第14話 人肌で温めて③

 すっかり静まり返った部屋で、凌は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。


「そ、そんな……リリィが……」


 目の前には、全身が凍りついたリリィの姿があった。恐怖に歪んだ彼女の表情が、凌の焦燥感をさらに掻き立てる。


「リリィ! ねぇ、悪い冗談でしょ!? リリィ!?」


「……」


 必死に呼びかけても、リリィは答えてくれない。微動だにせず、指先一つ動かせない状態だ。青白く凍りついた身体からは、白い冷気が煙のように立ち上っていた。


「は、早く温めないと! とりあえずお風呂へ……」


 凌は両手でリリィの身体を抱えようとした。しかし――。


「冷たっ……!」


 凍りついたリリィの身体は、想像以上に冷たくて滑りやすい。そのまま抱えて運ぶのは難しそうだ。


「ど、どうにかしないと……そうだ!」


 凌は急いで大量のタオルを準備して、リリィの身体にぐるぐると巻きつけた。……よし、これなら大丈夫そうだ。

 タオルに包まれたリリィを慎重に抱え、彼は部屋を後にした。



 無事に風呂場へと辿り着いた凌は、リリィの身体を壁に立てかけた。


「今、温めてあげるからね……!」


 そう呟きながら、シャワーで頭からお湯をかける。すると、リリィの身体から大量の湯気が発生し、あっという間に風呂場全体を覆い尽くした。視界がぼやける中、ピシッと嫌な音が響く。


 リリィの頬に、一筋のヒビが入ってしまったのだ。


「うわっ!? ……ご、ごめん!」


 凌は慌ててシャワーを止めた。どうやらお湯が熱すぎたようだ。これでは氷が溶ける前に、リリィの身体が割れてしまう。もっと慎重に温めないと……。


 シャワーの温度を下げ、ぬるま湯をリリィの身体に優しくかけ続けた。しかし、彼女は一向に溶ける気配を見せない。なにか、いい方法はないものか? もっと手早く、そして安全にリリィを解凍する方法が――。


――ねぇ、凌。リリィを温めてほしいなぁ――


 突然、リリィの言葉が頭をよぎる。あの時握った彼女の手は、身体の芯まで染み渡るような温かさだった。


「……そうだ!」


 凌は、リリィを確実に溶かす方法を思いついた。それはあまりにも大胆で、原始的な手段。凌は一瞬だけ躊躇ためらったが、今は迷っている時間すら惜しかった。

 大急ぎで服を脱ぎ、上半身をあらわにする。そして、凍りついたリリィに思い切って抱きついた。


「うっ、冷たい」


 凌の身体を、ヒリヒリと刺すような冷たさが襲う。しかしぬるま湯をかけながらであれば、何とか耐えられそうだ。


「リリィ。お願いだから、目を覚まして……!」



 リリィを抱いたまま、刻々と時間が過ぎていく。……何分、いや何時間経っただろうか。すでに凌の身体も冷えきっていた。しかし大切なリリィを助けるため、彼はひたすら耐え続けた。


「……ぁ……」


「リリィ!?」


 シャワーの音にかき消されそうな声量で、リリィが声を発した。それは彼女が呼吸を再開した証拠。

 未だに全身はカチカチに凍ったままだが、まずは何とか意識を取り戻したようだ。


「あ……ぁ……」


「無理に喋らなくていいから! すぐに溶かしてあげるからね!」


「あ……」



 さらに時間が経ち、リリィの身体は徐々に柔らかくなり始めた。まだ自由に動ける状態ではないが、確実に体温が戻りつつある。


「りょう……えっ……ち……」


 リリィの甘い声が、凌の耳を刺激する。そこで彼は、改めて今の状況に思いを巡らせた。リリィを解凍するためとはいえ、彼女の身体をこんなにも抱きしめている。しかも自分は半裸で、リリィもジャケットを脱いでいて――!


「ご、ごめん!」


 凌は顔を真っ赤にしながら、慌ててリリィから離れた。


「もっ……と」


「えっ?」


「まだ……ふれて……たい」


 リリィは凍りついた顔で、懸命に笑顔を作ろうとしている。頬に入ったヒビのせいで、この上なくぎこちない表情だ。しかし、彼女の思いは凌にしっかり伝わった。


「わ、分かった……」


 凌は再びリリィを抱きしめた。そのシャーベットのような冷たい身体を、自分の体温で溶かしていくかのように……。



 そしてさらに時間が経ち……。


「リリィ、そろそろ離れてもいい?」


「だめ。離れないで」


「でも、もうすっかり柔らかくなったよ?」


「まだ、ちょっと凍ってるから」


「そ、そうかな? もうそんなに冷たくないけど……。完全に溶けたでしょ?」


「溶けてないって言ってるでしょ? いいから、そのままでいて」


 二人は抱き合いながら、こんなやり取りを繰り返していた。凌の言う通り、リリィはすっかり元通りとなっている。しかし、彼女はここぞとばかりに凌を手放そうとしなかった。


「凌」


「なに?」


「私の顔……見ないでね」


「……注文が多いなぁ」


 半裸の男女が、風呂場でシャワーを浴びながら抱き合っている……。そんな状況に、二人の顔はかつてないほど赤く染まっていた。


「リリィ」


「なに?」


「怒ってる……?」


「どうしてそう思うの?」


「僕が意地を張ったばかりに、こんなことになっちゃって……」


 リリィは答える代わりに、さらに強く凌を抱きしめた。


「凌、目を瞑って」


「えっ? どうして……?」


「いいから」


 言われるがまま、凌は恐る恐る目を閉じる。リリィは一旦凌の身体を離し、ゆっくりと顔を近づけて――。


「……助けてくれて、ありがとっ!」


 まだ冷たさの残る唇で、彼の頬にそっと触れた。


「……!?」


 凌は驚いて目を見開く。目の前には、八重歯を見せて笑うリリィの姿があった。びしょ濡れになっているが、それさえも美しく映る。

 さらに目線を下げると……ショートキャミソールが透けて、レース生地の黒い下着がはっきりと見えているではないか。


「あ……あ……」


 凌の身体が、沸騰するように熱くなる。疲労と混乱が重なる中、リリィが与えた『ご褒美』は、彼の限界を越える決定打となってしまった。


「あぁ……」


「凌!? ちょっと、どうして今寝ちゃうのよ!? せっかくいい雰囲気だったのに!」


 リリィは必死に凌を揺さぶったが、もちろん彼は目を覚まさない。鼻からは大量の血が溢れ、風呂場の白いタイルを真っ赤に染めていた……。

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