雪の依代
憑弥山イタク
雪の依代
結婚を誓った恋人がいた。彼は、背は高くないし、決して高収入な訳でもないし、端正でもない。平々凡々な人だったけれども、誰よりも、何よりも私のことを優先的に考えてくれていた。
心から、私は彼を愛していた。否、今でも愛している。全てのスペックで上回っている男性と出会っても、私は、彼以外を……キョウヤ以外を、愛せない。
キョウヤは、10ヶ月前に死んだ。マナーも知らない、低脳で低俗な一般乗用車に轢かれ、全身を強打して死んだ。殺されたのだ。遺体の損傷具合から、顔を合わせることはできなかった。私も、キョウヤの家族も、遺体を確認することもできずに、唐突に死に別れした。
今日は、私の誕生日。夜を待たずして、雨が雪に変わる、とても寒い日である。
「雪だるま……作ろっかな……」
雪の積もった日、キョウヤは子供のようにはしゃいで、積もった雪を素手で掻いては、赤くなった手で雪だるまを作っていた。
純粋に、屈託の無い笑顔で雪を握るキョウヤは、鏡に映った私よりも可愛く、少し妬んだ。けれどもその可愛さに私の心はほぐれ、私もついつい微笑んでしまう。
今日もまた、雪だるまが作れるほどの雪が積もった。キョウヤが死んでからは、初めての雪だるま作りである。私は手袋もせず、上着も羽織らず、ベランダに出て雪に触れた。
久方振りに触れる雪は冷たく、指の皮膚も肉も裂けてしまうような痛みを伴った。こんな痛みを味わっても笑顔を崩さなかったキョウヤは、一体何者だったのだろうか。
手が、指が痛む。ベランダの雪を全部使った、可能な限り大きな雪だるまを作るつもりだったが、手の痛みが限界を察した。
完成した雪だるまは小さく、きっと、すぐに溶けて無くなってしまう。加えて、私の作る雪だるまは形が歪で、キョウヤの作るものとは雲泥の差がある。
「下手だなぁ、私……」
完成した小さな雪だるまをベランダに置き、私は部屋とベランダを仕切る窓を閉めた。
冷えた手を温めるべく、エアコンの前に手を翳す。けれども、手が完全に温まるよりも前に、私は、ベランダで起きていた現象に気付いた。
「キョウヤ…………!?」
閉めた窓の向こう側、雪を掻いたベランダに、死んだ日と同じ服装のキョウヤが立っていた。
私は思わず声を漏らし、慌ててベランダへ駆けつけた。けれども、何故だか窓が開けられない。鍵は開いているはずなのに、窓は微動だにしない。
焦る私を見て、ガラス越しのキョウヤが微笑む。
「開かないんだ。ごめんね」
窓に触れるキョウヤの手は、私の記憶よりも白く、死人のように冷たそうだった。
「ツバキ、誕生日おめでとう。一緒に居てあげられなくて、ごめん……」
少し申し訳なさそうながら、私を不快にさせないように、笑顔は崩さない。そう、いつもキョウヤは、私に弱い顔を見せなかった。いつも笑顔で、いつも私に元気をくれた。
「キョウヤ……ねぇ、私もそっちに行きたい……」
「……こっちは随分と冷えるから、まだそっちに居て」
「いや……行きたい……キョウヤと一緒に居たい!」
「ダメだよ。だって、ツバキはまだ、生きてるんだから」
刹那、窓を固定していた何かが消えたのか、突如として窓が開いた。勢いよく開くのではなく、僅かに、指一本程度が開いただけである。
私は即座に窓枠へ手をかけ、キョウヤと会うために窓を開いた。
「………………なんで、置いてくの…………」
窓を開けた時、そこにキョウヤは居なかった。私を置いて、また消えてしまった。
…………どうやら、あまりの寂しさに、キョウヤの幻影を見ていたらしい。
私は溢れ出しそうな涙を必死に堪え、鼻を啜りながら窓を閉めた。
キョウヤを思いながら作り、ベランダに放置していた雪だるまが、いつの間にか崩れていたことにも気付かずに。
雪の依代 憑弥山イタク @Itaku_Tsukimiyama
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