第3話 炎の力
学校のチャイムが放課後の合図を知らせた。
鳴り終わると同時に忍は駆け出していた。
向かった先は、駐輪場だった。
鍵を解錠し、チェーンを外すと、忍は自転車に乗り、速度を飛ばして走らせた。
彼が目指している行き先はーーー荒野病院。
学校からの道程(みちのり)で、八キロくらいの距離があって、丘高い山の上に顕在している。
聳え立つ街並みが、流れるように過ぎ去って行く。
自転車を漕ぎ(こぎ)ながら忍は、昨夜のジャック・ランタンとの会話を思い出していた。
《『何だよ、いい考えって』》
ジャック・ランタンが訊ねた。
《『病院だよ、植物状態にあるなら、入院しているかもしれない』》
得意になって忍は言った。
デメーテルが納得の声を出した。
《『ああ、なるほど』》
忍はデメーテルに告げた。
《『と言う事ですので、早速(さっそく)明日にでも病院に行って来ます』》
デメーテルが気遣った。
《ええ、お気を付けて》
舗装された道路で出来た坂道を、力いっぱい登って行く。
途中から現われた、荒れた山道もなんのそので頂上まで登り詰めた。
《ーーーっ、や、やっと着いた》
息を切らしながら、自転車を降りた。
息を整えつつ、病院のすぐ脇に自転車を止め、チェーンと鍵をかけた。
歩いて自動ドアを通過すると、受け付けを見つけて声をかけた。
『すみません、こちらの病院に、ショートヘアの女の子は入院してませんか?僕と同じ年くらいなんですけど』
微か(かすか)に消防車のサイレンが、病院を横切って行くのが聞こえた。
※
あるマンションの前で、消防車は止まった。
オレンジ色の炎と黒い煙が、八階の窓から顔を覗かせていた。
マンションの前には人だかりが出来ていた。
消防士が消防車から降り、人混みをかき分け、前に出ると、地面にへたり込んだ女性を見つけた。
消防士は声をかけた。
『大丈夫ですか』
タガが外れたように、女性は消防士に詰め寄った。
『あ、助けて、助けて下さい、息子が妹を助けに行くって、あの中に』
消防士は言った。
『あの中ですね、分かりました』
そして、マンションの中に入って行った。
火はもう既に(すでに)、マンション全体に燃え広がっていた。
火に気をつけながら、階段を駆け上がって行く。
八階に着いて、ドアを強くノックすると、子供の泣き声が聞こえた。
開けると、鍵は掛かってなかった。
中に入ると、三歳くらいの女の子が、熊の縫いぐるみを抱えて泣いていた。
その後ろで、中高生くらいの少年が、崩れた天井の下敷きになって倒れていた。
※
《……よ、……い》
《……し……よ、……い》
《……れし……よ、……い》
《……ばれし……のよ、……い》
《選ばれし者よ、目覚めなさい》
そう、何度か聞こえる女性の声に起こされて、少年は目を開けた。
《え、何処(どこ)だ、此処(ここ)?》
少年は辺りを見回した。
気付けば、知らない所にいた。
『ちーっす、起きたぁ?』
若い男性の声がした。
《な、何だ、誰だ?》
再び首を動かして周りを見るが、誰も見当たらない。
『此処だよ此処、あんたの目の前』
声に導かれるようにして、正面を見るとーーー怪しげな生き物がいた。
赤いキャップ、デニムのジャケットとパンツ。
所謂(いわゆる)ストリート系の格好(かっこう)をした、二本足で立ってる蜥蜴(とかげ)だった。
蜥蜴は尻尾(しっぽ)に火が着いていた。
『はっじめましてー、俺っち、サラマンダーって言うの、今から、あんたの相棒(あいぼう)だから、宜しく(よろしく)ぅ』
少年は思った。
《は?相棒?何言ってんだこいつ》
『ちょっとー、何か言ってよー』
サラマンダーが、少年の反応を求めた。
『あ、そうだ、兄ちゃん、兄ちゃんの名前は?』
思いついたように、サラマンダーが聞いた。
『……』
しかし、少年は答えなかった。
ずっと口を噤んだ(つぐんだ)まま、我(われ)関せず、と言う態度をとった。
『ねー、無視しないでよー』
サラマンダーが、せがんだ。
『……』
少年は続けてこれも、黙殺(もくさつ)した。
『早くしないと、あ!』
言いかけて、サラマンダーが何かに反応した。
『まずい、早く此処から出ないと、一旦(いったん)逃げよう』
言うと、サラマンダーは両前足、いや、両手を上げた。
すると、二人の周りを炎が囲み、足下に魔法円が現れた。
少年は表情で驚いた。
『ん?ああ、驚いた?昔からこうやるんだよ、それより、やっとこっちに反応してくれたね』
嬉しそうに言うと、サラマンダーは続けた。
『兄ちゃんに、お願いがあるんだけど』
少年が口を開いた。
今、起こっている状況を受け入れる気になったようだ。
『何だ?』
少年の問いかけにサラマンダーは答えた。
『アンドルイド装着って唱えて欲しいんだ』
少年はサラマンダーの願いを聞き届た。
『アンドルイド装着』
張った声が少年から出た。
すると、少年の身体が、一瞬にして炎に包まれた。
《蛍……》
自分の身体を見つめながら、少年は、火事に一緒に巻き込まれた、妹の事を思い出した。
《無事だといいんだけど》
『そしたら、今度は融合って唱えて』
少年はサラマンダーの指示に従った。
『融合』
声に出した途端(とたん)、サラマンダーが少年の中に入った。
足下から順に炎が消えて行く。
炎が止むと、サラマンダーと同化した少年が現れた。
『これは、一体……』
少年は、自分の姿に驚いた。
[詳しい話は後で、今は逃げる方が先決!]
少年の中から、サラマンダーが話しかけて来た。
『逃げるって、何から……』
サラマンダーと話をしながら、少年は火山の噴火口を見た。
飛び散った溶岩が、所々(ところどころ)に集まって、姿を形成して行く。
出来上がったのは、ロボットみたいな形をしていた。
[ま、まずい、トロル達が起きた]
サラマンダーが慌てた。
トロルは少年を見るなり殴りかかって来た。
『わっ』
少年は思い切り飛んで、それを避けた。
トロルの握った拳(こぶし)が地面に当たり、殴った場所が砕け散った。
『っぶねー……』
[逃げるよ、兄ちゃん]
サラマンダーが少年に言うと、少年の身体を操って、片手に火を出現させた。
炎の空間が広がり、足下に魔法円が現れた。
[今から言う呪文を唱えて]
『炎よ、燃え盛る(もえさかる)力よ、我(われ)に危うきを与えんとす者から、我(われ)を守りたまえーーーフレイム』
教えられた通りに呪文を唱えて、火を放(はな)った。
放たれた火は、トロルに直撃し、黒煙(こくえん)が立ち昇(のぼ)った。
黒煙が止むと、少年が姿を現した。
トロルは再び、少年めがけて殴りかかった。
すると、少年の姿が揺らいだ。
『!?』
トロルは驚いた。
もう一度、少年に拳を繰り出す(くりだす)と、少年の姿は揺らいで消え、そこには誰もいなかった。
※
どのくらい前だっただろうか。
体感だと、ほんの少しくらい前だったと、記憶している。
いつも通りの授業が終わって、帰る仕度をして、教室を出ようとしていた時だった。
この一本の電話が、不吉な知らせをもたらすとは、思いもしなかった。
『もしもし?』
出てみると、母親からだった。
『あ、もしもし、灯(ともる)?家が大変なの、すぐ来て!』
母親の不安そうな声から、ただならぬ状況を感じとった灯は、自分も青くなりながら、電話の向こうにいる母親に訊ねた。
『母さん?何があったの?』
スマホから、落ち着きを失った、母親の声が返って来た。
『家が火事なのよ!中はもう火の海で、蛍がまだ中にいるの、どうしよう、あの子、きっと今頃、熱さと怖さに怯えながら泣いてるわ』
母親のしゃくりあげる声が、通話口から聞こえた。
感情の爆発が終わった母親に、灯は、はっきりした声で伝えた。
『分かった、すぐ行く、母さんはマンションの前で待ってて』
通話を切ると、灯は走り出した。
階段を駆け降りて、玄関に向かう。
靴を履き替え、校舎を出ると、駐輪場へと走った。
鍵とチェーンを外すと、自転車に跨り(またがり)
、速度を飛ばした。
早く漕いで、道を急いだ。
いつもなら、流れ行く街並みを眺めながら、自転車をゆっくり進めていたのが、今は目もくれず、家を目指した。
暫くすると、見覚えのある外観(がいかん)が見えてきた。
灯は夢中になって、自転車を漕ぎ進めた。
そして、ついにマンションへ到着した。
マンションの前は、逃げて来たであろう人達が集まっていた。
野次馬らしき人達や、テレビ局も来ていた。
降りた自転車を止めて、人混みをかき分け、前に出た。
衝撃な光景を、灯は目(ま)の当たりにした。
マンションが轟々(ごうごう)と音を立てて燃えていた。
『灯』
自分を呼ぶ声がして、振り返ると、母が立っていた。
『母さん』
灯は呼んで、側に歩み寄った。
『父さんと、蛍は?』
続けて訊ねると、母は気の抜けたような声で、答えた。
『お父さんは、灯に伝え終わった後ですぐに、連絡したわ、これからすぐ向かうって、でも、蛍は、蛍は……っ』
言いながら、母は泣き崩れた。
『まさか、まだ、あの中に?』
灯の問いかけに、母は静かに頷いた。
『こんな事なら、買い物に出かける時、一緒に連れて出ればよかった、ごめんね蛍……ごめんね』
自分の行動を悔いた後、何かに取り憑かれたように、母は謝罪を繰り返し始めた。
灯は燃えているマンションを見て、心を決めた。
そして、母にこう告げた。
『俺が蛍を助けに行く』
様子の変化に気付いた母がもう一度、自分の名を呼んだ。
『灯?』
灯は走り出し、炎だらけのマンションに向かって行った。
『灯ー!』
後方で自分の名前を叫ぶ、母の声が聞こえた。
炎が広がったマンションの中に灯は、入って行った。
割れた窓から入って来る風に煽られ、いきなり襲って来る炎や、弾(はじ)け飛んで来る火の粉や、熱風、崩れ落ちて来る瓦礫(がれき)に怯みながらも、時々、頭(かぶり)を振りつつ、妹を救うためだと、自分に言い聞かせ、進んで行った。
階段を一段ずつ上がって行き、ようやく八階に着いた。
自分の家の、玄関の前に立つと、ドアの向こうから、泣き声が聞こえた。
それを聞いて、灯はホッとした。
事前に大家から預かっていた、スペアキーでドアを開けると、蛍がリビングの床に座り込んで泣いていた。
『蛍、助けに来たよ』
リビングに土足で上がり、蛍を抱き上げた。
『う、にいたあああああん、うわああああああん』
灯の腕の中で、蛍は泣いた。
その時だった。
ーーーそれは、束の間の兄妹(きょうだい)の再会だった。
燃えてボロボロになっていた天井が、蛍の背後に崩れ落ちて来た。
『危ない!』
灯が蛍を庇い(かばい)、蛍を押し出した。
蛍の代わりに灯の上に天井は降って(ふって)来た。
※
《兄ちゃん》
《兄ちゃん》
サラマンダーが呼ぶ声がして、灯は我(われ)に返った。
『あ、ああ、どうした?』
灯の言葉にサラマンダーは言った。
[こっちの台詞だよ、大丈夫か?]
灯は答えた。
『ああ、ちょっと考え事をしてたんだ、悪かったな』
続けて灯は訊ねた。
『で、何だ?』
サラマンダーは答えた。
[敵が眠ったよ]
『そうか』
報告を受け入れると、灯は再び質問した。
『で、どうするんだ?』
[勿論(もちろん)、この隙に此処から出て、逃げる]
『出るって、どうやって?』
灯は頭の中に?を思い浮かべた。
二人が隠れている火山の噴火口の周りは岩場に囲まれていて、出入り口すらない。
上空が空いているが、飛ぶ手段だって持ち合わせていない。
おまけに噴火口の外には、溶岩に戻ったトロル達がいる。
出られる術(すべ)など、あるんだろうか。
[だ・か・ら、潜るんだよ、下に]
サラマンダーが、衝撃の発言を述べた。
『……は?』
灯は耳を疑った。
『今、何て言った?』
サラマンダーは繰り返した。
[下に潜るんだよ、下に]
灯は言葉の意味を問うた。
『この溶岩の中に潜れってのか?』
[ああ、そうだ]
サラマンダーは言葉で頷いた。
灯は不安になった。
慎重になって、恐る恐る視線を落とした。
下で沸騰(ふっとう)している溶岩が視界に入った。
鍋料理のように、ぐつぐつと音をたてて、煮立っている。
灯はごくりと唾(つば)を呑(の)み込んだ。
《おいおい、マジかよ、大丈夫なんだろうな、だって溶岩って、中に入ったものが溶けるほど熱いんだろ?》
心の中でそう、思いながら、サラマンダーに聞いた。
『大丈夫なのか?』
そんな不安を見透かしたかのように、サラマンダーは、答えた。
[二人に分かれている時なら、ともかく、今は火の属性である俺と融合してるから、心配いらない、さあ、潜るぞ]
そう伝えると、サラマンダーは、灯に溶岩へと、飛び込ませた。
『ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備がーーーわっ』
飛び降りる瞬間、灯は固く目を閉じた。
落ちた場所の溶岩が飛沫(しぶき)をあげ、強く波打った。
灯は恐る恐る目を開けてみた。
足がしっかりと、地面に着いていた。
水中に潜る時のように、息を止めなくてはならないのかと思いきや、呼吸もできた。
《あれ……?なんともない……?》
灯は不思議そうな顔をして、自分の身体を見た。
[な、言った通りだっただろ?]
見たかのように、サラマンダーが、灯の中で言った。
『此処は何処なんだ?』
灯はサラマンダーに聞いた。
[火山口の地下さ、びっくりしたか?]
少し間をおいて、灯は答えを返した。
『……少しだけ』
その反応を見て、サラマンダーはちょっと笑って、言った。
[ははっ、それじゃ、出ようか]
サラマンダーは灯の掌(てのひら)に、火を出現させた。
暗い路地が、少し明るく照らされた。
土で固まった壁に手をついて、火の灯りを頼りに、二人は一歩ずつ奥へと進んで行った。
※
燃え盛る(もえさかる)マンションから、人が出て来た。
それは、蛍を抱きかかえた消防士の姿だった。
消防士は、母親へと歩み寄ると、ゆっくり、蛍を降ろした。
『ママー』
蛍に呼ばれた母親は、とてつもなく嬉しくなって、自分も蛍を呼んだ。
『蛍、おいで』
しゃがんで腕を広げると、その中に蛍は飛び込んだ。
『ごめんね、ごめんね』
謝罪の言葉を、母親は繰り返した。
『今度は、息子さんを運んで来ます』
消防士はそう言って、もう一度、燃えているマンションの中に、入って行った。
※
火で照らされた通路を歩きながら、灯はサラマンダーから、詳しい状況の説明を聞いていた。
夢の世界、魔王の侵略、弱まって来た女神の力、夢生魔と呼ばれる怪物(モンスター)、アンドルイドと云われる選ばれた戦士と、この世界についていろいろ、灯は教えて貰った。
『じゃあ、助かるためには、夢生魔や魔王と戦って勝利し、この世界を救う必要があるって事か』
灯の言葉を聞いていた、サラマンダーが言葉で頷いた。
『そう、そう言う事』
その様子を見て、灯は言葉を続けた。
『で、俺が戦う相手が、あの夢生魔って訳か』
同じような反応を、サラマンダーは繰り返した。
『そう、そう言う事なんだよ』
理解した灯は此処で、サラマンダーも思っているであろう、悩みを口にした。
「問題はそこなんだよなー」
『溶岩って事は火の属性だと言う事なのは分かった、だから、同じ属性のサラマンダーが攻撃しても、今一つ、効き目が無い』
[雨でも降れば話は別だけど]
「うーん……」
と、悩みながら歩いていると、光が通路の奥から差し込んで来た。
[さあ、着いたよ]
サラマンダーの言葉を聞いて、灯は数歩歩き、地下の外に出た。
『やったー、やっと出られた』
達成感を感じた灯は、大きく伸びをした。
サラマンダーが紹介した。
[ようこそ、炎の町・ファイアルへ]
灯達は町に足を踏み入れた。
融合していた二人は元の、サラマンダーと灯に戻った。
『へーえ、町に繋がってたんだ』
町の端々に設置された、炎が灯った燭台(しょくだい)を見ながら、灯が言った。
『さあ、行こうか』
サラマンダーが言葉で促し(うながし)た。
『あ、待ってくれ』
灯が慌てて、サラマンダーについて行った。
建物の間を縫うように進むと、半分まで来た所で、
サラマンダーは止まった。
『えっと、確かこの辺りに……あ、あった、あった』
サラマンダーは、効果音を付けて、それを見せた。
『じゃじゃーん』
それは、温泉だった。
町の真ん中に、温泉が湧いていた。
『温泉があるのか、すげーな』
灯が驚いて言った。
『他の温泉だとお金がとられちゃうけど、この温泉は特別、誰でも入っていい事になってるんだ』
温泉のお湯を両手で掬い(すくい)ながら灯は感心して、サラマンダーの説明を聞いた。
『へーえ』
すると、サラマンダーは灯を誘った。
『それじゃ、入ろっか』
灯は聞いた。
『……マジで?』
サラマンダーは答えた。
『勿論、その為に来たんだから』
それを聞いて、灯は納得した。
『あ、ああ、そりゃそうか』
サラマンダーが灯に言った。
『そうと決まれば話は早い、さあ、脱いだ脱いだ』
それで、灯の服を脱がし始めた。
最後の、パンツ一枚になったその時、それも脱がせそうになった、サラマンダーの手(前足?)を灯が止めた。
『どうした?』
訊ねたサラマンダーに、灯が答えた。
『外で裸になるのは、ちょっと』
それを聞いたサラマンダーが灯を𠮟った。
『此処まで来といて何言ってんだ、いいから、ほら、脱いで、さっさと入れ』
言いながらパンツも脱がし、背中を蹴飛ばした。
『わっとっと』
灯はよろけて、温泉に近付き、そして。
『あわわわわわ、うわぁ!』
頭から倒れ込んで、ダイブした。
水飛沫ならぬ、お湯飛沫が周りに飛び散った。
灯が水死体のように、背中から浮かび上がって来た。
『よくもやってくれたな〜』
怨めしげに灯は、振り返った。
一方、サラマンダーは、知らん顔で独り言を言いつつ、自分も服を脱ぎ始めた。
『俺も入ろーっと』
脱いだ服は畳む事無く、ただ纏めて(まとめて)おいて、悠々と湯に浸かった。
『ああ〜いい湯だな、兄ちゃんはどうだ?』
何事も無かったかのように、サラマンダーは、灯に話しかけた。
『お前なぁ〜』
ざぶざぶと水音をたてて、灯はサラマンダーに歩み寄った。
文句を言おうと、口を開くと、それよりも先にサラマンダーが、似たような質問を繰り返すように聞いた。
『お湯の温度は気持ちいいか?』
この質問で、灯は気が削がれてしまった。
『え?あ、ああ』
返事をすると、灯も温泉の中にしゃがんだ。
みるみるうちに、透けていた身体の色が、はっきりと分かるくらい、濃くなって行く。
『あれ?なんか、身体の感じが楽になったような……?』
不思議そうに灯が喋った。
それを聞いて、サラマンダーが口を出した。
『温泉の効能が聞いたんだ、背中の火傷(やけど)も治ったからな』
言われるまで、灯は分からなかった。
それで、サラマンダーに聞いた。
『俺って、背中火傷してたの?』
意外そうな言葉が、サラマンダーの口から出た。
『なんだ、気づいてなかったのか』
灯が言葉を返した。
『全然』
そして、自分が火事によって落下した、天井の下敷きになった事を思い出した。
《そうか、あの時……!》
『よく、俺が負傷(ふしょう)してるって分かったな』
サラマンダーに言うと、言葉が返って来た。
『宿主の事なら、このくらい朝飯前だぜ』
胸を強く叩いた。
『それはそうと、トロルの事なんだけど』
そう言うサラマンダーに、灯は言葉で返事をした。
『それな』
二人は腕組みをして考えた。
だが、考えた結果は、地下通路を歩いていた時とそう、変わらなかった。
『ダメだ、全然良い考えが浮かばない』
灯は溜め息をついて、頭を掻き毟った(かきむしった)。
『ああ、くそっ』
苛立つ気分を落ち着けようと、灯は温泉を囲っている石に背中を預け、寄りかかり、上を向いた。
すると、風が吹いて来た。
『うわっ』
その風に煽られて、何かが飛んで来た。
それが灯とサラマンダーの目に入った。
二人は直ちにお湯で目を洗い流した。
『何だ?』
お湯を見ると、濃い灰色の物体が浮いていた。
《粉?》
手で掬って、じっと見ていると、サラマンダーが灯に声をかけた。
『大丈夫か?兄ちゃん』
灯は返事をすると、サラマンダーに聞いた。
『ああ、それより、これ、何だ?』
灯は手の中にある、灰色の粉のようなものを、見せた。
『ああ、火山灰だよ』
サラマンダーが答えた。
『火山灰?こんな地下にも、火山があるのか?』
続けて灯は訊ねた。
サラマンダーも、続けて答えた。
『この町には活火山と休火山、二つの火山があるんだよ』
もう一つ、灯は聞いた。
『風も吹くのか?』
当たり前のように、サラマンダーは言って答えた。
『此処は屋外だぜ、元となる空気があるんだ、風が吹いたっておかしくないだろ』
言われて、灯は納得した。
質問が終わると、独り言を言い始めた。
『それにしても、あー痛て、おかげで前が見えづら……』
自分の言葉を聞いて、灯はハッとした。
『兄ちゃん?』
その様子を心配した、サラマンダーが声をかけた。
言葉が零れる(こぼれる)ように、灯の口から出た。
『そうか……これだ』
サラマンダーが、つられて灯と一緒に、温泉から出ると、二人は服を着た。
『じゃあ、野宿出来そうな所を探さないとな』
それを聞いたサラマンダーが、口を出した。
『野宿とまで行かなくても、泊まれる所はあるぞ?』
サラマンダーの言葉に、灯は喰らい着いた。
『本当か、何処にあるんだ?案内してくれ』
サラマンダーが道を示した。
『こっちだ』
サラマンダーの後を、灯はついて行った。
すると、町の外れに出た。
此処で、サラマンダーは止まった。
そこには、一件の建物があった。
寺だった。
住職らしき人物が竹箒(たけぼうき)で庭を掃いていた。
灯がその人に声をかけた。
『こんにちは』
手を止めて、優しい笑顔と声で、挨拶を返すと、住職は訊ねた。
『こんにちは、ご用件は何ですかな?』
灯が返事をして、答えた。
『あ、はい、此処に泊まれるって聞いて、やって来たんですけど』
聞いた住職が、言葉を返した。
『ええ、此処でしたら、何方(どなた)でも、お泊まり頂け(いただけ)ますよ』
それを聞いて、灯はホッとしたのか、少し、笑みを見せた。
『ぜひ、泊めて下さい、お願いします』
頭を下げた灯に、住職は言った。
『それでは、留守番を頼めますかな?出かける用事がありましてな』
灯は答えた。
『留守番ですね、了解しました』
すると、住職は寺の中に入り、少し経つと、戻って来た。
その手には、掃除道具の入ったバケツが握られていた。
バケツを灯の目の前に差し出して、住職は言いつけた。
『では、戻って来るまでに、この寺を奇麗(きれい)にして、頂いてもよろしいですかな?』
灯は言葉で頷くと、住職に訊ねた。
『それは、構い(かまい)ませんが、この町に来た時、水辺なんて見ませんでしたよ?』
灯の問いに、住職も言葉で頷いた。
『そうですね、確かに水辺はありませんね』
続けるように灯は聞いた。
『どうやって、水を汲むんです?』
サラマンダーが口を挟んだ。
『水の代わりになる物を汲んで来るしかないだろうな』
灯は考えながら、サラマンダーの言葉を呟くように、繰り返した。
『水の代わりになる物……あ、そうか』
口に出してるうちに閃いた。
『答えが見えたようですね』
穏やかに微笑んで(ほほえんで)、頷き(うなずき)つつ、住職が言った。
『それでは、頼みましたよーーー行って来ます』
そう言いつけて、住職は、出かけて行った。
その後で、二人も町に出かけた。
向かった先は、温泉だった。
『水の代わりでこれしか思いつかなかった』
独り言を言うと、灯はサラマンダーに確認した。
『本当に持って帰っていいんだな?』
サラマンダーは頷いて、言った。
『ああ、外の温泉は自由にしていい事になってるんだ』
サラマンダーの答えに灯は納得の意を、返事で述べた。
『そうか』
靴(くつ)と靴下を脱いで、ズボンの裾(すそ)を捲る(まくる)と、裸足(はだし)になった灯は、
しゃがみ込み、バケツで温泉の湯を掬った。
先程(さきほど)と同じく、気持ちいい温度だ。
裾を戻して、靴下と靴を履く(はく)と、湯の入ったバケツを持って、灯はサラマンダーと共に、急いで寺に戻った。
雑巾(ぞうきん)をバケツの湯に浸けて、絞る(しぼる)と、寺の中の拭き掃除を始めた。
最初は金堂、次に塔、他に門や庫裏(くり)、寺務所(じむしょ)など、色んな所を掃除した。
掃き掃除も済ませると、寺の中がピカピカに輝きを放った。
『お、終わった……』
へとへとになった二人は、その場に、仰向け(あおむけ)になって、倒れ込んだ。
気が付けば、とっぷりと、日が暮れていた。
『終わりましたかな?』
頭上から降って来るように声がして、上半身だけで起き上がってみると、住職が帰っていた。
『あ、おかえりなさい』
立ち上がって、サラマンダーも一緒にお辞儀をした。
『はい、ただいま』
挨拶をした住職は、両腕一杯に荷物を抱えて(かかえて)いた。
沢山(たくさん)の米俵や野菜、それから毛布と濃い灰色の袋が、次々と玄関に置かれて行った。
『いやあ〜、重かった』
両腕を交互に回しながら、住職が言った。
『その灰色の袋は何ですか?』
指をさして、灯が訊ねた。
『あ、そうそう、二人にお土産(おみやげ)ですよ、持ってご覧なさい』
そう言うと、住職は二人に袋を一つずつ渡した。
『こ、これは』
サラマンダーが驚きの声を上げた。
『火山灰じゃないか』
不思議に思って、灯は聞いた。
『どうして、僕が欲しがってるものを分かったんですか?』
平然として、住職は答えた。
『全ては仏のお導きですよ』
サラマンダーがツッコミを入れた。
『いや、それ、答えになってませんから
それをスルーして、住職は言った。
『どうぞ、お受け取りなさい』
灯は嬉しそうに、火山灰を受け取った。
『ありがとうございます』
サラマンダーも、受け取って礼を言った。
『あ、ありがとうございます』
住職はにっこり笑って頷いた。
『さて、手土産の話はこのくらいにしておいて、
夕食の仕度(したく)に取り掛かり(とりかかり)ましょうか、お手伝い、願えますかな?』
弾んだ声で、灯は返事をした。
『あ、は、はい!』
サラマンダーも灯に続いた。
『承知しました』
こうして三人は、力を合わせて作った、一汁三菜の夕食を食べ、火鉢のある部屋で暖まりながら、毛布に包まり、(くるまり)明日に備えて、眠りに就いた。
次の日。
灯とサラマンダーは、住職に礼と別れを告げ、トロルのいた、活火山の下にある、地下通路を歩いていた。
『大丈夫なのか?』
心配になったサラマンダーが訊ねた。
『やってみなきゃ分からないけど、元の世界に戻る為なら頑張るって決めたんだ、やるだけやってみるよ』
力強い声で、灯は答えた。
その言葉に背中を押されたらしく、サラマンダーも
勇ましい声で言った。
『そうか、よし、俺も出来る限りの事はするからな』
灯の気持ちに応えるように言った。
『ああ、宜しく(よろしく)頼むな』
サラマンダーが強く胸を叩いて、言葉を返した。
『勿論、俺も漢(おとこ)だ、腹括る(くくる)ぜ』
二人で話していると、昨日自分立ちが出て来た、火山の噴火口の下に着いた。
『心の準備はいいか?』
サラマンダーの言葉に、灯は大きく深呼吸をした。
『始めてくれ、サラマンダー』
気合いの入った声でサラマンダーは返事をした。
炎の空間が広がり、足下に魔法円が現れた。
『アンドルイド装着ーーー融合』
二人の身体が一つになった。
変身を済ませると、灯は噴火口の出口にへばりついて、潜って登った。
噴火口の入口から出て、火山を降りきると、二人は気を引き締めた。
溶岩が集まって固まり、三体のトロルが出来上がった。
[来るぞ]
トロルの一体が、その大きな拳を振り下ろした。
『おっと』
灯は後ろに飛び退いた(とびのいた)。
二度三度と繰り出される攻撃を避け続けていると、
背中に何かが当たった。
火山の真ん中の部分だった。
灯は自分の左右をちらり見た。
残りの二体が、その行く手を塞いだ(ふさいだ)。
身動きがとれなくなった灯は、動くのを止めた。
三つの拳が火山の体に打ちつけられた。
三体が拳をどかしてみると、灯の姿は消えていた。
トロルはまた驚いた。
『!?』
三体揃って辺りを見回すが、何処にも見当たらない。
また、何処かに逃げられたのかと、諦め(あきらめ)かけた、その時だった。
『おーい』
と、声がした。
トロルは慌てて、また、辺りを見回した。
だが、やはり、自分達以外の姿は見えない。
空耳だと思ったトロル達の意識は次の瞬間、確信に変わった。
『此処だよ、此処、あんたの鼻の所』
声の通りに、トロルは鼻を見た。
灯がへばりついていた。
三度目の驚きを、トロルは見せた。
振り落とそうと、トロルは顔を振るが、灯は落ちる事なく、その場に留まったままだった。
『待ってたぜ、この時を』
四つん這いのまま、手に持っていた袋を持ち上げると、力一杯、空中へと放り投げた。
袋はひっくり返り、中身がばら撒かれた(ばらまかれた)。
中身は、火山灰だった。
火山灰のシャワーを浴びた、トロル達は、目を押さえて、悶絶した。
膝(ひざ)から崩れ落ち、低姿勢になったトロルから、灯は降りた。
『やっぱり、思った通りだったな』
嬉しそうに、灯は喋った。
[これが狙いだったのか]
サラマンダーが声をかけた。
『ああ、温泉に入った時、風で火山灰が飛んで来なかったら、思いつかなかったぜ』
話すと、灯はトロル達を見た。
視界を失ったトロル達は、まだ灯達を狙っているのか、バラバラに動き出し、あちこちに拳を振り回し始めた。
やがて打ち合いになり、三体の体はバラバラに分かれて、壊れてしまった。
『これで俺達の勝ちだな』
[ああ]
灯の言葉に、サラマンダーは頷いた。
『よかったー、これで帰れる』
大きく息を吐きながら、灯は喋った。
《二人共、よく頑張りましたね》
女性の声がして、炎の空間が現れた。
中に一人の女性が、立っていた。
[女神様!]
サラマンダーは、女性の事をそう呼ぶと、融合を解いた。
『こんにちは』
挨拶をして、帽子を取り、お辞儀もした。
『こんにちは、そして初めまして、デメーテルです』
デメーテルも挨拶とお辞儀を返した。
自己紹介も兼ねていた。
『あ、赤里(あかり)灯です、宜しくお願いします』
灯も気を付けの姿勢で礼をした。
『話は全部、この鏡で聞かせて貰いました、夢生魔を退治してくれて、ありがとうございます』
礼を述べると、デメーテルはもう一度、頭を下げた。
『元の世界に帰る為に、行動に起こしただけですから』
謙遜して、灯は言った。
『その件なんですが、夢生魔と戦ったお礼として、元の世界に帰れる方法をお教えしましょう』
灯が食いついた。
『本当ですか、どんな方法です?』
デメーテルは言った。
《もう一度、あの寺に戻って、門の前に祀られ(まつられ)ている仁王像に触れて、祈りを捧げ(ささげ)て下さい、そうすれば、仁王像のお力で、元の世界に帰る事が出来るでしょう》
言葉を聞いた灯は、デメーテルと別れた後、早速寺に戻って、住職に事情を説明し、仁王像へ向かった。
『じゃあ、俺、帰るから』
サラマンダーが言葉を返した。
『ああ、またな、灯』
サラマンダーに背を向けて、灯は仁王像に触れて、祈りを捧げた。
白い光に包まれて、灯は思わず目を閉じた。
※
目を開けると、白い天井が見えた。
起き上がって、辺りを見回した。
心電図、身体に繋がれた、点滴。
灯は病院のベッドの上にいた。
『あ、よかった、気が付かれたんですね』
何処からか看護師がやって来て言った。
『今、先生呼んで来ますね』
看護師が去ると、灯はこれまでの事を思い出して行った。
夢の世界。
アンドルイド。
魔王や夢生魔による侵略。
女神。
火の力。
それから、火事の事も。
《俺……助け出されたのか》
手を握ったり開いたりして、自分が生きてるという実感を確認した。
『こんにちは、気分は如何(いかが)ですかな?』
看護師の呼んで来た医師が、声をかけた。
灯は健康な声で答えると、不安そうに訊ねた。
『大丈夫です、あの……蛍は、妹はどうなったんですか?』
落ち着いた声で医師は答えた。
『落ち着いて下さい、大丈夫ですよ』
そして、隣りのベッドを隔てているカーテンを開けた。
そこには、蛍が気持ち良さそうに寝息をたてていた。
『軽い一酸化炭素中毒を起こしていますが、命に別状はありません、安心して下さい』
医師の言葉を聞いた灯は、ホッとして、大きく息を吐いた。
『そうですか……よかった』
湯の入った洗面器に浸けた(つけた)タオルを絞って(しぼって)、看護師が言った。
『それじゃ、清拭(せいしき)しますね』
と、入院着の上を脱がせて、身体を拭き始めた。
背中を拭こうと、後ろに周った時だった。
『!?』
看護師の顔つきが、驚きの形相(ぎょうそう)に変わった。
背中にあった筈(はず)の火傷(やけど)が、奇麗さっぱり無くなっていた。
なかなか背中を拭こうとしない看護師の様子に気がつき、灯は声をかけた。
『どうかしましたか?』
看護師は自分の様子の異変を悟られまいと、先程と変わらない声を出して答えた。
『い、いえ』
背中を拭きながら、看護師は思った。
《この前の電車事故の患者も、怪我が治ってたみたいだし、一体、何なの……?》
灯の肩越しに、医師を見た。
それを察したらしく、医師は首を竦め(すくめ)て両腕を上げ、お手上げのジェスチャーをした。
医師と看護師が病室を後にすると、灯は上半身だけを起こし、ベッドから窓の外を眺めた。
そして、ぼんやりと考えた。
《またな、灯》
それは、サラマンダーが別れ際に言った言葉だった。
〝また、共に戦おう〟
そう言う意味なのだろうか。
〝魔王と夢生魔を倒して世界に平和が訪れる(おとずれる)まで戦いは終わらない〟
夢の世界について、説明を受けている時、そんな事を喋っていたと記憶している。
と、いう事は、これからも、あんな連中を相手に戦って行くのだろう。
『またな、か』
独り言のように、呟きを口にした。
たった一日、行動を共にしただけだが、戦いを通じてぐんと仲が深まった、仲良し。
冷たく、そっけない応対で接した自分を温かく見守り、優しく親しくしてくれた、相方。
そんな自分を相棒と呼んでくれた、片割れ。
そのような友人と、また会う事が出来るのなら、呼ばれるのも悪くない。
しかし、他はどうだろう。
アンドルイドと呼ばれる戦士は、自分の他に、後八人もいるらしい。
その人達も自分と同じくして、共に戦ってくれるだろうか。
灯は不安を振り切るように頭(かぶり)を振った。
そして、心の中で密かに思った。
(どうか、これから出会う人達も、同じ思いでありますように)
両手を合わせて、祈った。
涼風が窓から入り、姿勢を解いた、灯の頬を撫でて行った。
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