第2話 闇に選ばれし者
水が流れる音がして、トイレから輝が出て来た。
水道で手を洗っていると、ふいに鏡に映った自分の姿が目に入った。
その首には十字架を横に型どった痣が出来ていた。
輝は昨夜(ゆうべ)のデメーテルの言葉を思い出しながら、指でその痣をそっとなぞった。
今日の午後に退院が決まった。
医師からそう告げられた輝は、早る気持ちを抑え、トイレに立って、出歩く都合を付けて、選ばれし者を探した。
行く時は見つからなかったので、帰りも探してみる。
違う、違う、違う。
歩きながら、通り過ぎる時すれ違う人を一人一人見て行ったが、やはりそれらしき人はいなかった。
ゆっくりした足取りで、そっと人を横目に見ながら病室に戻った輝は、大きな溜め息を吐いた。
刻々と退院に向かって、時間だけが過ぎて行った。
※
廃墟と化したビルの後ろ。
その壁に背中を預けて座り込んでいる、少年の姿があった。
眼も虚ろ(うつろ)だ。
ぐったりしている。
『……っ』
苦痛に顔を顰め(しかめ)た。
《選ばれし者よ、目覚めなさい》
そんな声を聞いた時だった。
少年の視界に闇が訪れた。
※
少年が目を開けると、そこは墓地だった。
起き上がろうとすると、全身に痛みが走った。
『っつっ』
《墓場という事は、俺、死んだのか》
寝ながらそう思った。
しかし、はたとその考えは変わった。
《いや、待てよ、痛いという事は、もしかしてまだ、生きてる?》
そう考えていると、疑問が生まれた。
自分が気を失った所と場所が違う気がする。
自分で動いた覚えがない。
どうやって此処まで来たのか?
誰かが運んだのか?
一体、何の為に?
少年は考えた。
心当たりがあるんだとしたら、昨夜絡んで来た酔っ払いか、憂さ晴らしの標的(ターゲット)にした先輩グループのヤツらがそうだ。
動けなくなった自分の始末に困って捨てたのだろう。
『酷い仕打ちをされたもんだ』
他人事(ひとごと)のように、独り言を口にした。
《死に場所が墓場とは、面白い死に方だな》
ぼんやりと、そんな事を考えていた時だった。
ボコッと音が聞こえた。
《何の音だ?》
耳をすます。
音は段々(だんだん)近付いて来て、少年の側まで来た。
『ん?』
ふと、少年は背中に違和感を感じた。
何かに背中を押されてる。
寝返りを打つと、ボコッと間近で聞こえた。
何だろうと気になり、顔を反対に向けると、地面から人が出て来ていた。
何やら言っている。
〘……せ〙
〘……よこせ〙
〘……魂をよこせ〙
〘お前の魂をよこせ……!!〙
ボロボロの身体を持った、亡き骸達が少年の周りに集まり始めた。
《ゾンビに喰われて終わるなんて、数奇な運命だったな》
これまでかと、目を閉じた、その時。
[カーカカカカ、誰だ、俺様の獲物(えもの)を横取りしようとしている奴は]
奇妙な声を聞いた。
《え……?》
思わず目を開けたその瞬間、少年の周りを真っ暗闇が包んだ。
暗闇に気を取られていると、さっきの奇妙な声が再び聞こえた。
[カーカカカカ、驚いたようだな]
声の主は何処かと探して、続けて辺りを見回した。
[カーカカカカ、こっちだ、こっち]
少年は正面を向いた。
奇妙な声はそこからするようだった。
『そう、そこだ』
じっと正面を見ていると、暗闇からオレンジ色の何かが、水面を通り抜けるように、ゆっくりと現われ始めた。
オレンジ色の何かはでこぼこしていた。
それは目と鼻がくり抜かれていたカボチャだった。
一見、暗闇の中にカボチャが浮いているように見えるが、目を凝らしてよく見ると、身体がついていた。
黒いスーツとマントに隠れて同化し、見えていなかった。
『カーカカカカ、初めまして、我が愛しき下僕よ、
俺様の名はジャック・ランタン、よく覚えとけ』
口を動かさず(に見える)に、カボチャが喋った。
なんとも滑稽な現象に少年は出くわした。
あり得ないその様子に、少年は頬(ほお)を抓った(つねった)。
痛かった。
『で、下僕よ、貴様の名は?』
ジャック・ランタンの問いに、少年は答えた。
『舞夜忍(まいやしのぶ)だけど』
続けてジャック・ランタンは聞いた。
『助かりたいか?カーカカカカ』
忍が答えを返した。
『そりゃまあ、出来れば』
またジャック・ランタンは訊ねた。
『それなら俺様と契約するか?そうすれば、あのゾンビ共と戦う事が出来るぞ』
忍が言った。
『別に戦えなくていいんだけど、まあいっか、いいよ、それで助かるんなら、契約しよう』
すると、ジャック・ランタンは黙った。
《あれ?》
そして、そっぽを向いてしまった。
忍は考えて、閃いた。
《ああ、そういう事か》
それで、ジャック・ランタンに言った。
『契約させて下さい、お願いします、ジャック・ランタン様』
忍の言葉を聞いたジャック・ランタンは、向き直った。
『良かろう(よかろう)、契約させてやる』
ジャック・ランタンの教えた通りに、忍は変身の言葉を唱えた。
輝のように、疑問を訊ねるような事はしなかった。
『アンドルイド装着』
落ち着いたトーンで、忍は言葉を述べた。
すると、忍の全身を暗闇が包み込んだ。
『融合』
続けて唱えると、ジャック・ランタンが忍の中に入り込み、卵状の球体が出来上がった。
足下から順番に、装いが変わって行く。
やがて、球体が割れた。
中から現われたのは、スパイ映画で見るような、漆黒の上下を身に纏った忍だった。
暗闇の空間が去ると、ゾンビ達がまだ忍を取り囲んでいた。
数あるうちの一体が、忍に噛みつこうと、襲いかかって来た。
『おっと』
咄嗟に(とっさに)躱すと、二体目、三体目もそれに続いた。
次から次へと繰り出される攻撃を、忍は息つく間も無く、避け続けた。
それを見ていたらしい、ジャック・ランタンが、忍の中で舌打ちをした。
[チッ、これじゃきりが無いぜ、おい、下僕、一旦下に潜るぞ]
『了解です、どうすればいいですか?』
[俺様に任せておけ]
ジャック・ランタンはそう言うと、背中から忍を引っ張り込んだ。
忍は倒れると、溶け込むように地中へと消えた。
そして、ゾンビの軍勢の中から、一つの影が飛び出した。
背中に蝙蝠(こうもり)のような翼を生やした、忍だった。
[ふいー、なんとか脱出成功、危ないとこだったぜ]
そう言って、カカカカとジャック・ランタンは笑った。
[まあ、俺様にかかればざっとこんなもんよ]
『すっげー、空を飛んだ』
忍が感心して、自分の出で立ちを確認した。
『これが俺の姿か』
それから、ジャック・ランタンに話しかけた。
『それはそうと、このゾンビ達はどうするんです?』
[カカカカ、そうだな、光や聖水を持ってたら、今の状態で戦う事も考えられなくもないが、手ぶらなうえに、お前もボロボロだからな]
ジャック・ランタンは決断した。
[一旦、引こう、朝になればゾンビ達は墓に戻る、その間に怪我と体力を回復して、また夜に来よう]
『了解しました』
忍が敬礼の真似事をすると、ジャック・ランタンは忍ごと飛び去った。
町の上空に来ると、ジャック・ランタンが声をかけた。
[此処で降りるぞ]
そして、ゆっくりと、忍を降ろした。
『此処は?』
忍が聞くと、ジャック・ランタンはこう答えた。
[そこの看板に書いてある文字を読んでみな]
町の看板には、こう書かれていた。
〝闇の町シャルドネ〟
翼をしまうと、忍とジャック・ランタンは元の姿に戻った。
初めて来た町に、忍は物珍しそうに、辺りを見回した。
シャルドネは、がらんとした、人気(ひとけ)の無い、寂れ(さび)れた町だった。
《ゴーストタウンてやつか》
忍がそんな事を思っていると、ジャック・ランタンが話しかけた。
『こっちだ、ついて来い』
最初の一歩を踏み出すと、先に行くジャック・ランタンの後を、忍は追いかけた。
古びた家が建ち並ぶ間の道を縫うように通り、商店街を抜けて、暗い路地裏に入ると、その町角にぽつんと小屋があった。
立ってる看板を、忍は読んだ。
〝腕利きの薬屋・魔女の家〟
と、書かれてあった。
『へぇー』
そんな忍を他所(よそ)に、ジャック・ランタンが小屋のドアをノックした。
『おい、婆さん、婆さん!』
すると、ドアを叩く音が鳴り止まない中、小屋から声が聞こえた。
『うるさいね、一体誰だい?私のティータイムを邪魔したうえに婆さん呼ばわりするのは』
声で伝わって来た問いに、ジャック・ランタンは答えた。
『俺様だよ、俺様、ジャックだ』
また、小屋から嗄れた(しわがれた)声が返って来た。
『ジャック?はいはい、分かった、今行くよ』
小屋の外で少し待っていると、木材の軋む(きしむ)音がして、ドアが開いた。
現われたのは、老婆だった。
『久し振りだな、婆さん』
嬉しそうにジャックが話した。
『ふん、それで一体何の用だい?』
ティータイムを邪魔されたのが、相当嫌だったのか、不機嫌な声で、老婆は言葉を返した。
『お前に客だ』
横柄にそう言うと、ジャック・ランタンは一瞬、忍の方を見た。
『初めまして、舞夜忍と言います』
丁寧に自己紹介すると、忍はお辞儀をした。
『シルビアだ、シルビーでいい』
ぶっきらぼうにそう言うと、で?と、シルビアは続けた。
『それで、どうして欲しいんだい?』
この問いにも、ジャック・ランタンが答えた。
『薬を作って欲しいんだ、こいつを治したい』
それを聞いたシルビアは、二人を少し𠮟った。
『お前じゃない、あんたに聞いてるんだ』
指を指された(さされた)忍は慌てて言った。
『あ、えっと、怪我を治したくて来ました』
シルビアは鋭い目つきで忍を見た。
忍の身体中に緊張が走った。
暫く(しばらく)すると、シルビアは目を臥せて、こう述べた。
『そうかい、いいだろう』
色の良い返事に、忍は喜んだ。
但し(ただし)、と、シルビアは付け足した。
『シャクヤク、ドクダミ、オトギリソウ、この三つの薬草を探して採って(とって)来な、そうしたら、薬を作ってやる』
忍が言葉を返した。
『分かりました、今から採りに行きます、行ってきます』
すると、シルビアは服の中に手を突っ込んで、何やら、丸まった古い紙を取り出して、忍の前に差し出した。
『薬草の在り処(ありか)を描いた地図だよ、持って行きな』
忍は地図を受け取ると、礼を述べた。
『ありがとうございます、行ってきます』
そう告げて、忍はジャック・ランタンと融合して、翼を生やし、空に飛び立って行った。
それを見届けると、一人残ったシルビアは、こう独り言を言った。
『これで当分、戻っては来られないだろうね』
そして、魔女の家の中に入って、ティータイムの続きを始めた。
※
『えっと、まずは何から探しましょうか?』
空中に止まって、地図を見ながら、忍が訊ねた。
[そうだな、断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の頂き(いただき)にある、オトギリソウなんてどうだ?]
『なるほど、それなら崖(がけ)を登らなくて済む』
ジャック・ランタンの答えに忍は納得した。
『じゃあ、オトギリソウを採りに行きましょう』
[ああ]
二人は飛びながら、オトギリソウを探した。
『えーっと断崖絶壁の頂きだから、崖の上、崖の上っと』
片手を翳し(かざし)、独り言を言いながら飛び回っていると、生えてる緑の中に黄色が顔を出してるのを、忍が見つけた。
『あ、あれかな?』
側(そば)に寄って、ジャック・ランタンがゆっくりと忍を降ろした。
忍はしゃがみ込むと、ジャック・ランタンに訊ねた。
『一応、花が咲いてますけど、これですか?』
[ああ、間違い無い、オトギリソウだ]
『一つ目の薬草ゲットっと』
忍がそう言って、オトギリソウに手を伸ばした、その時だった。
『うわっち!?』
突然の炎が二人を襲った。
[大丈夫か?]
ジャック・ランタンが忍の身を案ずるような問いかけをした。
『は、はい、けど、何が起こったんでしょうか?今』
二人は、炎が現われた方向を振り向いた。
そこには、翼が蝙蝠になった鷹(たか)のような怪物(モンスター)がいた。
『クエエエエエ!!』
怪物が奇声を上げた。
[ガーゴイルだ……]
夢生魔の正体をジャック・ランタンが教えた。
『ガーゴイル?強そうですね』
[強そうなんてもんじゃないぜ]
ジャック・ランタンが、目の前にいる敵について話した。
[奴に目をつけられたら最後、死ぬまで身体を食いちぎられるぞ]
『マジですか』
衝撃的な報告に忍が声を発した。
[チクショー、厄介な奴に引っかかっちまった]
ジャック・ランタンがそう、吐き捨てた。
『奴に弱点は無いんですか?』
忍の質問に、ジャック・ランタンは残念そうに言った。
[無い事は無いが、奴の身体はダイヤよりも硬く出来ているから、普通の打撃斬撃は効かないとされているうえに、光の属性だから、暗くなれば力が弱まるが、今、まだ昼間だからな]
『打つ手無しってヤツですか』
否定的な言葉を発した忍にまた、炎が襲った。
もう、二、三発、炎を放つと、再びガーゴイルは奇声を上げた。
『クエエエエエ!!』
すると、今度は翼を広げて、空中を滑って行き、忍に飛びかかった。
『わっ』
驚いた忍は、思わず仰け反った(のけぞった)おかげで、攻撃を避けられた。
嘴(くちばし)でつつき、翼で引っぱたき、地味だけど、痛い攻撃が続いた。
『痛い、痛い、痛てててて』
忍は半泣きになりながら、ガーゴイルから逃げまわった。
[チッ、このままじゃ埒(らち)があかない、一旦、影に逃げるぞ]
忍の中で、ジャック・ランタンが声をかけた。
『了解』
影に潜る瞬間、忍はあるものを目にした。
《もしかして……》
身体を操ってるジャック・ランタンに身を任せて、
影の中へと、忍は消えた。
忍の姿が見えなくなると、ガーゴイルは辺りを見回した。
いなくなったと分かったのか、攻撃を止めた。
そして、軽く飛んで、花に近付くと、翼を休めた。
その下には、卵があった。
暫くすると、ガーゴイルは眠り始めた。
[ふう、ようやく寝たか]
影の中で、ジャック・ランタンが声を出した。
『やっぱり、卵を守ろうとしてたのか』
自分が襲われた理由に、忍は納得した。
[やっぱりって、お前、知ってたのか!?]
ジャック・ランタンが驚いたように、訊ねた。
『何言ってんですか、んなわけ無いじゃないですか』
あっさりと忍は否定した。
『影に潜る時、オトギリソウのそばに卵があったのが、ちらっと見えただけですよ』
[そうか、そうだよな]
冷静になってジャック・ランタンは納得した。
すると、話を変えて来た。
[なあ、ちょっと考えたんだが]
忍はジャック・ランタンの言葉を聞いて、頷いた。
『了解です』
※
その行動はすぐに決行された。
ガーゴイルが眠っているその横で、オトギリソウの下から手が伸びた。
忍の手だった。
手はオトギリソウの根元を掴むと、引っこ抜いた。
《よし!》
忍はオトギリソウが掴まれた手を、慎重に引っ込めた。
『上手く行きましたよ』
忍はジャック・ランタンに報告した。
二人は気づかれないように、影から出ると、ジャック・ランタンが静かに、翼を出した。
[あばよ]
ジャック・ランタンが別れの挨拶をすると、それを合図に二人は上空に飛び立った。
数メートル先を飛んでいると、恐れていた声を聞いた。
『クワアアアアア!!』
怒りの形相でガーゴイルが追いかけて来た。
『追って来ましたよ』
忍が焦って、ジャック・ランタンに話しかけた。
[俺様に任せな、スピードアップだ]
『うお!?』
翼を羽ばたかせて、ジャック・ランタンは速度を上げた。
風に任せて、勢いに乗って、ぐんぐん上空を進んで行く。
[ひゃっふうー、がんがん行くぜ!]
楽しそうに、ジャック・ランタンが声を出した。
どうやら、逃げてる間に調子付いて(づいて)、
テンションが上がって来たらしい。
[このまま飛ばすぜ、いえっふうー!]
忍も気持ちよくなって飛んでいたが、ジャック・ランタンの次の一言で、自分が今、置かれている状況を思い出した。
[そういや、ガーゴイルはどうなった?]
ジャック・ランタンが止まって言った。
『そうだった』
忍は恐る恐る、後ろを振り返った。
姿が見えなかった。
『誰もいないみたいですよ?』
首を動かして、辺りを見回しながら、忍が言った。
[あ]
と、ジャック・ランタンが声を発した。
『どうしました?』
訊ねた忍に教えた。
[あそこの動いてる小さな点、分かるか?]
ジャック・ランタンに言われて、忍はじっと遠くを見据えた。
『あ』
確かに、遥か(はるか)彼方(かなた)に、動く小粒な何かが見えた。
『ひょっとしてあれが?』
[ああ、たぶんな]
肯定的な答えをジャック・ランタンは忍に述べた。
[どうやら逃げ切ったみたいだな]
その言葉を聞いた忍は、ほっとして胸を撫で降ろした。
[次は何処に行く?]
ジャック・ランタンが聞いた。
『そうですね、ドクダミがあるとされている底無し沼に向かいましょうか』
[底無し沼だな、分かった]
忍の注文をジャック・ランタンは聞きつけた。
『えっと、底無し沼は、と……お、あれかな?』
おどろおどろしい色の巨大な水溜り(みずたまり)のようなものを忍は見つけた。
ジャック・ランタンは忍をそこに近付けた。
『ドクダミは、これかな?』
小さく咲いてる白い花をそっと触った。
[ああ、それだな]
ジャック・ランタンが言葉で頷いた。
忍はドクダミを掴んで、引っこ抜いた。
[よし、じゃあ次に行くか]
ジャック・ランタンがそう言った時だった。
底無し沼から、触手が伸びて来て、飛び立とうとした、忍の足を掴んだ。
『うわぁ!』
触手は二人を中に引き摺り(ひきずり)込もうとし始めた。
ジャック・ランタンが翼を羽ばたかせて、空に逃れようと、必死に抗う(あらがう)。
[離しやがれ、このっくそっ]
忍も離れようと、巻きつかれた触手を引っ張った。
だが、びくともしなかった。
綱引きで負けたように、強い力で、どんどんと足が、底無し沼の中へと、落ちて行く。
[!そうだ、もしかしたら]
《も、もうダメだ……!》
忍が力尽きた時だった。
空間が暗くなった。
『え?』
忍が不思議そうな声を出した。
そして、ジャック・ランタンが宿っているであろう、自分の胸を見た。
ジャック・ランタンが闇を呼んだのだ。
『ジャック・ランタン様?』
忍が話しかけた。
聞いているのかいないのか、ジャック・ランタンは忍を呼んだ。
[おい、下僕、今から俺様が呪文を言うから、助かりたければ、教えた通りに唱えろ]
『り、了解』
忍は呪文を唱えた。
『暗黒の力よ、その怪しき力を我に授けたまえ、汝が差し伸べし手を妨げんとす者へ制裁を』
[そうだ、それでいい、おっと魔法名を忘れるなよ]
ジャック・ランタンが満足げな声で指導した。
『ダーク』
すると、沼地が闇に染まった。
闇の魔法は、忍の足に絡みついている触手と同じような触手を出し、縛り付けた。
怯(ひる)んだらしく、触手が忍から離れた。
[今だ、闇に逃げ込め]
『あ、そうか』
忍は納得すると、ジャック・ランタンの言った通り、闇に潜った。
『助かった』
闇の中で、触手の主(ぬし)を探った。
『何ですか、あいつは?』
ジャック・ランタンがその正体を喋った。
[スライムだ]
目と口が着いた、ゼリーのお化けみたいな生物がそこにいた。
『こんな奴にやられていたのか』
忍は自分に情けなさを感じて、落ち込んだ。
[まあ、強敵じゃないと分かっただけよかったじゃねーか]
前向きな言葉で、ジャック・ランタンが励ました。
[そんな事もあるさ]
『ええ、そうですね、ありがとうございます』
二人は会話を交わすと、スライムを見た。
スライムはパニックになったのか、沼地のあちこちを右往左往すると、沼の中に潜った。
『あ、逃げた』
見ていた忍が声を出した。
闇の空間が止むと同時に忍は、ジャック・ランタンの力で上空へと上がった。
[後はシャクヤクを残すだけだな]
『ええ、暗がりの樹海へ行ってみましょう』
地図を照らし合わせ、場所を確定すると、二人は暗がりの樹海へと飛んだ。
ピンクの可愛らしい花を咲かせた薬草は、先ほど入手した二つ同様、すぐに見つかった。
[そう、その花だ]
ジャック・ランタンの言葉に従い、忍はシャクヤクを引っこ抜いた。
『また、何か襲って来るのでは?』
シャクヤクをポケットにしまい込んだ忍は身構えた。
[かもな]
ジャック・ランタンが不吉な発言をした。
『嫌な事言わないで下さいよ、縁起でもない』
不安を覚えた忍が否定した。
[いや、分かんないぜ、二度ある事は三度あるって言うからな]
『俺的には三度目の正直であって欲しいです……』
そう零した忍にジャック・ランタンが追い打ちをかけるような言葉を放った。
[噂(うわさ)をすれば影なんて言葉もあるしな]
『勘弁して下さいよ』
二人がネガティブな会話をしていた、その時だった。
〔それは、私(わたくし)の事かしら?〕
女性の声がした。
《誰だ?何処にいる?》
忍が辺りを見回して、その姿を探していると、ジャック・ランタンが反応した。
[上から来るぞ、横に飛べ!]
ジャック・ランタンに言われた通りにすると、何かが襲いかかって来た。
〔ホホホ、よく避けたわね、ならこれはどうかしら〕
次の攻撃が来た。
避けても避けても、その攻撃は続いた。
何か止められる手は無いかと、忍は攻撃を躱しながら、考えた。
《これじゃ、きりが無い、なんとかしないと》
避ける方向を考えながら、聳え(そびえ)立つ森林を見た。
すると、木の下に、木陰で作られた暗がりが、視界に入った。
《あれだ!》
忍は次に来た攻撃を躱すと、横にそれた。
そして森林の中に入って、身を隠した。
隠れた木は盾となって、攻撃を防いだ。
攻撃が止まり、忍が木を見ると、棘(とげ)を生やした蔓(つる)が幹に巻きついていた。
〔私の鞭(むち)を止めるとは、なかなかやるじゃない、ちょっとは楽しめそうね、でも、私を倒せるかしら?〕
ひらひらと、紅い花弁(はなびら)が降って来た。
花弁は舞い踊るように集まり、形を作り始めた。
忍達は木から出て来た。
[心の準備はしておけよ]
『え?』
何て言ったのか分からず、忍は聞き返したが、ジャック・ランタンが答えずに終わった。
花弁が作ったのは、人の形だった。
花弁は緑色の身体になり、現れたのは、紅い花を頭に着けた女性だった。
[やっと姿を現したな、マンジュシャゲ]
ジャック・ランタンが女性の正体を明かした。
『やっとって、じゃあ、さっきの鞭はこの人が?』
答えが分かっているような質問を忍はした。
[ああ、気をつけろよ、あいつの鞭には毒入りの棘が付いてるからな]
『そうなんですか?』
[そうだ、刺されたら、十二時間以内に治療しないと、助からないとされている]
『そんな危険な武器を、俺は避けていたんですか』
忍は自分で言ってて、青くなった。
[鞭をしまってくんねーかな、マンジュシャゲ]
ジャック・ランタンが話しかけた。
『あら、戦う気がないのかしら?』
マンジュシャゲが言葉を返した。
[ああ、俺様達は戦いに来たんじゃない、薬草を採りに来ただけだ]
『あっそ、でも、残念ねー、私は戦いたいのよ』
マンジュシャゲは意地悪く笑うと、全身を花弁に変え始めた。
足下から徐々に花弁になって行き、言葉を放つと、完全にその姿は無くなった。
『逃さないわよ、この戦いを終わらせたいなら、私を倒してごらんなさーい』
紅い花弁は、蝶になって空中を舞った。
そして、忍達に飛びかかった。
『げ』
蝶達は、その小さな体からは考えられないような力で、忍にタックルを喰らわした。
『がっ、ぐあっ、うぐっ』
息つく間も無く、繰り出される攻撃に、忍は手を出せないでいた。
『くっ……』
《これじゃ反撃出来ない……どうすれば》
〔ホホホ、捕まえてごらんなさーい〕
楽しげなマンジュシャゲの声がした。
[くそっ、やっぱり、話の通じる相手じゃなかったか]
悔しそうに、ジャック・ランタンが忍の中で喋った。
『和解しようと思ったんですか?』
[ああ、聞く耳を持ってくれなかったようだがな]
残念そうな声がジャック・ランタンの口から出た。
『あぐっ、あうっ』
忍は攻撃を受け続けた。
そんな忍の身体に異変が起きた。
[おい、大丈夫か?身体が透けてるぞ]
ジャック・ランタンが、それを知らせた。
『え?……わあ、本当だ』
自分の手を見て、忍は驚いた。
[ヤバいな、このままだとお前、消滅するぞ]
『しょうめ……マジですか!?』
[ああ、だから、早いとこ、なんとかしないと]
『くっ、そんな事言われても』
[だよな、何か、対応出来る武器でもあればなあ]
情けない声をジャック・ランタンは出した。
〔どうやら、終わりが近いようね〕
力強い声でマンジュシャゲは言った。
〔夜になるのを待とうたって無駄よ〕
不敵に笑いながら言ってるのが目に浮かぶようだ。
追い打ちをかけるように、マンジュシャゲは、葉っぱを忍に向けて飛ばした。
葉っぱは、手枷(てかせ)や足枷(あしかせ)となり、忍は木の幹に磔(はりつけ)にされた。
〔とどめね〕
マンジュシャゲは言うと、人型の姿になった。
そして、片手を挙げると、何処からか、竹やその葉っぱで作られた、ボーガンが出て来た。
それを掴むと、忍に向けた。
『終わらせてあげるわ』
竹を葉っぱで出来た弓に引っかけた。
[悪かったな、こんな最期にさせちまって]
ジャック・ランタンが言った。
『いえ、俺の方こそ、頼りないパートナーですみません』
最期の言葉を言い終えた、忍は静かに目を閉じた。
忍の身体目がけて、竹の矢が放たれようとした、その時だった。
パキン
『きゃあああ!』
聞き慣れない音と悲鳴が聞こえて、忍は目を開けた。
見ると、マンジュシャゲのボーガンを持った手が氷っていた。
『え?』
忍はきょとんとしている。
『だっ、誰よ、出て来なさい!』
マンジュシャゲが怒鳴った。
すると、木の影から何者かが、現れた。
それは、少女だった。
歳(とし)は忍と同じくらいだろう。
『よくも邪魔をしてくれたわねー!』
マンジュシャゲが怒りのオーラを放つと、背後から二本の蔓が触角のように飛び出し、少女に襲いかかった。
『危ない!』
忍が声をかけた。
しかし、蔓は少女の数センチ手前で、氷りついて止まり、砕け散った。
『なっ……』
マンジュシャゲがたじろいだ。
忍も驚いて目を見開いた。
少女の方は大して気にも留めず、マンジュシャゲの横を通り過ぎ、磔に歩み寄ると、忍を見上げた。
すると手枷足枷が、氷りついて砕け散った。
[おっと]
落ちた瞬間、ジャック・ランタンが翼を広げて、空に浮かばせた。
『くっ……こうなったら』
そう言うと、マンジュシャゲは再び、花弁の蝶と化し始めた。
ところが。
《あれ……?さっきよりも遅い……?》
『ジャック・ランタン様』
[ああ、分かってる]
マンジュシャゲの様子が気になった忍達は、地面に降り立った。
『うぐっ、くっ』
マンジュシャゲは苦しみ出した。
『きゃあああ!!』
そして、悲鳴を上げて、変化(へんげ)するのを中断した。
『さ、寒いわ、何をしたの?』
途端に元気が無くなった声で、マンジュシャゲは、少女に訊ねた。
『……?……ああ、忘れてた』
言うと、少女は忍に近付き、ワンピースのポケットから、あるものを取り出した。
それは、氷に覆われた球根だった。
『これ、あげる』
そう言って、忍の前に差し出した。
『え?あ、ああ』
忍が受け取ると、球根はとてつもなく、ひんやりしていた。
『冷たっ』
球根は大きく伸縮し、ドクンドクン言っている。
『ま、待ちなさい!それは、私のよ、返しなさい!』
葉っぱのブーメランが、三つほど飛んで来た。
だが、それも少女の前に、跡形(あとかた)も無く、崩れ去った。
『奇麗(きれい)な星空』
上を見上げて、少女が言った。
それを聞いて、忍も真似(まね)をした。
上空では満天の星が、輝いていた。
《いつの間にか、夜になっていたんだな》
星空を眺めながら、忍はそんな事を考えた。
そして、はたと思い当たった。
《……ん?待てよ、星空?夜?闇?》
忍は、ハッとした。
そして、相棒に声をかけた。
『ジャック・ランタン様』
[ああ、分かってる!行くぜ、下僕]
足下に魔法円が広がった。
マンジュシャゲを見ると、いつの間にか、手足を氷漬けにされて、動けなくなっていた。
忍は呪文と、魔法名を唱えた。
『暗黒の力よ、その怪しき力を我に授けたまえ、汝が差し伸べし手を妨げんとする者へ制裁をーーーダーク!』
何処からともなく、触手が現れて、マンジュシャゲの身体を覆った。
『ぐっ、今度会ったら、承知しないんだから、覚えておきなさいよ』
怨めしそうにそう言うと、マンジュシャゲは、花弁の蝶に化け、何処かに飛んで行ってしまった。
[行っちまったな]
ジャック・ランタンが忍の中で喋った。
『逃げられてしまったようですね』
ジャック・ランタンの言葉に応えるように、忍も言った。
『これきり、戦う事が無ければいいんですけど』
[ああ、報復に現れなければいいが]
『でも、あの子、強かったですね』
[そうだな、おかげで命拾いした]
『ええ、九死に一生を得ました』
[礼を言わなきゃなんねーな]
『あ、そう言えば』
ジャック・ランタンに言われて、忍は気づいた。
感謝の言葉を伝えようと、忍は少女のいた方を振り向いた。
『あれ?』
少女はいなかった。
忽然(こつぜん)と、消えていた。
『まさか、消滅……!?』
少女の姿が透けて見えていたのを思い出して、忍は言った。
[いや、それはねーな]
忍が想像した、最悪の事態を、ジャック・ランタンはあっさり否定した。
『え?どうしてです?』
理由が分からず、忍はジャック・ランタンに聞いた。
[考えてもみろ、確かにマンジュシャゲは、あの子を攻撃したが、全部あの子が氷技(こおりわざ)で打ち消してたじゃねーか]
『あ……』
ジャック・ランタンの言葉を聞いて、忍の中に希望が湧いた。
『じゃあ……』
忍が期待した答えを、ジャック・ランタンは口にした。
[そこは安心していい]
『よかったー』
忍はホッとして、胸を撫で降ろした。
[けど、まだ生きてるといいな、あの子]
『ええ、そうですね』
突然現われ、自分達をピンチから救ってくれた、不思議な少女。
彼女は一体、何処の誰なだろう。
分かっている事といえば、氷を操る技を使う事くらいだ。
でも、それでいい。
今は、まだ。
少しずつでも、彼女の事を知って行ければ。
『また、会えますかね?』
また、忍が答えの分かってる質問をした。
勿論(もちろん)、ジャック・ランタンは答えた。
[可能性は高い]
肯定的に、そして前向きに。
[さて、薬草が揃った事だし、婆さんの家に戻るか]
ジャック・ランタンの言葉を聞いて、忍は本来の目的を忘れていた事に気付いた。
『そうだった』
[おいおい]
ジャック・ランタンに呆れられながら、二人はシルビアの元へ向かった。
魔女の家に帰って、薬草を渡すと、シルビアは約束通り薬を作り、湿布を宛てがってくれた。
行く宛てが無い事を相談すると、夕食の洗い物を手伝う事を条件に宿泊を許してくれた。
その晩、忍は不思議な声を、眠りの中で聞いた。
自分の名前を呼ばれて目を覚ますと、魔法を使う時と同じような、暗闇の中にいた。
『カーカカカカ、起きたか?』
聞き覚えのある声に起き上がると、ジャック・ランタンと、見慣れない女性が目の前にいた。
『紹介するぜ、こちらはデメーテル様、この世界をお治めする女神様であらせられる』
ジャック・ランタンの几帳面な紹介のしかたに、デメーテルと呼ばれたその女性は、少し困ったように笑って言った。
『そんな丁寧に紹介しなくてもいいですよ、初めまして、デメーテルです』
そして、深々とお辞儀をした。
『あ、えっと舞夜忍です、こちらこそ初めまして』
忍も頭を下げた。
『貴方の事はジャックから聞いてるから、知ってます』
忍はジャック・ランタンを一瞥(いちべつ)すると、デメーテルに問いかけた。
『この世界で一体、何が起こってるんですか?』
デメーテルは言った。
『そうですね、まずはその説明からしましょうか』
デメーテルは、此処は夢の世界である事、魔王がこの世界を侵略し、征服しようとしている事、それを食い止め、平和をもたらすにはデメーテルの力だけでは足りず、九つのアンドルイドの力がいる事、魔王の手下を夢生魔と呼び、魔王と戦うにはその前に奴等(やつら)と戦って倒さなければならない事、
その戦士の一人に忍が選ばれた事などを話した。
『アンドルイドって何ですか?』
忍はふと、思った事を聞いた。
『ドルイド僧をご存知ですか?』
デメーテルが聞き返した。
忍は首を横に振った。
『他国の古代神話に伝わっている、有力な力を持った僧侶の事です、ドルイド僧の中でも、精霊達から選ばれた特異な存在、それがアンドルイドです』
『なるほど』
忍は納得した。
『俺もその一人で、アンドルイドの力に目覚めた者は、他に八人いる、その人達を探し出して、夢生魔や魔王と戦い、倒す必要がある、と』
デメーテルは言葉で頷いた。
『ええ、そうです、先程(さきほど)は
よく頑張りましたね、戦ってくれて、ありがとうございます』
感謝の言葉も述べると、忍は遠慮した。
『いえ、そんな、とんでもないです、氷使いさんが現れなかったら、危なかった、お礼なら彼女に仰って(おっしゃって)下さい』
ジャック・ランタンが口を挟んだ。
『そう言えば、あの子は誰です?』
《そうだよな、それも聞くべきだった》
忍は思った。
『初めて戦うにしては、強すぎです』
ちょっと考えてデメーテルは答えた。
『氷使い、ウンディーネ……ああ、きっとあの子の事ですね』
心当たりがあるらしい。
『ご存知なんですね!?』
忍の声が弾んだ。
ジャック・ランタンと二人で、食いついた。
しかし、デメーテルは言った。
『ええ、でも、会った事があるのは覚えているのですが、随分昔の事なので、名前とかまでは……』
二人の期待は、外れた。
『そうですか……』
残念そうに忍が言った。
『ごめんなさい……』
デメーテルは謝った。
『いえ、気にしないで下さい』
忍が気遣った。
『でも、どうしてあんなに強いんです?』
引き続き、ジャック・ランタンが聞いた。
『そうですねぇ……初めて会ったのは、あの子が五歳くらいの時でしたでしょうか』
「五歳から(ぁ)!?」
二人は驚きの声を上げた。
『え、ええ』
詰め寄る二人に、少し怯みながらも、デメーテルは答えた。
『あ、すみません、つい』
我に帰って、忍は謝った。
『いいえ』
デメーテルが優しく許すと、ジャック・ランタンが言葉で促した。
『それで、どうやって出会ったんです?』
答えの続きをデメーテルは話した。
『ええ、知恵の泉の周りをウンディーネと一緒に散歩してたら、噴水を眺めてたんです』
デメーテルは話を続けた。
『〝こんな所でどうしたの〟って聞いたら、〝迷ったの〟って、そしたらウンディーネが一目気に入って、〝私(わたし)と契約しない!?私が貴方を守ってあげるわ〟って、彼女を宿主にしました』
聞いてた忍が補足した。
『それが始まりなんですね』
デメーテルは言葉で頷いて、話を進めた。
『ええ、知恵の泉には図書館もありますから、そこからは勉強でも、修行でもウンディーネが家庭教師になって、どんどん彼女を教育して行ったんです』
話を聞き終えると、ジャック・ランタンが言った。
『それで、あんなに強いのか』
二人は納得した。
『友達は?』
ふと、思った事を忍は訊ねた。
『え?』
デメーテルが聞き返した。
『友達にはならなかったんですか?』
忍が聞き直した。
『友達にもなったようですよ、〝家庭教師である前に自分は友達でありたい〟と、よくウンディーネが話してましたから』
それを聞いて、忍はホッとした。
『そうですか、なら、よかった』
次も聞いたのは、ジャック・ランタンだった。
『あの子〝影〟になってましたけど、大丈夫なんですか?』
忍は自分の姿が透けていた時の事を思い出した。
《あの状態の事、〝影〟って言うのか》
心の中で、そっと学んだ。
デメーテルは言った。
『ある程度のダメージをくらいさえしなければ、他の〝影〟と一緒で問題ありませんが、見つけるのは、早い方がいいです』
忍がジャック・ランタンに続いた。
『どうして〝影〟に?』
これにもデメーテルは答えた。
『恐らく(おそらく)現実世界にある肉体が苦しんでる状態にあるからだと思われます』
さきほどの、ジャック・ランタンが質問した時と同じように、深刻そうな顔で、デメーテルは言葉を述べた。
『苦しんでる?』
忍が繰り返した。
『ええ、植物人間状態と言いますか、生死の境を彷徨って(さまよって)いると言いますか』
言い切らない形で、デメーテルは言葉を終わらせた。
『そんな、じゃあ、今、すぐにでも探さないと』
忍が急き立てた。
『落ち着けよ、手がかりも無いのにどうやって探すんだ?』
ジャック・ランタンが宥めながら聞いた。
『あ、そっか』
尤もな質問に、忍は我に帰った。
『手がかりか、うーん』
忍は唸って、考えた。
覚えている特徴を挙げても、首までのショートヘアに白いワンピースを着ていた事くらいだ。
どうすれば彼女を植物状態から救い出せる?
《……ん?待てよ》
忍が気付いた。
《植物状態?……!》
忍は閃いた。
『そうか、それだ』
忍の言葉を聞いて、デメーテルが言った。
『何か良い考えが浮かんだようですね』
弾んだ声で忍は返事をした。
『はい!』
穏やかな声でデメーテルは言葉を紡いだ。
『そうですか、では、続きはまた、今夜にしましょう』
忍はきょとんとした。
『え?』
しかし、デメーテルの、次の言葉で理解した。
『現実世界では、そろそろ朝になる頃(ころ)です、帰られた方が良いでしょう』
言われた忍は時間の流れをしみじみ感じた。
『そうですか、もう、そんな時間になりますか』
デメーテルは詳しく、現実世界へと帰る方法を忍に教えた。
※
二人は墓地に着いた。
《まずは貴方が倒れていた墓地にお行きなさい》
忍はデメーテルが言った言葉を思い返しながら、墓地の中へと足を踏み入れた。
《次に、貴方が倒れていた墓を見つけなさい》
記憶を頼りに自分が倒れていた墓を探す。
『あったか?』
ジャック・ランタンが話しかけた。
『確か、これだったと思います』
忍の言葉に、ジャック・ランタンは言葉で頷いた。
『そうか、よし、後は眠るだけだ』
《そして、その墓で横になりなさい、そうすれば眠っている間に現実世界へと戻れるでしょう》
デメーテルに教えられた通り、忍は墓の側(そば)で仰向け(あおむけ)になった。
が、しかし。
『そんな急に寝ろって言われてもなぁ』
忍が困っていると、何かが聞こえた。
声だ。
いや、歌だ。
二人は耳を澄ました。
『ゆーりかごーのうーたをカーナリヤーがうーたうよ、ねーんねーこ、ねーんねーこ、ねーんねーこよ……』
心地いい声。
誰が歌っているのだろう。
ひょっとして、あの子だろうか。
そんな事を考えながら、聴いてるうちに、忍は微睡み(まどろみ)始めた。
そして、視界が暗くなった。
※
『う……ん』
忍が眠たげに寝返りをうった。
しかし、なかなか寝付けず、目を開けた。
起き上がって、辺りを見回すと、見覚えのある風景が、目の前にあった。
廃墟となったビルの裏だった。
《俺……一体……そうだ》
夢の世界で経験した出来事を、忍は思い出した。
ジャック・ランタンやデメーテルに出会った事。
いろんな場所で夢生魔に襲われ、戦った事。
シルビアに怪我を手当てして貰った事。
そして、氷使いで、自分を助けてくれた、不思議で謎な少女と出会った事ーーー。
忍は空を見上げた。
雲が一つも無い、澄み渡るような青空だ。
そして、謎の少女の事を考えた。
《待っててくれ、きっと探し出してみせるから》
心の中で、少女に言うように、そう誓った。
《まずは、学校に行かないとだな》
怪我の治った身体で、忍は立ち上がって、歩き出した。
その夜、ジャック・ランタンやデメーテルと再会し、頭の中にジャック・ランタンが棲む事になるのを、忍はまだ知らない。
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