第18話 おお、勇者よ! 死んでしまうとは情けない‥①

 リリィは、魔界と人間界の狭間に広がる地域――『静寂の荒野』を訪れていた。ここには明確な『国境』のようなものはない。ただ、人間にとって住みやすく、魔族には住みにくい環境に変わるだけ。


 人間界は、凌が住む地球の環境とよく似ている。魔界特有の瘴気が薄く、そして昼間が異様に明るい。嫌になるほどに。


 この『静寂の荒野』には、人間界から招かれざる客が度々現れる。大きく分けてニ種類だ。


 片方は、人間の冒険者たち。彼らは数人でパーティを組み、確かな知恵と実力を持つ、非常に厄介な存在だ。しかし、大抵は魔王軍の幹部たちが返り討ちにしてくれる。


 そして、もう片方は……。今回、リリィがこの地を訪れた理由である。


「……相変わらず、気味の悪い見た目ね」


 リリィは拳を握りしめ、戦闘体制を取る。彼女を囲うは、三体の『異形なる者』たち。まるで人の影が立ち上がり、メラメラと燃え盛っているような姿だ。奴らは『静寂の荒野』に突然現れては、目の前の魔族たちに襲いかかる。


 その正体は、依然として謎に包まれていた。一説には、人間の持つ負の感情……『邪気』が具現化したものだと言われている。


 魔族が人間と敵対する、最も大きな要因だ。


 リリィたち魔族は、この異形なる者たちを『邪鬼』と呼んでいた。そして今日は、突如現れた邪鬼の駆除を任されたわけだ。


「さっさと片付けるわ!」


 リリィは地面を蹴り、奴らとの距離を一気に詰める。そして、強力な右ストレートをお見舞いした。衝撃と共に邪鬼の身体が弾け、消えていく。


 ……よし、まずは一体。


 奴らには話し合いが通じない。そして、リリィの魅了も全く通用しない。正攻法で倒すしかないのだ。


「次!」


 残るはあと二体。リリィが振り返ると、片方の邪鬼が勢いよく襲いかかってきた。


「くっ……!」


 強烈なパンチを、リリィは辛うじて受け止める。そのまま奴の両手を掴み、取っ組み合いになった。互いに一歩も譲らぬ、拮抗した力のぶつかり合い。


 リリィは一歩後ろへ下がる。すると、邪鬼の重心がわずかに前方へ崩れた。今だ、と言わんばかりに、リリィは邪鬼の片腕を引き寄せ、身体を回転させて背中に担ぎ上げる。


 そして――。


「……どりゃァァァ!!」


 力強い叫び声とともに、邪鬼の身体を思い切り投げ飛ばした。地球について調べるうちに身につけた、新しいスキル――『背負い投げ』だ。邪鬼は宙を舞い、地面に叩きつけられて消滅した。


 ……あと、一体。


 呼吸を整えながら体制を立て直すリリィ。しかし次の瞬間――! 彼女の首に、黒い影のようなものが巻き付いた。


「うあ゙っ……!?」


 リリィは絞り出したような声を上げる。邪鬼の腕から黒い何かが伸び、彼女の首をジリジリと締め上げていた。


 ……や、やばい。こいつ……強い!


 必死に抵抗を試みるが、首はどんどん閉まっていくばかり。呼吸が乱れ、リリィの口から一筋のよだれが垂れる。やがて全身の力が抜け、視界がぼやけ始めた。


 も、もう……だめ……。


「あーあ、まいったなぁ。すっかり迷子になっちまった」


 男の声がした。次に、何かが空を切り裂く音が響く。直後、リリィの身体は黒い影から解放されていた。


 全ては、ほんの一瞬の出来事。


「ゴホッ、ゴホッ! はぁ、はぁ……」


 酷く咳き込みながらも、必死に呼吸を整える。そして涎を拭いながら、周囲の状況を確認した。


 さっきまでリリィを苦しめていた邪鬼が、溶けるように消滅していく。そして奴の前には……一人の青年が立っていた。


「勘弁してくれよ。お祭りに遅れちまうじゃねぇか」


 ほどよい長さの黒髪に、端正な顔立ち。歳は、リリィと同じくらいだろうか? 青色を基調とした、軽そうな防具を身に纏っている。右手には剣、左手には小さな盾を構えていた。


「に、人間……? いや、冒険者!?」


 どうして、冒険者がここに? まさか、リリィを助けてくれた……? いや、でも人間である以上、敵であることに変わりはない。


 リリィの声に反応し、男がゆっくりとこちらを向く。そして珍しいものを見るように、目を大きく見開いた。


「えっ、サキュバス……? ほ、本物か……!?」


 まるで観察するように、リリィをまじまじと見つめている。その澄んだ瞳に込められているのは、敵意なのか、あるいは別の感情か……。


 直後、男の姿が消えた。いや、正確には空高く跳んだのだ。彼がいた場所から、激しい炎が噴き上がる。


 いつの間にか、邪鬼の増援が集まっていた。その数、ざっと十体はいるだろうか? 仲間の仇を討つつもりなのか、低いうめき声を上げながら男を睨んでいる。


「おっと……。恐ろしく卑怯な不意打ち、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね!」


 青年は空中でひらりと身をひるがえすと、持っていた剣を空高く掲げた。虹色の光が集まり、彼の身体をきらびやかに包んでいく。


「精霊たちよ……オラに力を分けてくれ!!」


 男の纏う光が、徐々にまばゆく、力強くなっていく。これは……加護の力だ。それも、とてつもなく強力な……!


彩斬天衝さいざんてんしょう!!」


 高らかな声とともに、光り輝く剣を力強く振り下ろす。こうして放たれた虹色の斬撃は、邪鬼たちを一体残らず両断した。



 あっという間の決着……。静寂に包まれた荒地に、青年は軽やかに着地する。


「ふぅ……また、つまらないものを斬ってしまった」


 決め台詞のつもりだろうか? 得意げな笑みを浮かべながら、ゆっくりと剣をさやに納めた。

 男の戦いぶり、その一部始終を見て、リリィは恐怖のあまり後退りする。

 

 ……う、嘘でしょ? あれだけの邪鬼を、一瞬で全て倒しちゃうなんて……。いくらなんでも強すぎる!


 彼、一体何者なの……!?

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