第17話 恋に落ちないと出られない部屋①

「ふむ……リリィのやつ、なかなか苦戦しておるようじゃな」


 幼い見た目の魔女が、光り輝く水晶玉を見つめながら呟く。彼女の名はマリリン。魔界屈指の魔法使いにして、リリィの幼馴染である。

 その水晶玉には、ベッドで抱き合う二人の姿が映し出されていた。リリィと凌。これは先日、凌の家で起きた看病イベントの一幕だ。

 

 マリリンはこうして、陰ながらリリィを見守っていたのである。


「しかし……この二人の関係は実に興味深い。友達でもなければ、恋人でもない……まさに未知の存在。研究対象にはもってこいじゃな」


 水晶玉に映る二人を見つめながら、マリリンは何やら考え込んでいる。そして、ふと思いついたかのように不敵な笑みを浮かべた。


「シッシッシ! 研究者としての血がたぎりおるわ! 少しばかり地球へ出かけるとするかのう」


 最強の魔女が、その重い腰を持ち上げる。全ては己の知的好奇心を満たすために……。



 リリィは今日も凌の家に来ていた。右手を腰に当て、モデルのようなポーズを決める。そんな彼女を見ながら、凌はひたすらに筆を走らせていた。


「できたよ」


「お疲れさま。ちょっと見せて」


 リリィは凌からイラストを受け取った。繊細なタッチで描かれた、彼女のデッサンだ。


「ど、どうかな……?」


「へぇ……」


 ……驚いた。鉛筆しか使っていないのに、光の明暗や肌の質感が美しく表現されている。白黒の世界で微笑むリリィは、まるで今にも動き出しそうだ。


「すごい。あんた、日に日に上手くなってるわね」


 素直に感想を伝えると、凌の表情が目に見えて明るくなった。まるで花が咲くように……。


「あ、ありがとう。……自分じゃ分からないから、そう言ってもらえると嬉しいよ」


 凌は照れくさそうに微笑みながら、リリィの顔をまじまじと見つめてきた。そのまっすぐな瞳のせいで、リリィの心拍数が少しだけ上がる。


「……な、なによ?」


「いや、その……。頬の傷、元通りになって良かったね」


「え? あぁ……」


 リリィは頬をそっと撫で、エアリアたちとのやり取りを思い出した。いろいろ恥ずかしい目にも遭ったけれど……。結果的に傷は治ったし、身体のコンディションも整った。まぁ良しとしよう。


「そういう凌こそ、もう風邪は大丈夫なの?」


「うん。リリィが看病してくれたおかげだよ」


 凌はまだ、こちらをじっと見つめている。その視線に、リリィは顔がじわじわと熱くなるのを感じ、そっと目を逸らした。


「……別に、大したことはしてないわ。ただお粥を作っただけよ」


「それでも……。辛いときにそばに居てくれて、本当に嬉しかったよ。ありがとう」


 凌の言葉が、リリィの心を優しく包み込む。……そっか。私、ちゃんと凌を看病できたんだ。良かった。

 安堵とともに、胸の奥で不思議な感情が芽生え始めているのを感じた。それはほんのり甘酸っぱくて、あたたかくて心地よい。でも、迂闊に触れると消えてしまいそうなほどに脆い感情だ。


 なに? この感情……。


「凌……」


 リリィは視線を戻し、凌と見つめ合う。時間が止まり、世界が二人だけになったような感覚。もの凄くいい雰囲気だ。今なら、凌を簡単に魅了できるかもしれない。

 でも、リリィは魅了の力を使わなかった。今はただ、この心地よい時間を堪能したい。焦らずにじっくりと……。


 二人の手が少しずつ近づいていく。ごく自然に、まるで惹かれ合うように。


 もう少しで指先が触れる、その瞬間――! 突然、部屋が暗闇に包まれた。リリィたちは視界を奪われ、混乱状態に陥る。


「うわっ!?」


「な、なに……!?」


 何も見えない中、リリィは冷静に思考を巡らせる。これは……魔法だ! 誰かが近くで魔法を使っている!


「凌! こっちへ――!」


 真っ先に考えたのは、凌を守ることだ。リリィは彼の身体を引き寄せ、強く抱きしめた――。



 闇はほんの数秒で晴れ、視界が戻った。気づけば、周囲は見知らぬ場所に変わっている。真っ白で何もない、箱のような部屋だ。リリィと凌は互いに抱き合ったまま、きょろきょろと周囲を見回す。


「……元気そうじゃな、リリィ」


 二人の前に、幼い姿の小さな魔女が現れた。リリィにとって、とても馴染みのある人物だ。


「ま、マリリン……?」


「シッシッシ、ようこそ! 恋に落ちないと出られない部屋へ!」


 マリリンが高らかに宣言する。しかし、リリィと凌の頭には、ただひたすらハテナが浮かんでいた。

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