第15話 サキュバス流の看病①

 や、やっちゃった! どうして昨日は、あんな恥ずかしいことを……!?


 住宅街を歩きながら、リリィは両手で顔を覆った。思い出すだけで、顔から火が出そうだ。まさか、凌と半裸で抱き合った上、頬にキスまでしてしまうなんて。


 ……昨日の私は、頭がどうかしていた。


 お風呂でのぼせていたのか、それとも脳が半分凍ったままだったのか……。いずれにしても、冷静な判断ができていなかったのは間違いない。

 それもこれも、全部凌が悪いんだ。彼と一緒にいると、心がかき乱される。どんどん頭がおかしくなっていく……。


――無理に喋らなくていいから! すぐに溶かしてあげるからね!――


 凌の言葉が、リリィの頭に響き渡る。凍りついた意識を優しく溶かしてくれた声。


 ……かっ、かっこよかったぁー!!


 また、凌の新たな一面を見つけてしまった。まるでおとぎ話に出てくる勇敢な騎士のよう。そしてお姫様役は、もちろんこの私。

 凍ったお姫様が騎士によって救われ、二人はめでたく結ばれる……。あぁ、なんてロマンチックな物語なんだろう。


 リリィは恋する乙女のように、頭の中で妄想を膨らませた。しかし途中で我に返り、首を振って雑念を振り払う。

 ……だめよ、リリィ。今は魔王様から命じられた任務に集中しなくちゃ!


 大丈夫。まだ凌を魅了するチャンスはある。昨日の一件で、彼の魅了値はかなり上がったはず。紆余曲折うよきょくせつあったけれど、結局最後は凌のほうからリリィに抱きついてきたのだから。


 そうだ! まだ『雪精霊の卵』が残っている。これを三粒食べて、もう一度凍ってしまうのはどうだろうか。

 そうすれば、きっと昨日のように凌が抱きついてくれる。また彼の体温を感じることができる……じゃなくて、魅了値をさらに引き上げることができるかもしれない。


 再び全身が凍ってしまうのは、もちろん怖い。でも、凌を虜にするためなら我慢できる。リリィは覚悟を決め、彼の家へ向かった。しかし――。



「えっ!? 凌が風邪を引いちゃったの!?」


「はい。昨晩から急に発熱されたそうで……。今は寝室で休まれています」


 玄関で尾岩さんが淡々と説明する。相変わらず無表情だが、その目にはどこか悲しげな色が浮かんでいた。


「凌おぼっちゃまからの伝言です。風邪をうつしてはいけないので、今日はお帰りいただきたいと――って、リリィ様?」


 リリィの身体は考えるよりも早く動いていた。尾岩さんの制止を振り切り、一目散に凌の元へ駆け出す。



 ……私のせいだ。昨日、凌の身体を冷やしてしまったから。別に彼を傷つけたいわけじゃない。ただ魅了したいだけなのに。



「凌、大丈夫!?」


 勢いよく扉を開けると、空気のこもった部屋の中で、凌はぐったりとベッドに横たわっていた。


「リリィ? どうしてここに……?」


 掠れた声で問いかける凌。顔はほんのりと赤く、目は涙がこぼれそうなほど潤んでいる。彼は明らかに弱っていた。


 その姿を見て、リリィは改めて実感した。人間という種族のか弱さ、そして儚さを。ただでさえ短い寿命なのに、不慮の病気や事故であっけなく命を落としてしまうのだ。

 もし凌に万が一のことがあったら、リリィは二度と立ち直れないだろう。だから――。


「決まってるじゃない」


 守らなきゃ。今度はリリィが、凌の支えになるんだ……!


「あんたを看病するために来たのよ!」


 凌は驚いたように目を見開き、慌ててベッドから起き上がろうとした。


「そ、そんな……。嬉しいけど、でも風邪をうつしたら悪いし、今日は――」


「ふん、私を誰だと思ってるの? このエリートサキュバスが、風邪なんて引くわけないじゃない」


「で、でも……」


「いいから、病人は大人しく寝てなさい」


「わ、分かった……」


 リリィの押しに負け、凌は再びベッドに横たわった。恥ずかしそうに掛け布団で口元を隠している。……それにしても、顔が赤いなぁ。


 リリィは知っている。人間は、体温が上がりすぎると死んでしまう。つまり、凌の体温を把握することは、看病の第一歩なのである。


 そして、体温を手っ取り早く測る方法といえば――。


 リリィはそっと凌に近づき、彼をまじまじと見つめた。そして数秒間の沈黙の後、ゆっくりと顔を近づける。


「リ、リリィ? 一体何を……?」


「いいから、じっとしてて――」


 そのまま、お互いのおでこをぴったりとくっつけた。触れ合う肌を通じて、二人の体温が混ざり合う。


「ちょっ!? リリィ、これ……!?」


 凌は明らかに動揺していたが、リリィは彼の体温を感じ取ることに集中している。


「確かに熱いわね。……って、あれ? どんどん熱くなってるみたい。どうして?」


「あ、あぁ……!」


 冷静に体温を測るリリィと、興奮して思わず変な声を漏らす凌。そんな対照的な二人のいる部屋に、突然ノックの音が鳴り響いた。


「失礼します。リリィ様、一応マスクを――」


 ベッドの上でじゃれ合う二人を見た尾岩さんは、マスクを持ったまま固まってしまった。


「あ、尾岩さん。凌の体温がどんどん上がっているのだけど、どうしてか分かる?」


「リリィ様……」


 尾岩さんは無表情でリリィを見つめ、冷ややかな口調で言った。


「それ、わざとやっているのですか?」


「へ?」


 リリィはキョトンとした表情で首を傾げる。その隣では、刺激に耐えきれなかった凌が白目を剥いていた――。

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