第18話 おお、勇者よ! 死んでしまうとは情けない‥②

 男はリリィに向き直り、ゆっくりと近づいてきた。なぜか満面の笑みが浮かんでいる。


「お嬢さん、お怪我はないですか?」


「……あ……う……」


 リリィは言葉を失っていた。無理もない。目の前で、圧倒的な力の差を見せつけられたのだ。絶対に敵わない相手を前に、怯える子猫のように身体を縮こませる。


 相手は人間……それも冒険者だ。つまりリリィたち魔族の敵。きっと間違いなく、リリィは討伐されてしまう!


 男が再び姿を消した。いや、いつの間にかリリィの目の前に立っている。……速い! 速すぎて、動きが全く目で追えない!


 ダメだ、やられる……! リリィは覚悟を固め、目をギュッとつむった。しかし――。


「俺と、結婚してください!」


 ……は? 今、なんて?


 恐る恐る目を開けると、男はリリィの前で片膝をつき、深々と首こうべを垂れていた。


「あなたをひと目見た瞬間、俺の心はすっかり魅了されてしまいました! まさか、本物のサキュバスに会えるなんて……。異世界に来てよかったー!」


 ……え? 魅了の力なんて、使ってないんだけど。


「これは愛の証です。どうぞ受け取ってください」


 男はリリィの右手を取り、その甲にゆっくりと口づけをした。


「ひっ……!?」


 リリィの背中を寒気が這う。男に対する恐怖心が、一瞬で嫌悪感に代わった。


「さぁ、お嬢さんのお返事を――」


「ごっ、ごめんなさいぃぃぃ!!!」


 反射的に男の手を振り解く。そして彼の頬に、力強い回し蹴りをお見舞いした。


「ぶべらぁぁぁ!!」


 男は勢いよく吹き飛び、宙を舞い……。やがて、数メートル先の岩へ激突した。

 土煙が舞い上がる中、彼は仰向けに倒れ、天を仰ぎながら右手を空へ掲げる。


「ぐっ……我が人生に……一片の悔いなし……ガクッ」


 星を掴むように拳を握りしめたまま、気を失ってしまった。


「な、何だったのよ……?」


 リリィはため息を吐きながら首を傾げる。そしてあっさり昇天した男に背を向け、逃げるようにこの場から立ち去った――。



 数分後……。倒れた男の元に、二人の女性が現れた。


「あー、いたいた! こんなところでお昼寝してるわよ?」


 黄緑色のローブを纏った女性が、呆れたようにため息をつく。そして男の頭もとへ正座をすると、その膝の上に彼の頭を乗せた。


「リュウ、早く起きなさいよね。お祭りが始まっちゃうじゃない」


 膝枕をしながら男の顔を覗き込む。その隣で、もう一人の女性――水色の法衣に身を包んだ僧侶が口を開いた。


「おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない……」


 目を閉じ、両手を合わせて拝む。しかし、その台詞はあまりにも棒読みで、まるで感情がこもっていない。


「えっ!? リュウ、死んじゃったの!?」


「はい。死んでます」


「でも、まだ呼吸してるわよ……!?」


「姫、覚えておいてください。これが人の死です。人間は、死してなお呼吸ができる生き物なのです」


「そっか……私、ずっとお城に引きこもってたから知らなかった。一つ勉強になったわ」


 姫、と呼ばれたローブの女性は、男の頭を優しく撫でる。すると、彼の口角が僅かに上がり、鼻の下が少しだけ伸びた。……が、女性は気づいていない。


「もちろん、蘇生できるのよね?」


「はい、私に任せてください。危ないので、姫は後ろへ……」


 ローブの女性が男から離れると、僧侶は静かに魔法の詠唱を始めた。


「あぁ、神よ。この愚かな浮気者……じゃなかった、偉大なる勇者――リュウ・ウエダの彷徨う魂を、あるべき場所へ戻したまえ!」


 銀色の杖を空高く掲げる。すると、男の身体が青い業火に包まれた。


「ぎゃあぁぁぁ!! あっつ! あっつ!」


 男は火だるまになりながら地面を転げ回る。ようやく炎が消えると、ローブの女性が嬉しそうに駆け寄った。


「よかった! リュウ、無事に生き返ったのね!」


「元々死んでねぇよ!!」


 男の叫びに対し、ローブの女性は首を傾げるばかりだった。


「勇者様、早く帰りましょう。お祭りが始まってしまいます」


 僧侶が無表情で男に近づく。そして彼の耳元に顔を近づけ、低く呟いた。


「……次に浮気をしたら、もっと酷い目にあってもらいますからね、勇者様」


「は、はい……」


 男は青ざめた顔で、小さく返事をしたのだった。

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