したように、震えずにはいられなかった。


「大丈夫…大丈夫、わたしは大丈夫……わたしは大丈夫です」


 優しい香りした手紙を大事に抱きしめ、私は何度も自分に言い聞かせる。


 病気、戦争や事故を除き、今我が国アストラル王国の一般人の平均寿命は50歳から60歳程度、今の私の体は多く見積もっても10歳、せめて40年ほどの寿命がある、時間はまだあるのだ。


「あれは夢、今ここにいる私のほうが現実なんだ。私の人生はまだ始まったばかりなんだ、私は……」


 私はブツブツと自分に勇気づけるように呟いた。


 私は死なない。


 私は生きたい。


 私は幸せになりたい。

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