第5話 入学試験
朝焼けがまだ薄暗い森を照らし始めたころ、ライドは慌ただしく目を覚ました。
「……朝か! やべぇ、寝坊した!」
野宿の慣れた彼にとって、昨日の疲れから深く眠り込むことは珍しいことではない。しかし、今日はアストレア竜騎士学園の入学試験の日だった。
「急がねぇと、間に合わねぇ!」
荷物をまとめる暇も惜しみ、ライドは一目散に学園へと駆け出す。
アストレア竜騎士学園の巨大な門が見えてきた頃には、ライドの息はすっかり上がっていた。門番が門をゆっくりと閉じようとしていた。
「待ってくれ! まだ間に合うよな!」
ライドは全速力で門に滑り込むと、門番が驚いた顔で振り返った。
「おい、なんだ貴様は!?」
「俺はライド・エヴァンス! 今日、試験を受ける予定だ!」
その言葉を聞いた門番が困惑していると、背後から冷たい声が響いた。
「……ようやく来たか」
振り返ると、黒い軍服に身を包んだ男が腕を組んで立っていた。彼はライドを鋭い目つきで見下ろしている。
「その声は……昨日の竜騎士!」
ライドが声を上げると、男は軽く鼻で笑った。
「私はダリオン。この学園で現役竜騎士として、新入生たちの指導に当たる者だ」
「さっきから偉そうな奴だな」
ライドが軽口を叩くと、ダリオンの眉がわずかに動いた。
「……もう一歩遅ければ、貴様を逃亡者として投獄していたところだ」
「投獄だって!? ただ寝坊しただけで厳しすぎだろ!」
ダリオンは冷たく言い放った。
「竜殺しの血を持つ者が簡単に信頼されると思うな。今この場にいることで運が良かったと思え」
「信頼とかなんとか知らねぇけど、俺は竜騎士になるためにここに来たんだ! 文句言われる筋合いはねぇよ!」
ライドの堂々とした返答に、ダリオンは鼻を鳴らして手を振った。
「いいだろう。その意気込みだけは評価してやる。試験会場へ行け。他の受験者が待っている」
試験会場にはすでに数名の受験者が座っていた。それぞれが緊張した面持ちで、試験の開始を待っている。
ライドが空席を探して歩く中、端の席に座る金髪の少年が目に入った。その金髪は短く整えられ、翡翠色の瞳が不安げに揺れている。
「よっ、隣いいか?」
ライドが声をかけると、少年はびくりと肩を震わせた。
「あ、どうぞ……」
「お前、名前は?」
「……フィーニス、フィーニス・カーターです」
「フィーニスか! よろしくな!」
フィーニスは少し緊張した様子だったが、ライドの明るさにわずかに笑みを浮かべた。
「んで、これから何の試験すんの?」
突然のライドの言葉にフィーニスは口をあけて唖然とする。
「し、知らないでここにきたの? 今から筆記試験だよ」
「マジで、わりい。筆記用具貸してくれ」
「ええ…」
フィーニスは仕方なく、予備の筆記用具一式をライドに貸してあげた。
筆記試験の開始直前、教壇に立った試験官が内容を告げる。
「試験内容は、ドラゴンの生物学についてだ。制限時間は一時間、健闘を祈る」
その時、試験会場の後ろにいつの間にか立っていたダリオンが冷たく言い放った。
「竜騎士になる者が、この程度の知識を持たぬようでは話にならん」
その言葉に周囲の受験者たちはさらに緊張した表情になったが、ライドは笑みを浮かべながらペンを握った。
「任せな、ドラゴンのことなら得意だぜ!」
試験官が配布した用紙には、ドラゴンの生態や特徴、歴史についての問題がぎっしりと並んでいた。
例えば――
「翼竜が飛行時に消費するエネルギーを抑えるために必要な食事とは?」
「竜種ごとの睡眠周期と生体リズムの違いを述べよ」
受験者たちが額に汗を浮かべながら解答に取り組む中、ライドは次々と問題を埋めていく。
「翼竜のエネルギー補給には高カロリーの肉とカルシウムが必要……っと」
鉛筆を走らせながら、楽しげに鼻歌を歌う余裕さえ見せている。
試験終了後、答案が回収されると、ダリオンは他の試験官に小声で尋ねた。
「……あの男、全滅だろうな」
だが、採点結果を見た試験官の一人が驚愕の声を上げた。
「ライド・エヴァンス、満点だ! こんな結果を出した受験者は数年ぶりだぞ!」
「何だと!?」
ダリオンが思わず声を荒げると、前方のライドが振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「へへ、どうだ! 俺、ドラゴン研究書は片っ端から漁ってるからな! 嫌われてても、知れば好きになってくれるかもしれないだろ?」
その自信満々な態度に、ダリオンは小さく舌打ちをした。
「フィーニス・カーター、9割正解」
フィーニスは驚いた表情で自分の成績を聞き、ライドが隣で肩を叩いた。
「お前もすげぇじゃねぇか! 9割って超優秀だろ!」
「ありがとう……でも、君みたいに満点じゃないから……」
「細かいこと気にすんなって!」
ライドの明るい声に、フィーニスは安心したように笑みを浮かべた。
次の体力試験では、一人ずつ順番にコースを走り、障害物をクリアし、最後に重い鎧を持ち上げるという課題が課された。
ライドの順番が来ると、彼はスタートラインに立ち、周囲の視線を浴びながら大きく息を吸い込んだ。
「山育ちの力、見せてやるぜ!」
スタートの合図とともに、ライドは猛然と走り出す。圧倒的なスピードで課題を次々とクリアし、最後に鎧を軽々と持ち上げてゴールした。
「新記録だ!」
試験官たちが興奮する中、ライドは胸を張って叫んだ。
「へへ、これくらい朝飯前だ!」
次にフィーニスの番が来ると、彼はスタートラインに立ちながら震える声で呟いた。
「……できるかな……」
「おい、フィーニス!」
ライドが大声で応援する。
「お前ならやれるって信じてるぞ!」
その言葉に背中を押されるように、フィーニスは懸命に走り出した。何度もつまずきそうになりながらも、ライドの応援が聞こえるたびに力を振り絞り、ついに課題をすべてクリアする。
「やったな!」
ゴール地点で笑顔を見せるライドに、フィーニスは息を切らせながら礼を言った。
「ありがとう……君のおかげだよ」
一方、隣で見守っていたダリオンは腕を組みながら冷たく呟いた。
「……ただの体力バカだけでは竜騎士にはなれん」
試験会場の空気が張り詰める中、ダリオンが冷たい声で告げた。
「これより、追加試験を行う」
「追加試験?」
ライドが眉を上げて尋ねると、ダリオンは淡々と続けた。
「竜騎士にとって最も重要なのは、竜との信頼だ。竜に乗る以前に、まずその信頼を得られるかが試される」
彼が指差した先には、小さな翼を持つ一頭の小竜がいた。その鮮やかな鱗が光を反射し、鋭い目つきで受験者たちを見回している。
「この小竜に頭を触らせることができれば合格だ」
ダリオンの言葉に会場がざわついた。
「プライドの高い竜は、信頼ある者、強き者、優しき者しか頭を触らせない。竜騎士とは、竜に信頼される者でなければならない」
その厳格な宣言に、受験者たちは息を飲む中、一人の少年が手をあげた。
最初に名乗り出たのはフィーニスだった。少し緊張した表情ながらも、小竜の前にそっと立つ。
「フィーニス・カーターです……失礼しますね」
そう言って軽く頭を下げると、小竜もじっと彼を見つめた。
「おいおい、こんな気弱そうな奴に触らせるのかよ」
他の受験者たちが囁く中、小竜がゆっくりと頭を下げた。
「え……」
フィーニスは驚きながらも、その頭にそっと手を置き、撫でるように触れる。小竜は微かに目を閉じて満足げな様子を見せた。
「やった……!」
フィーニスはほっと胸を撫で下ろし、ダリオンが静かに告げる。
「フィーニス・カーター、合格」
「すごいな、あの子!」
周囲が驚きの声を上げる中、フィーニスはライドの方を振り返った。
「よっしゃ、次は俺の番だ!」
ライドが勢いよく小竜の前に立つと、小竜は鋭い目つきで睨みつけた。
「落ち着け、俺は敵じゃねぇ」
ライドが静かに話しかけるも、小竜の態度は変わらない。
「おいおい、あいつもう無理だろ」
「調子に乗りすぎたな」
周りの受験者たちが嘲笑を漏らす中、フィーニスは不安げに声をかけた。
「ライド君、大丈夫……?」
「大丈夫さ! これくらいなんとかする!」
ライドは無理に笑みを作るが、小竜は一歩も動かない。
「これで決まったな」
ダリオンが冷たい声で告げ、試験を中断しようとしたその時だった。
「待って」
澄んだ声が会場に響く。ライドが振り返ると、そこにはミアが静かに立っていた。
「ミア!?」
ライドが驚きの声を上げるが、ミアは彼を無視して小竜に近づいた。
「おい、危ねぇって!」
ライドが止めようとするも、ミアは小竜の前で立ち止まり、その瞳をじっと見つめる。
小竜は警戒心を露わにして唸り声を上げたが、ミアは動じることなく目を閉じた。静かな時間が流れる中、小竜の唸り声が次第に収まり、その体が緊張から解放されていくのがわかった。
ミアが目を開け、小竜を撫でると、振り返ってライドに告げた。
「もう大丈夫。頭くらいなら触らせてあげるって」
「ほんとかよ!?」
ライドが恐る恐る小竜に近づくと、小竜は目を閉じてじっとその場に立っていた。
「お、お邪魔します……」
ライドが小竜に触れた瞬間、周囲が静まり返った。小竜は落ち着いた様子で撫でられるがままになっている。
「すげぇ……俺、本当に竜に触ってる……」
ライドの手が震えているのは、感動と興奮からだった。彼の目には涙が浮かんでいる。
「……あんまり調子に乗るな、だって」
ミアが冷たい声で注意すると、ライドは慌てて手を引っ込めた。
しかし、その光景を見ていたダリオンは険しい表情を崩さず、小竜とミア、そしてライドを順に見やった。
「……これで終わりか?」
ダリオンの一言に、受験者たちがざわつき始めた。
「ズルじゃないか? あの銀髪の子が何かしたんだろ」
「そうだ、あの子がいなければ失格だったはずだ」
「最初の筆記と体力だけで調子に乗りやがって!」
受験者たちが口々に文句を言い出す中、ダリオンは厳しい声で静かに告げた。
「静まれ」
その一言で全員が息を呑む。ダリオンの冷たい視線が受験者たちを一掃するように動いた。
「ミアの介助があったとはいえ、ライド・エヴァンスが小竜に触れたのは事実だ」
そう言いながら、彼はライドに視線を向けた。
「だが……不本意であることに変わりはない。ミアの助けがなければお前は失格だっただろう」
「……!」
ライドは悔しそうに唇を噛んだが、反論する言葉はなかった。
ダリオンは目の前で佇むミアに目をやった。彼女が小竜を落ち着かせた光景が頭をよぎる。
『……一番信頼を得ることが難しいのは、このミアだ。それを引き出すほどの何かがライドにあるということか……』
だが、ダリオンはその考えを口にしなかった。もしそれを言えば、ライドが調子に乗るのは明白だったからだ。
『奴が図に乗る姿を見るのはごめんだ。だが……認めざるを得んか』
ダリオンは一歩前に出て、冷たい声で告げた。
「ライド・エヴァンス――筆記試験と体力測定の点数も加味して、さっきのは及第点にしてやる。よって不本意ではあるが合格とする」
「やった!」
ライドは拳を突き上げたが、周りの受験者たちはそれを冷ややかな目で見ていた。
「ふん、ズルで受かっただけだ」
「調子に乗ってるのも今のうちだな」
そんな陰口にも、ライドは意に介さず笑顔を浮かべた。
「どうだっていいさ! 俺は竜騎士になるんだ!」
その姿を見て、ダリオンは鼻を鳴らした。
「威勢だけは一丁前だな」
試験が終わり、ダリオンはミアの方を見つめた。
「お前がここまで協力するとは、正直驚きだ」
ミアは何も答えず、小竜の頭を静かに撫でていた。その仕草にダリオンは再び内心で思った。
『……この子が人の為に動くとは考えられん。あの少年、ただの竜殺しではないのかもしれん……』
だが、彼はその考えを表に出さず、ミアに短く告げた。
「今日のところはこのくらいにしておけ」
ミアは小竜の頭を撫でながら頷いた。
試験会場から急いで出てきたライドはミアを追いかけて声をかけた。
「おいミア、さっきは本当にありがとうな! お前がいなきゃ俺、絶対ダメだったよ!」
ミアはちらりとライドを見て、冷たい声で返した。
「別に助けたつもりはない。あなたが落ちると、私にとっても面倒だから」
「え、そうなのか?」
ライドがきょとんとした顔をすると、ミアは何も答えずにその場を去った。
こうしてすべての試験を乗り越えたライド。しかし、学園生活が順調に進む保証はどこにもなかった――。
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