第13話 お互いの身体を知るために①

 ……おかしい。昨日の記憶が曖昧だ。


 凌の身体を小さくして、てのひらに乗せて遊んでいたところまでは覚えている。そこから先の記憶が途切れていて……気づいたら、彼の隣で横たわっていたのだ。


 気になったのは、凌が大量の鼻血を流していたこと。そして、彼の態度があまりにも素っ気なかったことだ。目を合わせてくれなかったし、口数も少なかった。


 昨日、一体何があったのだろうか。


「別に。何も……なかったよ」


 凌はそう言っていたが、本当だろうか? もしかしたら、リリィは無意識のうちに彼を傷つけてしまったのかもしれない。身体を小さくしたこと自体が、彼にとって大きな負担だったりとか。


 ……なんだか、悪いことをしちゃったな。



 セルフ反省会を開いているうちに、リリィは凌の家にたどり着いた。


「いらっしゃいませ、リリィ様」


 今日は、家政婦の尾岩さんがいる日だった。凌の部屋へと向かう途中、リリィは彼について尋ねる。


「ねぇ、尾岩さん。凌の様子、どこか変じゃなかった? 元気がないとか、表情が暗いとか……」


「おぼっちゃまが……ですか?」


「えぇ。私、彼にひどいことをしてしまったかもしれないの。嫌われてしまう前に、きちんと謝らなきゃ」


 リリィの言葉を受け、尾岩さんは驚いた様子で目を見開いた。


「不思議ですね。実はおぼっちゃまも、同じようなことをおっしゃっていました。リリィ様を、傷つけてしまったかもしれない……って」


「えっ? 凌がそんなこと言ってたの?」


「はい。詳細は存じ上げませんが……」


 ……ふーん、そっか。


 リリィの口角が無意識に上がった。凌も同じように、リリィを心配してくれていたんだ。その事実が嬉しくて、昨日の出来事なんてどうでもよく思えた。

 ニヤけ顔を必死に隠すが、尾岩さんには見抜かれてしまったらしい。彼女はまじまじとリリィを見つめていた。


「な、なに?」


「いえ、なんだか微笑ましいなと思いまして。……ふふっ」


 普段は無表情な尾岩さんが、初めて笑顔を見せてくれた。妙に色っぽく感じるのは、いわゆるギャップ萌えってやつだろうか?


「お二人は素敵な関係ですね。お互いを思いやることができる、最高のパートナーだと思います」


「そ、そうかな……?」


 最高のパートナー……パートナー……パートナー……。


 リリィの中で、尾岩さんの言葉が何度も反響し、身体がホッと温かくなる。


「今日はどこまでおつもりですか? 私のことは気にせず、思う存分声を上げて構いませんからね」


 ……この人、いつも一言多いな。



 こうして、リリィは凌の部屋にたどり着いた。もちろん、今日もマリリンの魔法グッズを持ってきている。たとえ何があったとしても、リリィの目標は変わらない。


 今日こそは、凌を魅了してみせる!


「……これ、なに?」


 案の定、凌は険しい表情で警戒している。それもそのはず、目の前にあるのはドクロのイラストが描かれた黒い箱だ。


「『双魂そうこんのオルゴール』。この音色を聞いた二人は、お互いのことをよく知ることができる……って、友達から聞いたわ」


 そう、マリリンの説明は抽象的だった。お互いの何が分かるのか、どこまで知ることができるのか……それは使ってみないとわからない。

 鬼が出るか蛇が出るか。しかしなんにせよ、凌のことを深く知ることは、魅了への手掛かりになるかもしれない。


 リリィたちは、お互いに知らないことが多すぎる。


「また、怪しい手品じゃないよね……?」


「なんだっていいじゃない。私はこれを使って、凌のことが知りたいの。凌は……リリィのこと、もっと知りたくないの?」


 凌に近寄り、上目遣いで訴えかける。彼は目を逸らしながら、ぼそっと呟くように言った。


「……知りたい」


 ……えっ? 待って、かわいい。


「じゃ、じゃあ……早速開けるね」


 リリィは照れる気持ちを抑えつつ、オルゴールの蓋を開ける。そして銀色のネジを最大まで回すと、透明感のある音が流れ始めた。それはまるで……エルフの森を流れる、小川のせせらぎのように優しい音色だ。


「わぁ……素敵な音色」


「うん。きれいな音だね」


 凌と見つめ合う。リリィが微笑むと、彼も笑顔で応えてくれた。まるで時が止まったように、二人の時間がゆったりと流れる。


 今、リリィは幸せな気持ちだった。そして凌も同じ気持ちでいるのは、彼の表情から見ても分かる。

 ……あぁ、『お互いのことを知る』って、こういうことなのかな? だとしたら、なんて素敵な魔法グッズなのだろう。この時間が、できるだけ長く続いてほしいな。



 しかし、オルゴールは一分と持たずに止まってしまった。


「あれ? もう終わり……?」


 首を傾げながら、再びネジを回そうとした瞬間――。オルゴールから眩い光が溢れ出し、二人の視界を奪った。


「わっ!?」


「ま、眩し……!?」


 思わず声を上げる二人。光は数秒で収まり、オルゴールは再び穏やかな音楽を奏で始めた。


「凌、大丈夫……?」


「う、うん。なんだったんだろう……?」


 リリィはゆっくりと目を開ける。しかし、視界に映った光景に違和感を覚えた。隣にいるのは凌ではなく、なんとリリィ自身だったのだ。

 まるで鏡のような……でも、目の前の人物はリリィの動きを真似するわけでもない。


「あ、あれ……? 僕……?」


 目の前のリリィも、驚いた表情でこちらを見ている。あれ? これってもしかして……。


「……ねぇ。ひょっとして、あんた凌?」


「う、うん。リリィ……だよね?」


「うん。……私」


 二人して、部屋の鏡を確認する。そこに写っていたのは、凌の姿をしたリリィと、リリィの姿をした凌だった。


「う、嘘でしょ……」


「そんな……私たち……」


「「入れ替わってるー!?」」


 二人の叫び声は、オルゴールの音色をかき消すほど響いていた。

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