第15話 サキュバス流の看病④
最初はリリィも驚いた。尾岩さんから渡された、一本の白ネギ。こんなもので、凌を看病できるのか……と。
しかし、リリィは以前読んだ文献を思い出した。人間は風邪を引いたとき、このネギを使って様々な治療を行っているらしい。いわゆる『民間療法』ってやつだ。
その中に『ネギをお尻に刺す』というものがあった……ような気がする!
「ち、違うよ! ネギはお尻に刺すんじゃなくて、首に巻くんだってば!」
凌が必死に説得しようとするが、今のリリィには全く効果がなかった。
「ごちゃごちゃ言わずに……さぁ、早くお尻を出しなさい!」
「ぜ、絶対に嫌だ!」
凌は上半身裸のまま、床を這うようにして逃げ回る。リリィはその後を追いかけた。まるで某ツインテールの歌姫のように、ネギをブンブン振り回しながら……。
奇妙な追いかけっこはしばらく続いたが、ついに凌は部屋の隅に追い詰められてしまった。
「さあ、観念なさい……」
リリィは再び凌のズボンに手を伸ばす。ここから先は、まさに取っ組み合いの勝負だ。
「こ、こら! おとなしくして!」
「嫌ったら嫌だ!」
「どうして!? 私はただ、あんたを看病したいだけなのに!」
「お尻にネギを刺して、どこが看病になるのさ!? 絶対に痛いだけだよ!」
「注射だって痛いでしょ? それと同じよ!」
「絶対に違う!」
凌は手足をジタバタさせ、全力で抵抗している。いくらエリートのリリィとはいえ、片手でネギを持ちながら凌のズボンを脱がすのは、さすがに難しかった。
ならば……!
「……ふーん、そっか。そっちがその気なら、私も本気を出しちゃうんだから」
リリィはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、ジャケットをゆっくりと脱ぎ捨てる。ショートキャミソールにホットパンツ。毎度おなじみの、露出度の高い服装があらわになった。
「こ、今度は何をする気……?」
凌は顔を赤らめながら目を逸らす。しかしリリィはお構いなしに、全身に魅了の魔力を込めた。すると――!
「う、うわ……!? ズボンが勝手に……!?」
慌ててズボンを押さえる凌。そう、リリィは凌のズボンに魅了をかけたのだ。
「ふふっ。私の魔法で、ズボンが勝手に落ちるよう命令したわ」
リリィはネギを片手に、ゆっくりと凌に近づく。そして耳元に顔を寄せ、甘い声色でそっと囁いた。
「さぁ。もう観念して、リリィを……このネギを受け入れるのよ」
凌の手はプルプルと震えている。……ふふっ、もうそろそろ限界ってところかしら? ズボンの次はパンツ。そしてお尻があらわになった瞬間、このネギを――!
「こうなったら……」
凌が小さく呟いた、次の瞬間。まるでタックルをするように、勢いよくリリィに抱きついてきた。
「ちょっ――!?」
さすがのリリィでも、片腕では凌の身体を支えきれず……。二人は勢いあまり、仲良くベッドに倒れ込んだ。
「こ、こら! 離しなさい、凌!」
リリィの顔が、みるみるうちに赤く染まる。上半身裸の凌に、ベッドへ強引に押し倒され、力強く抱きしめられているのだ。多感な彼女が何も感じないわけがない。動揺のあまり、無意識にズボンの魅了を解いてしまった。
「嫌だ! だって離したら、そのネギをお尻に刺すんでしょ?」
「でも、だからって、こんな……!」
凌はさらに力を込めてリリィを抱きしめる。その強さからは、絶対に離すまいという決意が伝わってきた。
リリィはエリートサキュバスだ。凌の拘束くらい、簡単に振りほどくことができる。だが……。
リリィは、今の状況に心地よさを感じ始めていた。
……あぁ、凌の身体、やっぱり温かい。それに、何だかいい匂いがする。リリィとは全然違う香り。洗剤だろうか?
ちょっとだけ汗の匂いもする。でも嫌じゃない。むしろずっと嗅いでいたい。
そういえば、今の私はどんな匂いなんだろう? 人間みたいに毎日身体を洗っているけど、大丈夫かな? 臭いって思われないかな? 香水とか、つけてくればよかったかな?
リリィの頭の中が、凌でいっぱいになる。凌のことしか考えられなくなり、徐々に身体の力が抜けていく。そして、彼女はとある結論にたどり着いた。
……凌になら、何をされてもいいや。
リリィは抵抗をやめ、ゆっくりと目を閉じ、凌に身を委ねることにした――。
※
「……ねぇ、いつまでこうしているつもり?」
あれから、どれくらい時間が経っただろう。数分か、あるいは数時間かもしれない。凌に抱きしめられたまま、特に進展があったわけでもなく……。今も二人でベッドに横たわり、同じ時間を刻み続けていた。
秒針の音よりもずっと早く、心臓が鼓動している。これはリリィの鼓動なのか、それとも凌のものなのか……。身体が密着しすぎて、どちらの音か判別がつかない。
「リリィが、もうネギをお尻に刺さないって約束してくれたら、離してあげるよ」
凌の声は平坦で、その表情は近すぎて見えない。彼の熱い体温は、まるで自分のもののように感じられた。
凌は一体どんな顔で、どんな気持ちでリリィを抱きしめているのだろう? それは分からない。でもリリィには、ひとつの仮説が浮かんでいた。
……もしかして、私を試してるの?
もし『ネギを刺さない』って言ったら、凌はリリィを解放する。リリィから……離れてしまうだろう。反対に『刺す』って言ったら、きっとこのまま――。
「約束……しない」
凌に聞こえるかどうかも分からないほど小さな声で、リリィは答えた。
「離したら、すぐにネギをお尻に刺してやるんだから」
リリィも凌の背中に腕を回し、彼の身体を力強く抱き寄せる。すると、不思議と心の距離まで近づいたように感じられた。
「そう……じゃあ、ずっとこのままだね」
「うん……」
その後、二人は言葉を交わさず、ただ静かに寄り添っていた。二人だけの世界でゆっくりと流れる時間は、窓の外が真っ暗になるまで続いたのだった。
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