第2話 令嬢は悪夢から目覚める

「あっ!」


 私は自分の声で目が覚めた。

 慌てて上半身を起こすと、長い髪が顔にかかり、寝巻きは汗で僅かに湿っていて、肌に冷たく張り付いている。

 心臓が激しく鼓動し、まだ悪夢の余韻が体を支配している。まるで逃げても逃げても、暗闇の中から迫ってくる影があるように、背筋に冷たい恐怖が走っていた。


 柔らかい月明かりが部屋を優しく照らして、私は目に違和感を感じ、思わず手で目をこすると、頬にある涙の雫に驚いた。

 いつの間にか泣いていたのだろう。


 シーツを強く握りしめながら、私は何度も深呼吸を繰り返す。周りの静けさが少しずつ心を落ち着けてくれるけれど、夢の中の恐怖がまだ頭の中で渦巻いて、動悸が収まらない。


 私は周りを見回した。広々とした空間にシンプルな家具が配置されているだけの、贅沢さとは無縁の静けさが漂う部屋。

 ここは確かにスペンサーグ城にある、私が子供の時に使用していた個室、13歳に王都へ向かう以降、二度と戻れなかった私の部屋。


 私は目を大きくして、自分の小さな手を見た瞬間、震えながらベッドから降り、おぼつかないな足取りで洗面器へ向かって歩いた。

 そこにはまだ水が残っていた。柔らかな月明かりの下、水面に映る怯えている女の子は間違いなく子供時代の自分だ。


「どうしてこんなことに…」


 私は呟き、手指が無意識に水面に映る倒影に触れた。水面が揺れ動き、倒影が歪み変形するが、映されたあの幼い顔は消えなかった。


胡蝶の夢こちょうのゆめ?夢の彼女は誰?今の私は誰?」


 先程見た悪夢はあまりにも現実的で、まるで自分が既に他人から拒絶され、嫌われ続けた短い人生を過ごしたかのように感じた。


 夢の終わりに温もりを与えてくれたエマさんのことを考えると、瞼が熱くならずにはいられなかった。


 瞳からまた涙がこぼれ落ちる。


 私がいなかったら、殺し屋があの平和の村に来ることも、エマさんが彼に殺されることもなかったでしょう。


 私が不幸を招いたのだ。

 私は誰にも関わるべきではないのだ!


 私はもともと薄幸はっこうな人間だ。

 生まれながらにして母を亡くし、父や兄にも愛されることなく、何一つ役に立たない存在だ……


 私は地面に崩れ落ち、両手で顔を覆って涙を必死に隠した。肩は制御できずに激しく震え、傷ついた小動物が悲鳴を上げるように喉から声が薄らと漏れ出す。


 窓の外から涼風がそよぎ、木々が揺れ、ささやきのような音がする。でもこの静寂の夜を破るように、自分の泣き声音が際立って聞こえる。


 突然その時、私の首に掛けていた、細い鎖で吊るされた銀製の指輪が微かに光り始めた。

 温かく、心を落ち着かせる緑の光だった。


「お母様がくれた指輪、今はまだ失くしていない!でもこの光は?」


 お母様が亡くなる前に残してくれた銀製の指輪は、夢の世界では私が10歳の時に失くした。


 当時冒険者と駆け落ちしたメイドが城内の金になるものを多く盗んで逃亡したと聞いていた、そして私がなくした指輪もその一つの可能性が高い。

 その後、どれほど待ち続けても、メイドも盗品も戻ってくることはなかった。私はついに、お母様との唯一の繋がりが断ち切られたのだと悟り、その現実に打ちのめされ、一晩中泣いた記憶はあった。


 あ、この緑の光は悪夢の最後に私の体からにも同じ光が発していた気がする。でもあの最後の記憶力があまりにも朧げなため、確信はできない。


 もしかして、これは装飾品ではなく、魔導具なの?

 私は即座にベッドの挟みに隠れた水の下級魔石を取り出し、指輪に当てた。

 魔力の少ない人は魔石などの媒介で魔導具を使用できる。今の私まだ子供、魔力があるかどうかすらも分からない。


 でも指輪に反応はなかった、間違ったのかな?


 溜め息をつき、私の気分は再び沈み込み、目が暗くなる。手の中で握りしめた下級魔石をそっと下ろし、疲れた体を横に倒した。

 温かな指輪の温もりを頬に当て、お母様に撫でられるのはこんな感じかしらと、想像した。


「お母様、会いたいです」


 もう叶えない夢を呟き、廊下に飾られた両親と兄三人が並んだ肖像画を思い出し、微笑むお母様の顔が脳裏に浮かべる。


 私は両手で指輪を握り、額に当てた。これは祈りの姿勢。

 もう星になったお母様と夢のエマさんが天国で幸せになれるように、私は心を込めて祈り始める。


 その瞬間、指輪から強い光が放たれ、周囲の景色がゆっくりと変わり始める。私はその眩しい光に目を細め、視界が遮られた。


「え?なに?」


 だんだん光が弱くなり、目が次第に馴染んでいく時、私は恐れ恐れに目を開けると、自分が見慣れない部屋の中央に立っていた。


「ここは…どこ?」


 混乱した頭で声を出してみたが、勿論返事はなかった。


 部屋はわずか20平方メートルほどの狭さだが、不思議と温かい空気が漂っている。

 よく見ると、部屋は本で溢れかえっていました。壁に沿って並ぶ本棚には、様々な分野の書物が整然と配置され、古書の独特な香りが、空間を優雅に包み込んでいる。

 中央に置かれた大きいテーブルの上には、美しいガラスの器具が並べられ、その模様からして、実験用なものだと推測できる。

 しかも、夜なのに、しっかりと閉じているはずの窓から不思議な明るい白い光がして、その隣には不健康な色のする葉が元気がなく垂れている植物が置いており、また傍らの小さなテーブルには開きかけのノートが広げられていた。


 私は躊躇いながらも、あのノートに向かって歩いた。

 この閉じられている空間は、不思議とすごく居心地がいい。自然とピリピリとした警戒心も解けていく。


 何となく、一つの考えが脳裡に浮かぶ。

 ――お母様が本当に私に残したかったのは指輪ではなく、この隠された部屋ではないでしょうか?


 ノートが開いているページは空白面ではあるが、すぐ下に色違いの手紙らしきものが置いてあるのが見えた。

 それを取り出してよく見ると、封筒の宛先には「愛する娘 フリージア へ」と書かれていた!

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