ホワイトボードの向こう
大学院で工学研究科化学専攻に所属しているDさん。Dさんのいる研究室は実験が忙しく、ほとんどの学生が深夜まで残っていることが日常だった。研究のスケジュールはそれぞれ自分で管理するし、バイトなどでいない日も当然ある。そのため学生の席があるスタッフルーム(そう呼ばれていた)のドアには縦にメンバーの名前、横に居場所を書いた表が貼られていて、各自自分の名前の横にある居場所のマスに小さなマグネットを付けることになっていた。例えばスタッフルームにいれば「在室」、帰宅する際には自分の名前の欄の行にある「帰宅」のマスにマグネットを置くという具合だ。
ある日、午後7時くらいだっただろうか。Dさんは学食で夕飯を済ませ、購買で夜食を買い込んで研究室のある研究棟に戻った。エレベーターで上がり、暗い廊下を歩いて行く。スタッフルームの手前にある実験室のドアの小窓から明かりが漏れていた。
スタッフルームの前まで辿り着き、ドアに貼られた一覧のマグネットを確認すると「外出」となっているDさん自身以外は「在室」が6名、「帰宅」が4名となっている。
Dさんはスタッフルームのドアノブに伸ばしかけた手を止めて、実験室へと引き返した。誰も実験室にいないのならば、誰かが電気を消し忘れたのだ。教授にバレるとうるさい。
実験室のドアを開ける。真正面の壁の近くにたくさんの化学式や数式が殴り書きされたままのホワイトボードが立ててある。そのホワイトボードの向こうにジーンズを履いた足が見えた。
ああ誰かいたのか。表のマグネットを動かし忘れたんだな。と納得してドアを閉め、今度こそスタッフルームに戻ると、そこには6名のメンバーが揃っていた。では実験室にいたあれは誰だったんだ? となり、皆で確かめに行ったが実験室には誰もいなかった。
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